第76話「綺羅星のごとく Ⅲ ~怪物商人の宴~」
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 王宮大広間 / イヴェット・カンガ(モントルヴァル公国 外交官 22歳 女性)
(……帰りたぁい。ほんまに、今すぐこの場から蒸発したいわ)
煌びやかなシャンデリアの下、ウチはグラスを握りしめたまま、心の底からそう叫んだ。 華やかなパーティ会場の一角。テーブルを囲むわけでもなく、立ち話をしているだけの場所。 たった5人しかおらんのに、そこだけ空間が歪んでるんちゃうかと思うほど、濃密で重苦しいオーラが放たれとる。
「ふふ、良い眺めねぇ。世界中の富と権力がここに集まっているようだわ」
可憐な少女のような見た目とは裏腹に、底知れない迫力を放つ妖精族の女性――「光の同盟」経済の女帝、フィオラ王国のアイリス・フェアリー様。
「違いねぇ。戦場も悪くないが、社交場の熱気ってのも血が滾る」
不自由な足を杖で支えながらも巨木のように立つ男――「炎盟」の物流を握るトルヴァード連邦の交易担当大臣、クルタガン・カランベイ様。
そして、ウチのボスであり、「永遠条約圏」屈指の大商人――モントルヴァル公国のヘルガ・シュミットハウゼン会長。 さらにその横には、笑顔を頑張る我が国の宰相、クロードゥィーヌ・バロ様までいらっしゃる。
本来なら決して交わらないはずの三大勢力の経済的支配者たちが、グラス片手に談笑しとるんや。発せられる圧力が凄まじすぎて、周りの景色が霞んで見える。
そして、その怪物たちの中になぜかウチ、しがない外交官イヴェット・カンガが混ぜられとる。
(……胃が、胃がキリキリするぅ! なんでウチ、こんな怪物たちの真ん中で笑顔作らなアカンねん!? 気配消しときたい……ミジンコになりたい……)
ウチが必死に縮こまっていると、周囲のざわめきの中から、ひそひそとした話し声が漏れ聞こえてきた。
「なんと……!! なぜあの面々が親しげに話しているか不思議でならなかったが、あの若い外交官の手腕であったか……」
(……ちゃうねん。ウチはただのパシリで連れてこられただけや……)
「見ろ、世界的な大商人や宰相と肩を並べて堂々としている。あの娘のことを早急に調べろ。只者ではないぞ」
(……堂々としてるんちゃう、恐怖で固まってるだけや……)
「ああ、彼女はモントルヴァルの……。あの娘が献上した香炉立は見事だった。おそらくヘルガ殿かクロードゥィーヌ殿の懐刀なのだろう」
(……懐刀て。ウチ、ただの金欠の端材職人なんですけど……)
周囲の勝手な過大評価に、ウチは心の中で弱々しくツッコミを入れることしかできへんかった。 そんな外野の勘違いなど意に介さず、怪物たちの密談は進む。
「……例の『計画(新しい港を用いた三国貿易)』の件だけど」
アイリス様が、グラスを揺らしながら可愛らしい声で切り出した。
「私の『庭(フェアリー商会)』の方は、いつでも種まきできるわよ。倉庫の空きも、作業員の手配もバッチリ」
「こっちの『荷車(輸送船団)』も準備万端だ。……いつでも『商品(ドラコニアの物資)』を積み込める」
クルタガン様がニヤリと笑い、ヘルガ会長に視線を流す。
「『西の物(エテルニアの物資)』はどうだい? ヘルガ殿」
「抜かりはないよ。……すでに『道(安全な輸送ルート)』の選定は済んでいる。あとは、関所を通るための『手形』だけだね」
ヘルガ会長が低い声で答えると、クロードゥィーヌ宰相が重々しく頷いた。
「その『手形』なら、エヴェリンのルシラ大臣と握ってあります。……『エヴェリン王国御用達』という、誰にも止められない最強の手形をね」
(……ヒィッ!)
