41 サロメ
「……そうですかね……」
「うん。……でも、それを選ぶのはアシェルだし、僕は、きっとアシェルは自分の時間を大事にする子じゃないかなって思うよ」
「……辛いのに?」
「うん。……まあ、悪魔の僕に、人間の子どもの気持ちなんて、本当のところはわからないけれどね」
悪魔に子ども時代はない。
オリーブの丘に降り立ったリリムは、もう大人の姿をしていた。子どもみたいになにも知らない、穢れた魂。
「わからないから、大事にしてるんですね」
「……そうかな?」
「はい。リリムは子どもに親切です。私にも、やさしいです」
「マリーは特別だよ」
「精気を分けてあげてるからですか?」
「それだけじゃないよ」
「じゃあ私が特別かわいいからですね」
「うーん、まあそうなんだけど……」
なぜかリリムは困ったように笑った。どこにも困る要素がないと思う。マリーはリリムの手をぎゅっと握った。
「……サロメちゃんにやさしかったのも、あの子が特別だったからですか?」
リリムの呼吸が一瞬、止まった気配がする。
「……なんで……」
かすれた声。リリムがものすごく驚いた顔をしていた。なんで知ってるの、と目だけで言っている。
「……ずっと、夢がつながってましたから」
そう言っただけで、リリムはマリーがなにを見たのか悟ったらしい。やがて大きな深呼吸をして、マリーの握った手にきゅっと力を込めてきた。
「…………そっか」
「彼女の名前を聞いて、サロメちゃんのことを思い出しちゃったんでしょ? ずっと夢を視てました」
「……場所も重なると、ね……」
サロメ。かつてリリムとファウヌスと一緒に暮らしていた女の子。ファウヌスに憧れた、ただの人間の女の子。
──リリムが、最初に淫蕩の罪へそそのかした女の子。
「……ねえ、サロメちゃんの話、訊いてもいいですか?」
「……そうだね。どこまで視たの?」
「リリムがサロメちゃんをそそのかすところまでです」
「ああ……サロメはファウヌスのとこに行って、子どもが欲しいっておねだりしたみたい。
……でも、ファウヌスはサロメを拒絶した。
ファウヌスは当時から人間の倫理観に寄ってたから、育てた子どもを孕ませるなんてできなかったんだろうね。とにかく、サロメはファウヌスに振られて、すぐにお嫁にいったよ。
……2年後に子どもが生まれて、それから5人産んだ。みんなかわいい子だった。サロメは子どもが生まれる度にファウヌスと僕に見せに来てくれた。
40歳でサロメが死ぬまで、僕たちはあの町で過ごしたよ」
リリムの声は、いつもしてくれる歴史の授業みたいに淡々としていて、なんでもないことのように聞こえてしまう。実際、リリムがその時どう思っていたのか、マリーにはわからなかった。
「……リリムは、その町でずっと『食事』も続けてたんですよね?」
「うん。でも結局、なぁんにも言われたことなかったな。僕もじいちゃんも、いつか出ていく覚悟をしてたのに。
……きっと、館のご主人──サロメのお父さんは、奥さまとファウヌスじいちゃんがなにをしてたのか、知ってたんだと思う。でも、ご主人は死ぬまでなにも言わなかった。死ぬ間際、じいちゃんに奥さまを支えてほしいとまで言ってた」
「……ふぅん……ファウヌスおにいさまやリリムがやってたことは、気にならなかったんでしょうか。奥さまは、愛されなくて寂しかったんでしょうか」
そうでなければ、ファウヌスやリリムの甘言になど乗らないのではないだろうか。
マリーの言葉に、リリムはあいまいに笑った。それが酷く大人に見えて、ああ、彼は今、マリーのリリムじゃないんだな、と思った。
「……どうかな。あの館にいた女性たちのことは、今もよくわからない。嫌がってはいなかったし、積極的だと感じることもあった。でも、心から愉しんでいるとも思えなかった。なんだか、僕たちみたいに『仕方なく』やってるように見えたかな」
「仕方なく?」
「うん。まあ、これはただの僕の印象だから、本人たちがどう思ってたのかはわかんないけどね」
「じゃあ、リリムはどうだったんですか? 仕方なく『食事』をしてた?」
「うーん。じいちゃんはそういう感じだったけど、僕は愉しんでたよ。あのころはなにを摂取してもおいしく感じたしね」
……一体、どんな『食事』の仕方をしていたのだろう。
だめだめ。私はまだ未成年。下手に意識して夢が繋がってそういうのを視てしまったらいたたまれない。
「……じゃ、サロメちゃんも食べちゃえばよかったのに」
そう言ったら、リリムがびっくりしたように目を丸くした。
「………………考えたこともなかったな」
「え? なんでですか?」
淫魔は好きな子といちゃいちゃしたいとは思わないんだろうか。いや、ファウヌスと姉を見る限り、そんなことはない。人目をはばからずいちゃいちゃしている。
リリムは首を傾げてうーん、と唸っている。本当に、今まで考えたことがなかったみたいだ。
「なんで、って……サロメと出会った時はすごく子どもだったし、そのイメージが強かったから、かな……?」
「リリムって、昔から歳上趣味なんですか? 子どもには手を出したことないんですか?」
リリムの視線があさってを向いた。
まあ、彼は淫魔で、悪魔だ。倫理観が終わっていても驚くことはない。律儀に倫理と法を人間相手に説いているファウヌスの方がおかしい。
「あいたたた! マリー、手! 手! 握りすぎ!」
「気のせいですよ。……じゃ、サロメちゃんはその時のリリムの『特別』だったんですね」
「……まあ、生まれてすぐの時間を過ごした子だったからね。家族だったからかも」
「家族をそそのかすなんて、やっぱり悪魔ですね」
「まあね。嫌いになった?」
「別に」
「じゃあ妬いてるんだ」
「別に妬いてません。
──だって、リリムの方が私のこと好きですもん! リリムの今の『特別』は、私ですから!」
顔を上げて堂々と言い切った。
リリムの呆れた視線を感じるけれど、気にならない。だって本当のことだ。
「私はサロメちゃんよりいっぱいリリムに『かわいい』って言われてますし、毎日一緒にいますし、サロメちゃんより絶対たくさん一緒の時間を過ごしてますからね! 妬きもち妬く要素が皆無です!」
「あー……うん……まぁ、そうかもね……?」
リリムが同意したので、マリーは何度もうなずいた。そうです、それでいいんです!
「じゃ、リリム。明日できるだけ遅いマドリード行きの飛行機を取って、それまで観光して帰りましょうね!」
「……マリー、僕がいつもお前のおねだりをなんでも聞き入れると思わないでよ」
「えっ、なんでダメなんですか? かわいい私のおねがいですよ?」
「僕もイザベラさまも、絶対育て方間違えたな……」
「私、リリムが生まれたオリーブの丘を見てみたいです! 夢で視た景色は、リリムの髪みたいきらきらしてて、とってもきれいでしたから!」
「えー。もー、仕方ないなぁ」
リリムは秒でうなずいて、つないだ手を握りしめてきた。もう片方の手で早速イスラエルの観光名所を検索している。
んふふ。チョロい淫魔だ。
「いっぱい遊んで帰りましょうね。
──リリムとこうして一緒にいられるの、あとちょっとだけなんですし!」
「──は?」
次回から新章です。リリム視点へ戻ります。
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