第9話ゆっくり進むのも、一つの前進だ。
翌朝、陽の光が旅館の窓の隙間から部屋に差し込んだ時、悠人はすでに目覚めていた。
彼には寝る必要がなかった——擬態獣の体は睡眠による体力回復を必要としないようだった。
それでも彼は目を閉じたまま、この貴重な静けさを楽しむことにした。昨晩の体験はあまりにも奇怪で、すべてを消化するには時間が必要だった。
彼は硬い木のベッドに横たわり、薄い綿の布団をかけていた。
部屋はとても狭く、約十平方メートルほどで、ベッドと机、クローゼット以外には家具はなかった。
壁は白い石灰で塗られていたが、ところどころ黄ばんで剥がれ落ちていた。天井にはいくつかのひび割れがあり、この建物もかなりの年数が経っているようだった。
ここは鉄床町で最も安い旅館の一つで、一泊たったの五銅貨だった。
部屋は粗末だったが、少なくとも清潔で整頓されており、窓や戸も頑丈で、路上で夜を過ごすよりははるかにましだった。
悠人は横向きに寝返りを打ち、部屋の別の隅を見た。
そこには少し小さめのベッドがあり、旅館の主人が子供連れだと聞いて特別に追加してくれたものだった。
今、リリーはその小さなベッドに丸まって、ぐっすりと眠っていた。
彼女は横向きに寝ており、銀白色の長い髪が枕の上に広がり、朝の光の中で柔らかな輝きを放っていた。
呼吸は安定して長く、小さな胸がそれに合わせて静かに上下していた。
ふわふわとした銀白色の狐の耳が時折微かに動き、尻尾は体の横に丸まっていて、その毛は柔らかな綿の塊のようだった。
彼女は昨日新しく買ったパジャマを着ていた——悠人は昨夜もう一度洋品店に行き、リリーに着替え用の服二組とパジャマ一組を買ったのだ。
今、彼女は白い綿のナイトドレスを着ており、襟元には小さなレースの飾りが縫い付けられていて、その精巧な小さな顔をさらに可愛らしく引き立てていた。
悠人は彼女の寝顔を見つめ、胸の中に言葉にできない柔らかな感情が湧き上がるのを感じた。
彼は昨夜、洋品店でリリーがこのナイトドレスを試着した時の姿を思い出した。
彼女は鏡の前に立ち、あちこち見回してから、振り返ってその琥珀色の瞳で彼を見つめ、頬を微かに赤らめ、小さな声で尋ねた。
「似合ってる……?」
その瞬間、悠人は自分の心臓が何かに撃ち抜かれたように感じた。
彼は二十年生きてきて、数え切れないほどのアニメやライトノベル、ゲームを見てきて、数多の絵師が描く可愛いキャラクターを見てきた。
しかし、現実に——いや、この異世界に——こんなにも生き生きとした、実際に存在する女の子が、心が震えるほど可愛くなれるとは、想像したこともなかった。
彼女は外見が可愛いだけでなく、何より心が痛むのは、彼女が慎重に、おそるおそる善意を受け入れようとするその姿勢だった。
まるで傷ついた小動物のように、温もりを欲しがっているのに、また傷つけられるのを恐れているようだった。
悠人は静かに身を起こし、一切の物音を立てなかった。彼は窓辺に歩き、窓を開けて、朝の空気を部屋に入れた。
鉄床町の朝は夜よりもずっと賑やかだった。通りには早起きの商人が屋台を並べ、掛け声が飛び交っていた。
パン屋からは食欲をそそる香りが漂い、鍛冶屋からはカンカンという槌音が響いていた。
遠くの鐘楼から六時の鐘の音が聞こえ、新たな一日の始まりを告げていた。
悠人は深く息を吸い込み、今日の計画を考え始めた。
まず、もっとお金を稼ぐ必要があった。昨夜の十二銀貨は、パンに一銀貨、服に十銀貨、旅館の宿泊費に半銀貨——彼は三泊分の部屋を予約した——を使い、今はわずか数枚の銅貨しか残っていなかった。
これっぽっちのお金では何もできなかった。
彼はリリーを連れて鉄砧町を離れ、より大きく、より安全な都市へ向かう必要があった。
