エピローグ/約束ですよ
エスコリアル修道院の最奥、孤児の館では、今日も日課の昼食後のティータイムが用意されていた。
用意したのはリリムだ。いつも通り、修道院でつくったハーブティーと、姉夫婦が贈ってくれた割れチョコをお茶請けとして小皿に盛ってくれている。
今日は珍しくイザベラも一緒なので、マリーはご機嫌だった。なんでも、今日はリリムから大事なお話があるらしい。
まあ、いろいろと大きな件が片付いた後で、あれ以上のなにかがあるとも思えない。今日もマリーの日常は平和そのものだ。チョコレートおいしい!
「マリー。僕、この館を離れるよ」
「えっ?」
リリムの声は穏やかだった。聞き間違いかな、と思って、顔を上げて給仕をしていたリリムを見上げる。リリムは最近ちょっと体つきがしっかりしてきて、マリーの身長を抜きはじめた。
リリムは穏やかな表情を浮かべていて、窓から差し込む午後の陽光を受けて金の髪とアイスブルーの瞳がきらきらとかがやいている。いつも通りのリリムだ。
「すぐにじゃないよ。聖誕祭とニューイヤーのお祝いが終わってからのつもり」
「……えっ」
それってひと月後なんですけど。っていうかこの話続くんですか? 冗談とかドッキリとかじゃなく?
戸惑って思わず隣でティーカップを傾けるイザベラを見るけれど、涼しい顔をして知らぬふりを決め込んでいる。
「……リリムが、この館から出ていく……?」
「うん」
──どうやら、冗談ではないらしい。
マリーはここ数日のことを必死で思い返した。
リリムがさらわれて、取り返しにナザレで暴れてから二週間、ケンカなんか一度もなかった。それどころか、ようやく落ち着いていつも通り甘え倒せるようになってきたところだ。
リリムが館を出たいと思うくらい嫌なコトって……⁈
「あっ! ……昨日こっそりリリムのベッドに入ったの、そんなに嫌だったんですか……?!」
「アレは本当にやめてね。なにか間違いがあったらどうするの」
「間違いって?」
リリムがイザベラを見る。イザベラは黙って首を左右に振った。なにかアイコンタクトをしているらしいが、マリーにはさっぱりだ。
「……とにかく、もうマリーはお年ごろだから、ああいうコトはしちゃダメなんだよ」
「リリムにしかしません」
「当たり前でしょ。それで、僕にもしちゃダメって言ってるの」
「……それで怒って家出するって話ですか……?」
「いや、家出って……そうじゃなくて、さすがにこの館でマリーと僕のふたりきりっていうのは良くないんだよ。だから、ソフィアさんの家に居候させてもらおうと思ってるんだ」
「ソフィアおばあちゃまの家……」
ソフィアの家はエスコリアルの町外れにある雑貨店だ。子どもの足でも歩いて通える距離だし、遠いわけではない。
それでもマリーは納得がいかなくて、頬を膨らませた。
「成人まであと3年あるのに、どうして出ていかないといけないんですか?」
「…………んー……さすがに、このままだと僕もカッコいいままではいられなさそうっていうか……あと近くに居すぎるのも意識されない原因かなって……」
「リリムなにいってるのか全然わかりません」
助けを求めてイザベラを見上げる。銀の瞳にはどこか面白がるような色が宿っていた。
「マリー、これはリリムからの申し出です。本人の意思は尊重しなければ。……それに、私もそろそろ注意しなければと思っていたので、丁度良かったです」
「なんでですか!」
「もうマリーを早々にお嫁に出す理由がなくなってしまいましたから。それなら、貴女の将来をじっくり考えて母親なりに相手を選びたいのです」
「結婚? 気が早すぎじゃないですか? 大体リリムの話となんの関係が……」
「──まさか関係ない、なんて言わないでしょうね? それは少し、リリムがかわいそうですよ」
珍しいほどにやさしくイザベラにたしなめられた。
リリムを見る。白い頬がほんのりと赤く染まって、薄い唇をきゅっと引き結んでいる。珍しく照れているらしい。
「……えっ?」
どうしてリリムが照れてるんですか、と声が出そうになって、あわてて口を閉じる。さすがに、そんなバカみたいなことはマリーにだって言えない。
ずっと薄々は勘づいている。リリムの様子がおかしいことが増えたし、なんだか変な雰囲気になることもあった。
