第56話「早熟な少年のお好みは」
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール ヴェルダント伯爵邸 / リンディス・ヴェルダント(エヴェリン王国 軍閥系伯爵)
「……母上。夜分に申し訳ありません」
寝室の扉が控えめに叩かれ、入ってきたのは養子のテオラスだった。 まだ6歳。寝間着姿で目をこすっている姿は年相応の子供だが、その瞳に宿る光は、私の部下たちよりも遥かに理知的だ。
「どうした、テオラス。眠れないか?」
私は読んでいた本を置き、彼をソファに招いた。 テオラスは私の正面に座ると、少し躊躇ってから、意を決したように口を開いた。
「ご相談があります。……国内外を問わず、『価値のある男性』となると、どのような方が思い浮かばれますか?」
唐突な質問だ。だが、私は彼がヒイロ王子の側仕えに選ばれたことを踏まえ、真剣に答えることにした。
「そうだな。有名どころなら、モンタリア王国の国王であるトルハルト殿ではないか?」
私は壁に貼ってある大陸地図の北方を指さした。
「あそこはドラコニアの属国だが、ドワーフの国だ。世界で唯一、男が王になり、その妻たちが王妃として国を支える制度を持つ。彼はその豪快な人柄と鍛冶の腕で、屈強なドワーフ族を束ねている。……彼こそ、男としての価値で国を動かしている代表例だろう」
テオラスは小さく頷いたが、まだ納得していないようだった。
「うーん……。他には、どのような人がいますか? なんというか、その地位にいるから価値があるのではなく、その人の行いや振る舞いが価値を生んでいるような……その人がいると、皆が大歓迎するような男性は」
核心を突く問いだ。 地位や権力ではない。個人の魅力で世界を動かす男。 私の脳裏に、ある一人の男の顔が浮かんだ。
「……それなら、モリガノン王国の王弟、イリヤ・ヴァレリエヴィッチ殿だろうな」
口に出してから、私は「しまった」と思った。 まだ6歳の子にする話ではない。 騎士団時代、宿営地の焚火を囲みながら、女騎士たちと下世話な話で盛り上がった記憶が蘇る。『エロを具現化したようなイリヤ様みたいな男が、光の同盟にもいればなぁ』『あの方の一夜のためなら、城の一つも落としてみせるのに』……そんな、明け透けな欲望の対象。
「……その人は、どのような人なのですか?」
案の定、テオラスが食いついてきた。 「あー、かっこいい人だ」と誤魔化そうと一瞬考えた。だが、この子の真っ直ぐな瞳を見て、考えを改める。 この子は賢い。子供騙しは通用しないし、真剣に自分の将来を模索しているのだ。ならば、こちらも真剣に答えるべきだ。
「……モリガノンという国には、独自の価値観がある」
私は言葉を選びながら説明した。
「あそこでは、男は生まれながらにして女性への奉仕者としての役割を持つとされる。イリヤ殿は、その中でも最上位の存在だ。ダンディーで、優しくて、どんな女性にも分け隔てなく愛を与える……」
あまりに生々しい部分は伏せつつ、彼の本質を語る。
「彼は外交の場でも、その魅力を遺憾なく発揮する。彼が微笑めば、険悪な交渉の場も和む。彼が手を取れば、頑なな内政家や軍人も態度を軟化させる。だからどこでも大人気だし、彼のファンは敵味方を問わず世界中にいるのだ」
テオラスは真剣に聞き入っていた。そして、核心的な質問を投げかけた。
「もし母上が、そのイリヤ・ヴァレリエヴィッチさんが横にいる状態で、相手と交渉したら……交渉は優位に進みますか?」
私は想像した。あの伝説の色男を傍に控えさせて交渉する自分を。
「……そりゃあ、上手くいくだろうなぁ」
思わず本音が漏れた。あんな男が味方にいれば、相手はどんな無理難題も「彼のためなら」と飲んでしまうかもしれない。
「ありがとうございます」
テオラスは満足げに頷いた。
「もっと、その人の動きや技術を学びたいのですが……方法はありますか?」
「……ほう?」
私は思わずニヤリと笑ってしまった。 私に対する世間の評価は「野心家で、目的のためには手段を選ばない女だ」とされていることが多い。 だが、どうやら私の息子は、私以上に手段を問わん男のようだ。 ヒイロ王子のために、男としての武器を磨く。それも、貴族男性が避けたがるようなニュアンスを理解したうえで。
「ふむ。それなら、モリガノンの文化に詳しい人間が必要だ」
私は手元の調査資料の束から、一枚を抜き出した。
「確か、トルヴァード連邦の外務大臣アルーシャ・リリヤスカは、モリガノン出身だ。我が国の若者に対する講師役にもなると聞いている。彼女なら適任だろう」