長旅には旅費、食料、装備、場合によっては護衛を雇う費用さえ必要だった。そのすべてにお金がかかった。
元のゲームでは、アーサーは破格の能力と主人公補正のおかげで、たった一日でリリーを連れて深淵平原を横断し、人類王国の中心——王都グラントに到達した。
彼は道中で魔物を斬り倒し、巨額の報酬を得ただけでなく、名声と地位も手に入れた。
彼にとって、リリーをここから連れ出すことは朝飯前だった。
しかし悠人はアーサーではなかった。
彼はただの擬態獣だった。
擬態以外に何もできない最下等の魔物。
彼には一剣で千の軍勢を滅ぼす力もなく、人々をひれ伏させる気概もなく、まともに話すことさえできなかった。
彼は最も地道な方法を使うしかなかった——少しずつ依頼を受け、少しずつ金を貯め、一歩一歩前に進むこと。
「ゆっくりやろう」
彼は心の中で自分に言い聞かせた。
「何とかなるさ」
その時、背後で衣ずれの音がした。
悠人が振り返ると、リリーがすでに目を覚ましていた。彼女は目をこすりながら、ぼんやりとベッドから起き上がっていた。
銀白色の髪は少し乱れ、何本かの髪が頭の上で跳ね、狐の耳も曲がって垂れ下がり、まだ完全に覚醒していない様子だった。
彼女は小さなあくびをし、それから目を開けて、窓辺に立つ悠人を見た。
彼女は一瞬きょとんとしたが、やがて昨日の出来事を思い出したようで、頬を微かに赤らめ、うつむいて小さな声で言った。
「お……おはようございます……」
悠人は彼女に微笑みかけ、頷き、机の上の水盤とタオルを指さして、先に顔を洗うように示した。
リリーは素直に頷き、ベッドから降りて、裸足で机のそばに歩いていった。
彼女はつま先立ちで、水盤にきれいな水が用意され、タオルがきちんと畳んで置かれているのを見た。
その横には小さなコップの塩水まで置かれていた——悠人は前世で読んだ資料に、塩水がうがいに使えると書いてあったのを覚えていたのだ。
彼女は振り返って悠人を一目見ると、目に感謝の光が一瞬走った。
洗顔を終えた後、悠人はリリーを連れて階下に降り、朝食をとった。旅館では簡単な朝食を提供していた——黒麦パン、野菜スープ、そして一杯の牛乳。
簡単なものだったが、昨日までカビの生えたパンの耳をかじっていたリリーにとっては、これでも十分すぎるご馳走だった。
彼女は椅子に座り、牛乳を少しずつ飲んでいた。唇の周りには白いミルクの跡がついていた。
彼女はゆっくりと飲み、一気に飲み干してしまうのが惜しいようだった。
一口飲むたびに、彼女は目を細め、幸せそうな表情を浮かべ、後ろの尻尾も軽く揺れた。
悠人は向かいに座り、彼女の満足げな様子を見つめ、自分の心がまた撃ち抜かれるのを感じた。
「可愛すぎる……」
彼は心の中で叫んだ。
朝食を終えた後、悠人はリリーを連れて再び冒険者ギルドへ向かった。
昼間のギルドは夜よりもずっと賑やかだった。ホールはほぼ満席で、あちこちで依頼の話や情報交換をする冒険者の声が飛び交っていた。
カウンターの前には短い列ができており、数人の新人冒険者が登録手続きをしていた。
悠人はまっすぐ依頼板へ向かった。
彼はできるだけ早く経験と資金を蓄える必要があった。G級やF級の依頼は報酬が高くないが、簡単で安全であり、現在の自分の状態に適していた。
彼は今日中にできるだけ多くの小さな依頼をこなし、旅費を貯めるつもりだった。
彼の目は依頼板の上を走り、適切な依頼を素早く選別していった。
「薬草採取:深淵平原外周部にて月光草を10株採取せよ。報酬:5銀貨。——これは受けられる。月光草の生育場所はだいたい把握している。」
「下水道清掃:鉄床町東区の下水道が詰まり、スライムが発生している模様。報酬:3銀貨。——これは汚いし、報酬も低い。パス。」
