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127.やさしい涙

 すっかり陽も暮れ、雄大な景色の向こうに太陽が沈んでいくのを堪能した後に、佳乃さんが食事の準備ができたと迎えに来てくれた。「すわの」では、部屋まで運んでもらう事もできるが基本的には広間の方で食事を取るのが普通らしい。

 建物や、部屋一つ一つは大きい「すわの」だけど、一度に宿泊できる組数は多くない。


「昔からの方針でね?一人一人のお客様に、納得できるサービスをお届けできるのは、今の組数が最適ってことなのよ」


 一緒に箸を伸ばしながら佳乃さんがそう教えてくれた。最初は涼葉と二人だけで先に食べるように言われたのだが、寂しいからと言って強引にみんなで食べましょうと押し切った。また来る前に話していたように、泊めてもらったのだからと、配膳を手伝おうとする俺たちと、客にそんな事はさせられないという十郎さんの間で揉めかけたが、最後は瞳を潤ませて「私たちは舞香さんのお友達として見てもらえてないんですか?」と言う涼葉に何も言えなくなった十郎さんが譲歩した。


 それでも、準備してくれた料理は素晴らしいものだったし、わいわい言いながら準備をするのは楽しかった。料理もあまり豪華そうなのを見て遠慮していた諒一だったが、「こればっかりは譲れねえ!」と言い張る十郎さんになぜか涼葉が同調した。


「りょういちくんはいっぱい頑張ったんだから、その報酬と思って受け取るべきです」


 と、言って……。結果、豊富な山の幸に彩られた豪華な食事を頂いている。

 


「そりゃ、この建物をうまく使えばもっと部屋数は多くできるし、いっぺんにたくさんのお客さんを泊めることもできるだろうが、こっちの頭数が限られてんだ、手の届かねぇところがどうしても出てきちまうからな」


 年齢の割には食が太く、ものすごい勢いでご飯とおかずを胃の中に送り込みながら十郎さんもそう言った。利益は上がってもお客さんの満足度が上がらないとリピートしてもらえないし、自分達も満足できないとの事だ。

 実際、この「すわの」に訪れるお客さんはほとんどの人が何度も利用してくれている人らしい。


「毎年決まった時期にやってきて、お土産やお小遣いくれるおっちゃんがいて、自分は長い間その人の事を親戚のおじさんって思っていたくらいっす」


 涼葉の隣に座って、正座をしながら意外にきれいな姿勢でご飯を食べている舞香がそう言うと、十郎さんと佳乃さんと三人で、あの人がもうすぐ来る、とか最近あの人みないねぇ。などと常連らしいお客さんの話に花を咲かせている。


「なんか温かい旅館ですね。きっと他のお客さんもそんな雰囲気が好きでまた来ようと思うんでしょうね」


 こちらも行儀よく食事しながら、楽しそうにして料理にも舌つづみを打っている。そして料理を食べ終えた頃だった。宿泊できる客数の話の流れで、今年はお客が一組もいないと聞いたのは。


「え、それじゃ俺たちのほかには誰もお客さんいないんですか?」


「いつもはうちで新年を迎えてくれるお客さんが一組二組は絶対いたんだがな、今年に限ってみんな予定があるとかでな。」


 その一組二組も、ここで新年を迎えるくらいのなじみの客なので、親戚が泊りに来たくらいの感覚で、特に忙しいということもないそうだ。だから舞香もここに泊まるように提案してきたのだろう。


「まさか誰も客がいないとは思ってなかったっすけどね。大丈夫なんすかね?このおんぼろ旅館。経営不振で売却とかはさすがにさみしいっすよ?」


 食後のお茶を飲みながら舞香がそう言うと、十郎が舞香の頭を乱暴に撫でながら言った。


「バカヤロウ!お前に心配されなくても、この旅館はそう簡単にゃ傾かねえよ。なんたって大黒柱が骨太だからよ!」


 がははと豪快に笑う十郎さんに、髪型をぐしゃぐしゃにされた舞香が恨みがましそうな目で見ている。


 そんな光景を目を細めて涼葉は眺めていた。


「とてもいい所ですね、ここ。」


 さっきも似たような事を言っていたが、今の言葉は本質的に違う所を指しているのだろう。


「そうだね。年の暮れって事もあって、なんか仲のいい親戚が集まってわいわいやってる。みたいなそんな感じがする」


 諒一がそう言うと、少しだけ意外そうな顔をして涼葉が言う。


「あれ、意外とりょういちくんの所もそういう事があったんですか?」


「いや、なんていうか……一般論?後は本とかテレビのイメージっていうか……。うちは親戚少なかったし、その少ない親戚もほとんど寄り付くことはなかったよ」


 そう言うと、涼葉はくすくすと笑う。


 「イメージなんですね。まあ、私も同じ感じでしたけど……。」


 そう言って少しだけしんみりしていると、不意に声が聞こえる。


「あら、じゃあ毎年うちにくればいいわ。私たちも孫が増えて嬉しいし。ねえお爺さん」


 いつの間にか後ろに立っていた佳乃さんがそう言うと、わざとくっ付くようにして諒一と涼葉の間に座って二人の肩を抱く。すると、諒一たちの話は聞こえていなかったはずの十郎さんも二つ返事で頷く。


