気になる噂
婚礼の翌日。
新田舘の庭で、重兼は後悔の念に苛まれながら立ちつくしていた。
理由は、昨夜の事である。
いくら興奮していたからとはいえ、少し乱暴にしてしまったような気がする。
(お百合、怖かっただろうな……)
もしかしたら、妻の心に傷をつけてしまったかも知れない。
これからの生活を考えると、きちんと謝っておいた方が良いかもしれない。
そんな風に思えてくる。
「よし! 一度、謝っておこう」
決意を口に出すと、重兼は新妻のもとへ向かった。
お百合の部屋まで来るとまず、深呼吸をする
「おーい。 お百合、入るぞ」
なるべく穏やかな声で言って、返事を待つ。
「重兼様ですね? どうぞお入りになって下さい」
許可がでたのでそろそろと中に入り、妻の正面に座る。
お百合は横笛の練習をしていた。
「何用でございますか?」
見たところ、お百合は機嫌が悪いとか怒ってなどはいないようだった。
「ああ、いや、その……」
何を言うべきか迷っていたが、重兼は腹を決めた。
「ええと、その、昨夜は済まなかった」
「? 何がですか?」
「……乱暴じゃなかったかな、と思って……」
お百合はキョトンとしてが、やがて顔が真っ赤になった。
「あ、あぁ。 その、気になさらないでください。 私も、その、詳しくは知らなかったので……」
いささか、気まずい雰囲気が満ちた。
しばらくして、重兼が口を開く。
「ま、まぁ、その、ええと、これからは、人の道に外れるような事はしないから、末永くよろしく頼む!」
思い切り頭を下げると、重兼は部屋を飛び出した。
あとに残されたお百合は、思わず笑みをもらした。
「まったく、面白い御方ですわ……」
私室に戻った重兼は、戸惑っていた。
なにしろ、夫婦生活などは初めての経験だから、妻にどう接するかなどまるで分からない。
ましてや今は、鎌倉時代だ。
この時代の一般的な夫婦のあり方など、知るはずもない。
重兼としては、せっかく結婚したのだからお百合には自分を好きになって欲しい。
だが、女心というものがどうも分からない。
こんな事で上手くやっていけるのだろうか?
不安になってきた。
そこへ、下人が農事奉行と段銭奉行が来た事を告げる。
(まぁ、出たとこ勝負でいくか)
夫婦生活についてはそう決めて、広間に向かった。
生田重政と上屋平次が並んで座る前に、重兼は腰を下ろす。
二人を呼んだのは、それぞれの担当分野の状況を確認するためだった。
まずは農業。
重政の話では、農産物の生育は良いらしい。
今年も期待できるとの事だ。
しかし、一つ問題が発生していた。
「養鶏の仕事をしたがる者が少ない?」
「仰せの通りにございます」
不思議だった。
給金は払っているし、過酷な労働はさせてはいないはずだが……。
「匂いがきつくて我慢できぬ者と申す者が多くて……」
「……あっ」
一発で納得がいった。
鶏の糞の匂いが敬遠されているのだ。
鶏のそれは、とにかく匂いがきつい。
それが原因だった。
「どうしたものか……」
この時代に消臭剤などはない。
困った事になった、と思う。
「とりあえず給金を増やすのと、働いた者には一年に米俵一俵を与えるなどと、触れを出そう。 今のところはそれぐらいしかできん」
「承知いたしました」
どの程度効き目があるかは分からないが、とりあえずその策を試す事にした。
次は商業。
平次に、新田家の財政事情と商品の売り上げについて確認する。
「石鹸はよく売れております。 ただ、他の商品がいまいちです」
重兼は黙って頷く。
平次の言葉はある程度予想していた。
炭団は寒くならないと売り上げが伸びないし、チキンジャーキーは生産量そのものが少ない。
蒔絵細工は高級感、希少価値を煽るために生産量を少なく抑えているのでやむをえないが、何か新商品を開発する方が良いかも知れない。
「今のところはそれでかまわぬ。 あと、鎌倉での売り上げ増加に尽力してくれ」
「承知いたしました」
「二人ともご苦労だった。 下がって良い。 あと、何か変わった事があれば知らせてくれ」
「ははっ」
二人が立ち上がる。
と、その時、平次が動きを止めた。
「どうした?」
「そういえば……」
顎に手をあてて、何やら考えている。
「公暁という御方、確か、お亡くなりになったのですよね?」
「そうだが、それがどうした?」
「その公暁様が生きているという噂を、鎌倉で聞きましたが……。 重兼様は何か聞いておられますか?」
「えっ?」
重兼は、一瞬反応できなかった。
二人が下がったあと、重兼は真剣に考えていた。
公暁が生きている?
そんな事があるのだろうか?
