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第二章『かむうぃずみー、いふゆーわんとーらいう゛』

 妙な生活が始まったといえば始まった。

 朝の寒い中を白い息を吐きながら新聞を抱えてちょろちょろとゆにこがついてくる。


 「手伝ってるのは決してお世話になってるからとかじゃなくて、私が殺す前に昭彦が飢え死にしたら困るからだかんね!」

 「お前、可愛いな」

 「バカにすんなー!……うんしょ!」


 一生懸命背を伸ばして、ポストに新聞を投函する姿はいじらしいものがある。

 一帯を配り終えると次の一帯に向かうため、自転車の荷台にまたがろうとするが、高くてうまく乗れないゆにこを後ろから抱き上げて乗せてやる。

 俺が自転車のサドルに腰を下ろすと、ゆにこはしっかりと俺の背中に抱きついてきた。


 「寒っ」

 「ロボットでも寒く感じるモンなんだな」

 「オイルが寒冷地仕様じゃないから、駆動系が鈍くなるです」

 「生体なんとかじゃなくて、そこはオイルなんだな」

 「わかりやすく言ってあげてるだけですからねー?」 


 未配無く配り終え、自転車を事務所に返すと、暖を取れる物を買いにコンビニに寄る。


 「こんびにー、こんびにー、なんでもうってる、ゆめいっぱい、だけどさいふはからっけつー、ゆめをみながらゆびくわえるー」

 「未来の作詞センスって最悪だな」


 通称、コンビニの歌を歌いながら自分のおやつを物色するゆにこは楽しそうだ。

 俺が缶コーヒーをレジに置く横で、背伸びして乾電池を置く。

 何故乾電池かと思ったのだが、ゆにこはコンビニを出た矢先、乾電池のビニールをびりびり破くとおもむろに口に入れた。


 「んー、おいひぃ……口の中がぱちぱちするですよ」

 「……お前、電池喰うのか?」

 「最近知ったですけど、これすんごくおいひいです」

 「ゴミ電池が無いと思ったらお前だったのか」

 「この美味しさがわからないなんて、あきひこは残念ですよ。ちょっとでもいいからこの感動を分けてあげたいです」

 「いらんわ。というか、俺のミニ四駆の電池もお前が食べただろう」

 「アバンテジュニアさんだけじゃなくて、ひげそりの電池も美味しく頂きました」

 「頂きましたじゃねえよ。電子レンジの電源コードもかじりやがって」

 「あれは食べられませんでした」

 「意地汚い。何でも食べようとするんじゃない」


 ゆにこは電池をがりがりと噛み下し、うっとりとしてため息をつく。


 「はぁ、一度でいいから食べてみたいですよ。ボタン電池」

 「テトリスの廃電池ならあったと思ったんだが」

 「電気残ってなくて風味しかなかったです。一度でいいから満充電のボタン電池をお茶碗一杯食べたいです」

 「高ぇよ。松坂牛のステーキが食えるわ」


 新しい電池を口にほおばるゆにこはどこふく風と電池の味に酔いしれる。


 「……今度、アルカリ買っていい?」


 俺の財布を気遣っているのだろうか、食べている電池はマンガン電池だった。


 「んー、給料出たらな」

 「うやったー!」


 家に戻り、俺が朝飯で糸こんにゃくを乗せたお茶漬けを食う横で、ゆにこは糸ウンコをコンセントに差し込む。


 「今、絶対、糸ウンコって思ったでしょ?」

 「糸ウンコ食べてるときに、糸こんにゃくとか……糸こんにゃく食べてるときに、糸ウンコとか言うな。ほらみろ、お前がそんなこと言うから俺もウンコしたくなったじゃないか」

 「だめー!あきひこのウンコすっぱいにおいするから先にあたしがトイレ入る!」

 「人のフローラルなウンコになんてことを。お前の廃オイルこそ洗剤のような臭いするだろ、あれ絶対人体に影響あるだろ」

 「よくわかるですね、そうやってじわじわと毒を蓄積させて昭彦を……」

 「便所でケツからウンコ垂らしながら死ぬなんて見つかったら恥ずかしいわ!俺のフローラルウンコの臭いをたっぷりと嗅ぐといい」


 俺は茶碗を持ったままトイレに向かう。


 「あ、あ!ずるい!ずるい!食事中にトイレに食べ物もって入るとか行儀悪いしずるい!志乃にいいつけるぞ!」

 「はっはっは、先に占領したものの勝ちだ」


 大人げなく俺は便所に入って、茶漬けをひとしきりかっこむと用を足す。

 入れ違いに入ったゆにこが中で悲鳴をあげる。


 「流してなーい!ひっどーい!」

 「ざまあ」


 だいたい、朝はこんな調子である。






 学校にいる間は、平穏であると言ってもよい。


 「最近、ゆにこはどうだ」

 「なにもねえよ、可愛いもんだ」


 志乃に宿題を写させてもらいながら、俺は答える。

 大作と志乃くらいしかゆにこのことは覚えておらず、その話題を振ってくるのもこの二人くらいのモンだ。


 「そろそろ、一度、買い物に出かける必要もあろうな」

 「買い物?」

 「いつまでも私のお古を着せておくのも何だし、女の子ならいろいろと必要なものもあるだろう」

 「あの角付きを外に連れ出すのか?目立つぞ?」

 「逆にいつまでもかくまっていれば、それはそれで変な噂も立つ。見ろ」


 志乃は窓から校庭のフェンスを越えた道路を示した。

 ゆにこが電柱に寄りかかってじっと俺の方を見つめている。


 「いじらしいなぁ」

 「雨の日もああやって立たれれば、私のお古も痛む。雨合羽くらいは買ってやるべきだ」

 「今月、大丈夫だろうか……」


 買ってやるべきだと言われても、先立つものがなければどうしょうもない。


 「大丈夫だ」

 「大丈夫だって……お前また俺の通帳持ってっただろう?」

 「お前は絶対に通帳に記帳しないから、代わりに記帳しにいったのだ。水道料金だとかガス代とか払わなければならないものも自分で払いにいかないから、時折私が抜いて払いにいってるのだ。会計管理は任せて安心。エロビデオを借りてくる出費を抑えれば払っても大丈夫なくらいはある」

 「な、なんで知ってるん!」

 「財布の中のレシートもマメにチェックしている」


 さすがに頼れる自称嫁。だが、プライバシーという概念を覚えてほしい。


 「都合よく、明日は休みだ。私もつきあおう」

 「買い物にいくことは決定なのか」

 「最近、私にかまってくれないから、寂しい」


 いきなりそういうことを言うあたりは可愛いとは思うがいきなりすぎて困る。

 今まで興味なさそうにしていた大作が身を乗り出してきた。


 「週末におデートとは羨ましい限りですにゃー、永峰」

 「おデートって言い方、古すぎねえか?」

 「そんなことより野球しようぜ」

 「テトリスならつきあってやんよ」

 「何が悲しくてこの天才がお前と野球やテトリスをしなければならんのだ。この俺もおデートに誘えよ。そうしたらダブルデートだ」

 「ほう、どういうカップルを想定してるんだ天才様は」

 「ゆにこちゃんと志乃ちゃん、俺と、昭彦たん」

 「想定にないわー」


 志乃が怪訝な目で俺たち二人を見る。


 「お前たちバカだろう」

 「そうとも、俺たちバカップルだからな」

 「天才は普通の恋愛に飽きたでござる」


 下ネタは引いたら負けというルールが俺と大作の間には存在する。負けるかよ。


 「そういうことだから、明日はこの天才と昭彦たんでいちゃいちゃさせてもらおう」

 「大作にちゅっちゅして、ベロいれてやるからな」


 志乃は大きなため息をつくと挑戦的に俺に告げた。


 「いいだろう。ならば、私は嫁としてお前の耳掃除をしてやろう」

 「ほう」

 「舌で。今、ここで。君が、泣くまで、なめるのをやめない」

 「ごめんなさい俺が悪かったです謝りますから本当にマジ勘弁してください」


 志乃が言うと下ネタの冗談ではすまされなくなるので俺は早急に謝る。

 志乃は残念そうに舌打ちした。


 「しかし、なんだ。天才が重ね逢い引きしようだなんざ珍しいこともあるもんだぬ。おめーさんの場合、休日は引きこもりたいとかぬかすんじゃないかと思ったんだがな」

 「うむ、なるべくなら引きこもりたい。だが、しかし、だ。たとえば、数学の問題集を解くとして、解答集があれば先に見るのが常識だろう?」

 「そこは自分で解いてから見るのが常識じゃねえのか?」

 「解答を見てから解けば自分で考える手間が省けるじゃないか。ようするに、だ。ゆにこちゃんが俺の命題の解答なら、それを観察することで俺の人生の八割は楽ができると」

 「そんなものかね」


 俺は適当に相づちを打つと、外でいじらしく待っているゆにこに目を向けた。

 じぃーっとこっちを見上げている姿はどことなく寂しそうだ。

 志乃がそんな俺に微笑んだ。


 「存外、優しいのだな?」

 「んあ?」

 「今は私にかまう時間だ。ちゅっちゅするぞ昭彦」

 「断る」




 放課後、ぞろぞろと校門を出る生徒に混じって俺ものろのろと下校する。

 志乃や大作はそれぞれ部活や生徒会などの活動があるので大概は一緒に帰ることはない。


 「あきひこめっけ!突撃どーん!」


 ゆにこが俺の腰にタックルしてくる。

 クスクスと笑うクラスメートや先輩達の目を流しながら俺はのろのろとバイト先のガソリンスタンドに向かう。

 仕事場にはゆにこを外国人の嫁を貰った従姉妹の娘だと適当に話をつけており、同じ職場の同僚には可愛がられている。


 「ねえねえ、ガソリンオイルのフィルターの古い奴ちょうだい?」

 「あにするんだ?」

 「たべゆ」

 「変なこと言ってないで休憩室で待ってなさい」


 つまらなさそうにふて腐れるが、素直に休憩室に行くあたりは仕事の邪魔をしないように気をつかってくれているのだろうか。

 大概、仕事が終わればスーパーに寄って買い物してから帰る。


 「あきひこ!あきひこ!これ!これ!」


 ゆにこはスーパーにつくなり、買い物カートのところでぴょんぴょん跳ねながら俺を急かす。

 買い物カートの子供用の座席に乗せろというのだ。

 まあ、ガキの時分は俺も親の買い物に付いていってこれに乗るのが楽しみだったから馬鹿にはできない。


 「ゆくぜー、ショッピングカートぉ、家計の戦場ぉー。目指せぇ、トイレットペーパー、きゅうじゅうはっちえーん。ダ、ダ、ダッシュ!誰よりも早く駆け抜けろぉ、夕飯までには戻るためぇ!」