「おう、そうするかい?なんなら毎年今くらいの時期は空けるようにしとくか?」


 意外と乗り気な様子の十郎さんを見て、諒一は慌てて言った。このままにしておくと本当にやりかねない気がしたからだ。


「い、いやそれはさすがに……。ってか、いつもは何組かの常連さんが宿泊されてるんですよね?」


「何言ってんだ、孫が帰ってくるっていうんだ。そんなもんキャンセルだキャンセル!」


 この人お酒飲んでないよね?涼葉と顔を見合わせて慌てる。


「もー、じいちゃん!貴重な常連さんをそんな無下に扱ったらだめっす、そんな事してたらつぶれるっす!」


「なにおー?それくらいでつぶれるわけねーだろ!よぉし、そんならもし俺が赤字出したら責任取って、この旅館の権利から何から全部おめーにやらあ!」


 そんな事を言いだした十郎さんに、舞香は急に冷静になるとスンとして言った。


「いや、それはいいっす。面倒っす」


手のひらを見せてそう言った舞香に十郎さんはますます騒ぎ出す。


「何だと?面倒とは何だ面倒とは!」


「もー、じーちゃんうるさいっす。面倒なもの面倒っす。こんな田舎にはたまーに帰ってくるくらいでちょうどいいっす」


 ぎゃあぎゃあと言い合う祖父と孫に、涼葉と顔を見合わせて笑う。


「ごめんなさいね?あの人ったら、舞香ちゃんが友人を連れてくるって電話貰ってからずっと興奮してるのよ?……その、あなた達も舞香ちゃんと同じ施設に入ってる、のよね?」


 少しだけ聞きづらそうな雰囲気を出しながら言う佳乃さんに、諒一は笑って答える。


「そうですね。俺も、ここにいる涼葉も……。ちょっとだけ家庭に問題があって。世間体はあんまりよくないかもしれないですけど、俺は今の施設、あじさいに入ってよかったですね。それだけは自信もって言えますよ」


 普通は敬遠しがちな部類の話題だからか、聞きづらそうだったが諒一はむしろ胸を張るようにしてそう言った。事実だし、入らなかった場合の人生を一度過ごしてきているのだ。そこは断言できる。涼葉もそう言い切った諒一を見て、嬉しそうな顔になると同じように言い出した。


「りょういちくんの言う通りですね。私、あじさいに入ってなかったらこうして笑っていなかったでしょうし、もしかしたら生きる事を諦めていたかもしれません。でも、あじさいで会った……総一郎さんや亜矢子さん。舞香さんもそうですし……りょういちくん。みんなが私の笑顔を引き出してくれたんですよ」


 だから何一つ恥じるような事はありません。言葉にはしなかったが、そう言っているような気がして、そう思ってくれていて諒一も嬉しくなる。そして、輝くような笑顔でそう言い切った涼葉を、少しだけ驚いたように見ていた佳乃さんは……


 目の端から一筋だけ涙を流し、ほんの少しだけ言葉を探すような顔を見せた。でも、それはほんの一瞬の事で、すぐに優しい笑顔を見せてくれた。


「あらまぁ、ごめんなさいね。おばあちゃんになると涙もろくなるし、余計なことにも気を揉んじゃうもんだから……。ばかねぇ、今の舞香ちゃんを見てたら分かるでしょうに」


 そう言って、ぺろっと可愛く舌を出して立ち上がると厨房の方に行ってしまった。

 ああは言うものの、実際孫を施設に入れるという言葉だけを聞けばいい印象を持たれないのも事実だろう。間違いなく心配もしていただろうし。そして実際に話を聞いて、様子も見れた事でだいぶ安心できたのではないだろうか。


「ふふ……。優しい人ですね。私さっきの言葉なら自信もって何度でも言えますけどね」


 そう言う涼葉も、孫を心配してくれるお婆ちゃんの姿に少しうらやましそうな視線を向けている。


「じゃあ、孫思いのおばあちゃんに向こうでの話、いっぱいしていかないとな。あの様子だと……きっと俺たちの心配までしていてくれてそうだからさ」


「ふふっ。そうですね!あと何お話しましょうかね。お勉強会のお話とか?」


 ぎゃあぎゃあと言い合いをする祖父と孫のそばで、優しいお婆ちゃんへの土産話を何にするか、二人で思い出しながら、それぞれの「居場所」の思い出がそれなりに増えていた事に嬉しくなっていた。

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