だが、懸念はある。アルーシャはモリガノン出身らしく好色家だと噂に聞く。世の母親ならまず声をかけない女であろう。
「テオラス。お前は……女から性的な目で見られて、平気なのか?」
私が尋ねると、テオラスは少し身を震わせた。
「……騎士団の女性みたいな筋骨隆々の人から、野獣のような目で見られるのは怖いです。食べられそうで」
「む」
痛いところを突かれた。私もそっち側の人間だ。
「でも……優しい、ふくよかな女性であれば、全然平気です。むしろ、甘えさせてくれるなら……」
「……そうか」
(なるほど。この子、ストライクゾーンが明確だな)
「ふむ、もし狙って色目を使えるようになれば大きな武器になるだろうが、あまり使いすぎるなよ。お前を争って女同士のけんかが起きたら本末転倒だ」
「はい、気を付けます」
6歳の男の子と、色気の使い方や女のあしらい方を話すとはなぁ。 息子が大きくなると母離れして寂しいと聞くが、この子は大人びすぎていて、何段階か飛ばしている気がする。
「まあ、アルーシャ殿も忙しいだろうが……彼女はモリガノンの女だ。テオラスが『ハグ』でもしてあげれば、案外コロッと受けてくれるかもしれんな」
私は冗談半分で言った。
「ハグ、ですか?」
「ああ。あちらの国では、親愛の情を示す挨拶だ。……ダメもとで、話を持って行ってみるか」
「はい。お願いします、母上」
テオラスは真剣な目で頷いた。 ……まさか、本当にやるとは思わなかったが。
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そして数日後。 私はテオラスを連れて、屋敷を訪ねてきたアルーシャ・リリヤスカとの面会に臨んだ。
現れたアルーシャは33歳。噂通りの豊満な美女だった。 だが、その目は……。
(……飢えているな)
外交官としての仮面を被ってはいるが、その瞳の奥には獲物を探す肉食獣の光がある。 彼女の視線がテオラスに向けられた瞬間、一瞬だけ瞳孔が開いたのを私は見逃さなかった。
「……ご挨拶なさい、テオラス」
「は、初めまして……。テオラス・ヴェルダントです……」
テオラスが私の後ろからおずおずと出て挨拶する。 アルーシャは扇子で口元を隠し、「あら、小さいけど可愛いらしいお子さんね」と微笑んだ。
(食いついたな)
そこからの交渉は、私の予想以上にスムーズだった。 ヒイロ王子の側仕えというカードを切り、彼女に「男の子の講師」という餌をぶら下げる。 そして、イリヤ・ヴァレリエヴィッチの名前を出した瞬間、彼女は即座に反応した。
「……落ちますわ」
彼女は言った。 「良い関係を築きたいどころか、その主君に全力で協力して、テオラス君に褒めてもらいたいと思いますわ」
(やはりな。モリガノン出身者にとって、あの男は別格か)
「もしテオラスがイリヤ様のように皆に愛されるようになれば、それはヒイロ様のためにも、エヴェリンのためにも素晴らしいことだと思う」
「全面的に賛成ですわ」
アルーシャが熱く同意する。 その目には、「まさか母親が息子を望んでサクリファーにしようとするなんて!?」という驚愕と、「そこに私も関わらせてくれるの!?」という期待が入り混じっていた。 ふん、野心家同士、通じるものがあるようだ。
私は畳みかけた。
「私はテオラスを『女性にとって魅力的な行動のできる男性』に育てたい。……もし、アルーシャ様が指導しても良いと思ってくださるなら……理想の男性になるために、手取り足取り教えてくださらないか」
アルーシャの顔が一瞬、とろけそうになったのを必死に引き締めるのが見えた。 頭の中で絶叫しているのが聞こえてきそうだ。
「……テオラス君」
「は、はい」
「ヒイロ様の側仕えとして、その道は最高に役立つ力になるのは確かです。ですが、男性としては大変な道のりになるかもしれません」
アルーシャが欲望を隠しきれていない中で必死に取り繕って声を出しているのが分かる。
「私の指導の中では、体が触れることもあるでしょうし、態度や話し方なども厳しく指導します。そのような訓練に、君は耐えられますか?」
アルーシャが試すように聞く。 さあ、どうするテオラス。ここが正念場だぞ。
すると、テオラスはキリッと顔を上げた。
「……僕は、ヒイロ様にお仕えすると決めました。彼のためなら、本当にどんなことでもするつもりです」
彼は椅子から降り、トコトコとアルーシャの前まで歩いていくと――。
ぎゅっ。
躊躇なく、ソファに座るアルーシャに抱き着いたのだ。
(おお、本当にやったな……!)
