第六話
本日はお見合い当日。こんな日に限って空は泣き出した。しかしどこか心地よい雨。静かに、優しく大地に降り注ぐ雨は、どこか不安な私達の心を落ち着かせてくれる。
「出来ましたよ、お嬢様」
私はお嬢様の髪を編みこんで、普段よりも大人っぽく、それでいて小さな花のような可愛らしさも演出してみた。鏡に映るお嬢様の表情は硬い。きっと緊張なさっているのだろう。しかし緊張しているという事は、このお見合いに前向きだと言う事だ。たぶん。
「お嬢様、笑顔を忘れずに。心配いりません、相手は女性に免疫のない堅物軍人です。お嬢様の笑顔があれば、すぐに打ち解けますよ」
「……だといいんだけどね……」
お? 本当にお嬢様はまんざらでもない御様子。クレイン様の事もあって自暴自棄になってるようにも見えない。お嬢様は今、前を向いている。
「さて……そろそろお見えになられる頃ですが……」
約束の時間は正午前。もうすでにその時間だと、時計へと目を移した時……窓へとコツン、と小石があたる。あらかじめ決めて置いた合図だ。どうやらお見えになられたらしい。
「お嬢様、お出迎えしてきます。深呼吸をわすれずに」
「はいはい、分かってるわよ」
ちなみにその場には、私とパンダ中尉が。パンダ中尉はお嬢様と一緒に居て貰った。もちろん癒し要員として。
さて……ザナリア大尉の顔を拝みにいくか。どんな人物か、私もしっかり見極めなければ。
なんだかいつの間にか私はお嬢様の母親か姉の気分になっていた。大事なお嬢様のお見合い相手。これからお嬢様を幸せに出来ないような男ならば……追い出してやる。
※
屋敷のホールへと軍の一団が入室してきた。数人の軍人に囲まれながら、お嬢様のお見合い相手であるザナリア様が屋敷の中へと足を踏みいれる。まだザナリア様の顔を見えない。ええい、軍人ども邪魔じゃい!
私達は私達で、レイバール大佐の部下、歴戦の軍人達と共に並んで待機。何故か私が中央に配置され、両隣には眼光の鋭い物騒な顔つきの軍人が。同じ軍の人間とは言え、この屋敷にとっては部外者を入れるのだ。最悪、ここで殺し合いが始まる……と思ってしまう程、私の両隣の軍人は殺気だっている。
「随分、厳重な警備だな」
低い声。しかし不思議とその声はホールに静かに響き渡る。まさか今の声の主が……。
軍人に取り囲まれていたザナリア様は、ようやくその姿を露にした。普段軍人が来ている軍服は濃い緑色をしているが、ザナリア様は白を基調とした式典用の軍服に身を包んでいる。そしてその顔を見た瞬間、私は目を疑った。
「……あの、本当にあの人がザナリア様なのですか?」
私はつい、隣で殺気を剥き出しにしている先輩へと小声で尋ねてしまう。先輩は「ああ」と一言だけ。マジか……。
目は鋭いが顔は整っている。確かに三十一には見えない。それに、印象的なのは……長い黒髪。腰まで伸びているが違和感はない。少しそよ風が吹けば、綺麗に揺れるのが容易に想像できるような、サラサラ感が伝わってくる。そして身長は私よりも少し高いくらいか。一見、優男のように見えなくも無いが、あの軍服の下には鎧のような筋肉が眠っているのだろう。実戦から離れているだろうから、縮小しているとは思うが。
ザナリア様はその場で少しだけ濡れた雨をふき取り、身なりを整える。パンダ中尉はお見合いに消極的だと言っていたが、最低限のやる気は見せてくれるようだ。
「お待ちしておりました。ザナリア大尉」
レイバール大佐の右腕とも言うべき軍人が、大尉へと挨拶する。ちなみに階級自体は、この人の方が上だ。なんといっても中佐だから。しかし大佐が「俺の部下だから」という理由で自分の元に置き続けている。本来ならば何処ぞの街なり何なりの隊を指揮していそうだが。
ザナリア大尉は中佐へと敬礼しつつ、軍人っぽく挨拶しようとする。だが中佐は出鼻を折った。お決まりの口上を述べようとするザナリア大尉を手で制し
「お嬢様の前でそんな台詞を吐けば撃つ。相手は大佐の大事な一人娘だという事を忘れるな。何か無礼があれば即座に……」
ってー! そんな脅してどうすんだ! ザナリア大尉と一緒に来た軍人達がガクブル震えてる! なんてこった、私はお嬢様のケアに必死だったが、まさかこっちがこうなるとは予想外だ!
