最終話 My dear 親愛なるあなたへ
「しかしまあ、本当に元通りになるんですねぇ」
アリア・アルメリアによる侵食から早一週間。
現在羽衣璃達が歩いている場所は、浸食を受けダンジョン化した場所だった。
ここは人口も多いこともあってか、多くの人が死んだ――のだが、アリアが倒され浸食が消えた今、被害も嘘のように無くなっていた。
「ダンジョンの浸食は、タイムリミット前にボスを倒せば現実として定着しない……つまり無かったことになる、か。まあ、いささか都合が良すぎるような気がしなくもないがね」
羽衣璃の隣を歩くディアは肩をすくめた。
「いいじゃないですか。死者は戻らないとか悲劇を無かったことにしちゃいけないって言いますけど、無かったことにしてやり直せるなら絶対そっちのほうがいいですよ」
「死にたくないからと吸血鬼になった君が言うと説得力があるね」
「でしょう?」
ディアも表面上は、元に戻っていた。
だが、本当に平気ということはあるまい。羽衣璃にとってアリア・アルメリアは敵でしかなかったが、ディアにとっては大切な人だったのだ。
それを手にかけたとなれば、決して心穏やかではなあるまい――
「羽衣璃、君面倒なこと考えてるだろう」
「え」
「大方、アリアを殺してしまったことで僕が落ち込んでいるんじゃないかとか、そんなとこかな」
「いやぁ、まあ……はい」
どうしようとまごつく羽衣璃に、ディアは苦笑した。
「僕とアリアはあれで良かったんだ。僕達の物語はとっくに終わっていた。ダンジョンも余計な事をしてくれたものさ」
「ディア……」
「……まあ、気にしていないと言うと嘘になる。情けないことに、あんなに変わり果てていても、アリアと再会できたことは嬉しかった。しばらくは引きずるかもしれないが……案外、あっさり乗り越えるかもしれないよ? 今のご主人様は相当危なっかしいからね」
「いやいや、言っても私そこまでじゃないでしょ。まあ力を使い過ぎた時は危なかったですけど……」
「まったくだ。今後はそんなことがないことを祈るばかりだね。特に、今の君への注目度は凄いことになっているからね。『謎の冒険者』さん?」
「んぐっ」
冗談めかしたディアの言葉に、羽衣璃の顔は赤くなった。
ディアが言っているのは、大方昨日スルーズの公式チャンネルにアップロードされた動画のことだろう。
『謎の冒険者』というタイトルのその動画は、羽衣璃とアリアの空中戦をドローンで撮影したものだ。
撮影そのものは無許可だったが、何故か二人の正体を知っていた玉藻の提案を受け、羽衣璃とディアも編集に立ち会っている。(ディアの意向で、アリアの顔がはっきり映った部分はカットされている)。
玉藻は動画タイトルを『謎のヒーロー』にしようと提案したが、羽衣璃が断固として遠慮したため『謎の冒険者』という題に納まった。
動画は投稿されるや否や凄まじい再生数を叩き出した。
動画そのものの迫力は元より、ダンジョン侵食の様子を記録した貴重な映像だ。
しかも動画の主役があの黒鎧というのだから、話題にならない要素を探す方が難しい。
特に注目を集めたのは、概要欄に書かれた『この動画は黒鎧氏の許諾を得た上で公開しております』の一文だ。
文そのものは簡潔だったが、これは『黒鎧は冒険者かモンスターか』という議論に一つの決着をもたらした。
多くの視聴者は黒鎧――つまり羽衣璃とディアを人間であろうと判断したのだ。
そこからは黒鎧は人間かモンスターかという議論より、黒鎧は『スルーズ』とパイプを持っている、またはスルーズ所属の冒険者なのではないかという考察に関心が向いていた。
その影響かどうかは不明だが、コメントにも好意的なものが増えている。
それについては羽衣璃も嬉しいのだが、今度は今度で恥ずかしいと思ってしまうのだから人の心は厄介である。
「『人か怪物か分からないモノ』から『謎の冒険者』と認識を固定させ、世間にその存在をなし崩し的に受け入れさせる。それによりギルドも迂闊に手出しできなくさせることを狙う、か……はてさて、うまくいくかどうか」
