襁褓山改名 その2
「ところで襁褓山さんの以前の四股名って、何て言うんですか?」
襁褓山エトナ山騒動の後片付けが終わり、再び皆が落ち着いてテーブルに着くと、そんな騒動など無かったかのような穏やかな口調で、平和が質問した。
「ああ俺か、俺は元々土佐武蔵という四股名だったんだ」
当の襁褓山も、騒動を起こした当事者としての引け目など無いかのような得意気な口調で、そう答えた。
「あっ、そうか! 襁褓山さんは、高知県の出身ですもんね。へえー、土佐武蔵かあー、何か、格好いいですねぇ」
「そうか、格好いいか。……それじゃあ、やっぱり、土佐武蔵に戻すとするか」
ガキ大将タイプの襁褓山と気弱ないじめられっ子だった平和。一見したところ全く接点の無さそうな二人だが、この友沼部屋においては不思議と気が合うようで、食事時には必ず二人並んで座っている。
襁褓山への根拠のないリスペクトが止まない平和は、更に会話を続ける。
「それじゃあ襁褓山さん……、いや、土佐武蔵さんがそんなにお酒が強いのも、高知の人だからなんですね」
「えっ、俺が? 酒が強い……?」
「確か、高知の人は日本で一番お酒を飲むって、前にテレビでやってましたよ」
「そうだな、確かに高知県民は、飲んべえが多いな」
だが根っからの甘党である襁褓山が酒を飲むのは部屋の力士たちが飲むからであって、酒を美味いと思ったことはないし好きでもなく、ほんの嗜む程度にしか口にしない。それでも普段から羨望の眼差しで接している未成年の平和にしてみれば、本場所の取組に勝ち、あるいは負け、その度に喜び、あるいは悔しがりながら晩酌する襁褓山の姿というのは、もうそれだけで無条件に酒に強い大人の男として、眩しく映った。
「はい、それじゃあ土佐武蔵さん、大好きな日本酒をどうぞ」
「え、あ……、そ、そうか、悪いな……」
襁褓山はようやく空けたビールのグラスに、最も苦手とする辛口の地酒をなみなみと注がれ、何となく成り行きで"酒の強い大人の男"を演じるような形となってしまい、無理やりそれを一息で呷った――。
翌日、久須神社の境内で行われる朝稽古には、梅雨の時期ならではの見事な朝焼けが、東の空に広がっていた。
昨晩、襁褓山は平和に持ち上げられるまま"酒の強い大人の男"をいつまでも演じ続け、苦手な日本酒を何杯も飲み続けた。その挙げ句、この日は朝から見事な二日酔いとなっていた。
う~……、頭が痛え……。
如何ともし難い頭痛を堪え、二胡のBGMに合わせてゆっくり手足を動かしながら襁褓山は、何で相撲取りが太極拳なんぞやらにゃならんのだ、と大いに憤慨していた。
う~……、やっぱり、あんなに飲むんじゃなかった……。
それでも長年培った太極拳の動きは身体の芯まで染み込んでいるのか、襁褓山はこっぴどい頭痛に顔を顰めながらも、その一つ一つを淡々とこなしていく。
それから10分程が経過した。優雅な二胡の演奏はゆっくりと終息に向かい、徐々にフェードアウトして終には無音となり、皆の動きもそれに合わせてピタリと止んだ――。
まるで余韻を楽しむかのような数秒の間が空いた後、突如として鳴り響くけたたましいエレキギターのイントロ。それは、どこか懐かしくもコミカルな、昭和歌謡のヒット曲だった。
テレビも無ェ ラジオも無ェ
くるまもそれほど走って無ェ
ピアノも無ェ バーも無ェ
おまわり毎日ぐーるぐる
『俺ら東京さ行ぐだ』、言わずと知れた、吉幾三の出世作となった曲だ。
朝のテンションには全くそぐわないこんな曲がどうして流れるのか? そう、それはちょうど一ヶ月程前のことだった。
その朝、いつもの太極拳で清々しい汗を流した一同の元に、いきなり『俺ら東京さ行ぐだ』のけたたましいイントロが流れ始めた。
「誰だっ! こんなことをしたのはっ!」
そう声を荒げた友沼親方だが、こんなことをする人間は、友沼部屋にはあの男をおいて他にはいない。
親方がキッと睨み付けたその先には、増田男の姿があった。増田男はサッとこの神社の御神木である楠の大木の裏へと隠れたが、すぐに親方は増田男に歩み寄り、勝手なことをするなと怒鳴り付けようとした。しかしたまたま朝稽古の見学に来ていた村長の山田総一郎が、リズムに合わせて手足を右へ左へ動かしたかと思うと、ヒョコヒョコと慣れた仕草で軽やかに踊り始めた。
「ちょ……、ちょっと、山ちゃん……?」
唖然とする親方を気にするでもなく、踊りながら村長は、盆踊りのようにゆっくりと、前に進み始めた。