ウチは悲鳴を飲み込んだ。 これは、先月ルシラ大臣の屋敷で結ばれた「三国間密貿易同盟」の最終確認や。 本来なら死角でこっそりやるような話を、王宮のど真ん中で堂々とやっとる。「木を隠すなら森の中」って言うけど、森ごと焼き払いそうな連中がやることか!?
「……あら?」
その時、事情を知らないどこかの国の恰幅の良い商人が、このメンツを見て「ビジネスチャンスや!」と勘違いしたんか、揉み手をして近づいてきた。
「おや、これはこれは。各国の商会の皆様がお揃いで。……私めも、ご挨拶させていただいてもよろしいかな? 良い商談がありまして……」
商人が話に割り込もうとした、その瞬間。
ギロリ。
ヘルガ会長、クルタガン様、アイリス様の三人が、同時にその商人を見た。
言葉はあれへん。ただ、視線を向けただけや。
ヘルガ会長の「格の違いを見せつける冷徹な眼光」。 クルタガン様の「修羅場をくぐり抜けた猛獣の眼光」。 アイリス様の「値踏みし、価値なしと判断する無慈悲な眼光」。
三方向からの「圧」を受けた商人は、ビクリと震え上がり、顔色を土気色にした。
「ひっ……! い、いえ! 人違いでした! 失礼しましたぁ!」
商人は脱兎のごとく逃げ出していった。
「……やれやれ。無粋な客だね」
ヘルガ会長がつまらなそうに鼻を鳴らす。
「全くだ。……俺たちの『遊び場』に、雑魚が入れると思うなよ」
クルタガン様がワインを一気に煽る。
「ふふ、怖がらせすぎよ、お二人とも」
アイリス様が鈴のような声で笑う。
(……怖っ! あんたらが一番怖いわ!)
ウチは震えながら、心の中で叫んだ。 この人ら、自分たちがどれだけ目立ってて、どれだけ怖いか自覚してへんのか。
その時、人混みを割って、妖艶なオーラを放つ女性が近づいてきた。 トルヴァード連邦の外務大臣、アルーシャ・リリヤスカ様や。
「あら、皆様お揃いで。……ちょうど皆様に紹介したい方をお連れしましたわ」
アルーシャ様が横にずれると、彼女の後ろから、一人の女性が静かに進み出てきた。
その姿を見た瞬間、ウチの背筋に氷柱を突っ込まれたような悪寒が走った。
深紅のドレスに身を包んだ、透き通るような青白い肌の美女。 整った顔立ちは美しいんやけど、生気がないというか……そう、まるで物語に出てくる「吸血鬼」みたいな冷たさを纏っとる。
「紹介しますわ。サングラビア王国の侯爵、 ロジャン・バヌ・カズミール 様です」
「……お初にお目にかかる」
ロジャン様が口を開く。その唇だけが、血のように赤い。 彼女の視線が、ウチの首筋あたりをスッと舐めた気がした。
(ひぃぃっ! なんやこの人! めっちゃ怖いんやけど!)
「サングラビアでは、私が商業を担当している。……アルーシャ殿から、面白い商談ができると聞いてな」
「ほう、サングラビアの商業担当かい」
ヘルガ会長が興味深そうに身を乗り出す。サングラビアは「血の結束」を誇る誇り高い国や。そことのパイプができるのはでかい。
「どんなものを扱っているんだい?」
ヘルガ会長の問いに、ロジャン様はグラスの赤ワインを揺らしながら、独り言のように答えた。
「……主な産品は、 『極上の赤』 。そして、 『血晶石』 。……あとは、そうだな。 『トマト』 も悪くない」
(……は?)
ウチの思考が停止した。 頑張って再稼働させるけど……「極上の赤」はワイン……だよね。そうであってくれ。 「血晶石」? ……なんか物騒な名前やけど、鉱石か? 血でできた石とかちゃうよな? そして、「トマト」。
(……トマト? あの赤い野菜の?)
