35 ゆめのはなしは、貴方の
目を開けた。
隣には誰もいなかった。けれど馴染んだ温もりがまだベッドに残っている。真隣に設置されたシャワールームから水音が聞こえるので、シャワーを浴びているらしい。
なにしてるんですか。朝からひとを微妙な気分にさせて! すぐに殴らせなさい!
理不尽な怒りに、マリーは勢いよくもう一度ベッドに潜り込んだ。ぼふぼふ、と何度も枕を叩く。
──なんですか。アレ。
なにかムカつく。でも、なににムカついているのかわからない。あえていうなら全部にムカつく。やっぱりムカつく!
「リリムー!」
「ええー、なにー?」
呼んだらシャワールームから間抜けな返事がした。
「すぐに出てきて私に一発殴らせなさい!」
「そんなんで出ていくヤツいる?!」
そう言いながら、リリムはシャワーをすぐに止めて、バスタオルだけ体に巻いて顔を見せてくれた。金色のさらさらした濡れた髪が、軽く後ろに流されている。真っ白い額からは後れ毛が出ていて、そこからぽたぽた雫が落ちて床を水浸しにした。
見るひとが見ればとてもセクシーな少年の裸体なのかもしれない。
別に、リリムの裸なんか見慣れてます! 一緒に何度もプールに行ってますからね!
「おはよう、マリー。朝からなにに怒ってるの」
「朝起きたら隣にいなさい! 起きたら一番に私に『かわいい』って言わなきゃダメです!」
「なんだよ、急に……ちょっと待ってて。髪なら後でやってあげるから」
「そうじゃないです!」
「マリーは怒った顔もかわいいけど、笑ってる方がもっとかわいいよ」
「イザベラとどっちがかわいいですか?!」
「かわいい度で言ったらマリーが世界で一番かわいい」
「おねえさまよりかわいいひとなんて存在しません!」
「なんだよそれ」
むっとした顔をしたリリムが、軽く体の水滴を拭ってシャワールームから出てきた。白い肌が粟立っているので、寒いのかもしれない。
それでもマリーの傍まで来て、両手で頬を柔らかく挟まれる。額とまぶた、頬にちゅ、ちゅ、と軽く口付けられて、アイスブルーの瞳が真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「僕にとってはマリーが世界で一番かわいいの。コレは誰にも変えられないからね」
「…………誰にでもそう言ってるんでしょ」
「そう思いたいならそう思えば?」
「…………………」
「もういい? 寒いんだけど」
「…………よし」
「なんなの、ほんとに……」
リリムは首をひねって、またシャワールームに戻ってお湯を浴びはじめた。少なくとも、ちょっと気が済んだ気がする。でもまだ胸の中にもやもやしたものが残っていた。
「ねえ、今朝はなにに怒ってたの?」
当然のように、食堂でリリムに質問された。それはまあ、そうでしょう。
「……別に、なんでもないです」
できるだけそっけなく言って、朝食のシュクシュカとフムスを味わう。
シュクシュカは細かく刻んだパプリカや玉ねぎをトマトソースと油で煮込んで、卵を落とした料理だ。パンと一緒に食べるソースみたいで、パン・コン・トマテより手が込んでいる。おいしいけれど、きっと普段から食べる朝食ではないのだろう。旅行中のぜいたくというやつだ。
本当はリリムと感想を言い合ってにぎやかに食べるようなものだと思うけれど、今はそんな気分ではなかった。
もくもくと食事を続けるマリーを見て、リリムはじっとりとした視線を向けてくる。
「マリーはわがままだけど、理由もなく怒ったりしない」
「私、わがままじゃないですもん」
「今朝起き抜けにわがまま放題言われたんだけど⁈」
リリムはため息を吐き出しながら、シュクシュカの卵をピタパンでつぶしてひと口かじる。
「……ちゃんと話してよ。でないとどうしたらいいかわからない」
その顔が途方に暮れた子どもみたいに見えて、マリーはうっと口を閉じた。彼は本当は大人で、しかもおじいちゃんと言ってもまだ足りないくらいの長命体のはずなのに、なんだか自分よりもまだ幼い気がしてしまう。今朝の夢に引きずられているのだろうか。
──彼はあの後、サロメとちゃんと話をしたんだろうか。
彼の過去を夢に視ているなら、あの後だって彼らの生活は続いて、そうして今のリリムにつながっているはずだった。
どうなったのか訊ねたい。でも、訊ねるのは失礼な気がした。本当なら、マリーが知ることのないはずだったリリムの過去。どう切り出したらいいのかわからなくて、そもそも視てもいいものだったのかもわからなくて、しばらく口の中で言葉を探した。
「……夢を、視ました。オリーブの丘の麓の町で、小さな女の子と暮らしてる二人組の悪魔の夢です」
そう言ったら、リリムの瞳が大きく見開かれた。言葉が出てこないようで、何度か口を開閉させている。それから、取り繕った様子で肩をすくめて見せた。
「……そっか。前もそんなことあったね。ずっとマリーの精気をもらってるし、僕の魔力が馴染んで夢がつながっても不思議じゃない」
「……わざとじゃないんですよね?」
「違うよ。少なくとも、その夢はマリーが視る必要のないものだ」
その言葉は、いつになく距離を感じるものでマリーはひるんだ。リリムの美しいまなざしは、マリーを見てはいなかった。
「気にしなくていいよ、マリー。具体的になにを視たのかは知らないけれど、きっと昔の話だ。すっごくすっごく、昔の話」
そう。リリムの話や習ったことを総合すれば、あの夢はきっと紀元10年ごろの話。マリーが生まれる、どころか、人類の文明ができる夜明け前の話だ。
でも。なら。
もう、リリムは大丈夫なんだろうか?
だって、夢の中のリリムは──
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