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友沼部屋奮闘記  作者: 魚屋ボーフラ
22/68

それぞれの名古屋場所 初日

 外国人力士といえば、かつてはハワイ出身の重量級力士が隆盛を極めた。その日本人離れしたパワーはまさに重戦車の如くで、大きな身体で土俵狭しと暴れ回り、何人もの横綱や大関を排出し、数々の名勝負を繰り広げた。その後はヨーロッパ等からも多くの屈強な男たちがやって来て、やはり多くの名力士が誕生した。そして今ではそれらを凌駕する数のモンゴル人力士が大相撲界を席巻し、連日のように土俵を湧かせている。

 しかし強過ぎる外国人は、外国人枠という副産物を大相撲界にもたらし、それが各部屋一人までという厳しい制約へと向かい、今に至っている。その部屋の看板力士となり、稼ぎ頭ともなる可能性の高い外国人が一人しか獲れないとなると、当然、その力士が"当たり"か"外れ"かということは、その部屋の不沈を握る、大きな死活問題にもなってくる。

 もしも"当たり"を引き当て、その外国人が役力士(やくりきし)にでもなろうものなら、その部屋に多大な潤いをもたらすであろうが、反対にとんでもないポンコツを引き当ててしまえば、彼は部屋のお荷物になるばかりか、そのポンコツ君が居座り続ける限り、金の卵の可能性を秘めた、新たな外国人力士を獲得することさえ出来ないのだ。

 では、部屋の死活問題ともなり得るほどの、外国人力士の強さの秘密とは、一体何なのか?

 確かに、かつてのハワイ出身力士のように、体重が優に200キロを越す大きさもありながら、その体重をもて余すでもなく、丸い土俵を俊敏に動き回り、プッシュプッシュで対戦相手を簡単に押し出してしまうなどという芸当は、並の日本人では到底考えられない。そう、日本人とは元々の骨格が違うのだと、諦めざるを得ない。しかし、今現在隆盛を極めているモンゴル人力士に関して言えば、日本人力士と体格は変わらないどころか、逆に小さい位だ。そこで巷間(こうかん)よく囁かれる彼らの強さの秘密となると、結局のところハングリー精神の一語に集約されてしまうことになる。

 ご多分に漏れず、友沼部屋にも他の部屋同様、一人の外国人力士がいる。ケニア人の将威(まさい)だ。四股名が示す通り、彼はマサイ族の人間――かと思いきやマサイ族とは何の関係もない、ケニアでは人口に占める割合の一番多い、キクユ族の若者だ。そして彼は、部屋の力士の中では一番にハングリー精神の乏しい、"お(ぼっ)ちゃん"だった。


「ヒマツブシ、ヒマツブシ、ヒマツブシ~ッ!」

 (ひつ)まぶしだろ……。

 と、そんな言い間違いにも面倒臭くなり、友沼親方はいちいちツッコミも入れなくなった。

 7月、毎年名古屋場所の行われる際には、宿泊も兼ねてお世話になる馴染みの寺がある。到着するなり将威は、そんな陽気な声ではしゃぎ回った。

 その様子からも分かるように、将威の名古屋場所での楽しみといえば、何といっても櫃まぶしだ。元々日本の大相撲には、家族旅行で訪れた際に食べた寿司の味が忘れられずに入門したという経緯(いきさつ)がある。しかしその後、名古屋で初めて食べた櫃まぶしには、そんな寿司をも軽く凌駕(りょうが)するだけの魅力があったというのだ。

「コ、コレワ一体、何タル料理ダ……!」

 友沼親方が現役時代から行きつけていたその店で、将威は生まれて初めて櫃まぶしというものを口にした。その時、将威は大きな目を血走るほどに見開き、しばし絶句したまま「アーメン」と神に感謝の祈りを捧げた。

 そんな将威に対して友沼親方は、今年は初めに釘を刺しておこうと口を開いた。

「あー、将威や、今年の名古屋場所は櫃まぶしは無しだ」

「オゥッ! ソ、ソ、ソレワ一体、ドーユーコトデ……?」

「どうしたもこうしたも――」

 と親方は少々呆れ顔で、

「お前は毎年、名古屋場所の成績が極端に悪いだろ」

「ソ……、ソーデスカ?」

「ああ、そうだ。それで、その理由は分かっているよな?」

「……ハテ? ドーシテデショ?」

 将威は少し上を向いて考えるような仕草をしたが、それは親方には(とぼ)けているようにしか見えず、

「それはお前の頭の中が、櫃まぶしのことしか無いからだっ!」

 と、ついに堪忍袋の緒が切れたとばかりに、大声を上げた。

「ソ、ソレデワ……」

「ああ、そうだ。お前は今年、あの店へは行ってはならん」

「ジェジェジェ~ッ!」

 将威は今にも血の涙が溢れるのではないかという限界まで目を見開き、両方の掌を頬に当てるそれはまるでムンクの叫びのようなポーズで、腹の底から絞り出す悲痛な叫び声を上げた。

 死の宣告にも等しい勧告を受けた将威は、「ヒマツブシガタベラレナイ、ヒマツブシガタベラレナイ、ヒマツブシガタベラレナイ……」と、犯行の一部始終を防犯カメラに撮られてお縄となり、この世の不幸を一身に背負ったかの(てい)でブツブツと独り言を繰り返す(あわ)れで惨めな下着泥棒のように、部屋の片隅に身を寄せて小さくなっている。そこにはもはや、将威などという勇ましい四股名の黒人力士といったオーラは微塵もない。