ロジャン様が、ニヤリと口角を吊り上げて笑った。
「ククク……。我が領のトマトは、赤く、瑞々しく、潰せば鮮血のように滴る……極上品だ」
(……絶対、野菜のトマトのことちゃうやろ!!)
ウチの脳内で、危険信号が点灯した。
(あの吸血鬼みたいな見た目で、「鮮血のように滴るトマト」て。 それはアレか? 裏社会の隠語か? 「心臓」とか、そういうグロい臓器のことを言うてはるんか!?)
「ほう、サングラビアのトマトか。あれは極上の甘さだと聞くな」
クルタガン様が普通に頷いとる。
(えっ、通じとる!? さすが元傭兵、裏の隠語もバッチリなんか!)
「そうだね。加工品としても需要がある。……大量に仕入れさせてもらおうか」
ヘルガ会長まで商談を始めよった。
(会長まで!? 「加工品」て何!? アカン、これ以上聞いたらウチ、消されるかもしれん!)
ウチはガタガタ震えながら、必死に気配を消そうと縮こまった。 ロジャン様が、そんなウチを見て、フッと笑った気がした。
「……そこの小娘は、顔色が悪いな。血が足りていないのではないか?」
「ひゃいっ!? い、いえ! 血は! 血は足りてます! 満タンですぅ!」
ウチが裏返った声で叫ぶと、ロジャン様は「そうか、それは良かった」とつまらなそうに呟いて、ワインを飲み干した。
(良かったって何!? うちをどうするつもりやったん!?)
これ以上ここにいたら心臓が止まる。そう思った矢先、クロードゥィーヌ宰相がパンと手を打った。
「さて……。皆様、話も尽きませんが、そろそろ私たちもご挨拶に向かわねばなりませんわね」
宰相閣下の視線は、壇上のヒイロ王子と、アウローラ女王陛下に向けられている。 挨拶の列が進み、そろそろウチらの番が回ってくる頃合いや。
「あら、もうそんな時間? 楽しい時間はすぐ過ぎちゃうわね」
アイリス様が残念そうに、けれど楽しげに微笑んだ。
「そうだな。これだけ目立つ集団だ、ずっと固まっていても怪しまれる。……散るとするか」
クルタガン様が杖をついて歩き出す。ヘルガ会長も頷き、グラスを置いた。
「商談の続きは、また後日。『新しい遊び場』でやろうじゃないか」
怪物たちが、それぞれの国や立場に戻っていく。 その瞬間、ウチの肩にのしかかっていた重圧が、ふっと軽くなった気がした。
(……助かったぁ)
生きた心地がせんかったわ。 密貿易やら隠語やら、心臓に悪い話ばっかりで胃に穴が開くかと思った。
でも、これから向かう先には――。
ウチは壇上を見た。 そこには、煌びやかな光の中で、ニコニコと愛想よく手を振る赤ん坊――ヒイロ王子の姿がある。
前回の顔見世で、ウチらが作った香炉立を見て、キャッキャと喜んでくれたあの子。 大人の事情だらけのこの会場で、唯一の純粋な癒し。
(……やっと、会える)
この胃の痛い外交任務の中で、あの子の笑顔を見ることだけが、今のウチの楽しみであり、救いやった。
「行きますよ、イヴェット」
クロードゥィーヌ宰相に声を掛けられる。
「は、はい!」
ウチは弾かれたように動き出した。 怪物たちとの密談を生き延びた今のウチなら、王族への挨拶くらい、なんとかこなせるはずや。 ……たぶん。
(ヒイロ王子。また、あの笑顔見せてな……!)
ウチは祈るような気持ちで、煌びやかな壇上へと続く列に並んだ。
投稿の冒頭の視点記載にて(モントルヴァル公国 外交官 22歳 女性)のように年齢を入れるようにしました。年齢を記載するとそのキャラの印象がより固まる気がしますね。




