傷の処置
タオルを水で濡らし、彼女の体を拭こうとすると、
「大丈夫ですよ、自分で拭けます。」
あ、そうだよな。職業柄、何の疑問も持たずに拭こうとしたが、彼女は俺の職業なんて知らないし、山で犬と暮らす出会って間もない 男に肌を拭かせるなんて、恐ろしいだろう。いやはや、非常識だった。
しかも、パンツ一丁だった。申し訳ない。
「あ、ごめんなさい。職業柄、つい余計なことをしてしまいました。これ、どうぞ。」
タオルを手渡し、俺はジーパンをはく。
「職業柄?何のお仕事をされていらっしゃるの?」
看護師って話して伝わるのかな。ここは『同調』という聖霊の翻訳に期待しよう。
「看護師なんですが、ご存知ですか?」
「えぇ。貴方が話している正確な単語とは違うかも知れませんが、『同調』で、私にも伝わるような意味に変換されて伝わってますよ。看護師、立派なお仕事ではないですか。」
よかった。伝わった。
「それにしてもこの布、手触りやこの縫い目からみても、とても高価なものです。恐れ多くて使えません。自分のがありますから、この布は大事にされてください。」
そういって彼女はタオルを俺に返し、彼女の唯一の所持品だったショルダーバッグの中から、布を取り出す。
目も荒く、何年も使い込んだ薄い雑巾のような布だった。
衛生上宜しくないだろと思うが、とりあえず黙ってタオルを受けとる。俺の価値観を押し付けても仕方がない。
布で体を拭っていくと、血にまみれていてよく見えなかった傷表面が現になる。無数の傷はそのほとんどがふさがって薄い表皮が再形成されていた。頑張ったな、血小板。
左肩の1ヶ所、他の場所よりやや深めで、出血もまだ治まっておらず、熱も持っている。
これは化膿するかもしれない。
救急セットからアルコール綿を出す。
「他の傷口は問題なさそうだが、この肩の傷口はバイ菌が入っている可能性がある。一応、消毒しておこう。」
「もう、化膿してますか?」
なんと、化膿という単語、知ってたのか!
翻訳できるはずがないと思って、お年寄りに説明するように表現したのに、俺が無知みたいじゃないか。
「あ、うん。傷口や浸出液の色から、化膿している可能性が高いんだ。」
言っとくが、親父ギャグではない。
まぁとりあえず普通に俺の知っている単語で話して、彼女がわからなかった用語だけ補足を付け加えることにしよう。
「まるでお医者様だわ。」
「いやいや、医者ではないよ。俺の国での看護師ってのは患者さんのケアや処置がメインでしても採血と点滴くらいだ。医者みたいに手術とかは出来ないからさ。」
彼女は目をカッと、開け俺の顔をみた。
「貴方の国の看護師は、私の国のお医者様の仕事と同じ内容ですわ。けど、なに?その『人の血管に細い針をさして、血を容器に抜き取ったり、血の中に直接栄養分や水分や薬を注入する』ってことが、本当に出来るの?!」
おや?
「それにお医者様は『腹や頭を切り開いて病気の原因を切開し、取り除いて、金属で骨を固定したり内臓を結び合わせて縫い合わせる』なんてことをされているの?!それで心臓の病や腫瘍が治るなんて素晴らしいわ!!」
おい、風の聖霊。なんて生々しい翻訳してくれてんだ。しかも長文だぞ。大分早口の翻訳になってたんじゃないか?
「貴方の国は医療が進んでいるのね。私なんか薬の調合くらいしか出来ないのに、羨ましいわ。それで沢山の民の命が助かるなんて、とても素晴らしいことよ。」
よかった。ドン引きされたのかと思った。
「薬の調合ってことは、薬剤師みたいなもの?」
ちゃんと訳せよ、聖霊。
「そうね、治療師とか薬師なんて呼ばれているわ。」
これは、うまく翻訳してくれたらしい。よかった。
「とりあえず、消毒するから。肩を見せて。」
手指をアルコール消毒した後、傷口をアルコール綿で消毒し、ガーゼを置く。その上から透明のシールを空気が入らないようにして張っていく。
「よし、これであとは傷口の経過をみよう。」
「治療、ありがとうございました。」
「いえいえ。」
空になった彼女の竹筒に、鍋に残っていた竹茶を注ぐ。
彼女が一息ついたところで、話を切り出す。
「もう、夜も遅いですし、こちらで横になって身体を休めてください。」
そういって拠点内の竹コザへ案内する。
「貴方は?」
「俺は適当に寝ますから。まずは身体を休めることが先決ですよ。」
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきます。」
そうして彼女は横になった。
少し前まで『何のために生きてる』とか悶々と考えていたのに、そんな思考は微塵に吹っ飛ぶ。
人に会えた喜びや、誰かと会話出来た安心感。傷を処置しなければという使命感。明日は美味しくて滋養に良いものをつくってあげたいという希望。
全く人間ってのは厄介だ。ただ生きる為だけに生きるのではなく、生きる楽しみや目標を得たときに、こんなにも心穏やかになるなんて。
拠点柱の木に寄りかかって目を閉じる。すぐに睡魔が襲ってくる。
久しぶりだ。
こんな穏やかな気持ちで眠りにつけることが出来た日は。