 「なんだよその歌」

 「ショッピングカートマイ、ウェイ」


 買い物カートに乗っけるのには、もう一つ利点がある。


 「それよりさー、ねえ?あきひこー、電気コーナーいこう?」

 「だめ。お前、この間、携帯電話のバッテリーぺろぺろしてただろ。ものっそい恥ずかしかったんだぞ」


 勝手に色々やらかすことを未然に防げるからだ。

 とはいえ俺も昔は勝手にバナナ剥いて喰って、親に恥をかかせたことがある。

 俺はやかましいゆにこをショッピングカートに乗せたまま、卵と特売の業務用ウィンナー、足りなくなっていためんつゆをカゴに放り込むとレジで精算する。


 「ちんちんぶらぶらそーせーじ、ちんちんぶらぶらそーせーじ、マヨつけてしょうゆつけてくってまうどー!さとーさんにちんちんついてないッ!どっちかってーとたべてほしーいー!」

 「やめなさい。本当に、やめなさい」

 「昭彦が歌ってたんじゃん!」


 俺が密かにファンとなっているレジ打ちの佐藤さんの前で恥ずかしい歌を歌い上げるゆにこを恥ずかしい思いをしながらたしなめると、天使のような微笑みをくれる佐藤さんからお釣りを貰う。

 エコバックに詰めて帰ろうとした矢先、スーパーの入り口で懐かしいものに群がる女の子達を見つけた。


 「あー、またエールストライクだー」

 「ぷちこいないねー」

 「こっちソード、もー、いい加減キラ死ねよ」

 「バクゥだ。次きっとぷちこ出るよ!」


 ガチャガチャの前に子供達がしゃがみこみ、カプセルを開けて中の戦利品を報告しあっている。


 「懐かしいなぁ」

 「……やったことあるですか?」

 「うむ。ほれ、押し入れの中に捨てずにとってあるのがあったろう。毎週土曜日がお小遣いの日で百円玉握りしめてガチャガチャの前に急いだモンだよ。近所の兄さんがバケツ一杯分集めたのくれたときは嬉しかったなぁ」

 「キュベレイっぽいのたべちゃったです。美味しくなかったですよ」

 「食べるんじゃありません。お前、俺のデラックスワンワンオーのアヴァランチソードも食べただろう?」

 「あのぴかぴか光る剣ですか?割と美味でしたけど、がっさいデザインでした」


 俺はついつい財布を開いて百円硬貨を出してしまう。


 「しかし、なんで女の子が集まってるんだろうな。普通、こういうのって男の子だろ?女の子の場合、どちらかっていうとその隣のプリなんとかのガチャガチャを回すんでねーの?」

 「そっちの方こそ男の子用じゃないですか?但し大きなお友達に限る、みたいな」

 「まぁ、あながち間違いではないわな」

 「え?昭彦も買ってるですか?」

 「買わねえよっ!……こっちはちょっと買ってみるけどな。へへへ」


 懐かしいけど、子供心のまんまちょっとわくわくしながらお金を入れる。

 ガチャ、ガチャ、と独特の重さを持つハンドルを回す重さがたまらないんだよなぁコレ。

 ゴトリ、と出てきたカプセルを手に取る時の期待感ったらそうそうない。

 カプセルの中のペーパーから覗く黒いシルエットとかを見ながらなんだろうと想像すると結構これがわくわくすんだよ。

 ちょっと固めのカプセルをキュコンと開けると――


 「あー!お兄ちゃんすごーい!」

 「ぷちこだ!ぷちこ!」

 「みして!みーしーてー!」


 周囲の羨望を浴びた瞬間なんか、本当は鳥肌物なんだが、なぜだろう、素直に今はよろこべねえぞ?


 「……うあ?」


 女の子が群がる中、俺の手の中にはバクゥに跨るちんまいゆにこが居た。

 ちいさなゆにこはごしごしと顔を洗うと、可愛らしい瞳を一杯に開いてげんなりする俺を見上げていた。


 「ジゴクであおうぜべいべー!」


 可愛らしく物騒なことをのたまちんまいゆにこを手にしたまんま、俺は視線をそらすゆにこを睨みつけた。

 俺が首根っこを捕まえると身をすくめる。


 「なんぞ、これ」


 ゆにこは右斜め上の虚空をみながら決して、俺の目を見ようとしない。

がっちりと頭をホールドして目を合わせるとゆにこは小さく鳴いた。


 「にゃあ」

 「にゃあじゃねえよ、こりゃあ一体なんだよ」

 「プチ・パーソナル。簡易AI搭載型の汎用作業ユニットですお。感覚系を共有して偵察に飛ばしたり、小型火器を携行させて攻撃したりできるです」

 「あににこんなモン使おうと思ったんだ?」

 「えーと、爆弾内臓させて自爆特攻させて昭彦を死に散らかさせようと……あー!疑ってるです!ほ、ほんとですよ!あ、あきひこをぶっぱするために作った!ほ、ほんとにほんとにそうなんだってば!」


 後ろでさっきの女の子達がわいのわいの言いながらまたガチャガチャに群がり始めた。

 俺はとてつもなく嫌な予感がして家にダッシュで帰ることにした。





 「そこをどきなさい」


 家につくなり、ゆにこは押し入れの前に陣取って動かない。

 俺がよけてふすまをあけようとするとワザとその間に体をすべりこませて阻止しやがる。


 「ゆにこ」

 「ななな、な、なんですか?何も無いですよ!」


 うろたえまくりである。

 最早、俺は確信してふすまに手をかける。


 「だめー!!」


 叫ぶゆにこを俺はがっちり睨み据える。


 「おう、なんでダメなんだ?」

 「えーと、あと、その、えと、プライマリー!じゃない、プライバシーですお!」

 「うるせえよ。居候の分際でそんなもんがあると思うな。ほれ、そこどきやがれ」


 ゆにこは怯えながらも俺を見上げぴすぴすと鼻を鳴らしていた。


 「あの、えと、えと、昭彦、怒らない?」

 「怒るってなにを。何もねえなら怒らねえよ」

 「あ、あの、ちょっとはあるんだけど、あの、正直に言うから怒らない?」


 別に正直に言うなら怒る気は無い。

 がしかし、正直には言わねーだろーな。


 「怒らない」

 「あの、その……」

 「全部、出しなさい」


 ゆにこはふすまをほんの少しだけ開けて、中から三匹ほどのぷちゆにこを手に取って俺におずおずと差し出す。


 「これで全部か?」

 「全部……ですお」

 「本当に、本当だな?」


 怒られるのが怖いのか、震えながら俺の顔を見上げている。

 嘘だということがバレバレじゃい。

 俺は問答無用でふすまに手をかけるとバシンと全開にした。

 そこには――


 「な、なんじゃこりゃー!!」


――押し入れの中では二百匹近いぷちゆにこがところせましとうごめいていた。

布団の間にもぐりこもうとする奴。壁を昇ろうとしている奴をよじ登り、さらに上にのぼろうとしている奴。衣装ケースの隙間から首を出してしげしげと鼻をひくつかせている奴。


 「ゆにこォッ!こいつぁ一体どういうことだっ!」

 「ひぃああっ!」


 ゆにこはその場に頭を抑えてうずくまる。


 「昭彦は嘘つきです!怒らないって言ったのに怒ったー!」

 「ちょっとどころの騒ぎじゃねえだろうがっ!軽くお前だけの生態系ができあがっちまってるだろうが!」

 「ちょっと作り過ぎちゃっただけです!作りすぎちゃっただけなんですよー!うあぁああん!」


 俺に怒鳴られてゆにこはとうとう泣き出した。

 押し入れから解放されたぷちゆにこの何匹かはゆにこの回りに集まり、慰めるように小さな手で膝を叩いている。

 この様子だけを見るに、話の筋は理解した。 


「それでガチャガチャの中に入れてたのか」

 「だって、ひぐっ、だって、もう、一杯だから誰か大切にしてくれる人にもらって欲しかったんだもん!」


 気持ちはわからないでもない。

 何故なら、俺も経験者だ。

 だが、ケジメはきっちりつけねばならねえよな。


 「こんのバカッ!」

 「ひぐぅ!」

 「全部、戻しやがれ」





 ゆにこは泣きながらぷちこを分解して吸収した。

 自分が何をしたのか、どうしてこうしなくちゃならないのか、言って教えてやるのは簡単だ。

 恨まれるなら、それでいい。

 元々、こいつは俺を殺しに来てる訳だし、恨んで殺してくれるならそれはそれでこいつの目的が遂げられる。

 が、しかし、このままじゃこいつは何一つ大事なことを覚えることをしない。

 俺はじっと背中を向けたまま、押し入れの中の物を片付けていた。

 来客用の布団やら段ボールなんかを派手に食い散らかし、大作から借りてたエロ本なんかもゴミ屑同然の有様になっていた。

 あとで、謝っておかねえと。


 「全部……戻した」


 そう告げたゆにこは泣き疲れたのか声にどこか力が無かった。


 「うむ」


 俺はそれだけ言うと、大きな溜息をつきゆにこに向き合った。

 俯き、泣きはらした目をしたゆにこはどこか寂しげで、吹けば消えてしまいそうに弱々しい。

 俺は大きく溜息をつくと、ぽつぽつとしゃべり出す。


 「俺もガキの頃、オヤジとオフクロがオロクになって、ジジイとババアに引き取られた。都会ッコがいきなり田舎ッペだよ。ましてや周りは志乃のような敵だらけだ。寂しいのはわかんだよ」


 俺はゆにこの腕の中に手を突っ込み隠していたぷちこをつかむ。

 手のひらの上で転がるぷちこの頭を撫でながら俺はため息まじりに続けた。


 「ペットくらい飼いたいなら飼ってもいいだろ?なんでそんなことくれえ、正直に言えないんだ」


 気持ちよさそうに笑うぷちこと正反対で、ゆにこは今にも泣きそうな顔をしていた。


 「だって……だって!あきひこはわたしにっ、こ、ころされ、れ、うぅ、あぅ…」

 「それとこれとは話が別だろうに」


 ゆにこの頭を撫でてやると、関を切ったように泣き出した。


 「うぁああ、ああぁん!あぁああ!」


 俺の腹に頭を埋めて泣き出すゆにこ。

 ぶっちゃけ角が刺さり気味で痛かったが、んなことはこの際、野暮な話だ。

 ロボットでも泣くんだなぁと考えるのと同時に、泣けるロボットを作る未来もまんざら捨てたモンじゃねえなとも思う。

 がしかし、なにもこんなちんまいガキを一人で送らなくてもいいものを。





 明日が休みということもあって、久しぶりに夜更かしができる。

 寝転がりながら、借りてきたビデオを見つつ、ほんの少し贅沢にジュースとお菓子を摘む。

 SFロボット映画を俺の背中に寝そべりながら見ているゆにこが呟いた。


 「なんでわざわざ湯水のようにお金を使って光学撮影してるのにCGで平面画面に立体映像を被せるのかわからんです」


 さっきまでのしおらしさはどこへ行ったのやら、ビデオを見るとなった途端、元気になって俺の背中をソファー代わりにしてやがる。

 まあ、子供なんざこんなもんだろうがね。


 「光学撮影じゃこういう近未来SFは撮影できねえからだろうに」

 「近未来?ぷっくふふ。こんな意味不なデザインやビカビカ光る未来なんか来る訳ないですお。あんだけのプラズマ作るならぶっちゃけ実弾飛ばした方が燃費も威力も段違いですよ」