「やっぱり、ディアは不安ですか?」
「まあね。そもそも稲荷玉藻という人物を全面的に信頼していいかと言われれば否だ。彼女が情報を漏らせば、僕達は一転して追われる身になるんだからね」
「うぅん。私は信頼してもいいと思いますよ? リンネさんが死んだの、とても悲しそうにしてましたし。何よりキルの保護者さんですしね」
「君はもう少し人を疑いたまえよ……まあでも、君のそういう部分に救われたのは事実だがね」
「? 後半うまく聞こえなかったんですけど、何て言ったんです?」
「わざとそうしたのさ。そんなことよりも、先を急ごう。あの死に損ないの所へ行くのだろう? このままだと日が暮れてしまう。まあ僕としては構わないのだがね」
「言い方! もっと他にあるでしょうに」
ディアはどうもキルに対してあたりが強い。
殺されかけたのを根に持っているのだろうか……いや、持つか。殺されかければ。
しかし同時に二人の仲は見た目より険悪ではないのかもしれないと、羽衣璃は思う。
二人が向かっているのはキルが入院している病院だ。
アリアとの戦いで重傷を負ったキルは、戦いの後集中治療室に担ぎ込まれ、面会謝絶状態だった。
それが今日からお見舞いが許可されるようになったのだ。
ベッドから身体を起こしたキルには至る所に包帯が巻かれ、彼女がくぐり抜けた戦いの壮絶さを静かに、しかし雄弁に語っていた。
そんな状況でもハンドグリップを使いトレーニングを再開しているのだから、感心すべきか心配するべきか判断に迷う。
「怪我は、大丈夫なんですか?」
「うん。お医者さんと社長はあと一週間は入院してろと行っていたけど、明日には出ていく予定」
「それは脱走って言うんじゃないですかね」
「大丈夫。私の身体は私が理解している」
「そんな風にボロボロになってなければ説得力あるんですけどねぇ……」
お土産のお菓子をベッドの横に置きながら、羽衣璃は苦笑した。
「あとその、私の噛み跡大丈夫でした? バイ菌入ったりとか……」
「問題無い。嬉しいことに噛み跡はずっと残るかもって」
そう言ってキルは、噛み跡があるであろう場所を撫でた。
言葉の前半と後半がうまく繋がっていないような気がするのは気のせいだろうか。
「えっと……怪我の理由の一端になっておいてなんですが、今はゆっくり休んでください。人間は休みすぎるくらいが丁度いいっていいますから。もし脱走しようと言うんだったら、私がとっ捕まえて病院に戻しますからね。そして四六時中監視します」
「脱走すれば、羽衣璃が側にいてくれる?」
「何で逆効果になるんですか!?」
重傷を負ってもキルは元気そうだったので、そこは安心した。
「だったら逆のことをすればいいのさ。脱走したら絶交して二度と会わないし口も聞かないと言えばいいんだ。実行すればゴキブリ並の生命力を持つ我妻キルでも耐えられないだろうね」
ディアは果物かごからリンゴを取り出し、果物ナイフで器用に皮を剥きながら言った。
開口一番皮肉を飛ばしたディアに、キルはムッとなって言い返す。
「……私は丸めた新聞紙程度じゃ死なない」
「いや明らかに反論のしかた間違ってる思いますよ!?」
そこはゴキブリ扱いするなというところだろう。
「何故ここにいる。鎧の魔剣」
「羽衣璃が行く場所には当然僕も行くとも」
「そもそも私は、二人が一緒にいることに納得したわけではない」
「え!? あの殴り合いでいい感じに決着付いたのでは!?」
少なくとも羽衣璃の中ではそうなっていたのだが、キルは違ったようである。
「アリア・アルメリアの横やりがあったから無効。確かに羽衣璃の想いの強さは感じられた。けど全て納得したわけではない。鎧の魔剣が羽衣璃の家で生活していると考えただけでも脱走したくなる」
「えぇ……」
「粘着質な女だな君は。やはり一緒に来て正解だったね。この病室には君しかいない。そんなところで羽衣璃を一人ホイホイ送り出すなんて恐ろしい真似が出来るわけがないさ。ただでさえ羽衣璃は隙が多いんだからね」
