四 二人の距離 ―3
にゃーん
莉々の残像とともに部屋に戻ると、夕飯のお膳が二人分用意されていた。
「はーお腹すいたー」
言って倒れ込む莉々。彼女の前にはまだ夕飯は配膳されてないらしい。
「俺の目の前には豪華な食事が用意されてるけどな」
「えーマジー? ズルくない?」
「ズルくない。ってかお前のがズルいが」
お膳は片方だけが半分ほど減っていて、今も着実にそれが進んでいるあたり明らかに同じ時間の莉々は食事中であり、俺は未着手ってことが容易に見て取れる。。
ため息をついてお膳の前に座ると、莉々はそれに待ったをかけてくる。
「ちょっとぉ? まだ食べないでよ」
「何で」
「五時過ぎのアタシの前にはご飯きてないんだから」
「そんで?」
「アタシの残像といっしょに行動するんでしょ?」
「……メシも? マジ?」
はぁ。据え膳食わぬは…………忠犬たる証とみつけたり。
食事の後は風呂である。
俺が食べてる横で出て行った莉々の実体より一時間あけて、彼女の残像と共に出発。露天の併設された大浴場へ向かう。
「寒い時のお風呂っていいよねぇ~。じわーってさぁ」
「ほっとするよな」
「なにそれ。ホットだけに?」
「ははっ。草不可避」
「自分で言っといて! あはは」
フリーハンド通話の体を装ってはいるが、それでもやはり遠目には独り言だ。すれ違う人のほぼ全てから訝しげな視線を頂戴する。
だけどそんなの関係ない。
俺は隣にいる大事な娘と話しているんだ。おかしな人間だと思うのなら思えばいい。
「じゃ、またあとでな」
「お風呂で泳がないでよー?」
「そっちこそ」
二人きりの小旅行。このシチュがやけに俺を素直にさせてくれてる気がする。
なりふり構わず一緒にいたいと思うのって、やっぱ俺はこいつが好き……なのかな。
熱すぎるほどの湯に身体を沈めてゆっくりと考える。
熱して、一旦離れて冷まして、また熱して冷まして。
そうして小一時間、自分の気持ちを再確認し続けた。
「……のぼせた」
最終的には考えがまとまらなくなるレベルまでいき、おぼつかない足取りで浴場を後にする。そこで目についたのが旅館にありがちの娯楽コーナーだ。定番である卓球や、既に時代遅れになったアーケードゲームが置いてある。
卓球か……風呂上がりの彼女と一緒にやる卓球は一味違うんだろうが、別段得意なわけでもないしなぁ。顔見て遊べなきゃプールの水かけの二の舞だ。
俺たちはやっぱ、ゲームだろ!
と期待して設置されたゲームを見てまわるが、ひとりでに動いている様子はない。
……実時間の莉々はいないようだ。同様に残像の莉々もいない。
気落ちしつつもCPU相手に対戦をしていると、
「なーに一人でさびしくゲームしてんのよ」
聞き慣れた声に振り向く。そこには浴衣姿の莉々が立っていた。
ほんのりと紅潮した肌、湿り気の残る髪の毛、着付けの合間から見える首もと。
どことなく湯上がりの石鹸の香りがただよって………………こない。所詮は一時間前の姿、匂いまでは伝わってこねーや。残念。
「連れが長湯でゲーム付き合ってくれねーもんだから暇でね。お前見なかったか?」
「さーね、一時間前にここにいた気がするけど、大方今ごろは部屋でくつろいでいるんでしょ。一度でも対戦で乱入された?」
「されてねぇな」
「それがすぐ部屋に戻った証拠ね。さあいくわよ」
時間がズレた同士だからこそできる妙な小芝居を演じ攻略途中のゲームを捨て、一時間前の莉々と並んで部屋へと戻る。
「うっわぁ……」
「こ、これは……」
部屋に入った瞬間二人とも息をのむ。
お膳はさげられ、木のテーブルは端に寄せられ、畳の中央には布団が二つ隣り合わせに並べられていた。完全にカップル扱いである。
「なんかこれって……ほら、思い出さない?」
自分のバッグまで歩いていき、日中に着ていた服を仕舞いながら残像の莉々が言う。
「思い出すって……何をだ?」
なるだけ意識しないように聞き返すと、莉々はくるりと指を振った。
「家は隣同士だったし、小さい頃はよく一緒に寝てたじゃん?」
「……だからお前とは中学からの付き合いだろ。家だってこないだ初めて来たんだし」
「あれぇ? そーだったけぇ」
気持ちはわからないでもない。