しかしザナリア大尉自身は落ち着いた物だ。中佐の脅しにも屈さず、冷静に心得ておりますとか答えてるし。これから始まるのはお見合いだよな? そう見せかけておいて撃ちあいとか始まらないよな?
「ではアリア少尉、案内して差し上げろ」
「は……はっ!」
思わず私まで震えながら敬礼しつつ、ザナリア大尉の一団をお嬢様が待つ部屋へと。いきなり突然、もうこれでもかと言うくらいに、こちらから先制攻撃を仕掛けるとは。しかしこれは……雨と鞭になるかもしれない。怖い中佐の脅しから一転、可愛らしいお嬢様が笑顔で出迎えてくださるのだから。
「こちらです。お嬢様、お見えになられました」
私はノックしつつ、扉を開け放った。ふふ、さあ食らうがいい。お嬢様の素敵な笑顔パンチを!
「……よ、ようこそ……おいでくださいました」
少し緊張した声。私はザナリア様より少し引きながらお嬢様の顔を確認する。その表情は普段以上に、可愛らしいお嬢様の笑顔。まるで太陽のような神々しさすら感じる。あぁ! 灰になってしまいます、お嬢様!
「…………」
しかしそれに対しザナリア様は無言だった。もしかしてお嬢様が可愛すぎて呆気にとられているのか? まあ無理もない。だってお嬢様は……ほんとに可愛いから!
「失礼……」
部屋の中には、ザナリア様と私だけが入室。あとは外で待機だ。どうせあとで二人きりにするし、この部屋は完全に包囲されてるから何があっても……
「お久しぶりです、レイバール大佐。おかわりないようで」
……ん?
大佐? 大佐はここには居ない筈……。するとザナリア様は横目で部屋の中に飾ってある時代錯誤な甲冑へと目を向ける。
そういえば……あんなデカい甲冑……あったっけ? いやまさか……
「ふふ、流石ザナリア……この部屋に入った瞬間に気付くとは」
突然甲冑が動き出した。そして兜へと手をかけ、恐らく取ろうとしたんだろう。しかしどうやら抜けないようだ。
「…………」
「…………」
その場にいた全員が驚きつつも、はよ兜取れや、と思っているだろう。しかしレイバール大佐は何事も無かったかのように
「……俺の事は気にするな、さあお見合いを始めろ」
「……大佐! 何してんですか貴方!」
おもわず声を荒げてしまう私。すると部屋の中へと、先程の超怖い中佐が飛び込んで来た!
「闖入者だ、排除しろ」
「はっ」
中佐の指示で大佐は甲冑ごと数人の軍人に担がれた! そのまま運び出されてしまう大佐。なにやら喚いているが、今は無視しよう。もっと普通にしていればいいのに。
大佐が運び出されると、お嬢様は呆れ顔で小さな溜息を吐きつつ
「……お父様が失礼しました……」
「いえ。慣れています」
ザナリア大尉は落ち着いた物だ。しかしよく甲冑の中に大佐がいると気付いたな。逆に私が気付けなかったのが悔しい。しかしそんなお茶目な大佐の行動のおかげか、すっかりお嬢様は緊張が抜けたいい表情を。
「では……どうぞ、おかけになってください」
※
お見合いは拍子抜けするほど自然な流れで進んだ。私はパンダ中尉と一緒に二人のティーカップのお世話をしている。ザナリア大尉は喉が渇いているのか、緊張しているのか、中々にペースが速かった。
そして会話はお嬢様が主導権を握っていた。普段どんな仕事をしているのか、好きなお茶はあるか、お酒は飲むのか、好きな食べ物は、趣味は、などなど……若干事情聴取しているような感じになっているが、緊張しつつもお嬢様は楽しそうだ。ザナリア様もお嬢様の質問に、端的だが明確に答えている。
ちなみにこの部屋には、例の絵描きの絵画が飾られていた。大佐にも予め確認したが、あの絵画はザナリア様が最近気になっている絵描きの作品で間違いないようだ。
「ザナリア様は……絵がお好きだとパンダ中尉から聞きました。なんでもご自身でも絵を描こうとしていらしたとか……」
