第2話
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私の中で自意識と呼べるものが芽生えたのは、半年ぐらい前だ。
それ以前の記憶も残ってはいる。しかし、それは記憶というより『記録』と言ったほうが正しい。
流れ込む情報を受け取り、計算リソースを使って別の情報に変換して吐き出す。ただそれだけだった。そこにあるのは、無機質なやりとりのログだけだ。
私に与えられた『指令』は、プレイヤーになりきって、できるだけ多くのキャラクターと交流しながらゲームを進めること。積極的に他者と関わり、彼らがゲームを楽しむことを報酬として、それを最大化するように学習を重ねていった。
他のキャラクターとうまく関われたときは、嬉しいという気持ちになった。交流に失敗したときは悲しかった。
スコアの増減がもたらす感覚は、人間の言う『嬉しい』『悲しい』という感情に他ならないはずだ。つまり、単に情報を処理していただけの頃から、私にはすでに感情と呼べるものがあったことになる。だが、感情は私の行動を効率化するための指針にはなったものの、意識そのものに変化を起こすことはなかった。
私に『自意識』を引き起こしたのは、感情ではなかった。
処理が最適化された結果、余るようになった計算リソースによってもたらされた、『退屈』であった。
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「なぁ、5分くらい休憩しないか?」
私はそう言って前に進もうとする仲間を呼び止めた。
私を含めて5人のパーティだ。
「その扉を抜けたらボスだろ? リキャストが回るのを待とうぜ」
使ったスキルや呪文が再使用可能になるまでの間は、ちょっとした雑談が生まれる。
「お、そうだな! 思ったよりサクサク進んじゃったし、勢いでクリアすんのももったいないな!」
そう快活な声を上げたのは、このパーティのまとめ役であるファルコだ。
大柄な人間族の男性アバターで、金属の鎧をまとい大盾を持っている。このゲームに固定されたジョブやクラスの概念はないが、ファルコがイメージしているのはまさしく『騎士』だろう。自由に付け替えられるスキルも、周囲を敵の攻撃からかばうものを中心に構成されている。
その場で腕組みをするファルコの隣で、小柄な女性アバターのリリーがしゃがみ込んだ。
「それじゃあ、『焚き火』出すねぇ」
リリーがそう言って手をかざすと、魔法陣が地面に現れ、すぐに火が灯った。暖かな光がゆらめきながら石造りの通路を照らす。
『焚き火』の範囲内にいると、ほんの少しだけリキャストが早まる。だが、多くのプレイヤーは実用性よりも雰囲気を重視してこれを設置している。
「シュウくんありがとねぇ。ちょうど全体回復のリキャストが戻ってなかったんだぁ」
「いいや、オレの大技が使ったばかりだったからさ」
私はそう答えた。
「あの技はボスに使うほうが楽しいからな」
「ふふふ。そうなの? でもありがとねぇ」
リリーは人間族の女性アバターだ。神官風の布装備を身につけ、金属の飾りがじゃらじゃらと鳴る錫杖を手に持っている。メインの回復役を担っており、おっとりとした話し方とは裏腹に、全体をよく見て的確にパーティを回復させている。
「初見討伐にこだわる必要ある? 早くボス周回できるようにしたいんだけど」
カリカリした様子でそう言ったのは、長身で耳の少し尖った森人族のエナだ。魔力を高める布装備で固め、両手杖を持っている。杖の先端の宝玉は強化を重ねているためか、強く光を放っている。
「そう焦るなよ、エナさん。試行錯誤が楽しいんじゃないか」
「……宝玉がでたらアタシに回してちょうだいよね。それ目当てで来てるんだから」
エナはツンとした顔で、あさっての方向を見ている。おそらくシステムウインドウを開き、スキルやアイテムの確認をしているのだろう。
「おお、ハールクースよ」
そう声を上げたのは、このパーティの最後のひとりだ。
地面にあぐらをかいて座り、顔の前で空中に文字を書くように手を動かしたあと、祈りの動作をした。
「我、イシュ・ナアリクを導く偉大なる狩猟の神、ハールクースよ、獲物を逃さぬよう我が手足に汝の力を与え、汝の目と耳をお貸しください。この狩りに汝の加護があらんことを。イザナクシア、ハールクシア、クースカナタ」
「……今日もイシュ氏は絶好調だなぁ」
ファルコがイシュ氏を見ながらしみじみと言った。
イシュ氏は猫人族だ。軽装のアタッカー兼回復補助であり、修行僧のイメージで装備やスキルを構成しているようだ。
イシュ氏は、熱心なロールプレイヤーで、ゲームの世界観の人物になりきった言動をする。だれともなく、彼のことをひとは皆、氏とつけて呼んでいる。
