第二章・十七 「危険地帯へ」
朝だった。
まだ太陽は低い。
東の空が淡く黄金色へ染まり始めている。
休憩所の周囲には朝露が残り、草原は薄く白く輝いていた。
昨夜の騒動が嘘のように静かだった。
だが。
壊れた柵。
砕けた荷馬車。
修理途中の建物。
それらが昨日の出来事を思い出させる。
ユウマは部屋の窓から外を眺めていた。
眠れなかった訳ではない。
むしろ疲れ果ててすぐに眠った。
それでも目が覚めると、最初に昨日の事を思い出した。
巨大な魔物。
幼獣。
卵。
そして竜種のような幼体。
どれも現実離れしている。
だが。
この世界では現実だった。
「起きてるかー?」
扉の向こうから声が響く。
ケイだった。
「起きてる」
「飯だ!」
元気だった。
本当に元気だった。
ユウマは少し笑いながら部屋を出る。
食堂には既に多くの旅人達が集まっていた。
焼きたてのパン。
野菜のスープ。
干し肉。
朝食の香りが漂っている。
ミナも席に座っていた。
「おはよう」
「おはよう」
「よく眠れた?」
「うん」
ミナは少し安心したように笑う。
昨日はかなり緊張していた。
今も不安はあるだろう。
それでも以前より顔色は良かった。
食事を終える頃。
休憩所の主人が地図を広げた。
「今日から先は自己責任だ」
その言葉で周囲が静かになる。
旅人達も護衛達も顔を上げた。
「この先は危険地帯」
「街道はある」
「だが安全じゃない」
主人の指が地図をなぞる。
ラグナフェルまで続く道。
その途中。
広く塗られた危険区域。
「最近は魔物の活動も活発だ」
「特に昨日の件があった」
誰も反論しない。
あの幼体が周囲へ与えた影響は不明だ。
だが良い方向へ向かったとは思えない。
「引き返すなら今だ」
「だが戻っても魔物が活性化してるから、どちらにしろ危険だ。」
主人は言った。
静寂。
誰も立ち上がらない。
ラグナフェルへ向かう者。
仕事がある者。
家族を待たせている者。
理由は様々だ。
そしてユウマ達にも理由がある。
カナタ。
ミコト。
ガイ。
三人を探すためには進まなければならない。
「行こう」
ユウマが言う。
ミナが頷く。
ケイも立ち上がった。
「当然だな」
その時。
アイリスも荷物を背負う。
「私も出るわ」
長耳が朝日に照らされる。
周囲の旅人達が少しざわつく。
昨日の戦いを見ていた者達だ。
彼女の実力を知っている。
同行者としてはこれ以上ないほど頼もしい。
やがて準備が終わる。
荷馬車隊も編成される。
昨日より数は減った。
壊れた車両もある。
負傷して残る者もいる。
それでも旅は続く。
止まれない。
止まる訳にはいかない。
門代わりの木柵を抜ける。
休憩所が背後へ遠ざかる。
朝の風が吹いた。
草原が揺れる。
空は高い。
青い。
どこまでも広がっている。
「いい天気だな」
ケイが言う。
「そうだね」
ユウマも頷いた。
景色だけ見れば平和だった。
危険地帯など存在しないように見える。
だが。
歩き始めて二時間ほど経った頃だった。
景色が変わり始める。
草原が減る。
代わりに背の高い木々が増える。
地面には岩が目立ち始める。
風の音も変わる。
鳥の声が少ない。
妙に静かだった。
アイリスが立ち止まる。
耳を澄ませる。
そして小さく呟いた。
「ここから先」
全員が顔を向ける。
長耳族の女性は森の奥を見ていた。
「ここからが危険地帯よ」
空気が変わる。
旅人達も護衛達も自然と武器へ手を伸ばした。
ユウマも短剣へ触れる。
まだ敵は見えない。
何もいない。
それなのに。
嫌な予感だけがあった。
森の奥から風が吹く。
木々が揺れる。
そして。
どこか遠くで。
獣の咆哮が響いた。