この状況と流れは、そういうことなんだろう。
リリムは気まずそうにこほん、と空咳をしてイザベラと向き合う。
「……イザベラさま、マリーはまだよくわかってないんです。だから、この話はここまででいいです」
「そうですか。貴方がそう言うなら任せましょう」
イザベラはさっきからずっと、どこか一歩引いて見ている。いつもの過保護モードはどうしたんですか。
「リリムはこれまでのことを鑑みて、まあ悪くはない候補だと思います。ファウヌスよりは幾分か筋を通す性分のようですし、あの女に一泡吹かせてやったことも大いに評価しています。まあ、度が過ぎない程度に上手くおやりなさい」
「……ありがたいお話ですけど! 僕は別になにもしませんから!」
「そうです! リリムは私になにかしたりしません! そうですよねリリム⁈」
「……………………」
「なんで黙っちゃうんですか!」
「…………だからソフィアさんのところに行くんだってば」
リリムは困ったように眉を下げて、ソファに座るマリーの足元に膝をついた。下から覗きこむようにアイスブルーの瞳が見上げてくる。青色の濃い瞳は透き通っていて、悪魔っぽくないなぁと見るたびに思っている。
「……ひとりにしてごめんね、マリー。でもどうしても、この先もマリーと一緒にいるためには必要なことなんだ」
「……これからも一緒にいるため?」
「そうだよ。僕はずっとマリーと離れたくないから、今我慢して館を出るんだ。それで、約束通りマリーが学校に行く時はルームシェアしよう?」
「? 結局ルームシェアするのに今は館を出るんですか?」
「そうだよ。人間社会には外聞とか社会的な某とかいろいろルールがあるからね」
「リリムは悪魔でしょ?」
「マリーは人間だからね。マリーにとって一番いい方法じゃなきゃダメなんだよ」
見つめてくる宝石の瞳はずっと真剣で、なんだかいつもみたいにわがままが言いづらい。
でも、やっぱりリリムがそばにいないのは嫌だ。いないと思うと、胸の奥がきゅうっと絞られて苦しくなる。
「……毎朝ちゃんとここへ来てくれます?」
「マリーの朝の稽古が終わったらいるようにするよ」
「一緒にごはん食べます?」
「もちろん。髪もいつも通り僕が梳いてあげるよ」
「一緒に街のお手伝いにも行きますか?」
「その前にお勉強もするからね」
リリムはなにも変わらないことを繰り返す。でも、きっと夕ご飯を食べたら帰ってしまう。シャワーから帰ってきても髪を乾かしてくれないし、寝る前におしゃべりしてくれないし、一緒に寝てもくれない。さみしい。
思わずリリムに抱きつくと、自分より少しがっしりとしてきた体がびくりと震えた。
「わあ! なになになに?!」
「やだー! やっぱりヤですー!」
「ええ……もう、マリーってばそんなに僕のこと好き?」
「好きだから出ていったらダメですー!」
「イザベラさまー! なんとかしてー!」
リリムはこちらを振りほどかないくせに、情けない声を上げて保護者に助けを求めた。すぐ近くでイザベラが笑った気配がする。
「マリー、聞き分けなさい。なんでも自分の思い通りになると思ってはいけません」
「こんなにかわいい私のお願いでも聞いてくれないんですか?!」
「かわいいから聞けないお願いもあるの!」
「永遠の別れでもあるまいに。……では、リリムがソフィアのところへ行った後は、毎週末にふたりで町の外へ出かけてもいいよう許可を出しましょう」
思いがけない提案に、思わずリリムと離れるさみしさが吹き飛んだ。
「それって、毎週リリムと大きな街まで遊びに行っても良いってことですか⁈」
「そろそろ社会勉強も兼ねて都会のルールも覚えた方がいいと思っていましたからね。お金はイワサキから引っ張ってこれますし、派手に使ってやりなさい」
「それはちょっとマリーの教育に悪いのでダメです……。金銭感覚は若い内から覚えさせた方がいいですよ」
リリムが悪魔らしからぬ全うなことを言って、イザベラが満足そうにうなずいた。どうやら母のリリムに対する好感度がさらに上がったらしい。
けれどマリーもそれどころではない。
「リリム! 私知ってますよ! それってデートって言うんでしょ⁈」
「んン゙! ……まぁ、マリーがそれで納得してくれるなら、僕は全然……全然全然全ッ然! 問題ないけど」
