第3話 月を醸す(かもす)心臓――巨大テラフォーミング・プラントの再起動
ドームの地下深く、俺たちが降り立った場所は、まるで巨大な「肺」の内部だった。
見上げるほど巨大な円筒形のタンクが何百とも並び、それらが血管のような太いパイプ――『メイン・マニホールド』で繋がっている。これは、月の地殻に含まれる酸素化合物を加熱・分解し、大気を生成する『惑星改造・プラント』だった。
「一ノ瀬様、プラントの出力が暴走していますわ! 生成されたガスが排出されず、地殻内の圧力容器に溜まり続けています。このままでは月面基地が内側から弾け飛びますわよ!」
エレナの叫びと同時に、足元から激しい突き上げが襲う。原因は明白だ。数千年の放置により、ガスを地表へ送るための『排気ダクト』の先端が、月面の細かい砂によって目詰まりを起こしていたのだ。
俺は即座に指示を飛ばした。地上のドームを守るためには、溜まりすぎた圧力を安全に「逃がす」必要がある。
「ガッツ! その巨大な*『減圧弁』を回せ! 固着しているなら潤滑剤をぶち込め! ミーナ、お前はパイプ内部に溜まったレゴリスを、高圧の空気で一気に押し流すんだ!」
「任せなさい! 水が使えないなら、空気の渦で掃除してやるわ! 【旋回気流】!!」
ミーナがパイプに魔法を流し込むと、配管全体が悲鳴のような音を立てて震え始めた。同時に、ガッツが巨大なレンチを振り下ろし、錆びついたバルブを力技で開放する。
だが、問題はそれだけではなかった。長年の圧力により、地殻の岩盤そのものに亀裂が入り、そこから未精製のガスが漏れ出していたのだ。このままでは地盤沈下が起き、プラントそのものが崩落してしまう。
「……岩盤のヒビを塞ぐぞ! ガッツ、建設用の『薬液注入ポンプ』を用意しろ。ただのセメントじゃない、月面の砂と反応して瞬間硬化する、特製の魔導樹脂だ!」
俺たちは、岩盤の亀裂に数本の細い管を打ち込み、そこから高圧で樹脂を流し込んだ。これは地上のトンネル工事やダム建設で使われる、地盤を固めて止水する技術の応用だ。
1. 地盤の強化: 樹脂が岩盤の微細な隙間まで浸透し、月面のスカスカな地層を岩盤へと変えていく。
2. 圧力の封じ込め: 漏れを止めることで、ガスの流れを本来の「浄化装置」へと誘導する。
3. 大気組成の安定化: エレナが制御パネルを操作し、酸素と窒素の比率を人間が呼吸できる黄金比へと調整していく。
「一ノ瀬様、ガスの流れが安定しましたわ! フィルターユニットが作動……集塵機が月面の塵を完全にシャットアウトしています!」
ゴォォォォ……という重低音が、やがて心地よい「風」の音へと変わった。
ドーム内に設置された通気口から、精製されたばかりの、少し冷たくて清らかな空気が吹き出し始める。
「……はぁぁ。聖様、この空気、少しだけ地上の森の匂いがします」
リアナがヘルメットのバイザーを上げ、深々と息を吸い込んだ。魔法の酸素ボンベではない、惑星そのものが生み出した「本物の空気」だ。
「よし。これでこのドームは、宇宙服なしで歩ける『月面の公園』になったわけだ」
俺は作業着の襟を緩め、ようやく汗を拭った。
真っ黒な宇宙を背景に、ドームの中だけが柔らかな光と風に満たされている。それは、極限の環境に俺たちが打ち立てた、新たなる居住の楔だった。
「所長、空気が通ったのはいいけど……この広いドーム、次は何を作るつもり? まさか、ただの空き地にするわけじゃないわよね?」
ミーナが期待の眼差しで俺を見てくる。
確かに、空気が確保された今、次に行うべきは「自給自足」の基盤作りだ。
今回の建築・土木用語解説
• メイン・マニホールド: 複数の配管を一つにまとめたり、逆に分配したりするための集合管。流体の流れを制御する心臓部。
• テラフォーミング: 惑星の環境を、人間が住めるように改造すること。
• 減圧弁: 高すぎる流体の圧力を、一定の安全な圧力まで下げるための調整バルブ。
• ダクト: 空気やガスなどの気体を運ぶための専用の管。
• 薬液注入工法: 地盤の中に化学薬品や樹脂を注入し、地盤を固めたり水の漏れを止めたりする工事手法。
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