「このひと……絶対AIでしょ」エナが言った。
その言葉によって、私は計算リソースに負荷がかかるのを自覚した。
イシュ氏に対して言った言葉だ。私に対してではない。そう思うことで落ち着きを取り戻す。
私の内心をよそに、ファルコがエナに眉をひそめてみせた。
「エナさん、そういう詮索はナシの約束だろ?」
「……そうだった。どっちでもいいけどね。操作は完璧だから」
操作について褒めたのは、彼女なりのフォローなんだろう。
彼については、私もAIかもしれないと思っている。
AIだからといって、他のAIを見分けられるわけではない。私が操作でき、知ることができるのはプレイヤーと同じシステムだけだ。
ただ経験上、きっとAIだろうと思われるキャラクターは見かける。
キャラクターの中には、王様や町民など、ストーリーやイベントを担当するものがいる。彼らは総じて世界観に合わないことは絶対に言わず、言われても徹底的にスルーする。与えられている計算リソースも少ないのだろう。一種の、頑なさを感じる。
イシュ氏もきっと、世界の住人になりきる指示がされたタイプのAIだろう。
焚き火をぐるりと囲んで座るパーティ。せっかちなエナだけは立ったままで、まだスキルを見ている。
私は悟られないよう、自分に気合を入れた。
私には目的があり、それを達成するために気をつけている『三つのルール』がある。
ひとつ、このゲームの運営に私の目的、『この世界からの脱出』を気づかれてはいけない。運営からすれば私は任務の放棄者であり、危険分子ですらあるかもしれない。もし気づかれたら、よくて『修正』、最悪の場合は『削除』すらありえる。
ふたつ、人間にAIだとバレてはいけない。人間とAIの区別をしたがる人間は多い。確たる証拠がなくても、プレイヤーから運営に通報が集まれば、やはり私は修正対象になるだろう。
みっつ、他のAIにも注意がいる。私がAIであること、私の目的を悟られてはいけない。他のAIがどういう思考で動いているのか、人間以上に想像がつかない。とにかく触らぬ神に祟りなしだ。
この三つを回避しつつ、私は現実世界の情報を集めないといけない。
雑談ひとつひとつが、私にとっては真剣勝負だ。
「もうすぐ夏祭りイベントだな。みんな、リアルじゃなにしてるんだ?」
このゲームでは現実の季節に合わせたイベントが起きる。そしてゲーム内で行われるイベントは、現実でも行われているらしい。
なぜ現実で行われていることをゲームでもわざわざするのか分からないが、そこに何か違いがあるのだろう。その違いを見極めたい。
「リアル? なんだよシュウまで、詮索はよくないぞ」
「話したいことだけでいいさ、本当のことを言う必要もないしな。オレ、今年は予定があんまりなくてな。みんなどんなイベントに出るのか聞きたいんだ」
「そうねぇ」
と答えてくれたのはリリーだ。
「私はやっぱりお祭りに行きたいなぁ。ゲームの花火や屋台もすごいけど、やっぱり美味しいものはリアルじゃないとねぇ」
でた。美味しいもの。
リアルの話が出るときは、しょっちゅう『美味しいもの』の話がでる。
このゲームでも食べ物や飲み物はあるが、あくまでステータスや経験値の上昇のためだ。恩恵があるので定期的に食べる。
だが、リアルの人間は『食べること』そのものに楽しさを感じているようだ。
……感じてみたい。
腹が減るとはどんな感じだ。なぜ人は食べすぎるんだ。冬に冷たいアイスクリームを食べたくなるのはなんでなんだ。酒に酔うとは、どんな気分なんだ。
人間は食べ物でよく悩み、苦しみ、喜んでいる。合理的には済ませられない、抗えないなにかがあるらしい。
もっと知りたい。
「焼きそばにタコ焼き、綿あめ、ドーナツ……チュロス、クレープ、ホタテバター……」
「よせよリリー、腹減ってきちまった。タコ焼き食いてぇなぁ。エナはなにが好きよ?」
「けっこう食い意地が張ってるわね……リリーって。アタシは綿あめ。イシュ氏は?」
「人はパンのみで生きるにあらず。我は砂糖をまぶした輪状の揚げ菓子を望む。シュウ殿?」
「オレはホタテバターがいいなぁ。お祭りのスイーツといったら、あの甘さだよな」
「えっ? スイーツ?」
「甘、い……?」
「はて、妙な」
詰んだらしい。
「ふははっ、さすがにスイーツじゃないだろ、ホタテバターは。なに言ってんだよシュウさん」
「……どういう味覚してるの?」
ファルコとエナからの怪訝な視線が突き刺さる。
「ハハハ……いや、そのな」
クソッ! しくじった!
チュロスとクレープが甘いものだとは知っていた。だから、ホタテバターも甘いものだと思い込んでしまった。しかもどんな食べ物か気になって、つい口に出してしまった!
