私の安全基地*R15
夜もすっかり更けた頃。
身支度を整えたソルヴィは、ついに妃のいる部屋の前に辿り着いた。
ソルヴィは早鐘のように鳴る心臓を抑えて、無表情を装いながら、侍女をちらりと見る。
「シグルン様のお支度は整っております」
ヨハンナは恭しく頭を垂れると、静かにその場を後にした。
ソルヴィは緊張で震えてしまいそうになった手をぐっと握り、唾を飲み込んだ。急かすような気持ちとは正反対に、大きな扉をゆっくりとした動作で開ける。
「こんばんは、アレク」
「こんばんは、シグルン」
ソルヴィの双眸はいじらしい妃の姿を捉えた。
シグルンもまた顔に緊張の汗を滲ませ、少々引き攣った笑みを浮かべながら、寝台の上にちょこんと座っていた。
シグルンは寝巻きを着ている。見ただけでも非常に薄く、軽く、緩やかに編まれたちりめんの織物だと分かるのは、シグルンの肌がうっすらと透けていたからだ。下着も何も身に付けていないのか、盛り上がった双丘の先には張り詰めたように小さく隆起した膨らみも見える。
ソルヴィはあからさま過ぎて、思わず視線を逸らした。
シグルンの銀の絹のような髪から覗く尖った耳は、相変わらず人間離れしており、見目の良い顔立ちを美しく引き立てているが、今日はいつにも増して色っぽさが加わり、ソルヴィを誘惑している。
ソルヴィは白昼の大聖堂で交わした深い口付けのことを思い出した。
黒曜石の瞳が熱く濡れそぼつのを思い起こすと、未だ背筋に興奮が走る。
何より、式の途中で続きは今夜すると言ったのは他ならぬソルヴィ自身だ。
興奮しない方がおかしい。
ずっとずっとこのときを待っていたのだから。
ソルヴィの顔にはいつの間にか余裕の表情が消え、緊張した面持ちで、真剣な眼差しをシグルンに向けた。
「ねぇ、アレク。ちょっとお話しない?」
「何? 焦らし作戦?」
ところがシグルンは緊張をごまかしたいと思ったのか、顔が閃いたように明るくなった。
ソルヴィはシグルンの提案に眉根を寄せた。寝台に腰掛けると、シグルンにジリジリと詰め寄る。
途端にシグルンの目元に紅が散った。
恥ずかしそうにするのは理解できるが、後退ったことが納得できず、ソルヴィは寝台の端までシグルンを追い詰めると、半ば強引にシグルンの肩を抱いてこちらに向けた。シグルンの形の良い顎を上向け、至近距離で見つめる。
「良いよ。少し話をしよう」
「でも、この格好は恥ずかしいわ。座り直したい」
「駄目」
「え!? でも……」
「話は聞くから、今言って」
ソルヴィは口角を上げた。悪戯心がむくむくと大きくなる。
シグルンはぶわっと火がついたように赤面したが、この困った顔が何とも堪らず可愛いのだ。
シグルンの柔らかな身体の感触を間近に感じながら、また今すぐにも赤い蕾に吸い付きたいのを我慢しながら、ソルヴィは挑戦的に笑った。
「……うーん、あのね、最近防御の魔法が使えるようになったの」
だが、『お話』と言うのだからどんなことかと思えば、シグルンの話とは魔法のことだった。
ソルヴィは目をぱちくりさせる。
最近シグルンは熱心に魔法の勉強をし、王宮魔法使いで近衛騎士団長でもあるゲオルグを師に仰いでいた。ソルヴィが政務に駆け回る中、日中のほとんどをゲオルグと過ごしているらしいのだ。
これまでゲオルグが聖女を守ろうとしてきたことは認めるが、愛しいシグルンを日がな一日独り占めするのは正直許せなかった。
もちろんそれでゲオルグを罰するような馬鹿な真似はしないが、それでも男として悔しいのだ。
それによくよく考えれば、ゲオルグのような老いらくがソルヴィとシグルンの間に割って入れるような隙はないのだが、ソルヴィにはそんなことを考える余裕さえない。
ことシグルンに関しては、ソルヴィは相変わらず自信がなかった。四六時中いつだってシグルンの側にいたいのだから。愛を確かめずにはいられない。
「へぇ……! ゲオルグに優しく教えてもらった?」
「ええ。それはもう丁ね……うんんっ!!」
ソルヴィはシグルンの言葉に噛み付いた。
シグルンは驚いて呻き声を上げたが、抵抗の意思はないようだ。唇に食らい付くソルヴィに身を任せている。
ソルヴィはぱっと口を離し、先程までの笑みを引っ込めた。今度は苦しそうな顔で言う。実際ソルヴィの心臓は、締め付けられんばかりにきゅうきゅうと言っている。
「もう我慢できない」
シグルンは言葉を失ったが、赤ら顔で必死にこくこく頷いた。
ソルヴィはシグルンを優しく寝台に押し倒して、上から覆い被さった。
柔らかな銀の髪から仄かに甘い香油の匂いがする。
月下美人だろうか。
二人の大好きな花の香りがした。
ソルヴィは指でシグルンの顔の輪郭をなぞり、首、鎖骨の辺りで手を止めた。
「できるだけ、優しくするから」
ソルヴィは仕切り直しとばかりに、優しく穏やかな口付けを落とした。小さな唇の感触を確かめながら、ちゅっちゅっと音を立てて啄む。
シグルンは目を固く閉じており、一生懸命身を委ねようとソルヴィの首に腕を絡めていた。
