第118話「生命の始まりとは」
大陸歴 2792年 3月 / カマラソラ公国 首都スーリヤプラム 迎賓館 / セラフィナ=エヴェリン(エヴェリン王国 第三王女 10歳 女性)
冬でも暖かいカマラソラで、香炉から立ち昇る甘い煙が揺らめいている。 カマラソラ公国の首都、スーリヤプラム。蓮池の聖都とも呼ばれるこの街の迎賓館の会議室で、私は彫刻が施された重厚な円卓の席についていた。
隣には外務大臣のミラナ様が、優雅な笑みを浮かべて座っている。 そして円卓を囲むのは、カマラソラ公国の重鎮たちだ。中心に座るのは、公主のアルナーデヴィ・カマラソラ様。その左右には、公主の孫である王族のアマラ・カマラソラ様をはじめとする有識者たちが、知的な眼差しでこちらを見つめていた。
「エヴェリン王国からの客人よ、心から歓迎しよう。セラフィナ王女殿下にミラナ殿も、遠路はるばるよくぞ参られた。あの熱気に満ちたヒイロ殿下の顔見世の夜以来だな」
アルナーデヴィ様は威厳の中に柔らかな親しみを込めた笑みを浮かべ、私たちの長旅を労ってくださった。私とミラナ様は安堵し、深く頭を下げた。 ヒイロの健やかな成長を喜び合う短い歓談の後、公主様は居住まいを正して本題へと移る。
「さて、セラフィナ王女殿下。エヴェリン王国の至宝たるヒイロ殿下が、これまでにどのような奇跡を起こされたのか、詳しくお聞かせ願えるだろうか」
その問いかけに、私は背筋を伸ばし、彼女の深い琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ、語り始める。
「はい。ヒイロの持つ『Holy(聖)』というWordは、神聖な言葉や物質に反応するわけではなく、人々が命の誕生に感動したり、成長を祈ったりする、その生命の神秘そのものに共鳴するようです。エテルニアから持ってきてもらった聖骸布や霊石には何の反応もしませんでしたが、彼が一歳を迎える子供たちの健やかな成長を祈る神殿の儀式に参列した際、その場に満ちていた純粋な命の誕生への祈りと共鳴し、極限まで魔力を拡張させました」
私は一度言葉を区切り、魔法省のエルドリン大臣が持ち込んだ護身用魔導具の検証で明らかになった出来事も告げる。
「さらに、魔法省が調整した魔導具を持たせた時のことです。彼が自らの意志で魔力を流した瞬間、魔導具が彼の波長と完全に同調し、神聖な黄金の光となって寝室中を包み込みました。それはただの魔力発光ではなく、生命の源に触れるような、圧倒的な慈愛の力を帯びていたのです」
私の説明を聞き終えると、会議室のメンバーたちの間に驚きのざわめきが広がった。 アルナーデヴィ様は深く目を閉じ、やがてゆっくりと頷いた。
「命の誕生への祈りと、無償の慈愛。我らカマラソラの哲学と瞑想の根源もまた、万物の源は何か、生命の起源はどこにあるのかという問いを必ず通る。まさに長年、我々が宗教的にも哲学的にも探求し続けてきた領域そのものだ。ヒイロ殿下の力の解明において、我々の知識は必ずや力になれるはず。カマラソラ公国は、エヴェリン王国に全力で協力しよう」
「ありがとうございます、アルナーデヴィ様」
私が深く頭を下げて礼を述べると、アルナーデヴィ様は傍らに控える従者に視線を向けた。
「この話には、あの子も同席させるべきだ。『プリンセス』をここへ呼びなさい」
その指示に、会議室の空気が一変した。 隣に座っていた王族のアマラ様が、不安げに眉をひそめて身を乗り出す。
「お待ちください、公主様。姉上をこのような重要な外交の場に呼ぶのはいささか。姉上は、その」
他の賢者たちも顔を見合わせて戸惑いを隠せない様子だ。 だが、アルナーデヴィ様は力強く首を横に振った。