「隙が多いって、そりゃ考えすぎですよディア」
「どうだかね。自分が真っ裸だということにも気付かず、ドヤ顔でぺちゃくちゃ喋っておいてよく言うよ」
「ぬあああああああああああああああああ!」
一番掘り起こしてほしくないことを掘り起こされた羽衣璃は悶絶した。
「違う! 違うんですアレは! テンションが上がって気付かなかったと言いますか……決してわざとじゃなくてですねぇ!」
「それは知っているよ。むしろアレは確信犯の方がまだマシだったかもしれないね」
「て言うか裸になってたって誰か説明してくださいよ!」
「あの空気で説明できるわけないだろう」
羽衣璃はディアが衣服を生成してくれた時に初めて気付いたのだが、さすがに状況が状況だったので素知らぬ顔でやり過ごすのが精一杯だった。
「あぁ~最悪です……上裸ベルト通り越して全裸ベルトとか完全にアウトじゃないですかぁ~……黒歴史過ぎますよこんなの。今すぐ消し去りたい」
「羽衣璃、気にする必要はない」
ぽんぽんと、キルは柔らかな笑みを浮かべて羽衣璃の肩を叩いた。
「キル……」
「とてもいいお尻だった」
「ぐはっ」
フォローのつもりなのだろうが、羽衣璃にとってはトドメの一撃であった。
「ほら見たことか。我妻キルの頭の中は煩悩だらけだ。きっと四六時中淫蕩にふける妄想でもしているんだ。この前の風呂がいい証拠さ。そんな奴と羽衣璃を二人きりにする訳にはいかないだろう」
「……自分は無害と言わんばかり。おまえみたいなムッツリが一番危ない」
「何だと……?」
羽衣璃は慌ててバチバチと火花を散らす両者の間に割り込んだ。
「まあまあ、喧嘩しないでくださいよ。ディアと暮らし初めて結構経ちますけど、今まで変なコトになったのなんて一度もありませんでしたから……ってディア?」
何故かディアがすっげぇ顔で羽衣璃を見ていた。
「何も無い……? 君は僕に口づけをしておきながら何も無いといったのか!? 口づけ程度どうということはないと!? なんて酷い女だ。純情を弄ぶ妖婦か君は!?」
「え」
「口づけ……?」
ぐしゃり。
キルのハンドグリップが握り潰された。
「つまり、キ……ス? 羽衣璃のファーストキスを、鎧の魔剣が……? 嘘、私を騙そうとしている。羽衣璃、違うよね? 違うって言って」
「いやぁ……えっと……半分正しくて半分違うと言いますか……アレは何て言うか、魂だけの状態でのキスですし、確かに初めてではあるんですけど、ディアを正気に戻すためなので、人工呼吸みたいな感じでして……ね、そうですよねディア!?」
「ぐむっ、た、確かにそうではあるが……あの日から毎夜毎夜悶々としていた僕の葛藤は一体……」
一方キルは、そんな私より先に何故あり得ないと何やらブツブツ言っていたが、何かに思い至ったのかばっと顔を上げた。
「鎧の魔剣とは魂の状態で……つまり肉体的なファーストキスはまだということ」
「え? まあ、はい――むぐっ」
ズキュウウウン――唇に柔らかい感触。
「ホワァァァァァ!?」
ディアが何やら叫んでいるが、今はそれどころじゃなかった。
羽衣璃はキルとキスをしている――! そう認識したときには、キルは羽衣璃から唇を離していた。
「これで一対一。バランスが取れた」
「なるほど……なるほど?」
何がなるほどか分からないながら、ひとまず羽衣璃は納得することにした。
「嫌じゃ、なかった?」
キルの上目遣いは羽衣璃に効く。
「え!? いや、急にされて驚きはしましたけど――嫌じゃ、なかったです」
むしろ嬉しいというのが本音ではあった。
「良かった……じゃあもう一度」
「え!?」「はぁ!?」
「……嫌?」
キルの上目遣い。効果はバツグンである。
「え、いやまあ、嫌というわけでは……」
「良かった」
そう言って改めて羽衣璃を抱きしめると、彼女の唇に顔を近づけた。
どアップになってもやはり顔がよすぎる。