 「お前と見ると、SF見てるのにミステリで犯人ネタバレされた気分になるわ」

 「わ、わはは!り、粒子砲、粒子砲って!どんだけアホな兵器使ってるですかこの戦争」


 ゆにこにとっちゃサイエンスフィクションはサイエンスコメディでしかないらしい。

 ぷちこは一生懸命、ポテトチップをほおばり、畳と顔をクズだらけにして汚しており、俺はティッシュでちまちまと拭いてやる。

 にんまりと笑って返されると心が和むが、そのモデルとなったのが背中でバタバタ暴れられると少々げんなりする。


 「あー面白かった!」


 本来は泣ける話なのだが、面白かったと言い切りやがった。

 今度、スターウォーズを見せてどんな反応をしてくれるのか見てみたいもんだ。


 「さて、いい時間だから寝るべーな」

 「ええ?もぉう?まだ十時だよぉ?」


 そそくさと布団を敷き始める俺にゆにこは不満そうな声をあげる。

 八時くらいには寝る習慣のついてる俺にしては十時とはいえ大分眠たい時間なのだ。


 「明日仕事ないんでしょー?遊ぼうよー」

 「明日はおでかけするでか。だから早くに寝るの」


 俺が電気を落として布団で横になるとぷちこは俺の靴下を引っ張りだしてきて、枕元に敷いて寝る。

 不満そうに俺を見ていたゆにこはしぶしぶ、押入の中にある自分の布団に潜っていく。

 しばらくまどろんでいると、すーっ、と襖が開く音がする。

 もぞもぞと這いだしてきたゆにこが悩むように俺の寝顔を見ている。

 最初の頃は寝首でもかくツモリだろうかと思っていたのだが、そうではない。

 おそるおそる俺の布団をめくると、こっそり忍び込む。


 「おやすみです。あきひこ」


 寝てるだろうと思ってそう言うのだろうが、ずいぶんといじましい。

 俺を殺しに未来から一人で来て、慣れあわないように過ごすのは寂しいのだろう。

 見たところ、知識はあるようだけど、精神的にはガキとたいして変わりはない。

 それが、どうにも昔の自分のようで哀れで、また、苛立たしくもある。

 今日だって怒鳴りつける気はなかった。

 もう死んじまったザリガニのことを思えば、俺だってじいさんに怒鳴られた。

 なんで、素直に言わない。

 言える訳もない。

 自分が問題を持ち込む厄介者で、じいさんとばあさんが優しいからなおのこと迷惑をかけるわけにはいかない。

 そう思えばなおのこと、言えなくて、また、黙らなけりゃなんない。

 子供なんだから、甘えればよかったものの、俺はじいさんの子供じゃないから甘えられない。

 いつまでも迷惑かけてらんないから、じいさんところを出たのはいいけど、それだって、結局、


 「子供なんだよな」


 俺はゆにこに毛布を掛け直すと、大きなため息をついた。

 取り留めもなくそんなことを考えてるうちに、本当に眠くなった。





 「いつまで寝ている」

 「休みの日くらい、ゆっくり寝させろよ」

 「時間は有限で唯一平等な資源だ。無駄にすることは可能性を無駄にすると知れ」

 「朝からテンション高ぇな」

 「早く起きろ。でないとお前の布団に潜り込むぞ。服を脱いで」

 「勝手にしろよ。俺はもうちょっと寝る」

 「そのあと、脱がす。そして抜かす」

 「起きる起きる今起きる」


 朝も早くに志乃に叩き起こされて街に引っ張り出された。

 弁当持参でやってくるあたりは相当気合いが入っているが、逆に気合いの入ってない志乃をこの方見たことがないのでこれが当たり前だ。

 街で先に待っていた大作はたいそう喜んだが、もっと喜んだのは実はゆにこだった。


 「えー!お洋服買ってくれるですか!」


 駅前ビルのホールで志乃におでかけの趣旨を告げられ、ゆにこは素っ頓狂な声をあげて驚いた。その小さな目を爛々と輝かせて俺を見上げる。


 「……あきひこぉ、だからずっと黙ってたですか?」

 「いや、単に言い忘れただけだ」


 嘘はない。がしかし、ここまで喜ばれるとこそばゆくもある。


 「お金とか大丈夫ですか?もし、あれだったらちょっと銀行行って強盗かましてくるですよ。あ、現金輸送車っぽい車発見!チャンス!」

 「やめえや」

 「でも、でもぉ……」


 ゆにこは俺と志乃の顔を交互に身ながら、嬉しいのと困ったのをない交ぜにした顔で呟いた。


 「あきひこは貧乏だから、お古でも我慢できるですよ」


 いじましいのな。ほんと。


 「貧乏っちゃ貧乏だけど、蓄えが無い訳じゃあねえよ。買ってこい。欲しいのあったら志乃に買ってもらえ」

 「えーと、えーと……じゃあ、靴が欲しいです」


 靴か。

 女の子用の靴とかどんなのが流行ってるとか全く興味ないからわからん。

 靴屋のウィンドウに並ぶ靴はどれも安くはないが、しっかりした作りでデザインも可愛い。


 「あれが欲しいです」


 ゆにこはそのウィンドウの隣から外に見える工事現場にあるショベルカーの接地部分を指さした。


 「あれ?」

 「あれ」


 ブーツでもサンダルでもなく、キャタピラである。


 「キャタピラだな」

 「キャタピラです」

 「かっこいいな」

 「かっこいいですよ。だから、一度は履いてみたかったです」

 「二足そろえるといい値段するから別のにしなさい」


 キャタピラ単体の値段なんて知らないが、とてもじゃないが俺の蓄えで買える代物じゃねえし。


 「わっはっはは!確かに昭彦の全財産はたいても買えないわな!」


 大作が笑い転げる中、志乃は小さくため息をつく。


 「どれ、ゆにこ。私が一緒に選んでやろう。どうにもお前はこの時代の常識がなさそうだからな」


 ジーンズにTシャツ、ブルゾンにブーツと女の子にしてはお洒落とは無縁そうな志乃がゆにこの手を引っ張る。


 「女の子らしくない格好している志乃の言う台詞でもあるめえよや」

 「何を言っている。デートといえばペアルックに決まってるだろう。ぺあ、るーっく」


 くるくる回りながら自分の服装を見せる志乃。

 そう言われてみりゃ、俺と同じ格好してるっちゃしてるが、なんつーんだろう。素直に喜べはしねえよな。


 「俺と大作はその辺で水引いてるから」

 「うむ」


 志乃はバッグから裁縫セットとバスケットを俺に渡すとゆにこを連れて靴屋の中に消えていった。

 ゆにこがちらちらと俺を振り返るが、俺はなにも言わずに見送ると大作とスタバでずーずーしく水だけ頼んで席を陣取った。文字通り、水を引くって奴だ。

 程なくして、志乃が買ったばかりのブーツと、あらかじめ買ってあったであろうリボンをもって俺のところにくるとレシートと一緒に手渡してくる。


 「んむ」


 もう、言わずもがなというところが悲しいが俺はそそくさと包装をほどいてリボンをブーツに縫いつける作業をはじめる。


 「無いなら、作れ、か」

 「お金が無いからな。欲しいものがありゃ、作るしかなかったんだよ」

 「にしちゃ、器用すぎだろお前」


 裁縫は得意に見えるのだろう。

 がしかし、好きで覚えた訳じゃあない。

 志乃にいじめられて服がぼろぼろになるから、少しでもばあさんの心配をなくすために覚えたんだ。


 「志乃ちゃんにもそうやってハンドメイドの服をプレゼントしたんだろ?」

 「あいつはそうのたまってるけど、事実は違うでか。俺がいじめられてるのをかばってくれた奈津美ちゃんて女の子がいてな?その子にプレゼントしようとしたのを強奪されてたんよ」


 これが事実だ。

 それをこともあろうに、沢山あるからといって俺ンとこに預けていきやがった。


 「どっちにしろ、志乃ちゃんが欲しがってたことにゃ変わりあるまい」

 「どーだかな。あんときゃ俺に嫌がらせをしたかったことの方が強かった。俺もいい加減、ブチ切れちまったしなぁ」


 嫌なことを思い出す。


 「志乃ちゃんに手ぇあげてコテンにのしたってか」

 「コテンにのされて吊された」

 「志乃ちゃんは自分が負けたって言ってるぞ?」

 「最終的にはな。だけど、黒星の方がおおいでか」


 負けられなくて、何度も挑んだ。

 今から思えばバカな特訓とかもやったけど、いい思い出と割り切るほど年は食っちゃいない。

 リボンを適当な長さに着ると、編み上げた紐に被せて縫いつけ、足の甲の部分に少しだけ大きく可愛らしくリボンを結ってやる。


 「無骨なデザインに見えるブーツにリボンをあしらい可愛さを見せることで互いを見せる。上手なデザインだ。おまえ、服飾の道に進んだ方がいいんじゃないか?」

 「趣味じゃねえでか。朝から晩まで女物の服をこしらえてる俺の姿が想像できるか?」

 「いいじゃないか。にやにや妄想しながら、可愛い服をこしらえる仕事のどこが悪い。その仕事に従事する人に対して失礼だぞ」

 「俺は趣味じゃねーの」


 俺は迷惑そうに見ている店員に水のおかわりを頼むと、もう片方のブーツに取りかかった。

 大作はちょっぱってきたガムシロップとレモンシロップを冷やに溶かすと、ストローでちゅるちゅる啜り、遠巻きに服を選ぶ志乃とゆにこを見ていた。


 「男と女じゃ、考え方違うって知ってたか?」

 「んあ?」

 「たとえば、買い物だ」


 おもむろに、天才が何かを話し始める。


 「俺たち男ってのはもう、買い物にいく前になにが欲しいかイメージが決まってる。サンダルならサンダル、帽子なら帽子。そのイメージに似たものがあれば、買うし、なければ買わない。だから、早い」


