母という存在とわたし
「ジュゼッペさん、クリストファーさんの事で確認したい事が…」
洗濯ものを畳んで、各部屋に運んだ後、スコットとクリストファーには自由時間を与えた。わたしは調理場でジュゼッペさんと酢漬けにする野菜を一緒に切っていた。あとはクリストファーに煮沸してもらってから、乾かしていたガラスの広口瓶をに切った野菜を入れて酢漬けするだけ。
「はい。お嬢様」
「彼は家事を一通りこなせると聞いてましたが、どうも得手不得手があるようですね?」
ジュゼッペさんは、その言葉を聞くと、フォフォと笑いながら答えた。
「彼はほとんどが"不得手"ですね。母のマープル同様、すごく不器用ですから」
アレ?公認だったんだ?ジュゼッペさんはさらに話しを続けた。
「旦那様は、その辺りは理解してらっしゃるようですが、グレッグと比べてしまっているようで。しかしこちらから見ると、グレッグは時にあざとく、クリストファーはほっとけないですね。でも二人は旦那様にはなくてはならない存在なのですよ。 亡くなられた先代は旦那様が真に孤独にならないように、必死で最後の子作りをされてました。なんとか二人残せて御の字です」
「お父様は、お爺様についてあまりよく思ってらっしゃらないようですが…」
「モルガン家御用達だった花屋が無理やり作らされた借金で、娘を泣く泣く売らなければならないと聞いて、子作りを条件に救っています。その借金の額は先代の動かせる額の上限だったそうです。娘さんは国の美人コンテストで優勝するくらいの美しい方でした。産後の肥立ちが悪く亡くなりましたが、娘さんは本当に先代を愛されてました。残念な方を亡くされました。傷心の先代を慰めたのがマープルです。彼女は先代に不器用ながらも猛突撃し、先代の心を射止めました。彼女は妹を作ろうとしていたようですが、男の子が生まれたので、彼女は女の子として育てたのですよ。先代はメイプルを小さな頃は娘として可愛がってましたね」
な…んてことでしょう。お父様への伝達が、伝達ゲームのごとく曲解されている!?
「あの…叔父たちは、ちゃんとお爺さまに"認知"はされているのですか?」
「もちろんです。グレッグもクリストファーも先代が名付けています。クリストファーは小さな頃マープルがいない時、突然尿意を催し、先代がトイレの世話をして男の子と発覚したそうです。マープルはさすがに怒られてましたね。もしやそのやりとりを旦那様とクリストファーは間違って解釈しているかもしれません」
モルガン三兄弟は何とかしなきゃダメ案件のようね。グレッグさんも母の件では本心を聞きたいかも。課題増えすぎね。
「ジュゼッペさん、話し辛い事を教えて下ってありがとうございます。わたしはまだまだですね。クリストファーさんの件は、彼の得手を見つけて伸ばしてみようと思います」
「フォフォ、まだ彼も若い。執事見習いとして、彼に色々課題を与えてやってください。勉強は出来ますからね。ただ、不器用なだけですから」
その手先とか、考え方とかが不器用なところがとても厄介なのだけれどね。
前世の記憶。会社の後輩で勉強は出来るが、一般常識が分かっていない女の子がいた。今日中に仕上げなければならないデータの処理が終わっていないのに帰ってしまって、出来ていない事を報告もしない。仕事中にスマホをいじっていた。そんな子に比べたら、クリストファーの方がやる事は不器用でもちゃんとやっている。まぁおそらく、包丁は使えないとみていいかもね。包丁が怖いのかもしれないし。そういえば、スコットはコツを掴むのに長けているわね。失敗も無知も恥ずかしいと思わず、ならばと何度でも挑んで吸収する。わたしも弟を見習わないとね。
『愛お姉ちゃん!ここまで出来るようになったよ!』
『よく頑張ったね!×××!今日は、カレーシチューを作ったから、一緒に食べよう!』
(あれ?今の…男の子は誰?)
自由時間も終わり、軽いティータイムを終えて、また夕食の用意に入る。わたしは、明らかにお母さん化している気がしてならない。しかしどういうわけか、一人暮らししかしていないのに、人数多めの食事に関する分量を理解していた。ここがとても不思議でならない。でも人数はもう固定なので問題ない!と思う事にした次の日以降、事態はまた変わっていく事になるのである。
次の日もスコットとクリストファーと三人で洗濯をして、朝食を作ってと、昨日のような流れだった。ただ父が朝食を終えた後、そそくさと席を立ったのが気になった。それ以外はスコットとクリストファーの仲が…さらに悪くなっている。クリストファーにスコットの身の回りの世話が全く出来ていないせいもあるだろう。スコットに完全にナメられている状況はクリストファーの精神衛生上にもよろしくない。なんとか出来ないかしら?
メイプルとしてわたしの世話をしてくれた彼は確かに優秀とは言い難かった。でも動けないわたしの身体を力強く(今思えば、男性だったからなのよね)支えてくれて、その暖かい体温でわたしはどれだけ生を感じ、救われただろうか?