そう錯覚させられるほどに俺たちはずっと一緒にいて、そんな腐れ縁がいつまでも続くって思いこみ、甘んじてきていた。
でもこれからは大学が別々になる。今までとは環境も、関係も、変わらざるをえなくなる。ましてや俺たちの間には……時間のズレまであるんだ。
「なぁ莉々――」
「そーそー、風呂上がりにはマッサージがいいって言うよね!」
「――ッ?」
まるで聞こえないフリをするかのように言葉を遮られ、かなり強引に話を転換される。
「ま、マッサージ?」
「うん。このアタシが直々にやってやろーって言ってんの。さぁさぁ横になんなさいッ」
何を企んでんのか知らねーけど、付き合ってやるとするか。
敷いてある布団の片方にぽすっとうつ伏せで寝ころんでみる。すると間もなくして柔らかい布の上をのしりのしりと動く音、そして体重を感じる。続いて腰の上にゆっくりと乗っかってくる弾むような尻の感触。
「えーっと……作戦開始時刻ふたまるよんはち、二十秒……ってとこかな」
一時間前の莉々が腕時計をはめながら呟いている。
お前の作戦はジャストで成功だ、おめでとう。
「あっちょっと、ちゃんとまっすぐで寝てよね。首を横にまげてるとリラックスしてることになんないんだからッ」
その声とは無関係に実体の莉々は指をグッと押し当ててくる。
「そーいうもんかねぇ」
「ふふん、ちょっと前まではパパの腰痛を治してあげてたもんよ」
「治してあげてたってデカく出たな。そりゃもう整体師になれるんじゃね?」
「整体……そーゆーのもあるのか。なるほど」
ひとり納得する莉々。だが言うだけあってたしかに腕がいい。
「おー……イイゾイイゾー……」
「キモッ。てか実況されても一時間後のアタシにはわかんないし。黙ってなさい」
黙れと言われればしょうがない。ただ莉々の奉仕のされるがままになることにした。
しばらく無言の時が流れる。
「ねえ」
突如として静寂をやぶる莉々。
「アタシたちってずっとこのままなのかな」
「このまま……って時間のズレか?」
「それもそうだけど。いろいろ」
って言われてもなぁ。
返事に困るが、莉々はひとり続ける。
「別々の大学いってさ、今まで仲良くしてたのも無かったことみたいに他の人とだけ遊ぶようになっちゃってさ」
今まで通り……一緒に遊んで、一緒に笑って、一緒に格ゲーで対戦して。
学校が別々になってもそれが続けられるかどうかわからないし俺には自信がない。なにしろ俺たちの間には時間のズレとかいう難題があるんだ。
「……俺だって……一緒にいたい」
うつ伏せで顔を見せてない故に言えたこの言葉。だが、
「え、なんだって?」
莉々はラノベの難聴主人公よろしく聞き返してきた。
「ち……ちゃんと聞いとけよっ」
「だって時間ズレててよく聞こえなかったんだもん」
その言い訳はどうかと思うが、本当にこの現象は厄介だ。
追求する余力も無くため息をつくと、莉々は背中をポンと叩いた。。
「はい背中は終わり。じゃあ次は仰向けなって」
「……マッサージって背中だけじゃねえの?」
あんまり仰向けでやってるイメージはないんだが。
すると莉々は口をとがらせた。
「アンタがあんまりアホだから、アホを治すツボを押してやろーかなぁって」
アホの子に言われたくないのだが。
そうツッコミを入れる間もなく腰の上から体重が消える。言う通り仰向けになってやるか。
「はい、じゃあ時刻ふたひとまるまるジャスト、作戦開始」
アホを治すツボねぇ。そんなのがホントにあったらノーベルなんとか賞ものだ。
何をするのか期待して待つ。
と、腹の上あたりにゆっくりと体重がかかり、同時に一時間前の莉々もほとんど同じ場所に乗ってくるではないか。
一時間前の残像と動きをシンクロさせるとはなかなかに器用な芸当だが…………それ以上にどうしても気になるのが浴衣という極限に頼りない衣服、馬乗りにされた距離感、そして目前に迫る彼女の顔だ。
「り、りりり莉々さん?」
予想外の接近にどぎまぎしてしまう。心臓も早鐘をうちはじめ、上に座ってる彼女にそれが伝わってしまわないか気が気でならない。一方の莉々もどこか顔を赤らめ――
「いっっ――――てててててッ!」
不意に右肩にでたらめな痛みが走る。これが莉々オリジナルの「ツボ」なのか?