確かにあの時、三人の亡骸は確認できなかった。
というより、判別できなかった。
それ故に、三人のうち誰かが生きている可能性は否定できない。
しかし、何故姿を見せないのかが説明できない。
それと何故、公暁だけなのか。
公暁と関わりが深いのは、何と言っても三浦義村だ。
彼が公暁を救い出し、匿っている可能性はあり得る気がする。
だが、実朝を排除して公暁を将軍の座に就け、幕府の実権を掌握する事を目論んでいるならば、彼の生存を公にしなければならないはずだ。
その上で、自分達が無関係であるように偽装して実朝を排除する。
それが理想的だ。
だが、誰が何の為に公暁達の命を狙ったのかが分からない。
(一体、何がどうなっているのだ?)
そこまで考えてふと、自分が『公暁が生きている』事を前提に考えている事に気がついた。
幕府は一度、公暁達の捜索を行っているが見つからなかった。
という事は、三人とも死んでいるのだろう。
多分。
平次も、そういう噂を聞いたとしか言ってなかった事だし……。
忘れる事にしよう。
そう思った。
しかし、どうしても噂の事が頭から離れなかった。
翌日、馬上の人となった重兼は供を三人だけ連れて、玉村御厨の上野国守護所に向かっていた。
例の噂について上野守護、安達景盛に確認するためだ。
本来ならば、守護のもとへ出向いてまで調べる事ではない。
しかし、誰でも良いから有力御家人と話し合って事の真偽をはっきりさせたい。
そんな思いが抑えきれないのだ。
「殿、どうされました?」
「えっ?」
郎従の声で、重兼は我に返った。
「随分と難しい顔をされてますが……」
どうやら、噂について考えていたのを気にかけてくれたようだ。
「いや、何でもない。 気にせずとも良い」
「左様でございますか」
それでいちおうは納得してくれたらしく、相手は前を向く。
ただ、どことなく話しかけづらい雰囲気を感じたのか、それ以降守護所に着くまで一行はほとんど会話をしなかった。
上野国守護所。
上野国守護、安達景盛は怪訝そうな顔つきで重兼と対していた。
ある意味当然である。
たかが噂話の真偽について語るためにいきなり御家人がやって来たのだから。
「……わざわざ、そんな事を聞くために来たのか?」
「無礼は重々承知しております。 されど、どうしても他の方達にも話を伺いたいという思いが抑えられず……」
重兼の言葉もいささか歯切れが悪い。
「右衛門尉殿(景盛の官名)。 貴殿は幕府の柱石たる御方。 何か、耳にしておられるのではございませぬか?」
「……」
景盛は腕組みをして、考え込んだ。
それを見た重兼に、僅かだが後悔の念が湧いてくる。
史実なら、公暁は生きていて健保七年(1219年)の正月に鶴岡八幡宮で実朝を殺害する。
それを知っているから公暁が死んだ事が信じられず、生きているという噂を自分は信じたがっているのではないか。
そう思えてきた。
やがて、景盛が口を開いた。
「噂は聞いた。 しかし、あくまで噂であろう。 そもそも、公暁殿の生死についてはお主の方がよく知っておるのではないか?」
「その通りですな……」
多少の疑念は残ってはいるが、やはり噂に過ぎないのだろう。
重兼はそんなふうに自分を納得させた。
「右衛門尉殿。 つまらぬ事で訪れた事を幾重にもお詫び申し上げる。 どうかお許しいただきたい」
重兼は、深々と頭を下げた。
「まったく、些事を気にしすぎであろう。 そのような事でいちいち訪ねて来ずとも良いわ」
「申し訳ござらぬ。 されど、どうも胸騒ぎがして……」
「分かった、分かった。 もう良いから早う下がれ」
不機嫌そうに言い捨てると景盛は席を立つ。
重兼はもう一度頭を下げると退出した。
重兼は再び馬上の人となって帰途に着いた。
今回の訪問ははっきり言って徒労に終わった。
無理もない話である。
なにしろ噂話のために訪問したのだから、まともな対応なぞ期待するだけどうかしている。
それでも重兼は、真偽をはっきりさせたかった。
史実通りならば鎌倉幕府の歴史に重大な影響を与える公暁の生死について、はっきりとした確証を得たかったのだ。
安達景盛はいちおう否定はした。
公暁が生きているはずはないと。
しかし、重兼の心中の疑念は晴れなかった。
何かが引っかかる。
何かがおかしい。
そんな思いが捨てきれないのだ。
(考え過ぎか?)
重兼は永福寺の件を思い出していた。
あの状況で公暁が生きているなどと考えにくい。
公暁は死んでいる。
そう思うことにした。
この件で自分なりに納得した重兼は、新田荘への帰り急ぐ事にした。




