第2話 真空の理(ことわり)――超高強度・分子接合溶接
応急処置で気密を取り戻した月面ドームだったが、ひび割れた強化外壁は依然として不安定なままだ。空気のない真空の世界では、地上のような「接着剤」や「コンクリート」は使いにくい。だが、この過酷な環境こそが、最高の溶接環境でもある。
「……エレナ、準備はいいか。ここからは『真空』という最強の味方を使って、このドームを分子レベルで一体化させる」
俺は作業服の酸素残量を確認しながら、巨大なひび割れの前に立った。真空状態では、金属の表面に酸化膜(酸素と反応してできる錆のような膜)が形成されない。そのため、磨き上げた金属同士を接触させるだけで一体化する「冷間圧接」や、不純物の混ざらない極めて純度の高い溶接が可能になるのだ。
俺が提案したのは、魔導レーザーを用いた『真空電子ビーム溶接』の応用だ。
「ガッツ! 特製のニッケル合金製『肉盛材』を用意しろ。ひび割れの溝に、一ミクロンの隙間もなく流し込むぞ!」
「おうよボス! だが、ここは空気がねえ。溶接の熱が逃げねえから、やりすぎるとドーム自体が熱で歪んじまうぞ!」
ガッツの指摘は正しい。地上なら空気への熱伝導(対流)で冷めるが、真空では「放射」と「固体への伝導」だけでしか熱を逃がせない。一箇所を熱しすぎれば、強化ガラス状の外壁が熱膨張で爆発しかねないのだ。
「分かってる。だからエレナ、お前の出番だ。魔力による『ヒートパイプ・冷却陣』を展開しろ。溶接箇所から発生する熱を、ドームの反対側の影の部分へ強制的に転送するんだ」
「了解ですわ! 熱力学の法則を魔法でバイパスしますわよ!……冷却同期、完了! 一ノ瀬様、いつでも焼いてくださいませ!」
俺は右手に持った魔導溶接機を起動した。
青白い極細の光線が、真空の闇を切り裂き、ひび割れた断面を正確に捉える。
「……焦るな。表面だけを溶かすんじゃない。母材の深部まで熱を浸透させ、新しく流し込む合金と『一つの金属』に編み上げるんだ」
シュゥゥゥ……と、骨に響くような微細な振動が伝わる。
空気がないため、音は一切聞こえない。だが、ゴーグル越しに見える溶融池、これまで見たこともないほど澄み渡り、銀色の鏡のように美しく輝いている。大気による汚染(気泡の混入)がゼロだからこそ成し得る、究極の溶接品質だ。
「フィラ! 溶接ビームの裏側に回り込んで、反対側の『裏波』を確認してくれ! 貫通は十分か?」
「バッチリだよ、聖! 向こう側まで綺麗に金属が溶け出してる。まるで、最初から一枚の板だったみたい!」
数時間の極限作業を経て、全長50メートルに及ぶひび割れは、鈍い銀光を放つ一本の美しい「筋」へと変わった。もはやどこが割れていたのか判別できないほど、ドームの外壁は完全に一体化している。
「ふぅ……。これで強度は元通り、いや、以前の1.5倍は確保したはずだ」
俺が溶接機を置くと、ドーム内から歓声が聞こえてきた。基地の管理ゴーレムたちが、無機質な電子音で感謝を伝えてくる。
「一ノ瀬様、素晴らしい出来栄えですわ。非破壊検査の結果もオールクリア。真空を不便なものだと思っていましたが、これほど完璧な工事ができるなんて」
エレナが感心したように、新しく接合された壁を撫でる。
だが、その時。ドームのさらに深部、溶接によって安定を取り戻したはずの床下から、重低音の「拍動」が響き始めた。
「……ボス、変だぜ。ドームの気密が戻った途端、地下の『休眠システム』が勝手に動き出しやがった」
ガッツが床に耳を当てて警戒する。
俺たちは直感した。この月面基地は、ただの居住施設ではない。
何千年もかけて、月そのものを「改造」しようとしていた巨大な工場の、ほんの入り口に過ぎなかったのだ。
今回の建築・土木用語解説
• 真空溶接: 空気がない場所で行う溶接。大気による酸化や不純物の混入を防げるため、航空宇宙分野などで使われる超高品位な接合が可能。
• 肉盛材: 欠けた部分や溝を埋めるために、溶かして付け加える金属材料。
• 母材: 溶接される側の元の材料のこと。
• 溶融池: 溶接中に金属が溶けて水溜まりのようになっている部分。ここをコントロールするのが職人の腕の見せ所。
• 非破壊検査: 構造物を壊さずに、内部の傷や欠陥を調べる検査。レントゲンや超音波などが使われる。
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