第一章・二十一 「離脱戦」
世界が僅かに遅くなる。
【スキル補助起動】
【《空閃》】
ノイズ混じりの文字。
ユウマは地面を蹴った。
グラヴォルフの前脚が石畳を粉砕する。
轟音。
砕けた石片が吹き飛ぶ。
ユウマは半歩だけ横へ流れた。
紙一重。
鼻先を巨大な爪が通り過ぎる。
風圧だけで頬が裂けた。
【ユウマ HP:24%】
「っ……!」
痛い。
熱い。
だが止まれない。
グラヴォルフの赤い目が、
完全にユウマを捉えていた。
殺す気だ。
本当に。
今までのボス戦みたいな、
ゲーム的なヘイト管理じゃない。
生き物として、
こちらを噛み殺そうとしている。
ユウマは短剣を握り締める。
怖い。
全身が震えていた。
なのに。
身体は妙に冷静だった。
相手の動きが見える。
踏み込み。
重心。
筋肉。
全部が感覚へ流れ込んでくる。
その時だった。
後方。
岩場側から、
低い唸り声が響いた。
「……え?」
ケイが振り返る。
ユウマの顔色が変わる。
レイヴンハウンド。
二体。
岩場の裂け目から、
再び這い上がって来ていた。
「うそだろ……!」
ケイが青ざめる。
女性プレイヤーも息を呑んだ。
「まだ追って来てたのかよ……!」
ユウマの背筋へ寒気が走る。
まずい。
今のケイ達じゃ、
レイヴンハウンド相手でも危険だ。
しかも。
目の前にはグラヴォルフがいる。
最悪だった。
銀髪の女性も、
初めて後方へ視線を向ける。
「……面倒ですね」
小さな呟き。
だが。
その直後。
グラヴォルフが咆哮した。
轟音。
巨体が再突進する。
銀髪の女性の表情が鋭く変わる。
「下がって下さい」
彼女が前へ出た。
杖を構える。
青白い魔法陣が空中展開される。
「この個体は私が引き受けます」
「え……?」
ユウマが目を見開く。
銀髪の女性は、
グラヴォルフから視線を外さない。
「あなたは後方を」
短い言葉。
だが。
意味はすぐ分かった。
レイヴンハウンド。
ケイ達。
そっちを守れという事だ。
「でも……!」
「今のあなたでは、
グラヴォルフへ正面から勝てません」
即答だった。
迷いが無い。
そして。
事実だった。
ユウマ自身、
分かっている。
今の相手は格が違う。
さっきから生きているだけで精一杯だ。
銀髪の女性が低く呟く。
「ですが」
杖先へ、
青白い光が集束していく。
「後方の二体なら、
あなたでも対処可能です」
その言葉。
期待なのか。
判断なのか。
ユウマには分からなかった。
だが。
その瞬間。
後方で女性プレイヤーの悲鳴が上がる。
「きゃっ!!」
レイヴンハウンドが跳んだ。
ケイが短剣を構える。
だが遅い。
噛み付きが迫る。
「っ!!」
ユウマは反射的に駆け出していた。
地面を蹴る。
肺が痛い。
脇腹が焼ける。
【ユウマ HP:24%】
赤ゲージ。
最悪。
なのに。
足は止まらなかった。
レイヴンハウンドが女性プレイヤーへ飛び掛かる。
ユウマは滑り込むように割り込んだ。
「うおおおっ!!」
ガギィィン!!
短剣と牙が激突する。
火花。
衝撃。
腕が痺れる。
重い。
だが。
グラヴォルフより遥かに読める。
視線。
重心。
踏み込み。
全部が分かる。
「ケイ!!
下がれ!!」
「お、おう!!」
ケイが女性プレイヤーを引っ張って後退する。
レイヴンハウンドが唸る。
赤黒い目。
牙。
獣臭。
怖い。
普通に怖い。
だが。
今は逃げられない。
もう一体が横から回り込む。
連携。
挟み込み。
ユウマは即座に位置を変える。
石柱を背後へ。
二方向同時攻撃を防ぐ。
「っ……!」
一体目が飛び込む。
ユウマは半歩だけずれる。
噛み付き回避。
同時に。
短剣を首元へ叩き込む。
ガギッ!!
【レイヴンハウンド HP:61%】
浅い。
だが。
勢いは崩れた。
その瞬間。
二体目が横から飛ぶ。
速い。
「っ!!」
ユウマは咄嗟に身体を沈めた。
頭上を牙が通過する。
そのまま。
二体目が石柱へ激突した。
轟音。
石片が飛び散る。
「今だ……!」
ユウマの感覚が反応する。
崩れた。
重心。
隙。
踏み込み。
全部が見える。
【スキル補助起動】
【《空閃》】
一瞬だけ。
身体が軽くなる。
ユウマは地面を蹴った。
加速。
一気に間合いへ入る。
「はぁっ!!」
短剣が走る。
首横。
柔らかい部分。
深く入った。
ギャァァァッ!!
黒い液体が飛ぶ。
【レイヴンハウンド HP:18%】
「やった!?」
ケイが叫ぶ。
だが。
まだ倒れない。
レイヴンハウンドが怒り狂ったように暴れる。
ユウマは即座に距離を取った。
呼吸が荒い。
腕が震える。
脚も重い。
なのに。
少しだけ分かってきていた。
ただ振るんじゃない。
見る。
誘導する。
崩す。
そこへ最短で届く。
それが。
今の自分の戦い方だ。
後方で、
グラヴォルフの咆哮が響く。
直後。
巨大な氷壁が砕け散った。
銀髪の女性が、
単独でグラヴォルフを抑えている。
その光景を見た瞬間。
ユウマの胸へ、
焦りみたいな感情が走った。
速く。
もっと。
早く倒さないと。
じゃないと、
間に合わない。
レイヴンハウンドが再び飛び掛かってくる。
ユウマは短剣を握り締めた。
怖い。
それでも。
今は前へ出るしかなかった。