暴れたくなるような刺激だが、彼女はそんなことお構いなしに謎のツボを押し続ける。
「ぐええぇ……ッ!」
……けど……こいつのやりたいようにやらせてやるか……
半ば諦めをおぼえたのだが、その瞬間肩にあてられた指の力を弱め、つつっと二の腕の方に這わせていく。そしてぽつりと呟いた。
「アタシは時間のズレなんて関係ないって……思う」
こんなに不便してるのに何を言ってるんだ?
その内心を顔から読みとったのか、彼女はすぐに「ふふっ」と笑みを浮かべた。
「だってさ、時間なんてズレててもほら……こうやって鈴樹の腕に触れるし――」
残像の莉々が指を這わせるにつれ、視覚で見たままの感触が走る。
「少しずつ伝って、手だって握ることができる」
つつっと二の腕から肘を経て、手と手が重なる。
「どう……? 一時間後のアタシ、見た目通りに触れてる……?」
「………………ああ、ぴったりシンクロ、十点満点だ」
そうだ、一時間前の相手と、一時間後の相手と、二人分に同じことをしてやれば時間は共有できているようなもんだ。簡単な話じゃないか。
「莉々、お前は今ここにいるんだな……」
こちらからもきゅっと指をからませる。すると実体の莉々もそれに応じてぴくりと手の力をつよめた。
「……じゃ、アホを治すツボ押したげるから……ジッとしててよ」
感傷に浸る間もなく残像の莉々は後ろ髪をファサッとなびかせる。
アホを治すツボ……いったい何をするんだろう。手を握ったまま片手で、さ。
そんなことをぼんやりと考えていると、残った彼女の右手が俺の後頭部へと回り込んできた。そして端正な顔が少しずつ目の前に近づいてくる。
「………………これがアホのツボの正体……ビックリした?」
「…………かなり、な。もしやオチはアレか? アホみたいな鈍感だって言いたいのか?」
「治ったでしょ」
耳まで真っ赤にして顔を離す莉々。その顔の熱を感じてみたくて、思わず手を伸ばす。
「言っとくけど……これ以上はまだダメだかんね」
「ケチくせーなぁ」
「ケチとかじゃないし! ……それに時間ズレてたらそーゆーの無理じゃない?」
言われて想像してみる。
………………たしかに無理かも。
少しだけ落胆の色を見せてみると、莉々は仕方ないといった顔で両手をひろげてみせた。
「……ハグぐらいなら」
「お前も素直じゃねーのな」
「どこがっ! 先に行動した分アンタより素直だしっ」
「張り合うなっての」
彼女の細い胴に腕をまわすには、まず居場所をはっきりさせないといけない。
さっきのマッサージの件は、莉々が一時間前から未来の俺の場所を居場所を調査してたからこそできたことである。しかし俺は過去の彼女しか見えない。
「えーっと、このへんかなー?」
白々しく腕を伸ばす。横から抱え込むようにではなく、正面から。
――もにゅ
「ちょ………………ッ!」
「あーこりゃ失敬失敬。抱きつくつもりがまな板をタッチしちゃいました」
「どっ、どー考えてもわざとでしょ!」
――ガスッ!
目の前の莉々が腕を振り、脳天に衝撃が走る。
「いってー…………てかお前、一時間前の動きとシンクロしすぎだろ……すげえな」
「そんなにタイミングぴったり?」
「ああ、ジャストってもんじゃねぇ。何らかのプロだぞ、それは」
マッサージや「アホのツボ」の時よりさらに一致する、見た目と実際の動き。まるで二人の時差が無くなって自然なコミュニケーションができてるようだ。
こうしていると、ホントに見たままの彼女に直接触れられるような気もしてくる。
それは何となく。本当に何となくだった。
興味本位で彼女の手首へと手を伸ばす。。
ぱしっ。
……掴んだ。
…………掴めた。
「あれっ?」
莉々も驚いた様子で、俺と目を見合わせる。
「もしかして……ちょ、ちょっといいか」
「わ、ちょ……ま」
半信半疑だが彼女の手を掴んだまま上下にぶんぶんと振ってみる。そしてその手は俺の動きにぴたりと合わせて動きを見せる。
「え、もしかしてこれって……?」
「やっぱ……そうだよな」
………………時間のズレが
『直った……!』
声がハモる。
目と目が合う。
身体が触れ合う。
当たり前なのに遠い存在になっていた、ただ時間を共有するというだけのこと。
「やったぁ――――ッ、鈴樹ぃ!」
「夢じゃないよなっ!」
一ヶ月ぶりにそれを感じ、俺たちは子どものようにはしゃぎ回った。
そろそろ終わるよー