 なんとなく、わかる。


 「だけど、女の子の場合、大概の場合、店に入ってからイメージ作りをする。だから、遅い。まあ、志乃ちゃんの買い物を見てると男っぽい気はするがな?」


 これが本題ではあるまい。

 大作は本題の前に、バカの俺でもわかるように下準備してくれる。


 「物事のこらえ方も、男と女じゃ差があるんだ」

 「ほう」

 「男ってのはいくつになっても子供だから、つらかったら顔や態度にでてしまう。がしかし、女ってのはそれを上手に隠すのな。頭の悪い男にゃそれがわからん」


 大作はぷくぷくとストローで気泡を作りながら続けた。


 「自分と同じやり方が通用すると思っちゃ、辛い思いをさせるかもしれないぞ?」


 大作はほんの少し、ゆにこを観察しただけでそれだけのことを理解したのだろう。

 天才、と呼ばれるこの男も人には言えない寂しさを持っている。

 根っこの部分で同じ物を持ってるからこそ、理解できるものもある。


 「でも、しゃあねえだろう」


 俺はそう言い切った。


 「来たくて来た訳じゃあるめえし。俺が望んで来た訳でもあるめえ。こうなったのもどうしょうもねえことだし、最後に結局どうにかしなくちゃなんねえのも自分のことだからな」

 「それを言われちゃ、かなわんなぁ」


 天才が苦笑する。


 「おまえと志乃ちゃんの間に立ち入る気はさらさら無いが、少しは気を使ってやってもバチはあたるまい」


 何を言ってるんだかね、こいつは。

 俺は糸を歯で噛みきり、留めると余った分を糸きりバサミで切り取る。

 できあがったブーツをテーブルの下に置いておくと、遠くからてくてくと歩いてくる志乃とゆにこの姿があった。


 「おうおう、趣味全開だな」


 志乃の個人的趣味全開のゴスロリコーデだ。

 白い髪と赤い瞳な分、バッチリ決まっているが、ヘッドドレスから付きだした角だけは隠しようが無い。


 「角が邪魔だな」

 「これはどうしようもない。ファッションの一部として割り切るしかあるまい」


 俺は靴をゆにこに渡すと、ゆにこは俺と靴を交互に見比べる。


 「靴は丈夫でしっかりしたものじゃないと、すぐダメになるからな」


 他にも言いようはあるのだろうが、俺はあいにく天才様と違って口下手なのだ。


 「ありがとう、です」


 おそるおそる靴を履き替え、俺の前に立ち、伺うように俺を見上げる。

 いじましく肩身をすぼめるゆにこに俺は苦笑しながら


 「可愛いんでか」


 と言ってやると、ぱっと笑みが弾けるが次の瞬間、難しそうな顔をする。

 ロボットらしくないぐらいに繊細なんだな。

 志乃が俺の隣に座り、財布を渡す。

 俺の財布がやけにペラッペラで軽いのがわかり、俺は大きなため息をつく。

 やってしまってから、ゆにこが申し訳なさそうな顔をしたもんだから、苦笑して頭を撫でてやった。

 志乃が俺の服の裾を掴む。


 「昭彦」

 「んあ?」

 「……わたしにも買って欲しい」


 んな金、ねえよ。





 五百円。

 そう、五百円。

 俺の全財産が地下鉄代を払ったらそれだけしか残らなかった。

 ゆにこが可愛らしい格好になったのにも関わらず、浮かない顔をしているのは俺の窮状を知ってだろう。

 そいつは余計な心配なのだが、それを口にしてしまえばかえって心配しちまうのが子供だ。


 「百均寄っていくべしな」


 まさか五百円になるとは思わなかったが、今日、俺はゆにこに黙って買ってやりたかったものがあった。

 服のことについては忘れていたが、これだけは黙っていた。

 俺のじいさんが俺に買ってくれた時も黙ってたし、何も言うべきでもないというのが自分が買ってやる身になってわかった。


 「お金、だいじょぶですか?」

 「ガキが金の心配すんじゃねえよや」


 いつぞ聞いたのを自分が言うと気恥ずかしくて苦笑してしまう。

 雑貨が煩雑に並ぶ百円均一の店は、どこか懐かしさを覚えるが、俺は食器売場に来ると、なるべく可愛らしい食器を選ぶ。

 茶碗、お椀、箸、コップ。

 もう一つ、お揃いのコップをかごに入れる。

 ゆにこが驚いた顔をして、俺を見上げる。

 それが気恥ずかしくて、足早にレジに着くと清算する段になって俺は気がつく。


 「五百二十五円になります」


 百五円均一って名前に替えろよこんちくしょう。

 俺はコップを一つ、返すと、清算を済ませた。

 ちょっと寂しそうな顔をして、てくてくと俺の後ろをついてくるゆにこに、俺は言った。


 「また、買いに来ればいいでか」

 「うい」





 次の日の朝だ。

 寝苦しくて目が覚めた。

 まだ夏には遠いはずなのにどうにも暑い。

 バイトの時間までは余裕があり、この時間から寝直すなら起きてしまった方がいい。

 だが、この時間、いつもなら先に起きてちょこまかしているゆにこがまだ寝ているのが不思議だった。

 寝汗をびっしょりとかいており、布団が湿っている。

 洗剤というより、プールの消毒液のような匂いがする。


 「おう、ゆにこ。お前、ひょっとして寝小便……」


 俺の布団の中で横になっているゆにこに視線を落として、眉をひそめた。


 「うぅ……あぁ……」


 びっしりと汗をかいて、唸りをあげている。


 「おい、おい!熱っ!」


 頬を叩いてみるが、反応は無い。

 それより、異常なまでに体温が上がっていた。


 「ゆにこ!おい!しっかりしろ!」


 風邪だろうか?


 「あき……あき、ひこぉ……」


 にしちゃあ、熱が酷い。触っているとこっちが火傷しそうな体温だ。


 「救急車!救急車!」


 深夜だがかまわずに志乃に電話をかけると電話の向こうからやけにはっきりとした声が聞こえた。


 「こんな深夜にやぶからぼうにどうした」

 「ゆにこが風邪ひいた!お前俺の保険証持ってったろう!今から病院いくから準備せえや!」

 「少し、落ち着け」

 「熱が酷いんだ!うなされてるし変な病気だったらどうすんだよ!」

 「だから、少し、落ち着け」

 「落ちついてられるか!救急車呼んどくからな!」

 「……この場合、レッカー車の方がいいというという話をしても理解できる理性は残っているか?」

 「車じゃねえんだぞ!アホか!」

 「人でもない。ゆにこはロボットだぞ?」

 「なに言って!……あん?」


 俺はそこで初めて冷静になる。


 「冷静になったな?バファリンでどうにかなる話じゃないことを理解したならいい。少々待ってろ、今、そっちに行く」


 一方的に電話を切られ、俺は力無く受話器を置いた。


 「うぃぃ……あ、あぅ……」


 苦しそうにうめくゆにこの頭に突きだした角を見つめ、そういえばこいつがロボットであることを考える。

 カシ、カシ、と関節が渋い音を立てて唸っている。

 布団をはぐと、ぐっしょりと濡れたシーツの上で唸るゆにこに尋ねた。


 「おい、聞こえるか?」

 「うぃ……うぃ……」


 ゆにこは唸るようにうなずき、俺のパジャマの裾を掴んだ。


 「調子悪いみたいだけど、原因わかるか?どうすりゃ直るんだ?」

 「……主要構築電子量と副産廃棄の過剰。識域ロジカリティ領域まで浸食したパラドクス回避構築ロジックの脆弱性を補完する客観事実認識における実行行程の少なさの処理が追いつかない。加圧処理が限界を突破して第三識域と……うぅぅ!」


 ビヂリ!と何かが爆ぜる音がした。

 これはいよいよもってやばい。

 だが、何を言っているかさっぱりわからん。


 「あきひこぉ……あきひこぉ……」


 俺はゆにこを抱き抱えておろおろとする。


 「要するに、どうすりゃいいんだ?」

 「第一原因として生体電流が不足してるです……」

 「なんだ、電池買ってくりゃいいのか?」


 ゆにこは熱くなった体を俺に押しつけてうわごとのように呟いた。


 「あたしの、初めてをもらってほしいです」

 「は?」

 「合体して欲しいです」


 合体?