「やったぁ!」
リリムが夜いないのはさみしいけれど、安息日ごとにリリムとお出かけできるのはとてもうれしい。ふたりで調査に出かけたのは、大変だったけれど楽しいことも多かったから。
「ふたりとも納得できましたか? それなら、私はしごとに戻ります。詳細が決まったら後で報告を」
「はい」
「イザベラさま、ありがとうございました」
ティーカップをテーブルに置いて優雅に立ち上がったイザベラは、柔らかく笑んで館から出て行った。
ふたりきりになると、リリムはイザベラと入れ替わりに隣に腰掛ける。イザベラとは違う男性の仕草で、指先まできれいに見えるようにティーカップを傾けた。
「……ところでマリー、デートってどういう意味かちゃんと知ってる?」
「し、知ってますよ!」
──好きなひとと一緒に過ごすこと。
ざっくりとそんな意味なのだとマリーだって理解はしている。よく見るドラマとかコミックもそういう表現だ。お友だち同士でもデートということもあるみたいだけれど、それだってパートナーじゃないというだけで好意はあるみたいな表現が多い。
まさしく、今のリリムとマリーの関係だ。
「……リリムは、デートじゃない方がいいですか……?」
「まさか。ちゃんとエスコートするよ」
「それは、『紳士』だから?」
「相手がマリーだからだよ」
リリムが即答するのに、思わず頬が緩んだ。
もしかすると、これまで彼がお世話になってきたお姉さま方にも似たようなことを言っていたのかもしれない。でも、今一番リリムに大切にされているのは自分だ。その自信があった。だから言葉通り素直に受け取る。とっても気分がいいです!
「んふふー! じゃあデートです。私はそういうのはじめてなので、いろいろ教えてくださいね!」
「もちろん。どこに行きたいか考えておいて」
「リリムはどこか希望はありますか?」
「うーん、そうだなぁ。遊園地、映画館、ドライブ……はまだ僕の免許が用意できないかな」
どれもドラマやコミックで見たことがある。きっと定番なのだろう。明らかにマリーに合わせてくれているのだとわかった。でも、そういうのがリリムのいいところだと思う。
リリムはちらりとお茶請けのチョコレートを見て、マリーににこりと笑いかけた。
「そうだ、チョコレートショップ巡りはどう? いろんなお店のを少しずつ買ってきて、食べ比べてみるとか」
「わあ! 最高です!」
「どう? 楽しみになってきた?」
「はい! リリムとお出かけするの、すごく楽しみです! リリムはどうですか?」
「うん。僕も、すごくすごく、楽しみだよ」
リリムはやさしくほほえんで、ティーカップをテーブルに置いてからそっと両手を柔らかく握ってきた。たったそれだけのことで簡単に心臓が跳ねる。まだこういうのは慣れなかった。
──でも、うれしくて、振りほどけない。
「あはは! マリー面白い顔してる!」
「女の子に『面白い顔』は失礼ですよ! それに、私はいつでもかわいいです!」
「うん。マリーはいつもすごくかわいい。……だからマリーのはじめてのデートの相手になれて、うれしいよ」
「……それって、うれしいことなんですか?」
「うん。とっても。ほかにもマリーがはじめてすることを、僕が一緒にできるといいなって思ってる」
わあ。なんだかすごく、すごく、照れくさいこと言われてる気がします!
そろそろどう返したらいいのかわからなくなってきた。きっと顔は真っ赤になっていると思う。
「えっと、えっと……お出かけ、約束ですよ……?」
「うん、約束。一緒に学校へ行くのも、一緒のアパートで暮らすのも」
リリムのアイスブルーのまなざしは、ずっとあたたかい。こんな瞳の奥に自分とのちょっと先の約束や、数年先の約束が広がっているのだと思うと、胸がほんわりしてくる。顔が勝手に笑顔になった。
「……はい!」
「だからちゃんと勉強しようね。学校には入学試験があるんだから」
「……はーい……」
ときどき様子がおかしくなるけれど、やっぱり、リリムはリリムだ。
へんなところで真面目な、マリーの大事で大好きな悪魔。
リリムとマリーはよく夢でつながってしまうので、夜一緒にいるとうっかりヘンなモノを視せてしまいそうで不安なリリムなのでした。
ーーー
これにて完結です。本当にありがとうございました。




