Scene12 分岐点
寿Sを勝った後、インビジブルマンは調子を落としてしまった。そのため、陣営は一旦放牧に出すことを決めた。
電話は相生調教師、割出厩務員に代わって野辺山厩務員がかけることになった。
「もしもし。」
『もしもし、木野牧場の木野可憐と申します!』
受話器からは威勢の良い声が返ってきた。てっきり求次が出るとばかり思っていた彼女は、少し驚いてしまった。
「こ、こんにちは。相生厩舎の野辺山と申します。あの、木野求次さんはそちらにいらっしゃいますか?」
『お父さんですか?は~い、おりま~す(「ま」にアクセント)!少々お待ちくださいっ!』
可憐は相変わらず茶目っ気たっぷりな声で返し、電話を保留にした。
(この娘、元気たっぷりなのはいいんだけれど、この話し方だけは何とかならないものかしら。いくらなんでももう社会人なんだから。)
野辺山厩務員は待っている間、受話器から聞こえてくる「エリーゼのために」を聞きながらそう思った。
『もしもし、木野求次です。』
「求次さん、お世話になります。」
彼女は簡単なあいさつをすると早速本題に入り、インビジブルマンを休養させる意向であることを伝えた。
『分かりました。特に故障で放牧というわけではないですよね?』
「故障ではないです。先生の話では、次走を3月に行われる中京記念(GⅢ、中京、芝2000m)にしたいということで、それを逆算して考えるとここで一旦放牧させた方がいいという結論になりました。」
『なるほど、中京記念ですか。相生先生は早速重賞を狙ってきましたね。』
「はい、本気でこのレースを取る気でいます。ですから先生は放牧中にこまめにそちらに連絡をして、体調を細かくチェックしたいそうですが、よろしいでしょうか?」
『大丈夫です。毎日でもかまわないですよ。それではこちらで責任持ってインビジブルマンを管理させていただきます。』
「ありがとうございます。それでは3日後に割出が馬運車でそちらにお伺いしますので、よろしくお願いします。」
『こちらこそ、よろしくお願いします。』
野辺山厩務員は電話を切ると、早速相生調教師にそのことを伝えに行った。
インビジブルマンは木野牧場で1ヶ月休養した後、厩舎に戻り、調教を重ねた。
そして3月、いよいよ重賞制覇を狙って中京記念(GⅢ、中京、芝2000m)に出走した。
レースは10頭立てと少頭数になった。
出走各馬の枠順は次の通りだった。
1枠1番 ティアズインヘヴン(3番人気)
2枠2番 イントゥザバトル(1番人気)
3枠3番 チェリーブロッサム(8番人気)
4枠4番 トランクゼンリョク(9番人気)
5枠5番 ドゥアズローマンズ(10番人気)
6枠6番 インビジブルマン(4番人気)
7枠7番 グレープピッキング(2番人気)
7枠8番 ダンシングヒロイン(5番人気)
8枠9番 ブレーヴストーリー(7番人気)
8枠10番 リヴィンラビダロカ(6番人気)
レース当日、相生調教師と割出厩務員は当日の朝に電車を乗り継ぎ、インビジブルマンは当日輸送で中京競馬場にやってきた。
地元に住んでいる求次、笑美子、可憐は当日の朝まで牧場で仕事をしており、それを済ませてから競馬場に駆けつけた。
「さあ、いよいよね。4番人気ながら単勝も6.8倍だし、勝ってほしいわね。」
「そうだな。陣営も本気で勝つつもりでここまで調教してきたし、ぜひとも重賞タイトルがほしいな。」
笑美子と求次はどこか緊張しながら会話をしていた。
一方で、かたわらにいる可憐は
「地元で勝ってくれたら最高だなあ!私も有名になれるし。」
と言いながら、レースを今か今かと待ち続けていた。
レース発走の時間が近づき、10頭の馬達が馬場に姿を現すと、陣営の緊張感はさらに高まってきた。
「あー、ドキドキするわね。私、胃が痛くなりそう…。」
「私も…。こんなに緊張したの生まれて初めてかも…。」
笑美子とさっきまではしゃいでいた可憐は、逃げ出したくなる程の緊張感に襲われていた。
「さあいよいよ始まるぞ。しっかりレースを見てくれよ。」
求次は自身も緊張しながら、2人をなだめていた。
それから間もなくファンファーレが鳴り、各馬は順番にゲートに入っていった。
『各馬ゲートインが完了しました。』
『スタートしました。少しバラついたスタートになりました。』
『チェリーブロッサムとリヴィンラビダロカが少しダッシュがつかない。』
『まずハナを切ったのはトランクゼンリョク。その後にグレープピッキングがつけました。』
『先頭から見ていきましょう。先頭は4番のトランクゼンリョク、1馬身程後には7番のグレープピッキング。』
『内からは1番ティアズインヘヴンと2番イントゥザバトルが並走しています。外には6番のインビジブルマン。』
『2馬身程切れまして5番のドゥアズローマンズと9番のブレーヴストーリー。さらに2馬身程後ろには8番のダンシングヒロイン。』
『その後ろには3番のチェリーブロッサム、ポツンと1頭離れてリヴィンラビダロカ。これで10頭全部です。』
『もう一度先頭から見ていきましょう。』
『先頭のトランクゼンリョクはすでに1コーナーを回っていきます。差は3馬身程度に開きました。』
『2番手には内からコーナーワークを利用して1番のティアズインヘヴンが進出してきました。』
『3番手にはグレープピッキング。その外にはインビジブルマンがいる。』
『1番人気のイントゥザバトルは中団の5番手に控えました。』
『各馬は2コーナーのカーブを曲がっていきます。単独6番手にはブレーヴストーリー。その後ろにはダンシングヒロインとドゥアズローマンズが並んで走っています。』
