第二十話 継承の儀
明日も20:00までに次話更新します。
「今の言葉、誠だな?」
騒ぎを聞きつけ、フェリクのそばにきたニコス王が問いかける。
「誓って誠です」
「では、今すぐシャドウを斬れ……といったらできるか?」
「……」
少し間が空いた。空けてはいけない間だということは重々承知していたが、空いてしまった。やはり、まだ人を殺めることに抵抗があるからだ。
「でき……ます」
やっと絞り出した答え。それは、為すことに抵抗はあるものの、それでも前に進もうとする決意の表れでもあった。
「分かった。では、いますぐ継承の儀を行ってもらう。異論はないな?」
「ありません」
言い切った。生まれて初めて、継承の儀に異論を唱えなかった。
その変化の様子に周りの人たちは皆驚き、感嘆していた。
「誰か、シャドウを連れてこい。この場で斬ってもらう」
しかし、ニコス王は空気が和むのを許さなかった。なにせこれからいくのは戦場・・血と鉄が支配する地獄なのだ。
「早くしろ」
皆に緊張が走る。いつもより重く、威圧的な声だったからだ。これ以上ニコス王の機嫌を損ねまいと、兵士たちは早足で牢獄に向かっていった。
**
「「ドサッ」」
まるで物を投げ捨てるように、シャドウがフェリクの前に差し出される。その様相はやはり見るに堪えないもので、所々にある拷問の後がそれを物語っていた。
「ごめんなさい」
開口一番、フェリクが謝る。と同時に、一回目の対面時とは違う何かを感じ取ったシャドウは、フェリクに返事を返す。
「なぜ、僕と同じ道を歩もうとする?」
「守りたい人がいるからです」
即答したフェリクに対し、シャドウは「フフッ」と少し笑みを見せた。そして、「僕と同じだな」とぽつりと呟いたのであった。
「フェリク、君にお願いがある」
シャドウが続けて話す。
「君は僕とよく似ている。僕も昔は、君みたいに臆病だった。虫を殺すことですら抵抗があったし、ましてや人を殺すなどもってのほかだと思っていた。でも僕は、剣を握った。その理由は君と同じだ。守りたい人がいたからだ」
シャドウは天を仰ぎ、再び口を開く。
「僕は守れなかった。守りたい人である、ダグラス将軍を。だから、似た者同士の君に一つだけ……たった一つだけのお願いだ」
フェリクの瞳をまっすぐに見つめ、最後の力を振り絞る。
「「──大切な人を守れよ。僕の分まで」」
「……」
風が吹き、シャドウの綺麗な黒髪が揺らぐ。真剣な眼差しは周りの嘲笑を顧みず、まっすぐな想いは風に飛ばされず。ただひたすら一直線に、その願いは伝えられる。
「分かりました」
想いに答える。先人の願いは、未来に託されたのだ。
「頼んだぞ」
短くシャドウが返答すると、フェリクが剣の持ち手に手をかける。
「「シャッ」」
剣を抜く軽い音が聞こえ、行く末を見守るように風が止む。
「マリア、よそを向いていなさい」
「……はい」
ニコス王の問いかけに答え、マリア姫は目を背ける。これからの惨状を──目の当たりにしないように。
「剣聖家、フェリク・ウェハ・アルバート。これより、黒帝流を継承します」
剣を天高く構え、太陽を遮る。
フェリクは生唾を一つ飲んだ。そして、剣を構えたまま動きを止め、少し考えた。自分が進んだ道は正しかったのだろうか。平和な生活に戻れなくなるけど、それでいいのだろうか。人を殺めてまで成し得たいことなど、この世にあるのだろうか。考えが頭の中を反芻し、数珠繋ぎのように連なり、ただひたすらに回る。
今だったら引き返せる。今だったらやり直せる。剣を引っ込めるだけ、剣を鞘に納めるだけ。ただそれだけ、ただそれだけ……でも──
──それじゃあ、昔の自分に逆戻りじゃないか。
あの時の自分の決意はなんだったんだ!必ずマリア姫を守ると、そう誓ったんじゃないのかッ!!お前はいつまで、逃げて逃げて逃げ続ける人生を送るつもりなんだッッ!!