「案ずるな、アマラ。あの子の探求心は、必ずやこの真理の解明に役立つはずだ。呼んできなさい」
祖母である公主の絶対的な命令に、アマラ様は渋々といった様子で引き下がり、従者が部屋を飛び出していった。 その様子を見ていたミラナ様が、扇子で口元を隠し、私にそっと耳打ちをする。
「セラフィナちゃん。もう少し深くカマラソラの王族の話をしておくわ」
ミラナ様は声を潜めて続ける。
「アルナーデヴィ様の一人娘は四年前に病で亡くなられていて、その遺された娘が二人いるの。そこにいる次女のアマラ様は、快活で頭脳明晰な二十三歳。ここ数年よく内政にも外交の場にも出られている。一方、長女のプリンセス様は二十六歳になるけど全く表に出ない人で、私もお会いしたことが一度もないわ。次期公主はどちらかだと言われているけど、プリンセス様は哲学に没頭するあまり、独自の感性で誰とも会話が噛み合わないらしく、賢者会議でも心配されていると聞いたことがあるわ」
ミラナ様でさえお会いしたことがないほど秘匿されている相手。私はわずかに緊張を覚えた。
やがて、重厚な扉が開かれた。 現れた人物に、会議室の全員が息を呑み、目を奪われた。 褐色肌に濡羽色の黒髪、そしてアルナーデヴィ様と同じ琥珀色の瞳。歩くたびに周囲の空間が微かに歪むような膨大な魔力の気配を纏いながらも、その立ち振る舞いは言葉にできないほど優雅で洗練されていた。
彼女は無口なまま一言も発することなく、私とミラナ様に向かって静かにお辞儀だけをし、円卓の空席に腰を下ろしてゆっくりと瞑目した。
静寂が場を支配する中、アルナーデヴィ様がプリンセス様に向かって語りかける。
「プリンセスよ。エヴェリン王国のヒイロ殿下が持つ『Holy(聖)』の力は、命の誕生への祈りと、慈愛に反応するようだ。其方の求める生命の起源にも関わる話であろう」
その言葉を受け、プリンセス様はゆっくりと瞳を開いた。 彼女の深い琥珀色の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。
「エヴェリンの客人に問う」
深く、年齢に合わない重い響きを帯びた声が会議室に響いた。
「男が女の腹に精を入れねば生命は生まれぬ。生命の誕生には二つの存在が必要だ。だが、最初の人類の起源となる存在が一つだとすれば、それは男か女か、別の何かか?」
難しすぎる問いかけ。 私は必死に頭を回転させ、これまでに読んできた歴史書や宗教の教義、生物学の文献を思い返した。だが、最初の人類がどのように発生したか、それが単一の存在からどうやって男女に分かれたのか、明確な答えはどこにも書いていなかった。
私が答えを出せずにただ黙り込んでいると、プリンセス様は表情を全く変えることなく、重く静かな声で言葉を紡いだ。
「私は、生命の誕生が慈愛に満ちた聖なるものか、邪まな行いの結果なのかも分からない」
その深淵を覗き込むような言葉に吸い込まれそうになる。彼女の目が開き、ようやく私と目が合った。彼女の瞳の奥には、ヒイロに対する強い興味の光が確かに宿っていた。
「その奇跡の御子と、我はいつか言葉を交わしてみたいものです。我と彼との対話は、きっと新たな意味を紡ぎ出すでしょう」
彼女の静かで重みのある言葉に、私はただ力強く頷き返すことしかできなかった。
アマラ様や賢者会議の面々はハラハラとした表情を浮かべていたが、すこしほっとされた様子で会議は終了した。
***
迎賓館の宿舎として割り当てられた部屋に戻ると、私は張り詰めていた肩の力を抜いてソファに沈み込んだ。
「お疲れ様、セラフィナちゃん。とっても立派な説明だったわよ」
ミラナ様が、カマラソラ特産の蓮茶を淹れて私の前に置いてくれた。