「書簡配送:隣町の商館まで密書を届けよ。報酬:8銀貨。——これは鉄床町を離れる必要がある。往復で半日はかかる。検討の余地あり。」
「遺失物捜索:商人の娘が市場で真珠のネックレスを失くした。発見者に10銀貨の報酬。——これは試してみる価値がある。市場は広くない、注意深く探せば見つかるかもしれない。」
「収穫手伝い:北郊の農場主が小麦の収穫を手伝う人材を緊急募集。日払い報酬4銀貨、昼食付き。——これは疲れるが安定している。食事付きなので、一食分の食費が浮く。」
悠人は素早く計算し、薬草採取、遺失物捜索、収穫手伝いの三つの依頼を受けることに決めた。
書簡配送の依頼は報酬が良かったが、鉄床町を離れる必要があり、リリーを長時間町に一人で置いておきたくなかった。
彼は三枚の依頼書を剥がし、カウンターに持っていって登録した。
カウンターには若い女性の受付係がいた。二十歳前後で、ポニーテールを結び、顔には職業的な微笑みを浮かべていた。
彼女は依頼書を受け取り、手際よく登録を済ませ、顔を上げて悠人を見、その後ろのリリーを見た。
「あら?あなたが昨日、擬態獣討伐の依頼を達成したユウトさんですね?」
彼女は少し嬉しそうに言った。
「マーシャおばさんから聞きましたよ!あなたは話せないけれど、仕事はとても手際がいいって!」
悠人は礼儀正しく頷いた。
「今日は三つも依頼を受けるなんて、本当に勤勉ですね!」
女性受付係は笑顔で言った。
「頑張ってくださいね!何かお手伝いが必要でしたら、いつでも声をかけてください!」
悠人は再び頷いて感謝を示し、リリーを連れてギルドを後にした。
彼の最初の目的地は北郊の農場だった。
鉄床町の北門から出て、土の道を約二十分歩くと、広大な農地が見えてきた。
黄金色の麦の波が微風に揺れ、空気には熟した小麦の清らかな香りが満ちていた。
数人の農夫が畑で忙しく働いており、悠人が歩いてくるのを見て、一人の中年の男が腰を伸ばし、額の汗を拭った。
「ギルドから派遣された冒険者かい?」
中年の男は悠人を一通り見渡し、疑わしそうに言った。
「あんたの様子じゃ、農作業なんてできるのかい?」
悠人は弁解せず、ただ畑の端に歩いていき、置いてあった鎌を手に取り、麦畑に入って手際よく刈り取り始めた。
彼の動作は流暢で効率的で、一刀ごとに正確に麦稈を断ち切り、整然と脇に積み上げていった。
彼の体は人間の外形だが、擬態獣の本質は彼に常人をはるかに超える精密な制御能力を与えていた。
彼の一つ一つの動作は完璧で、無駄が一切なかった。
中年の男は呆気にとられて見つめ、しばらくしてようやく我に返り、親指を立てた。
「やるじゃねえか!なかなかの腕前だ!」
リリーは畦道に立ち、麦畑で働く悠人の姿を見つめ、琥珀色の瞳に崇拝の光を輝かせていた。
彼女は手伝いたかったが、悠人は断固として拒否し、手振りで伝えた。
「君はまだ小さいから、そばで休んでいなさい。」
リリーはおとなしく木陰に座り、両手で頬を支えながら、悠人が働くのを見ていた。
約二時間後、悠人は収穫の依頼を終えた。
中年の男は気前よく四銀貨の報酬を支払い、さらに焼きたての白パン二つと牛乳一瓶をサービスしてくれた。「あの小娘にやれ」と言って。
悠人は食べ物を受け取り、礼を言い、リリーを連れて次の場所へ向かった。
二つ目の依頼は、失くした真珠のネックレスを探すことだった。
依頼主の話によると、彼女の娘が昨日市場で遊んでいた時に、うっかり真珠のネックレスを失くしてしまったらしい。
それは亡くなった夫が娘に贈った形見で、娘にとって非常に大切なものだった。
悠人は市場を注意深く捜索し、擬態獣の鋭敏な感知能力を駆使して、地面や隅々を一寸単位で調べていった。リリーも腰をかがめ、目を大きく見開いて一緒に探した。
約三十分探し続け、悠人はついに市場の中央にある噴水の隙間に、微かな反射光を見つけた。