朝起ぎで 牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無ェ ガスも無ェ
バスは一日一度来る
するとここぞとばかりに増田男も、友沼親方から逃れるように村長の後ろに並ぶと、同じような動きではあるものの、どこか珍妙な仕草で踊り始めた。
「ちょ、ちょっと、ちょっと……?」
そう言いながら今度は、日の出山に背中を押された千大王が転げ出てきた。「やめてよ~」と千大王は迷惑そうにしていたが、伝染病にでも罹ったのか、突如として表情を凍りつかせると、二人の後ろに並び、淡々と操り人形のように踊り始めた。そしてすかさず日の出山も、何故か手にしていた扇子を振りかざし、ノリノリな様子で忙しなく腰を動かし、一心不乱に踊り始めた。
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京でベコ飼うだ
そして気が付けばその場にいた全員が境内の御神木をぐるりと取り囲み、ある者は盆踊りのように、またある者は阿波踊りのように、そしてまたある者は安来節のように、そして日の出山は80年代のジュリアナ東京のワンレンボディコンのお姉さんのように、思い思いの舞を披露しながら、ぐるぐると御神木の周りを回り始めた。
「また友沼部屋の連中が、おかしなことをおっ始めたらしいぞ」
朝から繰り広げられるこの奇妙な盆踊りのような光景は、直ぐに久須村の隅々まで知れ渡るところとなり、それからというもの友沼部屋の朝稽古には、多くの村人のみならず、遠方からも観光客が訪れるようになった。
はぁ、どしたー!
はぁ、ヨイショー!
あ、ソレー!
ソーレソーレソーレソーレーッ!
それから一ヶ月が過ぎた。今では法被に鉢巻姿の強者までが雨後の筍ように出現し、曲の合間合間には慣れた調子で合いの手が入る始末。
くそう! 何で相撲取りの俺がこんなことを……。
いつもは踊りを楽しむ余裕のある襁褓山も、この日ばかりは体調の悪さもあり、苛立ちは募るばかり。ズキズキと痛む頭を押さえ、もはや死に体状態になったゾンビのエキストラのように、御神木の周りをトボトボと歩くのみだ。
あ、そーしましょ、そーしましょ!
そーしましょったら、そーしましょ!
漸く喧しいエレキギター音が終息した。こうしてこの日の<友沼部屋朝ぼらけの集い>も、拍手喝采の鳴り止まぬ大盛況のうちに、その幕を閉じた。
カラカラに喉の渇いた襁褓山は、手水舎へ行き、柄杓で喉を漱ぐ振りをしてガブガブと水を飲んだ。境内の広場へ戻ると、早くも土俵に見立てた円が描かれ、部屋の力士たちによる取組が始まっていた。
暫くして、襁褓山の番となった。対戦相手は増田男だ。
増田男か……。
元々が『ひつじのショーン』を思わせる人を小馬鹿にしたような外見な上に、下らない踊りのきっかけを作った張本人でもあり、襁褓山はまた少しイラッとなった。
そして土俵に入り、腰を下ろそうとしたその時、どこからともなく玉葱の腐ったような臭いが漂ってきた。顔を上げた襁褓山の目に飛び込んできたのは、増田男の腋の下にチロチロと生え残る、数本の貧相な腋毛だった。
くそう、あいつ……、また手入れを怠っているな!
「うっ!」
その瞬間である。襁褓山の胃の中の物が一気に逆流し、喉元までせり上がってきたのは。
だが手を突いた増田男は、今や大ピンチに陥った襁褓山の事情など知る由もなく、頭を下げて勢いよく突っ込んでくる。
「ちょ、ちょっと――」
待て、と立ち上がり、伸ばしかけた右手の下をかい潜り、突進した増田男の頭は見事に襁褓山の鳩尾へと命中。次の瞬間――。
ちょっと待って
PLAYBACK,PLAYBACK
そう、これがもしテレビのバラエティー番組なら、山口百恵の『プレイバックPart2』が流れるところ。襁褓山は、完璧に昨夜のエトナ山の大噴火を再現してみせた。
「たーまやー」
吹き上がる噴煙を見て、境内から立ち去りかけていた村人の一人がのんびりと声を上げた。
火山灰で覆われた土俵の中、真っ赤に顔を腫らした友沼親方がツカツカと歩み寄り、懐からレッドカードを取り出そうとするも、そもそも最初からそんな物は用意していないことに気付き、手をプルプルと震わせながら襁褓山に人差し指を突きつけた。
「お……、お前の四股名は、た、た、たった今から、吐瀉襁褓だっ!」
後日、襁褓山から友沼親方へ、「自分は関取になるまで襁褓山のままでいく。関取になった時点で改名のことは考えたい」との申し出があり、友沼親方も「うむ」とその旨を了承した。