 「……この時代の健全な青少年は自己発電に勤しむはずです。その生体エネルギーを合体時に接合部から分けてもらえば……」

 「ちょ、まて、おまっ」


 ゆにこはそのガタイに似合わないパワーで俺を布団の上に押し倒す。


 「あ、あきひこぉ……」


 熱に浮かされた甘ったるい声を出して俺に額をこすりつけてくる。

 ゆにこの手が俺の下半身を力強くまさぐる。


 「……ここに接続用の発電ジョイントポールがあるはずですよ」

 「ちょ、どこ触って……熱っ!」

 「はぁぁ……も、もう我慢できそうにないですおぉ」

 「ちょ、やめ!お前……誰か!誰かぁぁ!」


 俺は身の危険を察して、激しく暴れる。

 だが、ゆにこの力はそれ以上に強い。


 「五、四、三、合体……痛ぁ!」

 「……人の旦那を寝取るツモリかお前は」


 いつの間にか来ていた志乃が横からフルスイングのバットでゆにこをぶっ飛ばしていた。


 「昭彦の童貞の所有者はわたしだ」

 「お前のでもねーよ!」

 「清い交際を続け、あまーくなったところで頂こうと思っていたんだ。それを横からぬけぬけととられたのでは面目が立つまい」

 「誰に面目が立たないんだよ」

 「嫁としてのだ」


 志乃はそう言い放つと、上気して具合の悪そうなゆにこを見るとため息をつく。


 「ふむ。家電製品の場合、力一杯殴ればよくなるのだがなぁ」

 「そういう冗談飛ばしてる場合かっ!明らかにおっかしいだろう!」


 妙に落ち着いた志乃に苛立ちながらも、俺は苦しげに呻いているゆにこを布団の上に戻した。


 「原因は?」

 「しらねえ。生体電流がどうとか、加圧処理がどーとか言っていたぞ?」


 志乃は難しい顔をして、考え込む。


 「昭彦、少し、外に出てはくれまいか?」

 「はぁ?」

 「脱がしてもっとよく状況を見てみたい」

 「なんで俺が外に出る必要が」

 「曲がりなりにも、婦女子の裸だぞ?」

 「……ロボット、だよな?」


 俺は少し考えると、なんだか納得いかないような気がしてならない。


 「……このロリコン」

 「じゃなくてだ。車のエンジンルームをのぞくようなモンだろう?俺が問題把握しとかないでどーすんだよ」


 志乃は難しい顔をして考え込む。

 そうしてる間にも、バチン、とゆにこの体が跳ね上がる。


 「ゆにこ!」

 「あぐぅ……あ、あぁっ!!」


 悲鳴を上げるゆにこはうつろな瞳で俺に助けを求めるように手を伸ばした。


 「……なあ、昭彦」


 志乃が俺の肩を掴んで、じっと目を見つめ込んできた。


 「何も言わずに、部屋を出ていってくれ」

 「あん?」

 「頼む。私に任せてはくれまいか」


 そう告げた声が悲しげで俺は舌打ちした。


 「……任せる」

 「……ありがとう」


 俺はそれ以上、志乃を見ずに部屋を出た。

 礼を言われる筋合いではない。

 が、今にも泣きそうな声で言う志乃を思えば俺は信じるしかあるめえよ。

 ガキの看病をするのは嫁の仕事だからよ。


 「……ちくしょうが」


 外に出て、冷たい夜の風を浴びて、熱くなった頭がキィンと冷える。

 そんでもって、思い出すんだよな。


 「志乃!」

 「んー?」

 「仕事行ってくる」






 朝の太陽が東の空を真っ赤に染める。

 出勤が遅れた分、猛ダッシュで未配なく配達を終えるころには空が眩しかった。

 給料を前借りして、コンビニでアルカリ電池を買って家に帰る。

 一応、ドアをノックする。


 「志乃、今帰った」

 「おかえりなさい」


 返事を待ってから部屋に入ると、俺は少々びっくりした。


 「おかえりですよ、あきひこ」


 いつぞや、ゆにこが現れた時に背中に生えていた鋼鉄の翼が背中に広がっていた。

 それが唸りをあげて空気を吐き出し、部屋の中を暖気していた。

 シミーズ一枚で涼しそうにしているゆにこはにやにやと笑い俺を見ていた。


 「おう、ゆにこ。大丈夫なんか?」

 「救急車はいらないくらい、大丈夫ですお」


 いやらしい笑みを向けるゆにこはどうやら本当に大丈夫そうだ。


 「結局、原因はなんだったん?」


 俺は志乃に聞いたが、返事はゆにこがした。


 「最近、生体エネルギーばっかり摂取してたからその変換熱処理と、思考回路の熱処理がおっつかなくてオーバーヒートしてたです」


 志乃はエプロンをつけて台所に立っており、振り向きながら付け足す。


 「ようするに、偏食と知恵熱だ。人間の食べるものばっかり食べるとエネルギーが偏るらしい」

 「そうか……」


 俺はコンビニのビニール袋からアルカリ電池を放る。


 「じゃあ、病み上がりにこういうの食べるのは大丈夫なのか?」

 「ああ!アルカリー!」


 ゆにこの肩にぷちこがよじのぼり、放ったアルカリ電池を小さな手で、はっしと受け止めた。


 「仲良く分けて喰えよ」

 「うふふふ、今日の昭彦はやっさしーですお」


 やらしい笑みで笑うゆにこがどこか癇に障る。


 「救急車!救急車!」


 俺の口真似をして楽しんでやがる。


 「あんだよ」

 「救急車呼んでどーするツモリですかぁ?まさか生理食塩水でも点滴するですか?ぷっくく。昭彦の慌てっぷりはがっつり記憶領域に焼き付けたですよ」


 なるほど。俺の慌てっぷりが面白かったようだ。

 俺は大きなため息をつくと、仕事の疲れも出て畳の上にどっかりと腰を下ろした。

 アルカリ電池をくわえ、ゆにこから転がり落ちたぷちこを拾い、膝の上に載せるとその頭を撫でながら俺は壁に背を預けると、ブルゾンを脱ぐ。


 「ねえねえ?そんなに大変そうに見えたですか?」

 「うるせえよ」


 鋼鉄の翼のフィンからごうごうと風を吐き出しながらゆにこが身を乗り出す。


 「変な病気だったらどーすんだー?」

 「うるせっての」

 「車じゃねーんだぞー?」


 俺はぶつけようのないイライラを大きなため息に乗せて吐き出す。

 おもむろに、志乃がゆにこの傍らに正座し、その頭を平手ではたいた。


 「あ痛っ!」

 「いい加減にしなさい」


 そう告げた志乃はいつになく厳しかった。


 「昭彦が救急車を呼んで、夜中だというのになりふり構わず私に電話までしたのは何でだと思う?」

 「えあ?」

 「全部、ゆにこのためだろう」


 そう告げた志乃は反論を許さぬ強い意志があった。


 「で、でも、結局はなにもできなかったですよ?」

 「それは結果だ。だが、昭彦にお前を心配に思ってなんとかしてやりたいと思った気持ちがあったのは否定できない。お前はそれを笑ったのだ。それは恥ずべき行いだ」

 「よせ」


 俺は志乃をとどめた。


 「昭彦は決してそれを口にしない。なぜだかわかるか?それはお前に伝えるべきことではないし、私のように簡単に口にしていいものではない。だから、理解しなければならない」


 俺は志乃を睨んでいた。

 だが、志乃は俺を睨み返すと、その瞳をそのままゆにこに向けた。


 「昭彦に、言うべき言葉があるだろう?」


 ゆにこはおびえたように志乃を見上げ、しゅんとうなだれたまま俺に頭を下げた。


 「……ごめんなさい……あ、ありがとう、です」


 俺は大きく舌打ちした。


 「謝られたり礼言われる筋合いじゃねえだろう。お前は俺を殺しに来てンだぞ?」


 俺は膝の上からぷちこが転がり落ちるのにかまわず立ち上がると、着替えをはじめた。

 制服に着替えると、脱ぎ散らかした服を洗濯機に放り込む。

 ゆにこはアルカリ電池を手に、もじもじとしながら俺の様子を伺っていた。

 そいつがどうにも、昔の俺みたいで。


 「さっさと喰え。でねーとよくなるモンもよくなんねえからな」


 吐き捨てるようにそう言った。

 志乃は小さく、笑いながらため息をつくと言いやがった。


 「ツンデレだな」





 久方ぶりに俺は志乃と一緒に登校することになった。

 朝っぱらから妙に騒いだせいか、どうにも疲れた。

 げんなりとしながら歩く俺の後ろを、小足でついてくる志乃も心なしか沈んで見える。


 「すまねえな。夜中に呼び出しちまって」


 俺がぼそりと言うと、志乃は照れくさそうに笑う。


 「頼ってもらえるのは、うれしい」


 俺は苦い顔をすると、そっぽを向く。


 「そんなものか?」

 「お前はいつだって人を頼ろうとしない。だから、真っ先に頼ってくれたのが私で嬉しかった」


 志乃はどこか寂しげにそう言った。


 「そうかぁ?宿題とか結構アテにしてるんだがな」

 「本気で困ったときは私をアテにはしない」


 志乃は真面目にそう告げた。


 「いや、誰にも頼ろうとしない。だけど、人が困ってる時には手を差し伸べる。そして、それを恩に着せないで何も言わずに立ち去る。それが永峰昭彦だ」


 そう断定されると、胸の奥がすっと、冷たくなる。


 「残念だけど、それほど格好良くはねえよ」


 俺は否定した。


 「……あいつにだって、殺されてやりゃいいし、そうすりゃ万事、めでたしめでたしだ。そうする度胸もなけりゃ、誰かを背負う覚悟もねえ、誰かが胸のうちになんかつっかえてんのを知ってても聞く気がねえ……頼られるのが嫌だから、頼る気もねえんだよ」


 俺はそう言い切って、大きく息を吐き出した。

 志乃は俺の腕を取ると、しっかりと抱いて、肩に頭を寄せてきた。


 「お前は許すだろうし、私には許される資格が無い」


 俺には何を言っているかわからなかった。

 寒い風が吹くのに、鼻の奥が灼けるように熱かった。

 食いしばった歯が痛くて、鼻頭に寄った皺がふるえた。

 焼けた空の光景を思い出して俺は吐き気を覚えた。

 怒鳴りたい衝動を抑えて、俺は大きく息を吐いた。


 「何を、いまさら」


 そう、なにをいまさらなのだ。

 腕をふりほどこうとしても、力強く抱かれた腕は離れようとしない。

 そんなときだ。


 「よう」

 「おう、大作」


 楠大作が俺たちを見つけたのは。

 すべてを見通す天才は、寂しげに俺に告げた。


 「リア充死ねよ」





 学校をつつがなく終えると、俺はアルバイトに向かう。


 「おーい!あっきひこー!」


 校門でゆにこが待ちかまえているのも最早、定例行事となりつつある。

 ゆにこはとてとてと俺に駆け寄ってくると小さな手で俺の手を握ると一緒に歩き出す。


 「なんぞ、今日は新しい殺し方でも思いついたんか?」

 「んー、今日は無しですよ。明日からがんばるです」

 「典型的なダメ人間の台詞じゃねえか」


 苦笑しながらゆにこの頭によじ登ったぷちこの頭を指で弾いてやる。


 「ねえねえ、昭彦はこれからまたバイトですか?」

 「あー、まーな。邪魔だけはしてくれんなよ?」

 「むー、昭彦くらいの年齢の場合、両親が不在ならそれなりに社会制度のお世話になるのが普通じゃないのですかね?祖父母に育てられた、ってことは、両親は何らかの理由で居なくなってる訳ですよね?」

 「事故で死んだんだよ。保険金とか結構貰ったらしいんだがな。それ目当てに叔父に引き取られたはいいものの、全額巻き上げられて適当な理由でおっぽりだされた。見るに見かねたじいさんが俺を引き取ってくれたってんだ。そんなんだから、俺は親戚が嫌いだし、かといってじいさんもばあさんもそろそろ年だ。誰かが面倒見てやらなくちゃなんないんだけど、俺じゃあどうにもならない。俺が居ると叔父さんとかもじいさんとこに顔出せねえから、俺の方から家を出たんだよ」

 「仕送りとか貰えばいいじゃないですか」

 「じいさんの場合、年金と僅かな貯金で食いつなぐのが一杯一杯だし、学校に行く金出してもらってるのに、これ以上、面倒かけらんねえよ」

 「いやいや、その叔父さんにですよ」

 「死んでも断る。兄弟の死体を喰ったウジ虫のクソを喰って生きるくらいなら一族郎党血祭りに上げて敷地に火ぃ放ってやるよ」

 「昭彦の場合、本当にやりそうで怖いですよ」


 ゆにこは苦笑しながら俺を見上げた。


 「……ゆにこもなんか働いて、お金入れた方がいいですかね?」

 「はぁ?」


 神妙に訴えかけるゆにこの目は真剣だった。


 「アホか。子供はそんなこと考えないでもいいんだよ。お前の仕事は俺を殺すことだろう?かっちり人類の滅亡を救って、未来に帰って、てめえの人生をしっかり全うしやがれ」

 「未来に帰っても、なんも楽しくないですよ」


 ゆにこは寂しそうに言った。


 「親父さんやお袋さん、いるんだろう?」

 「いるです。でも、仕事で別の時代に行ってて生産されてから一度も会ったことないです。それがターミーネッタとしては仕様だし、それで与えられた稼働期間を終えるです。わたしも未来に戻ったらまた別の時代へ行って新しい別の任務についての繰り返しです」