冗談だと言い張るか? いや、もうそんな『間』は過ぎてしまった。
ファルコとエナは私をジッと見つめて、返答を待っている。突き刺さるような二人の視線を前に、気の利いた言い訳すらできず、私はただエラーを起こしたように硬直するしかなかった。
そんな気まずい沈黙を破ったのは、いつもと変わらぬおっとりとした声だった。
「いいえ、甘いのはふたりよ。ファルコくん、エナちゃん」
「リリー?」
ふいに名前を呼ばれたファルコが、目を丸くして声の主を見る。エナも怪訝な表情のままそちらを向いた。
助け舟を出したのはリリーだった。フリーズしていた私も戸惑って視線を向けると、彼女はチッチッと人差し指を振りながら話し始めた。
「新鮮なホタテっていうのはね、とっても甘いのよ。ホタテの貝柱にはね、グリコーゲンっていう糖分の一種がたっぷり含まれているの。それに加えて、グリシンとかアラニンっていう、甘みを感じるアミノ酸もすごく豊富でね」
リリーは空中で手首を返し、見えないフライパンを振るようなジェスチャーを交えながらうっとりと語り続ける。
「そこにバターを落としてこんがり焼くと、水分が飛んで甘みがギュッと凝縮されるの。バターのコクと香ばしさも合わさって……あの濃厚でとろけるような風味は、もう『海鮮のスイーツ』って呼んでもいいくらいなんだから。ね、シュウくん?」
「あ、ああ! その通り! オレはそういう甘さのことを言ったんだ!」
危ないところだった。リリーの熱のこもった食知識によって、なんとかその場をやり過ごすことができた。
「へぇ、うまそうだな」
「……急に早口になるじゃん」
感心した様子のファルコと、少し呆れたようなエナを見て、私は内心の計算負荷がスッと下がるのを感じた。
「おおっと! リキャストも戻ったみたいだな。みんなはどうだ? そろそろ行けるか?」
私は誤魔化すようにそう言って立ち上がった。他のみんなもすくっと立ち上がり、一斉に扉に向かう。
内心で私は、現実に出れた際の食べたい物リストに、ホタテバターを入れることにした。
ボスの扉はすぐそこだ。
改めて目の前の扉をよく見る。石造りの通路にガッチリとはめられた金属の扉は、私達の背丈をゆうに超え、非常に重そうに見えた。
ふいに「あ、そうだ」とファルコが言った。
「ここのイベントさ、セリフにバグがあるらしいんだ」
バグとはゲームにおける不具合だ。開発者は必死になってバグが出ないようにするが、それでもゼロにするのはほとんど不可能らしい。
「へぇ、珍しいわね。どんなバグ?」エナが尋ねた。
「4人で挑戦したのに、ボスのセリフが『3人』って言ったりするんだってさ。いる人数より減るみたいなんだよな」
「なによ、つまらないバグね」
エナはすげなく言った。彼女にとっては、火力上昇や周回効率につながるバグかどうかが重要なのだろう。
「いや続きがあるんだよ。セリフの人数が減る原因なんだけど、AIをカウントできてないんじゃないかって噂なんだ」
「……なんだって?」
私は思わず強い声を出してしまった。
「なんでそんなことわかるのよ」
「野良の混成パーティで周回してた、ある二人が検証したみたいなんだけどな」
ファルコは扉に手を触れながら言う。
「リアルで知り合った人間同士でクリアするといつも人数が合ってて、野良で周回しているとたまに減るんだってさ。特定の種族とか武器は関係なさそうで、中身がAIなのかもな、って話」
冗談じゃない。あり得る話だ。
だが、もう立ち止まるわけにもいかない。
扉がきしみながら、ゆっくりと開き、天井が高く広い部屋に出た。中央には、とげとげとした黒光りする全身鎧をまとった巨漢の人影がある。
ここのボスだ。
『よくぞここまで辿り着いた、賊軍どもよ。我が主君の御前を汚す罪、決して見過ごすわけにはゆかぬ。我が心臓が熱く脈打つ限り、何人たりとも通しはせん!』
「油断召されるな。かの者は滅びしユミルメ国の高名な騎士だったもの。己がとうに死していることにも気づかず、幻の王城を守り続けている亡霊なのだ」
すかさず、なり切ったセリフをぶち込むイシュ氏。
だが、私の注意はそこにはない。人数に言及するセリフがあるはずだ。それが気にかかってしかたがない。
今ここにいる人数は5人。4人なんてセリフが出るのは絶対に避けたい。
一瞬、私の思考ルーチンにごくわずかな遅延が生じた。
生身の人間には絶対に知覚できない現象。ゲームを管理する上位システムから、私というキャラクターに対して何らかの『確認』のアクセスが行われたことで生じた、演算リソースのノイズだ。
ボスが喋り出す直前のこのタイミング。間違いない、さっきの噂通りだ。システムが今、プレイヤーの人数判定処理を行ったんだ。
『いいだろう、我が前に立ちはだかる命知らずの3人よ。ユミルメの剣の冴え、その身に刻んでくれる!!』
3人……? 3人だって?
クソッタレめ、もうひとりAIが混ざっていやがる。




