重兼、鎌倉へ
建暦三年七月、鎌倉。
陽射しは強いが、海からの風が暑さを和らげてくれている。
ただし、建物の中にまではあまり風が入って来ないので、重兼は扇で涼んでいた。
左腕が完治したので、将軍実朝や執権の義時に報告するついでに、鎌倉の復興ぶりを確認するなど様々な用事をこなすための訪問だった。
伴として連れて来てのは、額戸経義とその息子氏経、そして少数の家人である。
額戸親子については経義が、息子に家令の仕事を学ばせるために是非ともと望んだので、その意見を聞き入れたのだ。
「お館様、これから如何なさいますか?」
その氏経が早速聞いてきた。
父親に似て生真面目な性格らしく、精一杯仕事をこなそうという雰囲気が満ち溢れている。
「そうだな。 まず、将軍に拝謁した後、執権殿に挨拶する。 武田信光殿に会うのはその後にしよう」
「心得ました」
「それでは、信光殿にお会い出来る日時を調べておきます」
横から額戸経義が口をはさむ。
そうする事で、家令の仕事を少しでも詳しく教えようとしているのだろう。
「あっ……」
氏経が、しまったという表情になる。
おそらく、そこまで考えていなかったのだろう。
「こ、これは失念しておりました。 拙者が調べておきますので……」
「まあ待て」
手を挙げて、慌てた様子の氏経を制する。
「しばらくは親子で仕事をするようにせよ。 氏経。父から学ぶのだ。 家令とは如何なる仕事なのかをな」
「御意にございます」
氏経は、額を床に擦りつけんばかりに一礼した。
「経義殿。 息子をしかと教え、育ててくれ。 頼みますぞ」
「ははっ」
父親は、息子ほどではないけれど頭を下げた。
そして、親子揃って部屋を出ていく。
重兼は一人になると、これから会う将軍について考えた。
会う事が出来るだろうかと。
実を言うと鎌倉に入ってから、気になる話を小耳に挟んだのだ。
将軍が病気がちになって、人前に出て来ないだの、寝込んでしまったなどという話である。
史実では実朝はあと、六年は生きるはずだが大丈夫なのだろうか。
(とにかく明日だな)
御所に行って確かめる事にした。
翌日、重兼は将軍御所に出向いた。
和田合戦で賜った恩賞の礼を述べるためである。
御座所に案内されてしばらく待つと、実朝が姿を見せた。
着座した実朝を見て、少し心配になった。
なんというか、精気が感じられない。
鎌倉の街でも、将軍が病気になったとの噂が流れるのも当然だと思えるほどの有様だった。
信頼する和田義盛が死んだのがこたえているのだろうか。
「新田重兼。 何用であるか」
声にも活気がない。
「此度、恩賞を賜わりましたお礼と、家督相続の報告及び傷が癒えた事を報告に参りました次第にございます」
「ああ、その事か」
実朝は、いかにも興味が無さそうだった。
「その事はどうせ執権が、義時が決めた事であろう。 我に礼を言うに及ばぬ」
「……」
「わざわざご苦労だったな。 下がって良いぞ」
会見を一方的に終わらせて、実朝は出ていった。
その後を、束帯姿の男が続く。
武士とは少し雰囲気が違うので、京都からきた文士かも知れない。
実朝の学問の先生なのか、或いは後鳥羽上皇が送ってきたお目付け役なのだろうか。
(もしかして、あれが源仲章か?)
ふと、そんな事を思った。
実朝の教育係であり、史実では実朝暗殺の巻き添えになって死ぬ運命にある。
(もし、そうだとしたら将軍もこの人も助けてあげたいな)
重兼はそう思った。
重兼の予想は当たっていた。
その男、源仲章は廊下で実朝の背後から声をかけた。
「実朝様。 もう少し、何かねぎらいの言葉でもかけた方が……」
実朝が振り向く。
「何故だ? 義時が、執権殿がかけてやれば済む話ではないのか?」
「……」
「御家人達が我に会うのは、お飾りとはいえ将軍だからだ。 それだけだ」
「おっしゃる通り、実朝様こそが将軍でございます。 だからこそ、将軍らしく……」
「やめよ」
実朝は、低く、短い言葉で仲章を黙らせた。
「下手な事を言うと、畠山重忠や比企能員の二の舞になりかねんぞ。 あと……」
実朝は悲しげな表情を浮かべた。
「和田義盛のようにな」
実朝はそう言って、会話を打ち切った。
仲章は実朝の心中を分かっていた。
和田義盛が死んで、もう誰も信頼出来ないのだろう。
自分の立場と無力さを思い知らされて、打ちひしがれてしまったのだ。
(なんとか出来ないものか……)
懸命に思案する。
そして、ある事を思いついた。
「実朝様。 お話したき事がございます」
「何じゃ?」
実朝はうんざりな様子だった。
「ここでは何ですので、お部屋の方で」
「分かった」
いかにも興味なさそうな返事だった。
それでも仲章は実朝を促して部屋に入り、向かい合って腰を下ろす。
「話とは?」
「朝廷、後鳥羽上皇陛下から官位をいただくのはどうでしょうか?」
「何?」
「征夷大将軍だけでなく、納言、大臣職に任官されればあやつら……」
仲章はそこで言葉を切った。
「どうした?」
「あっ、いえ……」
危うく『東夷』と言いそうになったのだ。
慌てて言い直す。
「御家人達も、実朝様により一層の敬意を払うようになるでしょう。 義時とて、同じはず」
仲章は武士ではない。
朝廷の貴族、宇多源氏の一員であり、院近臣を務めていた。
実朝が将軍になった時に、後鳥羽上皇の命で鎌倉に下向し実朝の教育係になったのだ。
幕府を朝廷の影響下におきたいという上皇の意向もあり、仲章は京都風の文化を、特に和歌を重点にして教えた。
そうする事で実朝に京都や朝廷に対する憧れ、崇敬の念を抱かせ、やがては野蛮な東夷達も朝廷の威に服させる。
そして、鎌倉幕府を関東における朝廷の出先機関に変える。
それが上皇の狙いだった。
上皇は実朝には好意的であり(実朝と名付けたのは後鳥羽上皇)、実朝が官位を望んだ場合は叶えてくれる可能性が高い。
しかも、官位の獲得の目的が御家人に対する統制力の強化となれば尚更である。
この件については、仲章は自信があった。
実朝はじっと考えていたが、決断したようだった。
「仲章。 任せて良いか?」
「お任せ下さい」
仲章は満面の笑みで応えた。
これが実現すれば、幕府内の義時の権威を削ぐ事が出来るだろう。
幕府を動かすのは後鳥羽上皇の忠実な臣下である源実朝であるべきで、北条義時なる東夷ではないのだ。
「それでは早速」
部屋を出ていく仲章を実朝は冷めた眼で見送った。
その頃、近江国、三井寺園城寺。
多数の僧兵を有する寺であり、紛争に関わることの多い事で有名な寺である。
その境内の隅で、二人の僧形の少年が密かに会話していた。
そのうちの比較的身分が高そうな方が、意外そうな声を上げた。
「駒若。 それでは、実朝の奴は病気ではないと?」
「はい。 精気がないのは確かですが、病気ではないらしいです」
駒若と呼ばれた少年が澄ました顔で答える。
「何だ、つまらん」
もう一人が吐き捨てる。
「病気で死んでしまえばよかったのに」
駒若は、笑顔でたしなめた。
「声が大きいですよ。 公暁様」