 「人生なんて、そんなもんだ」


 俺は言って、大きく溜息をついた。


 「自分で選べるものってのは極端に少ない。その中で選べた仕事をして、今日を食いつないでいくので精一杯だ。そうやってくたばるのが人生じゃねえのか」

 「でも、それじゃあ楽しくないですよ」

 「楽しくないからこそ、たまーに楽しいことがあったらすんげえ楽しいんだろうが」

 「昭彦は変われるとは思わないですか?」

 「何が変わるんだよ。現にお前が来るとかいうとんでも珍事件があったにしたって俺の生活の何が変わったんだよ」


 ――俺はロボット相手に一体、何を話してるんでしょうかね。


 「でも、ゆにこは昭彦と会えて変わったですよ?」


 どうにも、調子が狂う。


 「そりゃ大変だな。俺が叩きすぎたおかげで故障しちまったんじゃねえのか?」


 俺はささくれた気持ちをそのまま皮肉にしてしまう。


 「そうかも、しんないです」


 その皮肉を皮肉じゃなくてそのままゆにこは受け止めた。

 ゆにこが俺の手を握る力が強くなる。


 「昭彦、ゆにこはですね――」

 「それ以上くだらんことは言うんじゃねえぞ」


 俺はそう制した。


 「どうしょうもねえことはどうしょうもねえんだ。お前は俺を殺しに来て、今は必要だから一緒に生活している。お前は俺を殺したあとに、未来に帰る。エリートなんだろう?言われた仕事は完璧にこなすのがエリートだ」


 ゆにこがもの凄く寂しそうな顔をした。

 わかっちゃいる。

 わかっちゃいるけど、そいつを言わせちゃなんねえ。

 そいつが、俺とゆにこの間にあるでっかな現実なんだからよ。

 しばらく黙って俺たちは歩いた。

 この公園を抜けてもうちょっとすればバイト先のスタンドだ。

 そこに着けばこんな感傷的な気持ちなんか、感じる暇なんかないくらいに忙しくなる。

 それが現実って奴だ。

 ――だけど、だとしたら、俺の目の前に現れた、こいつも現実って奴だったんだ。


 「――対象の優先とする行程に矛盾を感知。作戦番号一九一番は任務を放棄。これより回収想定一二番に移行、これより作戦番号一九一番に最終意思確認を行います」


 そいつはいきなり俺たちの目の前に現れた。

 にこやかに微笑む女性だった。

 俺と同じくらいの年齢、なのだろうか?

 長い金髪に青い瞳、そして、両の耳から伸びる鋭角的な角。

 清楚で大人びた雰囲気の中に、瞳の大きな可愛げのある顔が印象的といえば、印象的ではあった。

 よく行くスーパーの佐藤さんみたいなおっきなおっぱいは好みではある。

 だが――


 「あう……あ、あう……」


 ゆにこのうろたえかたが尋常じゃない。

 少女は俺に微笑を向けると首を傾けた。


 「永峰昭彦さんですね。私は回収番号一二番と申します。少々、そちらの方とお話させていただきます」


 清楚で人当たりの良い丁寧な言い方だ。

 だが、決して否定を許す余裕が無い。

 大きく息を吸い、吐き出す。


 「……お前さんも俺を殺しに来たクチか?」


 ――覚悟を決めて尋ねる。

 金髪の少女は首を左右に振った。


 「いいえ。私は作戦番号一九一番に支障が出た時にその回収と事後調整を請け負うターミーネッタモデルです。いわゆるカバーリング部隊と呼ばれる個体です。あなたの生死については私の任務外の項目ですのでご安心下さい。ひとまずは」


 ゆにこが震えながらそれでも真っ直ぐに金髪の少女を見据えていた。


 「……昭彦に手を出さないで欲しいです」

 「それは私の任務の範疇外ですから構いませんが……これより先は記録され、メイリアに報告されます。それを踏まえた上で回答願います。永峰昭彦の生存を求める、それは作戦番号一九一番の意志としての発言でしょうか?」


 嫌な目をしやがる。

 ――弱い立場にある奴をいたぶる目だ。


 「そうです」

 「作戦番号一九一番はメイリアのオーダーを放棄した。そう受け取ってもよろしいのでしょうか?」


 ゆにこは小さく頷いた。


 「オウ、ちょっと待てや」

 「永峰昭彦さんは黙っていて下さい」

 「人をシカトして話進めてんじゃねえよ。ゆにこは俺を殺すため必要があって俺と行動を共にしてるんだ。そいつをいきなしやってきてやる気がねえのかだとか……」

 「なら、今すぐに想定九九、自爆をすべきですね」


 ゆにこがぐっと胸を押さえて息を吐く。


 「おい……ゆにこ」

 「作戦番号一九一が最適化を解除した段階で想定七十から二二一までの中でもっとも任務遂行の可能性が高い手段が九九のはずです。なぜあなたは自らの活動停止と同時に対象の抹殺を行わなかったのですか?あなたの内部機関を臨界まで引き上げれば周囲四キロ四方に限定して物質の消失を図ることなど造作ないはずです」

 「……それは……昭彦以外の人間を巻き込まないと約束したから」

 「それは任務遂行における障害事由になりません」


 ゆにこは言葉を探していた。


 「あなたが製造された目的は作戦番号一九一を成功させ閉塞した事象を開くこと。メイリアからのオーダーは再三、あなたに届いていたはずです」


 ゆにこは黙る。


 「最後通告です。想定九九、あなた自身の生存可能性を消失させ、周囲一帯の生存可能性を消し去り、永峰昭彦を今、この場で抹殺して下さい」


 少女は冷淡にそう言い切った。

 しばらく、誰も動かなかった。


 「……意志無し。これより作戦番号一九一を回収すべき対象と認定します」

 「昭彦、どっか行って」


 ゆにこは俺を庇うように前に立つ。


 「なお、その際、永峰昭彦という対象の生死は問わない……我々は歴史への関与の痕跡を残してはならない大原則を絶対に保持します」


 少女の腕の中に青白い燐光が渦巻く。

 渦巻いた燐光が巨大な銃を形成し、銃口に光が収束する。

 電気を帯びた大気が発光し、稲光を走らせる。


 「……限定射、開始」


 大気が、歪んだ。

 いつか見たゆにこのそれとは比べものにならないほど巨大な光条が俺とゆにこに向かって放たれた。


 「位相遮領域展開っ!」


 ゆにこの角が激しく輝き、円形に燐光を放つ。

 光は複雑な図形を描き、ゆにこの前に広がると真正面から光を受け止めた。

 音もなく大気が揺れ、閃光が弾けた。

 ゆにこの細い腕が突き出され、図形を押す。

 図形に飲み込まれた光条はそこで渦巻き、アスファルトを溶かした。

 俺とゆにこを割けて光が後ろへと走る。

 光の奔流の中に取り残され、俺は叩きつけられる旋風に立っているのがやっとだった。

 ゆにこの額の角が小さな爆発を起こす。

 青白い雷光が走り、火花が散った。


 「負荷に……耐えられ……耐えなきゃっ!ううぅ、ああっ!」


 光の奔流が過ぎた後、ゆにこの小さな体が見えない衝撃に吹き飛ばされる。

 眩しかった光が過ぎ去った後、溶けたアスファルトはビデオの逆再生のように元通りに戻り、その向こうで金髪の少女が少し驚いた表情をしていた。


 「過負荷をかけて耐えましたか。少々、想定外ですね」

 「……各機動部中破、機動に支障……三界燃複路途絶……」


 ゆにこは起き上がりながらぼそぼそと何かを喋っている。

 そして、全てを諦めた目で俺を一度だけ見上げた。

 ――腹の底から震えが全身に広がった。


 「あきひこ、にげてくださいです」


 ゆにこはそう言って、背中に鋼鉄の翼を広げた。

 燐光が激しく噴き上がり、ゆにこの小さな体を上空へと押し上げる。

 青い光を引いて放たれた弾頭が地上の金髪の少女に迫る。


 「あらら」


 金髪の少女は小さく微笑むと赤い光を周囲から放ち、それを撃ち抜いた。


 「理解、されてらっしゃらないのですね」


 少女もまた翼を広げ、上空へ飛翔する。

 光を引いて交錯する点が頭上で大気を揺らした。

 ゆにこの青い光と少女の緑の光が交錯する度に、景色が歪み大気が震える。

 その衝撃は見えない壁で反響し消え、決して地上に届くことは無い。

 青い光のことごとくが緑の光に貫かれ、やがて青い光が俺の足下に叩き落とされる。

 地面がめくれあがり、衝撃が飛礫を飛ばす。

 ひしゃげたジャングルジムの鉄骨が地面から抜け、めりめりと剥がれる。

 すり鉢状に地面を穿って、その中心にゆにこが倒れていた。

 買ってやった服はところどころ焦げて、露出した肌は焼けこげている。

 肌の下から覗くシャフト。

 青白い燐光を血管のように走らせたシャフトが火花を散らしている。


 「……被害甚大、継続しての活動は困難。識域領域を修復処理に優先、実行できず。目標早期解決の為の想定九九を実行、これもできず。上位判断権行程の疑似人格がこれ、これを……拒否」


かしゃかしゃと意志もなくのたうちまわるゆにこの体のあちこちで小さな爆発が起こる。

 少女は悠然と降り立ち告げた。


 「作戦番号一九一、本来、あなたは期待されていない個体なんですよ」


 バチバチと火花をあちこちから飛ばしながら、ゆにこは立ち上がろうとする。


 「う、うるさい!」

 「これ以上の発展が期待できない個体に使用されなくなった広範囲制圧兵器を積載して送り出しただけのターミーネッタ。本来は最適状態を終了した段階で自爆するだけの個体」

 「私はた、たんどくで時限跳躍任務を……」

 「あなたより上位にある作戦番号一、CNオペレーティングタイプが失敗した任務を何故あなたのような下位個体に任せると思うのですか?それはあなたに期待されていたのが広範囲殲滅と成功、失敗にかかわらず自爆すること。どの個体でもできる簡単な作業です」

