第二章・三 「爪痕」
食堂の空気が静まり返った。
先ほどまで聞こえていた笑い声も、食器の触れ合う音も、小さく遠のいていく。
誰もが入口へ視線を向けていた。
到着した商隊。
そして荷馬車の側面に刻まれた巨大な爪痕。
深い。
あまりにも深い。
分厚い木材がまるで紙のように裂かれている。
「街道の先で……化け物が出た」
護衛の男がそう言った瞬間、周囲からざわめきが広がった。
「またかよ……」
「最近多くないか?」
「危険地帯から流れてきたのか……?」
「いや、ここはまだ安全圏のはずだろ」
旅人達が不安そうに顔を見合わせる。
ユウマは席を立った。
自然と身体が動いていた。
近付いて爪痕を観察する。
木材の割れ方。
傷の深さ。
残された削り跡。
何かが引き裂いたのは間違いない。
だが。
「……大きい」
思わず呟く。
隣へ来たアイリスも頷いた。
「かなり大型ね」
「熊とかライオンとか、そういうレベルじゃない」
長耳族の女性は傷へそっと触れる。
そして眉を寄せた。
「三本爪」
「え?」
「ほら」
指差されて初めて気付いた。
巨大な傷は三本。
綺麗に並んでいる。
まるで巨大な鉤爪で薙ぎ払われたような跡だった。
「魔物?」
ミナが不安そうに尋ねる。
「たぶん」
アイリスは答えた。
「でも種類までは分からない」
その時だった。
商隊の護衛の一人が休憩所の主人へ話しかけている声が聞こえた。
「護衛が二人やられた」
「死んだのか?」
「いや、重傷だ」
「運が良かった」
空気がさらに重くなる。
ユウマは思わず拳を握った。
死んでいない。
だが重傷。
セイルで嫌というほど見てきた。
傷付く事。
倒れる事。
死が近くにある事。
この世界では決して珍しくない。
「襲われた場所は?」
アイリスが護衛へ尋ねた。
男は長耳族の彼女を見る。
そして少し驚いた顔になった。
「長耳族か」
「そうよ」
「街道の北側だ」
「ここから一時間くらい」
「森沿いのルートで襲われた」
アイリスの表情が僅かに変わる。
「近いわね」
「近いな」
ケイも真面目な顔になる。
普段は騒がしい男だが、危険の話になると空気が変わる。
「逃げてきたのか?」
「ああ」
「何人かは囮になった」
その言葉に食堂が静まり返った。
囮。
つまり。
誰かが残ったという事だ。
ユウマの胸が少しだけ重くなる。
この世界ではよくある判断なのかもしれない。
だが簡単に受け入れられる話ではなかった。
護衛の男は疲れ切った顔で椅子へ座り込む。
「デカかった」
「本当にデカかったんだ」
「馬より大きい」
「速かった」
声が震えていた。
演技ではない。
本気で恐怖している。
それを見たユウマは自然と理解する。
その魔物は強い。
少なくとも今まで戦ってきたレイヴンハウンドなどとは別格だ。
アイリスは腕を組んだ。
「街道管理側へ連絡は?」
「飛ばした」
「たぶん巡回隊も動く」
「そう」
そこで会話が終わる。
だが不安は消えない。
休憩所全体がどこか落ち着かなくなっていた。
旅人達は地図を広げ。
商人達は予定変更を話し合い。
護衛達は武器を確認している。
平和な昼休憩だったはずなのに。
空気は確実に変わっていた。
ユウマは外へ出る。
草原を風が渡っていく。
空は青い。
雲も穏やかだ。
何も起きていないように見える。
だが。
遠くの森を見つめた時だった。
ふと。
嫌な感覚が背筋を走った。
理由は分からない。
ただ。
何かいる。
そんな気がした。
【スキル補助:《看破》反応微弱】
視界端に表示が浮かぶ。
一瞬だけ。
そして消えた。
「……?」
ユウマは眉をひそめる。
今のは何だったのか。
森を見つめる。
だが何も見えない。
風に揺れる木々だけ。
それでも。
胸の奥に残った違和感だけは消えなかった。
その時。
休憩所の裏手から誰かの叫び声が響いた。
「た、大変だ!」
全員の視線が向く。
走ってきたのは見張り役の若い男だった。
顔面蒼白。
息を切らしながら叫ぶ。
「森の方から来る!」
「大量だ!」
「魔物の群れだ!!」