 その様子を見て流石(さすが)に気の毒になった友沼親方は、譲歩案を出すことにした。

「あー、将威よ、それじゃあこうしよう」

「……ハッ?」

 歩み寄ってきた親方に向けて、将威はその生気の抜けた双眸(そうぼう)一縷(いちる)の希望の光を宿し、顔を上げた。

「えーとな、お前が本場所の取組で勝った日だけは、あの店に連れて行ってやる。ただし、(おご)ってはやらん。支払いは自腹で頼むぞ。どうだ、それなら良いだろう?」

「勝ッタ日……ダケ?」

「だけ、とは何だ。だけ、とは。もし7つ全て勝てば、7回も行けるんだぞ、7回も」

 親方は精一杯の譲歩で将威のやる気スイッチを入れようとするが、ひとたびいじけモードに入ってしまった将威のマイナス思考は、留まるところを知らない。

「デモ……、全部負ケタラ一度モ行ケマセンヨネ」

「それは、まあ……、お前が悪いんだから、しょうがないよなあ」

「ソレデワ一体全体、(わたくし)メワ名古屋クンダリマデ、何シニヤッテ来タトユーノデスカ?」

 相撲を取りに来たんだろ、と親方は呆れながらも、

「とにかくまあ、そういう事だから、頑張れ」と励ましの言葉をかけ、背中を向けた。


 名古屋場所初日、将威が会場となる愛知県体育館に到着したのは、午前九時を少し過ぎた時刻だった。西序二段8枚目、それが現在の将威の地位だ。

 まだ閑散と人気(ひとけ)もない中を正面入口に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。

「お前……、将威か?」

 振り向くと、同じ様に浴衣に下駄という出で立ちの恰幅のいい男がいた。まだ髷も結えてはいないが、どうやら彼も力士のようだ。

「ソーデスケド……」と将威が伏し目がちに頷くと、男は自信満々な様子で、更に続けた。

「俺は今日の対戦相手、高汐(たかしお)部屋の房総龍ぼうそうりゅうだ。宜しくな」

「……ヨロシク?」

「ああ、お手やわらかに頼むぜ、ということだ」

「オ手ヤワラカ二……? ノー! 拙者(せっしゃ)、今日ワ、ヒマツブシダ~ネ! オゥッ、モーコンナ時間ダ。ソレデワ私メワモー行カネバ。ホナ、サイナラッ! 」

 そう言って足早に立ち去る将威の後ろ姿を、房総龍は目立つ切傷のある右頬を引き()らせ、先程まで密かに身に付けていたネックレスを右の掌に強く握り締めながら見送った。

「暇潰し……だと――?」


 序二段の取組は仕切りもあっという間で、歓声もないままに淡々と進んでいく。しかしいざ将威の取組となると、(にわか)に客席がざわつき始めた。

 だが彼らのお目当ては、対戦相手である房総龍の方だった。

 つい一年前に高校を中退した房総龍は、地元の半グレ集団で喧嘩や恐喝まがいの悪事に明け暮れる毎日を送っていた。高汐親方はそんな彼の伯父であり、見かねるあまり相撲界に誘うと強引に自分の部屋に入門させた。すると房総龍は半年余りでめきめきと実力をつけ、先場所は序ノ口で優勝をするまでとなった。

 高汐親方は現役時代、大関まで上り詰めた名力士で、やはり血筋は争えんと、俄然(がぜん)注目の的となり、今や次代のホープ一番手とも言われる程に至った。その房総龍の注目の初日とあって、客席はカメラを構えたマスコミ関係者らで、ある種の緊張感すら漂い始めている。

 いざ房総龍を目の前にすると、身長は188センチと長身の将威より少し低いが、体重は現在117キロと力士としては痩せ型の将威より一回り以上大きく、既に幕内力士と言っても良い位の風格が漂っている。

 俺との対戦が暇潰しだと……。

 普段から気合が表に出るタイプの房総龍だが、将威に対する怒りは未だ治まりきらず、この日は特に怖い位の気合が全身から滲み出ている。

 そして取組が始まり、両者は勢いよく片足を踏み出した。

 バシンッ!

 その瞬間、もの凄い音が(まば)らな館内に響き渡った。怒れる房総龍の強烈な張り手が、将威の左頬に炸裂したのだ。あまりの衝撃に、将威の顔が(あか)く歪む。

 痛イッ……! デモ本日、我輩ワ、負ケルワケニワイカンノデゴザル!

 衝撃に耐えた将威は、右手を真っ直ぐにグイと突き出した。カウンター気味に入ったのど輪に、思わず房総龍の顎が跳ね上がる。

 ウッ、グッ、グッ……、

 苦し気な房総龍の身体が首からのけ反り、土俵から右足が浮きそうになる。将威の長い右手が更に伸び、房総龍の右足は完全に土俵から浮き上がった。次の瞬間――。

 房総龍は虚空に何かを掴もうとするかのようにばたばたと両手でもがき、無様にお尻から土俵へと崩れ落ちていった。

「オゥーッ」という、歓声ともため息とも取れる声と共にいくつかのカメラのフラッシュが焚かれた。

「櫃マブシ~ッ!」

 そして右手を高々と突き上げた将威の雄叫びが館内に響き渡った。それは、来日四年目にして初めて見せたと言っても過言ではない、見事な将威のハングリー精神だった。

 櫃まぶし……? な、何だ、暇潰しじゃねーのかよ?

 ただ一人、房総龍だけが土俵に尻もちを突いたまま、腑に落ちない顔でいつまでも首を傾げていた。

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