 「エリートだっ!私は、可能性の閉塞をただ一つ打ち破る可能性として、選ばれたっ!だから――」

 「その使命感すら保てない脆弱な思考であなたは任務を放棄した。いい加減事実を認めたらいかがですか?『最適』だから選ばれたのではなく――『妥当』だから選ばれた」

 「う、うわああああああああっ!」


 ゆにこは関節から火花を散らし、関節を吹き飛ばしながら少女に向かっていく。


 「さようなら、落ちこぼれさん」


 少女の腕から緑の光が振るわれた。

 ゆにこの上半身と下半身が真っ二つに断ち切られる。

 ごろごろと地面を転がるゆにこ。

 俺の足下に転がったゆにこの瞳が明滅する。


 「わた……わたし……はぁぁ……あきひこぉ……」


 上空から優雅に降りてきた金髪の少女は手にした長銃をこちらに向けたまま微笑んだ。


 「さて、これで終わりですね。作戦番号一九一は行動不能、完全破壊を行いたいと思います……どうします?永峰昭彦さん」


 少女は呆然とする俺に尋ねた。


 「作戦番号一九一が終了したのであれば続く作戦番号でもってあなたを排除する形となります。それであれば今、いっそ一緒に死んでしまうほうが楽といえば、楽かもしれません。私はあなたの件に関しては責任がありませんのでどちらでも構いません。ですが、効率的な結果を求めるなら一緒に死んでいただける方が……そう、スマートです」


 ゆにこの瞳が明滅する。


 「やめるです……あきひこは、かんけー……な……」


 少女の顔から笑みが消えた。

 ――俺は、この感覚を知っている。


 「落ちこぼれさんがまだ意識を残してるのですね」


 だから、俺はゆにこの前に出た。

 少女が長銃をゆにこに向ける前に俺は走り出していた。

 銃身を蹴飛ばすと銃口が空を向く。

 放たれた光が空に奔り、雲を割る。

 俺は振り上げた足が地面に降りると、もう一度地面を蹴飛ばし、俺は額を少女の額に打ち付けた。

 硬くて、重い。人じゃなく、コンクリの壁に頭を打ち付けた、そんな感じ。

 がつんと響くわ。


 「永峰さん。私たちには自衛のために本来関係の無い人に実行力を行使することもできるのですよ?」

 「……この喧嘩。俺が預かるぜ?いいんだろ、そっちの方がスマートだってんなら」


 割れた額からこぼれた血が熱くなる。


 「理解できませんね。あなたは自分を殺す相手を助けるのですか?未発達の精神は認識錯誤を容易に起こす。この時代では……ストックホルム症候群と呼ばれるのですか?相手の心理に自分の心理を重ねて――」

 「黙れよ。俺はお前が今、気にくわない」


 少女が眉根を寄せて俺に淡々と告げる。


 「人間がターミーネッタを行動不能にできると思ってらっしゃるのですか?」


 俺はガンを飛ばすと鼻を鳴らした。


 「お前の吐く息洗剤くせえんだよ」


 少女は腕を伸ばし俺の喉を狙ってきた。

 その速度は多分、目で追えない速さだ。

 俺ができることは顎を引いてほんの少し、後ろに倒れて跳ぶだけだ。

 頭を揺さぶる衝撃が顎から脳天を貫く。

 ぐるぐると視界が上下に回った。それは俺が高速で回転しているからだ。

 この状態で足を伸ばせば蹴飛ばせる。だけど、それをしたら足が折れるのはわかってる。

 足から降りても足が折れる。人間の体ってのはそう硬くできてるもんじゃあない。

 だから、ケツから降りて、転がる。

 転がって衝撃を殺して、それから足で地面を蹴って跳ねる。

 大きく膝で衝撃を殺して、そして立つ。


 「な――」

 「俺、ワンパンでやられる程、よわくねーし?」


 ゆにこが驚いた顔で俺を見ていた。

 ――気がつけば僅かにだが修復が始まっている。


 「なんですか……それは」

 「黙って見てろ。喧嘩のやり方、見せてやンよ」


 俺はそれだけ言うと少女に向き直った。

 少女はこれで仕留めるツモリだったのだろう。

 思惑が外れて想定外の事態に驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻す。


 「まさか、生身の人間が我々の実力行使に対抗するとは思いませんでした」

 「未来から来たって言っても大したことねえのな」


 俺も考える暇なんて、これからは無い。


 「何度も、奇策が通じるとは推測できないのですが……」

 「喧嘩だろ?最後に立ってた奴が勝ちなんだよ。四の五の言わないでかかってこいや。ブルってんじゃねえぞ?」


 ただ、覚悟を決めるのみだ。 

少女の姿が僅かに動く。

 俺はそれより先に半歩、横にずれて足を残す。

 ――次の瞬間、俺の横をもの凄い衝撃が奔り、足に激痛が走る。

 だが、俺の後ろではもの凄い爆音とともに、少女がごろごろと地面を転がっていた。

 ――力一杯体当たりして、俺の足に絡まって盛大にコケたんだ。

 公園の滑り台の支柱をぶち抜いてベンチをたたき割り、街路灯の支柱にぶつかってようやく止まる。


 「……っく」


 俺の足もそうとう痛んだが、最悪骨を折るヘマはしちゃいない。

 俺は後ろに倒れ込みながら、万歳をしていた。

 少女は飛び跳ねるように起き上がると瞬時に俺の背後に跳んでくる。

 横殴りに拳を振ろうとしたが既に俺は少女の腕の内側に居た。

 万歳した両手は少女の側頭部をがっちりと掴み、抱え込む。

 少女が振るった腕は俺を捕らえることはなかったが、それでも激しい衝撃が横殴りに俺を襲った。

 ぐるぐると視界がまた、回る。

 俺はぐっと体を縮めて少女の頭を脇に首に抱え込む。

 俺と少女は衝撃に巻き込まれてぐるぐると回り、宙に浮く。


 「どお――りゃぁあっ!サンダーナパームダイナマイトぉっ!」


 地面に激突する瞬間、俺は激しい遠心力に逆らって少女の頭を地面に叩きつけた。

 ――どん、と鈍い音がして地面が抉れ、少女の頭が地面に突き刺さる。

 遅れてやってきた反動が肩に響き、鈍い衝撃がずんと腹まで届き、胃がひっくり返る。


 「しゃあらぁっ!」


 俺は痛みを掻き消すように叫び声を上げると、長い金髪が絡む腕を高々と振り上げた。

 少女は唖然とした顔で地面から額を引きはがすと俺を見上げていた。


 「こちらの力量を利用した反撃を受けることは想定外でした」


 俺は肩で息をしながら、悠然と少女の前に立つと親指を下に向けた。


 「来いよ。お前もどうせ、カバーリングとかのためだけのロボットなんだろ?尻拭くだけの便所紙風情がいい気になってんじゃねえよや」

 「天文学的な確率です。あなたが私の戦術を封殺することなどありえません。あなたが一度でも私の戦術を読み間違えればあなたは死にます」


 少女は予備動作無しで跳躍し、俺に跳び蹴りをしてきた。

 膝を抜いた俺はまたも両手を挙げてがっちりと足をホールド。

 勢いよく跳んだ少女は俺の重みで直進できず、バランスを崩して地面に叩きつけられる。

 地面が勢いよく割れ、俺と少女は空中で揉み合う形となる。


 「不意打ち上等……あ、黒」


 ばっちし見えたパンツがだ。


 「ッ!」


 少女は顔を真っ赤にして反対側の足で俺を蹴り飛ばそうとしてきた。

 俺は掴んでいた足をほんの少し横にずらして手を放す。

 自分の足で自分をけっ飛ばして激しく横転する。

 ――『あいつ』と同じで質量の運動量が威力ではなく、足の外から運動量を発生させているから、こういう現象が起こる。

 少女の髪の毛に腕を絡めると、そのまま倒れ込んで地面に叩きつける。

 俺はそのまま転がって距離を取るとすぐさま屈んだ状態で起き上がる。


 「損傷中破?……生身の人間ですよっ!?」

「だからどうしたや」

 「自衛に文明レベル一三火器を使用します」


 緑の燐光が集まる腕に俺は足下の石をけっ飛ばす。

 燐光の中に石が入り、小さな火花を散らす。それが他の燐光に連鎖して大爆発を起こした。


 「位相構成のタイミングに割り込む?力の出掛かりを狙うなんて……まさか。ですけど……これならッ!」


 少女が手を俺に突きだし、淡い燐光を放つ。

 俺は前に倒れ込むようにその場を離れる。

 俺は後ろから力一杯引っ張られるが痛む足を精一杯踏ん張って引力から逃れる。

 そして、俺に突き出された少女の腕を掴むと、引っ張られる力を利用して後ろに倒れた。

 引っ張られ、唖然とする少女の腹に俺は足を突きだし蹴飛ばすと俺の後ろでねじ曲がっている景色に向けて少女を投げ飛ばした。

 少女の体がねじ曲がる景色の中で淡く輝き、広がる衝撃に俺は地面を何度も転がされた。

 巻き上がる粉塵の中、燐光で砂塵を爆ぜさせる少女を見た。


 「……理解できない。三界接続による位相変動力場による衝撃発生はこの時代には理論体系の確立どころか、発見すらされていない。人類で初めて楠大作がその理論をまとめるのは数十年も先の話なのに、なんで永峰昭彦さんは対抗できるのですか」


 こいつは俺のやってることが本当にわからないようだ。


 「楠大作ってのは俺のダチでな?よく小難しい話はするけど俺にゃあさっぱり理解できねえ。だけど、何を言いたいのかはよくわかる。つまりだ、三界だとか重複可能性?だとかとどのつまり、気合いと根性でなんとかなるんだよ」

「……次はあなたの可能性を確実に潰す戦術を取りますよ。次の次はさらに。一度でも失敗すれば――」

 「何度でも成功させりゃいい。失敗したら死ぬだけだ。その後のことなんか考えられるかよ」

 「その確率がどれくらいか知ってますか?」

 「十万分の一の確率の出来事は一回目に起きるってその大作さんが言ってたぜ?」


少女の耳元の角が展開する。


 「……対象の認知概念破壊。続いて、存在可能性の因果操作による消失。次元位相差違力量の運動方向の固定――想定される未来に対し陣を敷きます。現時点――反撃可能性ゼロを確認、実行開始」