「ありがとうございます、ミラナ様。隣で場を和ませてくださったおかげで、緊張せずに話せました。それにしても、プリンセス・カマラソラ様は、圧倒的な雰囲気のある方でしたね」
「ええ。あれは間違いなく何かしらのWordも持っているし、魔力量も大きい人物だったわね。会話が成り立たないという噂だったけれど、あれはある意味でうちのエルドリンやルミナちゃんに近い人種ね。ヒイロちゃんには興味を持っていたようだからまた話す機会があるかもしれないわね」
温かい蓮茶を一口飲むと、心がじんわりと解れていくのを感じた。 王立図書館で司書のヘレナさんに教わったこと。研究者が見つけた新しい発見の点を、歴史や他国の知識と結びつけて線にし、誰もが道に迷わないための大きな地図を描くのが、私の役割。 その役割を今日は少しだけ果たせたような気がして、胸の奥が温かくなった。
「それにしても、他の国に向かったみんなも、今頃頑張っているかしらねぇ」
ミラナ様が窓の外の星空を見上げながら、楽しげに笑った。 ヒイロの能力に関する説明と、各国の古い記録の調査協力を依頼するため、私たちは光の同盟の国々へ手分けして向かっていたのだ。
「アークランド王国へ向かったクラリスお姉様とライラ団長は、きっとクラリッサ女王陛下たちと有意義な時間を過ごしているでしょうね」
私が想像を口にすると、ミラナ様もクスッと笑う。
「そうね。アークランドなら何度も交流のあるところだから、クラリスちゃんは次期女王としてしっかりと役割を果たしているはずよ。ライラ団長は、ヴィヴィアナ様を前にしてガチガチに緊張してそうだけど」
「ティルナリア王国へ向かったルミナお姉様とエルドリン大臣は、今頃どうしているでしょうね」
私が疑問を口にすると、ミラナ様は思い出し笑いをするように扇子を揺らした。
「エルドリン大臣は出発前、『妖精族の女はみんな悪戯好きで最悪だぁ、絶対に行きたくない』って泣き叫んでいたわね。でも、ルミナちゃんと一緒に大聖堂の儀式に忍び込んで騒ぎを起こした罰だから仕方ないわ」
「ええ。エルウィン女王陛下をはじめ、彼にちょっかいを出すのが大好きな同族の女性研究者たちに囲まれて、今頃はげっそりしているかもしれませんね」
「間違いないわね。でも、ルミナちゃんはエルウィン女王や妖精族の研究者達とすっかり意気投合して、一緒に魔法の解析で大盛り上がりしている光景が目に浮かぶわ」
想像に難くない二人の対照的な姿に、私は小さく息を吐いて微笑んだ。
「フィオラ王国へルシラ大臣と向かったヴァレリアは、少し心配ですね」
「あら、一番賑やかで楽しそうな組み合わせじゃない」
ミラナ様が楽しそうに目を細める。
「ルシラさんはアイリスさんや長老様を相手に、調査協力のついでとばかりにちゃっかり新しい商談をまとめていそうね。ヴァレリアちゃんは、綺麗なお花畑を元気いっぱいに走り回って、護衛の騎士たちをクタクタにさせているに違いないわ」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。
武力で国を守る者、魔法を探究する者、経済で国を豊かにする者。 そして、知識を集めて役立てる者。
姉妹それぞれが自分の得意な分野で自分の足で立ち、光の同盟の国々を回ってヒイロのために動いている。その事実が、私に無限の勇気をくれた。
「私、カマラソラの文献をしっかり読み込んで、完璧な報告書を作ります。ヒイロが自分の力に迷わないように、私が一番正確な知識の地図を描き上げるんです」
私の決意に満ちた言葉を聞いて、ミラナ様は優しく私の頭を撫でてくれた。
「ええ。期待しているわよ、小さな大学者さん」
エヴェリンで待つ大切な弟の未来を照らすため、私の戦いはまだまだ始まったばかりだ。
アルナーデヴィはエスニックなインド美人的なイメージ。