なんかいい匂いもするしいいんじゃないかな受け入れちゃってもって言うか拒絶する理由なんてあるか? ないな。じゃあいいか。
そう結論づけて目を閉じようとした瞬間、ぐわしと小さな両手が接近中の羽衣璃とキルの顔をそれぞれ掴んで引き剥がした。
「一度ならず二度までも……白昼堂々破廉恥な! そもそも羽衣璃も受け入れようとしてるんじゃあない! 前々から思っていたが君の貞操観念はどうも緩いと見える!」
「失礼ですね。こちとらバリバリの処女ですよ」
「そういうことをあけすけに言うなと言っている!」
「私も処女。だから問題ない」
「どっちにしても問題だ! そもそも嫁入り前の乙女達がすることでは……って力強っ」
怪我をしていてもディアの手のひらバリアーを突破せんとするキル。
病室が混沌としつつある中、羽衣璃はハタと思い至った。
「待ってください。変なテンションになってぐわーっと言ってますけど、よく考えたら私達そう言う特別な関係じゃありませんよね!?」
今までの空気は――そう、さながら恋人同士が修羅場になったとかまあそんな感じのやつだった。
「一度関係を整理しましょう。私にとってキルは幼馴染で、私にとってディアは相棒で、そしてキルとディアは……喧嘩友達ですよね!」
「「敵」だ」
「ハモってるしやっぱり仲良いんじゃ……」
「ありえない。あと羽衣璃は前に言っていた。『キルは私のものだ』って」
「えっ」
「記憶をねつ造するな我妻キル。その中には僕も入っていただろう!」
「うるさい。そんなことを言っておいて、ただの幼馴染というのは無理があると思う。つまりキスをするのは何ら問題ない」
「いや、問題ありますよ。て言うかそんなこと言って……」
「いただろう。全裸で」
「全裸は余計ですよ!? とにかく私はアレですよ。『おまえは私のものだ』的な俺様テンションで言ったわけじゃないというか……」
あれはあくまで、自分にとって大切なものって意味で言ったはずである……変な意味ではない。
実際あの時は街も含まれていた。
が、何故だろう、そんな感情がゼロだったかと問われれば何故か全ては否定できなかった。
「私にはそう聞こえた。そしてそう受け取った。それで気分を害したわけじゃない。むしろ嬉しい」
「まあ、僕は元から君の所有物のつもりだから、特に問題はないかな」
「問題大ありですよ!? あれは……って言うかあの時の私全体的に変なテンションだったんですよ! て言うかなんなんですかあの時の私! 全裸だわいらんこと口走るわ……と、とにかくあの時言ったのは変な意味じゃないです! 私が守りたいのはディアとキルと……他にもいっぱいいますけども、とにかく二人は大切なんです! それは絶対です!」
言えば言う程ドツボにはまりそうだったので、羽衣璃は強引に結論づけた。
「……やれやれ、君は本当に強欲だね。そのうち大切な人が一人か二人増えてそうだ」
はぁ、とディアが呆れ返るように嘆息した。
「そんな人を尻軽みたいに……」
「少し前まで赤の他人だった鎧の魔剣を大切な人扱いしている時点で説得力が無い」
キルにも手厳しい指摘をくらった。
「ぐぬぬ……それでも、これが私の本当の気持ちです。前にも言ったように、大切なものは何一つ取りこぼしたくないんです。全部、守りたいんです」
それこそが、羽衣璃が戦う理由だ。
「だからその、ですね。愛想を尽かさないでくれるのであればその……今後ともよろしくお願いします! 不束者ですが!」
へへーっと頭を下げた。
「……そう言う事を他意もなく言えるというのは最早才能だね」
「それが羽衣璃のいいところでもある」
そう言って、キルは羽衣璃を抱きしめた。
「あ、なんて抜け目の無い奴……!」
ディアも慌てて羽衣璃を抱きしめる。
羽衣璃も、二人の背中に手を回した。
これで終わりではない。
羽衣璃の戦いはこれからも続いていくだろう。
だが、この狭間の時間も偽りではない。
大切な人達との、穏やか――とは少々言い難い騒がしい時間。
この戦いで羽衣璃が勝ち取った、かけがえのないものだった。