『後方にはチェリーブロッサムとリヴィンラビダロカ。ここからどのように仕掛けていくのか。』
『さあ、各馬はすでに向こう正面に入っています。トランクゼンリョクと2番手のティアズインヘヴンとの間には4馬身程度の差があります。』
『今トランクゼンリョクが残り1000mのハロン棒を通過しました。前半1000mのタイムは1分ちょうど。平均ペースで流れています。』
『3番手のグレープピッキングが上がっていく。今ティアズインヘヴンの外に並びました。』
『イントゥザバトルもこの辺りで少しずつペースを上げ始めた。インビジブルマンは少し後退。』
『6番手のブレーヴストーリーはすでに鞍上の手が動いている。ダンシングヒロインは向こう正面で仕掛けたか。外からブレーヴストーリーを交わした。』
『ドゥアズローマンズはまだ動かない。後ろからはチェリーブロッサムが交わしにかかった。リヴィンラビダロカは依然として1頭離れて最後方。』
『再び先頭から見ていきます。』
『先頭は3コーナーから4コーナーに入り始めた。依然としてトランクゼンリョクが逃げている。』
『しかしティアズインヘヴンとの差が少しずつ縮まり始めた。グレープピッキングもここで仕掛けた。』
『イントゥザバトルは一旦仕掛けたように見えましたが、鞍上の手は止まっている。』
『その内からインビジブルマンがイントゥザバトルを交わした。すぐ後ろにはダンシングヒロイン。』
『先頭のトランクゼンリョクは4コーナーを回りきって最後の直線に姿を現した!後続馬も来ている!さあ、最後の直線での攻防だ!』
『先頭はトランクゼンリョク。しかし差がみるみる縮まってきた!』
『ここで先頭にはグレープピッキングが立った!ティアズインヘヴンもトランクゼンリョクを交わした!』
『外からはイントゥザバトルが追い込みをかけている!内からはインビジブルマンが末脚を見せる!』
『先頭はグレープピッキング!グレープピッキングこのまま押し切るか!?』
『しかしティアズインヘヴンも引き下がらない!』
『後ろからはイントゥザバトルが3番手まで上がってきている!』
『先頭はグレープピッキング!リードは半馬身!』
『しかしここでティアズインへヴンが交わした!先頭はティアズインヘヴン!』
『残り200を切った!後ろからはイントゥザバトルがグレープピッキングを交わして2番手まで来ている!内からはインビジブルマン!』
『大外からはダンシングヒロイン!今グレープピッキングを交わした!』
『先頭はティアズインヘヴン!外からイントゥザバトル!』
『残り100!ここでイントゥザバトルが先頭に立った!』
『内からはインビジブルマン!大外からはダンシングヒロイン!』
『先頭はイントゥザバトル!リードは1馬身!イントゥザバトルだ!今ゴールイン!!』
『勝ったのはイントゥザバトル!2番手はインビジブルマンとダンシングヒロイン!』
『その後ろにはティアズインヘヴンが入りました!』
レースは1着がイントゥザバトル。1馬身差の2着にはインビジブルマンがダンシングヒロインの追い込みをクビ差抑えて入線した。
勝つことはできなかったが、それでも4番人気で2着に入ったことで、陣営としてはひとまず満足だった。
相生調教師と割出厩務員は、この調子なら重賞でも十分に勝負していけそうな手応えを感じていた。
それは求次も同じだった。
すでに獲得賞金は1億円を超え、当初の求次の目標額をクリアした。
だが、本気で勝ちにいったレースだっただけに、残念な気持ちもあった。
なお、このレースで2着に敗れたことが、木野家や相生厩舎のその後の考え方に大きな変化をもたらす分岐点になるということを、彼らはまだ知らずにいた。
5歳3月の時点におけるインビジブルマンの成績
17戦6勝
本賞金:4950万円
総賞金:1億1530万円
クラス:オープン
名前の由来コーナー その11
・チェリーブロッサム(Cherry Blossom)(メス)… 意味は「桜の花」です。ゲームでは活躍が期待できそうな牝馬が登場するまで、この名前を使うことを待ち続けました。
・イントゥザバトル(Into the Battle)(オス)… PCエンジンのゲームソフト「スーパースターソルジャー」のSTAGE1のBGM「Into the Super Battle」から命名しました。ゲームのBGMで何が一番気に入っていますかと聞かれたら、僕はこれを挙げます。
・ドゥアズローマンズ(Do As Romans)(メス)… 母が「ローマンホリデー」だったので、ローマに関する名前をつけようということで、英語のことわざ「When in Rome, Do as the Romans do.」(ローマではローマ人のとおりにしなさい。⇒郷に入っては郷に従え。)から取りました。
・ダンシングヒロイン(Dancing Heroine)(メス)… 荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」という曲を参考に、「インビジブル・ウーマン ⇒ インビジブルマン」といったノリで命名しました。
・リヴィンラビダロカ(Livin’ La Vida Loca)(オス)… リッキー・マーティンの「Livin’ La Vida Loca」という曲から取りました。映画「シュレック2」のエンディングで流れる曲で、郷ひろみが「GOLDFINGER’99」というタイトルで日本語カヴァ-しています。
(Laは英語のThe、Vidaは英語のLife、Locaは英語のMadにあたります。タイトルを日本語に訳すと「イカれた人生を送っている」という意味になります。)