私は内心で喝采を送った。 昨晩の「ハグでもしてあげれば」という言葉を、初対面のおばさん相手に実行する度胸は、わが子ながら見事だ。 まぁ一応相手は、テオラスの好みに合致する「優しくてふくよかな女性」だ。彼にとっても無理な相手ではなかったのだろう。
「……テオラスがハグをすると、女性は喜ぶと母上から聞きましたが、僕はまだ未熟です。どうか、ご指導ください」
上目遣いでの殺し文句。 アルーシャがフリーズしている。顔が赤い。完全に落ちたな。
「……そうですね。その覚悟があれば、大丈夫でしょう」
アルーシャは震える手でテオラスを抱きしめ返した。 こうして、交渉は成立した。
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「……ありがとうございました」
屋敷を出て、アルーシャを見送った後。 私はテオラスの肩をポンと叩いた。
「よく頑張ったな、テオラス。あの交渉術の塊のような女相手に、一歩も引かなかった」
やはり無理をさせただろうか。ショックや苦痛を受けていないかと顔を覗き込むと、テオラスはぼーっと馬車の去った方向を見つめていた。
「……母上」
「ん? どうした? 怖かったか?」
「いえ……」
テオラスは、茹でダコのように顔を真っ赤にして、信じられないことを口にした。
「僕……『初恋』というのを、してしまったかもしれません」
「……は?」
私は絶句した。
「あ、アルーシャ様……すごく良い匂いがして、柔らかくて……優しくて……」
(え? テオラスにとってアルーシャは守備範囲なの……!?)
(彼女は33歳だぞ? テオラスは6歳。その差、27歳。 いや、待て待て。落ち着けリンディス。 アルーシャは確かに美人だ。見た目は20代でも通るかもしれん。 それに、テオラスは「優しいふくよかな女性が好き」と言っていた。 ……条件には、合致しているのか?)
「ん、まぁ、落ち着け」
私は混乱する頭を整理しようと努めた。
(アルーシャはドラコニアや炎盟の責任者だ。息子が縁を繋ぐ交際相手としては極めて有用で、利用価値が高い……いや違う、年齢差を考えろ。成人してすぐに結婚しても子供が望めない可能性があるぞ。いや、愛があればいいのか?)
軍事なら即断即決できるが、息子のマニアックな恋愛事情は私の処理能力を超えている。
(いかん、混乱しているな……。まぁ、息子の好みには口出さないでおこうか……)
私は首を振って、思考を放棄した。 テオラスが誰に恋をしようと、彼の利用価値が高まるならそれでいい。それに、アルーシャに取り入るための「演技」ではなく「本気」なら、なおさら学習効率は上がるだろう。
「……家庭教師は受けてくれたから、これからも会えるさ。頑張るんだな」
「はい! 僕、一生懸命勉強します!」
テオラスの目が、かつてないほど輝いている。 動機が不純なのか純粋なのか分からないが、この子の将来が末恐ろしいことだけは確かだ。
私は空を見上げた。 エヴェリンの空は今日も青いが、私の心にはこれから成長する息子への期待と一抹の不安が渦巻いていた。
子供の時に大人のお姉さんに恋しちゃうのはあると思います。
なんとなく勉強ができる子供に年上好きが多い気がします。
頭が良いとか大人びてると年上のほうが話が合うのかもしれませんね。