「ふぅ……」
一つ大きな深呼吸をし、決意は固める。そして、罪人に対する最後の判決を言い渡した。
「──竜の加護があらんことを」
天高く構えられていた剣は、シャドウの首めがけて一直線に落ち、そして──
──生き血を貪り食った。
**
「殺した……」
手を見る。血のりがべっとりとついている、真っ赤な手だ。
「僕が……殺した……?」
目先の惨状を見る。生き血を啜った剣が投げ捨てられており、そしてその先には──
「ウッ……!!」
──生気のない目で見つめる、シャドウの生首が落ちていた。
「オェッッ……!!」
堪らず胃の中にあるものを全部戻す。辛くて酸っぱい、ひりひりするような胃液が口の中いっぱいに広がる。
「僕じゃない……」
嘔吐物が喉につっかかり、上手く呼吸することができない。口から喉にかけて、手を突っ込まれているような幻覚に襲われる。
「僕じゃないッ……ウッ……!!」
耐えきれず、二度目の嘔吐をする。気づけば、自分の体は尋常じゃないほどの熱を帯び、頭が回らなくなっていた。
「フェリク、しっかりしろ、フェリク!!」
ニコス王がフェリクのそばに寄り、慌てて兵士も後に続く。あっという間にフェリクの周りには人だかりができ、彼を中心にして円を描く。
しかし、フェリクが彼らを相手にすることはなかった。なにせ、彼の見えている景色は蜃気楼のようにぼやけ始め、意識は修復不可能なまでに遠のいていたからだ。
「僕じゃない、僕じゃないッッ……!!」
「気を確かにしろ、フェリク!!」
ニコス王の問いかけにまったく応じないフェリク。焦点が定まらず虚ろになっている彼の目は、返事どころではないことを暗にほのめかしていた。
「ハッ、ハッ……!」
息が吸えない。浅い呼吸が続くだけで、肺に空気が入ってこない。
目は見たくもない現実を脳に焼き付けさせ、口は吸いたくもない血の空気を喉に焼き付けさせ……目の前をさらに歪ませ、呼吸を浅くさせる。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……!!」
フェリクの荒い息遣いだけが、辺りに響き渡る。その音は周りのざわめきと共に、より一層大きな音となっていった。
「落ち着け、まずはゆっくり深呼吸だ!」
ニコス王の問いかけに、やはりフェリクは反応しない。それどころか瞳孔を大きく開かせ、胸のあたりを辛そうに握ったのだ。
「違うッッ!!」
フェリクは目を見開き、血走った眼で訴えかける。
「僕がやったんじゃない、僕がやったんじゃないッッ……!」
「フェリク! フェリク!!」
ニコス王の呼びかけが耳の中を反響する。山びこのように、水面に広がる波紋のように。それは幾度なく現れては消え、現れては消えを繰り返していた。
「僕じゃないッッ……!!」
──自分の体が宙に浮かぶ。
暗転した意識下の世界で、自分の体だけが宙に浮かぶ。緑、黄、青、紫、赤……様々な色の声が波長となって、自分を上へ、上へと押し上げていく。
「僕じゃないッッ……!!」
──太陽が見えた。
上昇に上昇を重ねた自分の体はいつしか、雲の上を行き、太陽に近づいていたのだ。
「僕じゃない、僕じゃないッッ……!!」
手を伸ばす。もう少しで届きそうな位置にいるのを最後のチャンスだと思い、目いっぱい手を伸ばす。
あと少しで届く。あと一歩で届く。そんな最中、悪魔が微笑んだ。真っ黒でギザギザの、異形の形をした悪魔である。その悪魔は浮上するフェリクの前に立ちはだかり、太陽光を覆い隠す。希望などない──そう言いたげな悪魔は、人殺しをした罪から逃すまいと、フェリクの腕をわしづかみにした。そして──
「僕じゃない、僕じゃない、僕じゃない、僕じゃn……!!」
「「ドサッ」」
「フェリク、しっかりしろ! フェリク!!」
──奈落の底に叩き落した。
**
「ガラガラガラガラ……」
リズミカルな音ともに、小石を小突きながら車輪が回る音がする。
「うぅん……」
車体の揺れに起床を促されるようにして、フェリクは目を擦りながら、上体を起こす。
上を見上げると、高さのある白い布が太陽を覆い隠し、下を見ると、木で作られた簡素な荷台が自身の等身大以上に広がっていた。どうやら自分は馬車の荷台に乗せられているようだ。
「やっと、起きおったか」
対面に座っていたのは、フードを深くかぶった齢五十ほどの男性だった。頭からつま先まで真っ白のコートを羽織っていたため、誰かは分からなかったが、敵ではないことはすぐに分かった。
「僕は、今まで一体何を……ウッ……!!」
手で口元を抑え、反吐が出るのに備える。そうだ、自分はシャドウさんを殺したんだ。そして……
「皆、最初はそうじゃ。わしだって、時々気分が悪くなる」
突如聞こえてきたのは、聞いているだけで安心するような慈愛の声だった。今まで幾度となく味方を安堵させたその声は、フェリクの元にも届いた。吐き気は──すぐに消え失せた。
「あなたは、もしや……!!」
「静かにせい、敵にばれるじゃろ」
「……すいません」
よろけながらもすぐさま体制を整え、左膝をつき、右拳を地面につけ、騎士流の正座を取る。その様子を見るや否や、謎の男は「そんなにかしこまらなくてもよい」とだけ言い、体制を崩すよう促した。
「失礼します」
フェリクは体制を崩し、足を両手で抱え、体育座りをする。
「でも、なぜこちらにいらっしゃったのですか?」
フェリクが意を決し恐る恐る聞くと、謎の男は優しい口調で返事をした。
「援軍の中に、新しい竜の託宣者がいるって聞いたからじゃ。部下を助けるのは、わしの役目じゃからの」
「しかし、軍令違反では……?」
「大丈夫じゃ。死にゃあせん」
堂々とした振る舞いだった。とても自分ではまねできないほどの、度量の深さ。それは数多の死線を潜り抜けたからこそ、説得力のあるものとなっていた。
「そうですか……でも、いざとなった時あなた様がいてくれたら心強いです」
「そうじゃろ? いやぁ、素直な奴が部下になってくれて嬉しいのぉ」
この頃になると、フェリクの慟哭はすっかり収まっていた。不安になるほうがおかしい。なにせ、目の前に助っ人として駆け付けてくれたのは……
「そろそろ着くぞ」
思考を遮るように謎の男がフェリクに問いかけた。
「どこに……ですか?」
フェリクの返答を聞いた白髪の老人は少し笑みを浮かべる。そして──
「──レビィール城だ。アナスタシア姫を助けに行くぞ」