 赤い燐光が迸り、少女の周囲に光の輪を展開させる。

 光の輪から奇っ怪な文字が産まれ上空へ奔り図形を作る。

 空が歪み、大気が震え、そして、音が止む。

 景色が色を失い単色となって重なりずれる。

 感覚が無くなり、生きている感覚すら失う。

 ――その中で俺は自分の中にある恐怖を引っ張り出し意識と思考を取り戻す。

 瞬時に広がる感覚を集めて集めて、感じるままに構築する。

 ただ、前に、前にと走り、両腕を広げる。

 そして、ただ、がっしりと受け止める。

 全ての景色が再び見えるようになって俺は大きく息を吐いた。


 「――なんでですか?」


 俺は少女の腰に抱きつくような形で居た。

 周囲には燐光が渦巻きいつでも俺に伸びる用意をしていた。

 ああ、そうか。このまま俺を撃ち抜けばこいつもタダじゃ済むまい。


 「零可能性の想定から可能性を作り出すなんてこと――」


 俺はそのまま華奢な少女の体を抱え上げる。

 体中が悲鳴を上げている。

 少女の周囲に跳ね上がる力場が俺を引き倒す。

 離してなるものか。

 俺は少女を地面に抑えつけ、力場が押し倒すままに抑えつけた。


 「うあああ――がぁあああっ!」


 バリバリと痛みという刺激が俺の体に奔り回る。

 少女の肩を腕が抱き、ただ、痛みの奔流の中でのたうち回る。

 俺の中で暴れる痛みという概念がそのまま少女に叩きつけられる。

 景色がまた歪み、意識が荒くなる。

 どこまでも踏ん張りどころなこの状況。

 遠のく意識を引き戻すために激しく少女に頭を叩きつけることを決める。


 「っ……がぁぁあああっ!」


 大気が震える程の衝撃が額から広がる。

 迸る痛みの奔流が額を通じて広がり、一気に体がだるくなる。


 「――概念攻撃……共感性反射による識域領域の拡散、機能を停止し――」


 激しい、激しい光の奔流が巻き上がり空で弾けた。

 俺はふらふらになりながら立ち上がった。

 穿たれた地面の中で寝転がっている少女に一瞥をくれ、俺は鼻を鳴らした。


 「超痛ぇぇ――」


吐き出しそうになった弱音を押し殺して、叫んだ。


 「――ヘッドバッドォォォ!」


 ――体中が痛ぇ。

 ゆにこが俺を見上げていた。ぶった斬られた半身が既にくっつきかけている。


 「必殺技だからな?俺、痛ぇとか言ってねーからな!」

 「信じられないです……相手の力量を利用して相手に損傷を与えるだけじゃなくて、多元概念複合認知を接触で開いた僅かな共感覚で相手に押し込み識域を壊すまでの過負荷を与えて撃破したですよ」


 ゆにこは俺を見上げて恐怖とも言える表情を浮かべた。


 「原始人が今の時代の完全武装の軍隊を相手にするようなものです。勝てる要素なんて万に一つもないはずですよ」


 俺は荒い息で答えた。


 「億に、っはぁ……一つは勝てんだろ?なら、っ勝つ」


くしゃりとゆにこの頭を撫でる。

 俺は大きく息を吐くと、ベンチに座る。

 周囲の地面や壊れた遊具、それらが音もなく元に戻っていく。


 「……見ていて気持ちわりいな」

 「私たちの体が修復する理屈と一緒で、私たちが壊したものも治るですよ」

 「そうか」


 本当はもっと聞きたいことはあったが、そう答えるだけで精一杯だった。

 胃の中のものを吐き出したい衝動を堪えてぜいぜいと喘ぐ。

 俺は公園のど真ん中で寝転がってる少女を一瞥した。


 「さて、どうするや?……第二ラウンド、んぐっ……いくかや?」

 「……流石に、損傷が甚大です。これ以上、あなたとやり合えばおそらく、いえ、必ず私は機能停止に追い込まれると推測します。理由は、ありません」

 「物わかり……いいのな」

 「こんな根拠の無いロジカル領域の推断ははじめてですが、今の現状を受け止められない程、一億年後の文明利器は脆弱ではありません。状況にあわせて最も効果的な手段を執ります」

 「便利だぬ……えほっ!えほっ!」


 俺はそこで激しく咽せる。


 「現時点で私の目的が達成される可能性は限りなく零になりました。私の現状の損傷状況で作戦番号一九一の外部火器に対抗できるだけの戦力が残されていません。破壊されることを望みます」


 ゆにこが息を呑む。

 ゆにこは俺の方を見て迷っていた。

 大分呼吸が落ち着いてきた俺はそんなゆにこに構うことなく、少女を見た。


 「おう、お前。名前、あんのか?」

 「名前、ですか?我々には名前がありません。回収想定一二番というのが私の個体の呼称といえば――」

 「あー、わかった、もーいいよ……そうさな」


 俺は咳き込みながら空を見る。

 風邪を引きながら耳吊り――ほたて貝の養殖の作業に行った時、こんな辛さだったと思い出す。


 「ほたてでいいか?」

 「ほたて?この時代では食用の軟体動物ですが未来では人を襲う危険な生物の名称です」

 「未来でほたてに何があったんだ。まぁ、いいや。そだな」


 少女は戸惑ったような瞳で俺を見る。


 「お前さんの名前だよ。呼びづらいから勝手に決めた」

 「……にしては適当ですね」

 「考えてつけてやる程、仲が良いわけでもねえだろ。名前の意味なんざ、後から自分で作るモンだ。まあ、そんな訳でだ。今日のところは帰ってくんねえか?」


 少女――ほたては怪訝な顔をする。


 「今回、俺は横からしゃしゃり出てお前とゆにこの喧嘩を途中で買った。だから、次は気の済むまでゆにことやりあってくれ」


 ゆにこも驚いて俺の方に振り向く。


 「理解、しかねます」

 「おめえさん、多分ゆにこを壊さないと帰れないんだろう?それに、ゆにこがお前を例え今ここで壊したとしても次の奴が来る。違うか?」

 「その可能性は非常に高いですね」

 「なら、こいつはゆにこが超えないとならん壁だ。俺が手を出してやれることじゃあない」

 「……ですが、私を破壊することで時間は稼げますよ?」

 「自分が無くなるのは嫌だろ、ほたても」


少女、いや、ほたてはなんだか難しい表情をして俯いてしまった。


 「十日でいいか?」

 「……それだけあれば私の機能は完全に復元いたします」

 「なら、十日後、ここで再戦だ」

 「でも、よろしいのですか?そんなことをすれば作戦番号一九一……いえ、ゆにこさんを私は完全に壊してしまいますよ」

 「それが、お前さんの仕事だろ?やれよ。やれるモンならな」


 俺は大きく息を吐くと痛む体を引きずってゆにこを抱える。


 「……後悔、しますよ?」






あとあと確かめてみると、がっつりと肋骨を折っていたらしい。

 らしい、というのは病院に行ったらお金を取られるからで、正式な診断を受けた訳じゃあないからだ。

 どの道、病院なんか行ったところで肋骨の場合、痛み止めを渡されて安静にしていなさいと言われるだけだから行かなくても別に構わないというのが本当のところ。


 「昭彦はわかっていないです」


 スタンドでのアルバイトを終えて部屋でごろごろしている俺にゆにこは出し抜けにそう言った。


 「まず、あってはならないことなんです」

 「なにが?」

 「私たちは予見可能性の範囲の中から最善の方法を選択してこれを実行することで目的を達するです。要するに、未来が見えるです」

 「便利だな」

 「昭彦は一二番に対してその予見可能性のさらに先の予見可能性を見て最善手を選択し続けていたです」

 「そうなん?」


 体中がズキズキ痛む中、俺はゆにこの話を聞き流していた。


 「一二番が選択した戦術の中には明らかにこの時代には概念すら無い方法もあったです。だけど、昭彦はそれに対しても有効な反撃をしていたですよ」

 「はあ」

 「一二番の最後の戦術は昭彦の感覚という概念を全部消去した上で、存在率を限りなくゼロにする攻撃ですよ。わかるですか?原始人が現代のミサイル攻撃を跳ね返すような離れ業をやってのけたですよ」

 「真っ二つにされたから少しは静かになるかと思ったけどぐちゃぐちゃうるせえよ。喧嘩ってのは要は勝ちゃいいんだよ。十日後にはリベンジだろ?不様に負けんじゃねーぞ」

 「外見的な損傷は回復させましたが、機能全般は低下したままですよ。しばらくは再生の為、機能の大部分が制限されるですよ」


 俺はのそのそと起き上がりながら言ってやった。


 「そんなん関係ねえよや。おめえさんはぶっちゃけビビってんだよ」


 ゆにこはたじろぐ。


 「……カウンターネッタはターミーネッタを消去する為に存在するターミーネッタです。私のような単純に広範囲を破壊するだけのターミーネッタじゃ対応できる兵装が全く無いです。勝てるわけないですよ!どうしてもう一度戦うなんてこと言ったですか!」

 「んなこといったって……ゆにこの喧嘩じゃねえか。ゆにこが喧嘩しなくちゃ意味ねえだろがや」

 「負けたら多分、私の存在は無くなるですお」

 「だろうなあ。そういう目的で来てんだろうから」

 「……昭彦は私に居なくなって欲しいですか?やっぱり、自分を殺す為に来た存在とは一緒に居られないですか?」


 俺は苦笑する。


 「お前だってトドメ刺さなかったじゃねえか。あんでだよ?」

 「……だって、だって」

 「卑怯くせえからだろ?それでいいじゃねえか」


 俺はくしゃりとゆにこの頭を撫でてやった。


 「だけど、現実からは逃げられない。誰かが助けてくれる訳でもない。なら、てめえでてめえの現実どうにかするしかねえだろ。違うか?」

 「……でも、どうしょうもならない現実もあるです」


 ゆにこの声はどこまでも重かった。

 俺は疲れた声で吐き出す。


 「俺はどうにかしたぞ」


 目を逸らした俺をゆにこはじっと見ていた。


 「親父やお袋が死んで、ゴミ畜生みたいな親戚に財産喰われて、それでも拾ってくれたじーさんの田舎には志乃のようないじめっ子が居た。今だって、喰うに喰わずで大変だ。だけども、誰だって大変なんだよ。それでもどうにかするしかねえじゃねえか。どうにかしねえとどうにもならねえんだから」

 「……死んでしまうかもしれないんですよ?」

 「逃げたっていつかは追いつかれて殺されンだろ?」


 ゆにこは俯いて、吐き出すように言った。


 「……死にたく、ないですよ。まだ、昭彦と一緒に居たいですよ」

 「なら、自分で頑張るしかねえじゃねえか」


 なんていうのかね。

 わかるんだ。

 そいつはどうしょうもなく辛いことで、誰かに助けて貰いたくて仕方が無いんだ。

 今にも潰されそうで、潰れてしまいそうでどうしょうもないくらい怖い。

 だけど、だからこそだ。


 「昭彦ぉ、助けて」


 ――直接、手を出しちゃいけないんだ。


 「自分で勝つなら、力を貸してやる」


 俺はそう言って、ずっしりと両肩に見えない重みがのしかかるのを感じた。

 やるしか、ねえ。

 やるしか、ねえのよなぁ。

 ゆにこは泣きそうな瞳で俺を見上げて尋ねた。


 「どうすれば、いいですか?」

 「決まってるだろう?特訓だ」


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