彼は手を隙間に差し入れ、冷たい玉の連なりを手にした——まさにあの真珠のネックレスだった。
彼がネックレスを無傷で依頼主に返還すると、中年の婦人は感激のあまり涙を浮かべ、何度も礼を言い、十銀貨の報酬を支払っただけでなく、リリーに一握りの飴玉までくれた。
三つ目の依頼は月光草の採取だった。
この依頼は比較的簡単だった。悠人はリリーを連れて深淵平原の外周部へ行き、日陰の岩の隙間で月光草を見つけた。
この草は月明かりが十分で、なおかつ陰湿な場所にしか生えず、葉は銀白色で、暗闇の中で微かな光を放つ。
悠人は慎重に十株を採取し、布に包んで懐にしまった。
時刻はすでに午後になっていた。陽の光が雲の間から降り注ぎ、暖かかった。悠人とリリーは草原に座り、農場のおじさんがくれた白パンと牛乳を分け合った。
リリーは悠人の隣に座り、両手で白パンを包み、少しずつかじっていた。
彼女はゆっくりと、丁寧に食べ、一口ごとに長く噛み締めてから飲み込んだ。
彼女の狐の耳は噛む動作に合わせて軽く揺れ、尻尾も後ろでのんびりと振られていた。
悠人はそれを見つめ、ふと、こんな日々も悪くないかもしれないと思った。
彼は強い勇者ではないし、世界を救う力もないけれど、少なくともこの少女に笑顔を届けることはできる。
それだけで十分だった。
彼は手を伸ばし、そっとリリーの髪を撫でた。
リリーは顔を上げ、琥珀色の目をぱちぱちさせ、頬を微かに赤らめ、うつむいて、またパンを少しずつ食べ始めた。口元は無意識に微かに綻んでいた。
昼食を終えた後、悠人はリリーを連れて鉄床町に戻り、ギルドで三つの依頼を報告した。
月光草採取で五銀貨、遺失物捜索で十銀貨、収穫手伝いで四銀貨——昨日の残りの小銭を合わせて、彼は現在およそ二十二銀貨を持っていた。
二十二銀貨は、この世界の貨幣制度に換算すると、約二金貨と二銀貨に相当する。一般人にとっては、鉄床町で一ヶ月暮らせる金額だった。
しかし、長旅をするには、この程度の金ではまだ足りなかった。
悠人はギルドの入り口に立ち、手の中の財布を見つめ、考え込んだ。
「このペースだと、旅費を貯めるにはあと一週間くらい必要だな」
彼は心の中で計算した。
「それに、鉄床町を離れた後は、次にどこへ行くか考えないといけない。王都グラントが最も安全な選択肢だが、物価も高い。十分な資金なしでは暮らしていけない。」
「おそらく、まずは中規模の都市を目指すのがいいだろう。例えば商業都市クロヴィスなら、チャンスも多く、消費も比較的手頃だ……」
彼が考え込んでいると、服の裾が軽く引っ張られた。
彼がうつむくと、リリーが彼を見上げ、琥珀色の瞳に一抹の不安を浮かべていた。
彼女は悠人の心事を察したようで、小さな声で尋ねた。
「あなた……何を考えてるの……?」
悠人は彼女に微笑みかけ、首を振って「何でもない」と示した。
しかしリリーは引き下がらず、彼の服の裾を引っ張り、真剣な表情で言った。
「あなた……もしかして、お金のことで悩んでるの?わたしも……手伝えるよ……わたし、働ける……」
悠人はすぐに首を振り、しゃがみ込み、両手でリリーの肩を支え、真剣な表情で彼女を見つめ、手振りで伝えた。
「君はまだ小さい。そんなことをする必要はない。僕が何とかするから、君はただ楽しく大きくなればいいんだ。」
リリーは彼の真剣な眼差しを見つめ、唇が微かに動き、何か言いたそうだったが、結局おとなしく頷いた。
夕方、悠人はリリーを連れて旅館に戻った。
屋台の前を通りかかった時、リリーの足が明らかに遅くなった。
彼女の視線は湯気の立つ焼き鳥に釘付けになり、鼻が微かに動き、喉が小さく上下したが、すぐに視線をそらし、何も見えなかったふりをして、歩き続けようとした。