わたしは前世を思い出してから、身体が覚えている温もりは父とメイプルと弟たちのものだった。温もりを感じる度合いは人によっても違うと思う。スコットはわたしよりももっと欲しいタイプなのかも?でもわたしが抱きしめようとすると逃げるのよね。何ででしょう?
わたしは意を決して、クリストファーと二人で話す事にしようとしていたのだけれど、スコットがじーっとこちらを伺っていたため、自由時間は三人で早めのティータイムにした。いつもはクリストファーはスコットの席の後ろに立っている。でも今回は同席してもらった。席はわたしの左隣りに用意しておいた。
「クリストファーさん…あのね、わたしはあなたの仕事ぶりについて色々確認させてもらっているけれど、手先がね、…えっ?」
き…れいな指!クリストファーの手って、男の人なのになんて綺麗なの!?わたしは思わず彼の手を取るように両手に乗せた。前世には手専用のモデルさんがいたと記憶している。クリストファーの手は洗濯も掃除もしているのに、荒れてもいなければ、傷跡もない。彼は特に驚いた様子もなく、わたしの為すがままになっていた。そして、
「アイラお嬢様は昔から私の手をそうやって見ていましたね。今はだいぶ大きくなりましたが、昔は"メイプル"のようなお手手でしたね」
とサラリとした口調で話した。…ああ、メイプルのこういうところが、好きだったのだ。心を開いた相手にはとことん優しい。押し付けがましくなく、寄り添う心が暖かい。何とかしてでも彼の良さをスコットに伝えたい。
でも二人が心を開き合わなければ、それはとても無理な相談だ。現に今の状況をスコットは面白くなさそうに見ている。
「お姉様に馴れ馴れしく触るな!ちょっと見目が良いからって、未婚の女性の手に…手を乗せるなんて…」
スコットはプクーッと膨れてそっぽを向いてしまった。
「スコット…こちらにいらっしゃい。わたしに手を見せて?」
わたしはスコットを右隣りに呼んで、彼の左手を包み込むように取ってから、自分の左手をふわりと上げて彼の手をじっくりと見た。スコットの手は包丁を使っている時見たけれど、どちらかというとお父様の手に似ている。お父様はとても器用なので伯父の方に似た事になる。血縁て不思議ね。ハリソンとロナルドの手もじっくり見てみましょう。そういえば、わたしの手は誰の手かしら?そう考えるとわたしたちはたくさんの血とたくさんの愛で繋がって、今ここにいるのね。
「スコット…あなたの周りにはたくさんの愛がある事を忘れないでね。時に残酷な真実があっても、あなたは決して一人ではないの。お父様はね、あなたと一緒に居たくて、ここにいるの。もちろん、ハリソンも、ロナルドも、そして…わたしも」
ただ…わたしたちが彼の側にいる事を分かって欲しくて、わたしは訴えるように告げた。でも…この言葉の後、スコットは今まで見せなかった苦しい思いの丈を悲しい表情で、訥々と語り出した。
「お姉様……私は…とても………苦しいのです。……………この感情は…お母様が…急にいなくなってから…起きました。お母様は………いつも邸にいなかった…ですが…"存在"が…なかった…わけではなく………私には…その"母の存在"だけが…私の………"全ての原動力"…だったのです。母に…振り向いて…もらいたい……母に…褒めて…もらいたい………母に…抱きしめて…もらいたい…………たとえ…母に…私への愛情が…これっ…ぽっちも…なくても…です…」
ああ…なんてこと!スコットの母への思慕がこれほど深いとは思っていなかった。これはわたしや他の家族では補いきれない、"母という存在"だ。あんな母でも…スコットにとってはかけがえのない母だった。
でもあのまま母がいても、あの母は自分以外が傷つく事など、なんとも思わない人だ。昔起こしたという自殺未遂も相手がどんな思いをするかなど考えもしなかっただろう。
わたしはやはりスコットを母に近付けたくはない。
「スコット様は、"母"が欲しいのですか?」
「えっ?」
「はぁっ?」
わたしとスコットの言葉が同時にあがる。
「ならば…私が"スコット様の母"になりましょう」
クリストファーは颯爽と立ち上がり、わたしが予備の椅子の上に置いていたエプロンを取りに行き、着用した。そして、スコットの側に素早く寄り、スコットを抱きしめ…いや、抱っこした。あまりの斜め上なクリストファーの行動にわたしはあ然とし、スコットは…
「うわぁっ!この歳で抱っこは恥ずかしいから、やめろーっ!!」
もちろん暴れている。クリストファーはというと…
「では、"たかい、たかーい"をしましょうね?」
もっと恥ずかしい事をし出した…(汗)
クリストファーはこの日以降、"スコットの母"になった。スコットはこの日から、クリストファーママに本格的に世話をされる事になる。