シグルンの髪も目も、鼻も唇も、腕も、そして一挙手一投足何もかも愛し過ぎて堪らなかった。
それに半年も我慢し続けたのだから、ソルヴィとて今更止められないのだ。
興奮に頭の先が真っ白くなるほど熱くなる。
ソルヴィはキスの雨を降らせた後、今度は貪るようにシグルンの口を飲み込んだ。柔らかくて生温かいシグルンの舌を見つけると、何度も吸って絡み付く。
さらに口の中をぐるぐるとかき混ぜれば、お互いの口から熱い吐息が漏れた。
「シグルン、愛しているよ」
「わ、私も……アレクを愛しています」
この夜、ソルヴィの燃え滾った思いは、爆発した。
****
ソルヴィは暖かな日差しを感じて目を覚ました。
なぜか寝台の隣にいたシグルンがいない。
慌てて身体を起こせば、シグルンは部屋の端っこでこそこそと着替えていた。
「おはよう、シグルン」
「お、おはよう、アレク」
「今から出かけるの?」
「違うわ。服を着なきゃ……その、恥ずかしいから、今着てるの」
「別に恥ずかしくない。夫婦だろ」
「それは! そうだけど……お化粧もすっかり落ちてしまったし、アレクの前では綺麗にしておきたいの……その……」
「問題ない。シグルン、こっちへおいで」
随分と可愛いことを言ってくれる。
身なりなど気にしなくとも、ソルヴィはありのままのシグルンが好きなのに。
ソルヴィは寝台のマットをぽんぽんと叩いて手招いた。
シグルンはおずおずとやってきて、ソルヴィの隣に座る。
「身体は大丈夫?」
「ええ。思ったより平気だわ。普通に歩けるし、今日も平常運転よ」
「良かった」
マットの下の方には赤い跡がくっきりと残っており、ソルヴィはそれをちらりと見て顔を曇らせたが、シグルンの朗らかな笑顔を見る限り大丈夫そうだ。ソルヴィも優しく微笑む。
「今日もゲオルグのところか?」
「ええ……って朝からキスは駄目よ。今日はいよいよ治癒魔法の基礎を習うんだから」
「そうか、それは君の望みでもあったな。しっかり学ぶと良い。君ほどの優秀な魔法使いはいないだろう」
ソルヴィはなぜか前もって牽制されたのがおかしくて、喉の奥を鳴らした。
うぶな癖に、こんなときばかりシグルンにはソルヴィの焼きもちなどお見通しなようだ。
でも、バレても全然悔しくなかった。むしろ嬉しいくらいだ。
「アレクも今日は枢密院会議でしょう?」
「ああ。あまり気乗りはしないがな」
シグルンの言葉に、ソルヴィは今日枢密院会議が開かれることを思い出した。
ベーヴェルシュタム公爵の死後、長らく空席だった議長を決める日なのだ。
いくら大罪人とは言え、自らの身内に手をかけたことに良心の呵責がないとは言えない。ただ、シグルンを殺そうしたことは絶対に許せないことであり、ソルヴィは同じ状況が再び訪れれば、きっと何度でも人を殺めるだろう。
そして、気かがりなのは三女のアニタだった。
自分を好いてくれたのは、決して悪い気分はしないが、結局気持ちに応えることはできなかった。
従兄妹のよしみで、どこか良い家の養子入りも考えてやったが、アニタはそれを拒否した。
自らの誇りを最後まで見せて、アニタは修道院で出家する道を選んだのだ。
ソルヴィは後ろ暗い溜め息を零した。目を伏せて黙り込む。
そこへシグルンの細い腕が伸びてきた。
シグルンはソルヴィの頭を胸に引き寄せ、宝物のように抱き締めた。
「一人で悩んじゃ駄目よ。私たち夫婦でしょう。どんなときも一緒なのは、喜びのときだけではないわ。きっとこれから辛いこともある……」
シグルンは優しく子どもを諭すように言った。
シグルンはおどおどすることが多いが、時々物凄く頼もしいときがある。
勉強しているとき。
患者を治療しているとき。
そして、ソルヴィが困っているとき。
ソルヴィは天にも昇る心地でどうにかなりそうだった。小さなシグルンの手に、大きなソルヴィの手を重ねる。
「アレク、私がいるわ。どんなことも二人で乗り越えていきましょう」
「ありがとう、シグルン」
シグルンは落ち込んだソルヴィを励まさんと、ソルヴィの頰に優しく口付けた。
冷んやりとした大地のようなソルヴィの頰に、シグルンの唇の熱がじんわりと広がった。
まさか日間ランキング入りするとは露にも思わず、こうしてたくさんの方々に読んでいただけて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これにて後日談終了です!
ひたすらラブラブイチャイチャしただけの話なので、冷や汗ものですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
正直なところ、中にはせっかく読んだのにつまらなかったと思う方もいるでしょう。それは私の力量不足ですから、本当に申し訳ありません。ただ一方で、楽しかったと、面白かったと思う方がおられましたら、本当に嬉しい限りです。
あなたの心に何かが届きますように。
改めてありがとうございました。
2018.7.18
狸 拝