悠人はその様子に気づき、胸が微かに痛んだ。
彼はリリーの手を引き、屋台の前に歩いていき、焼き鳥の串焼きを一本と野菜の串焼きを一本買い、リリーに差し出した。
リリーは驚き、慌てて手を振った。
「わ、わたし、もう夕ご飯は食べたよ……」
悠人は無理やり串焼きを彼女の手に握らせ、自分のお腹を指さし、次に彼女を指さして、「君はまだ成長期だから、もっと食べないと」と伝えた。
リリーはその二本の熱々の串焼きを握りしめ、脂が炭火でジュウジュウと音を立て、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐるのを感じた。
彼女は唾を飲み込み、結局誘惑に勝てず、慎重に一口かじった。
焼き鳥は外はパリッと中は柔らかく、スパイスの風味が舌の上で広がった。彼女の目がぱっと輝き、尻尾も軽く揺れ始めた。
彼女はもう一口かじり、顔を上げて悠人を見た。口元に油の跡がつき、輝くような笑顔を見せた。
その笑顔は冬の初雪のように純粋で、夏の夜空の星のように明るかった。
悠人は自分の心臓が一拍飛ばしたのを感じた。
彼は慌てて視線をそらし、遠くの景色を見ているふりをしたが、耳はこっそり赤くなっていた。
旅館に戻ると、リリーは新しく買ったパジャマに着替え、おとなしく自分の小さなベッドに上がった。
悠人は彼女の布団の端を直してやり、ベッドの端に座り、そっと彼女の頭を撫でた。
リリーはベッドに横たわり、琥珀色の瞳が薄暗い灯りの中でキラキラと輝いていた。
彼女は悠人を見つめ、突然口を開いた。
「ユウト……どうして……わたしにこんなに優しくしてくれるの……?」
悠人は一瞬呆けた。
どうして彼女に優しくするのか?
彼は考え、そして枕元の紙とペンを手に取り、一言書き記した。
「君は優しくされる価値があるからだよ。」
リリーはその言葉を見て、目の縁が次第に赤くなっていった。彼女は強く瞬きをして涙が落ちないようにし、手を伸ばして悠人の指を握った。
彼女の手はとても小さく、柔らかく、子供特有の温もりがあった。
「ありがとう……」
彼女の声は少し詰まっていた。
「あなたは……初めて……わたしにこんなに優しくしてくれた人……」
悠人はそっと彼女の手を握り返し、紙に続けて書いた。
「これからもっとたくさんの人が君に優しくするよ。だって君はいい子だからね。」
リリーはその言葉を見て、ついに涙が頬を伝って落ちた。
それでも彼女は笑っていた。心の底からの、幸せな笑顔だった。
その夜、リリーは悠人の指を握ったまま、安らかに眠りについた。
悠人はベッドの端に座り、彼女の穏やかな寝顔を見つめ、胸の中に強い決意が湧き上がるのを感じた。
彼は強くなろうと思った。
英雄になるためでも、世界を救うためでもない。ただこの少女を守り、彼女がいつまでもこんな笑顔を浮かべていられるようにするために。
彼はそっと指を抜き、彼女に布団をかけ直し、窓辺に歩いていき、夜空に輝く星々を見上げた。
この見知らぬ世界で、彼は初めて守りたいと思える人を得た。
そして、この道はまだ始まったばかりだった。
彼はうつむいて自分の人間の掌を見つめ、ゆっくりと握り拳を作った。
「ゆっくりでも構わない」
彼は心の中で自分に言い聞かせた。
「一歩一歩進めば、いつか行きたい場所に辿り着ける。」
夜風が窓を通り抜け、彼の髪を揺らした。遠くの鐘楼から十一時の鐘の音が聞こえ、この一日がもうすぐ終わろうとしていることを告げていた。
そして、鉄床町のどこか暗い隅で、一道の黒い影がひっそりと走り抜け、夜闇の中に消えていった。
誰も気づかなかった。その黒い影の胸には、黒い徽章が飾られていた——それは、ある巨大組織の印だった。
そしてその徽章の持ち主は、ある答えを探し求めていた。
「天命の者」が墜ちた真相を。