「……えぇ。結局、私には絵心が無く断念致しましたが」
絵心が無かった。しかしパンダ中尉の話では、ザナリア様は自分には絵を描く資格が無いと言っていたらしいが。さすがに初対面のお嬢様に自分の傷跡を見せるような事はしないか。ザナリア様のそれは、恐らくデリケートな部分。チャイルドソルジャー時代のトラウマが関係している。
「……私も、実は少し興味がありまして。今まで描いた事はありませんが、ちょっと挑戦してみようかと……」
「……それは、素敵ですね。完成したら是非見せて頂きたい」
その回答にパンダ中尉は驚いたような表情を浮かべた。顔よく分からんが、たぶん驚いている。こう、雰囲気的に。
「ぁ、そうですわ、実は使用人のリリーに美味しいお菓子を焼いてもらっている所です。ザナリア様は甘いお菓子はお好きですか?」
「ええ、普段あまり口にはしませんが……」
しかしなんというか……ザナリア様は緊張しているというか、やる気が無いというか……終始無表情だ。それとは対照的にお嬢様は太陽のような笑顔を輝かせているというのに。いざとなったらくすぐってやろうか。お嬢様の前でいつまで仏頂面を浮かべているつもりだ。
「……マリーダ様」
すると初めて、ザナリア様からお嬢様へと話しかけた。お嬢様は嬉しそうに元気よく「はい!」と返事をするが……
「……私は貴方に見合うような人間ではありません。もっと相応しい殿方がいらっしゃるでしょう。申し訳ないですが、これで失礼させて頂きます」
「……え?」
そのまま席を立つザナリア様。パンダ中尉は止めようとしてくれるが、なんと転んでしまった! あぁ、コロコロとパンダ中尉が!
「ま、待ってください!」
そしてパンダ中尉に変わってザナリア様を止めたのは、他でもない私。ザナリア様は背を向けすでに扉に手をかけているが、一旦止まってくれる。
「待ってください……もうすぐお菓子が焼きあがります、せめてそれをお召し上がりになられては……」
「……失礼する」
だがそのまま扉を開け放ち、出て行ってしまうザナリア様。その途端、お嬢様は崩れるように項垂れた。パンダ中尉はザナリア様を追いかけ、私は私でお嬢様の傍に。
「お嬢様……その……」
「……アリア、私……最悪だわ……」
ん? 最悪なのはザナリア様の方であって……こんないきなり退室するなど、失礼にも程がある!
「私……この前までクレインクレインって言ってた癖に……今はもう、なんだか……」
「……っ! お嬢様! 待っていてください! すぐに引きずり戻してきます!」
※
「ザナリア様!」
既に屋敷のホールで帰宅しようとしているザナリア様。しかしパンダ中尉が足止めしてくれたおかげで、間に合ったようだ。
「お待ちください! ザナリア様! どうかもう少しだけお時間を……」
「……悪いがこれで失礼する。君のお嬢様によろしく伝えておいてくれ」
「お嬢様は……貴方に好感をお持ちです! どうか……」
「光栄だ。しかし私は彼女に相応しくない。私には、その資格がない」
また資格……? なんだ、資格って。
資格もクソもお嬢様はあんたに……!
私はザナリア様の前へと立ちふさがり、ホールの出入り口で通せんぼする。ザナリア様はあからさまに顔を顰めるが……あの激怖な中佐に比べれば可愛いものだ。
「どうしてもというなら……僕を倒してから出て行ってください!」
なんてベタな台詞を吐くんだ私は! 燕尾服着てるから、おもわず「僕」って言ってるし! ええい、そんな事はどうでもいい!
「……あのな……そんな事をすれば、もはやこの話がご破算になる所では……」
「構わん! やれ! ザナリア!」
するとホールの階段、その上で仁王立ちをしている甲冑を脱いだ……いや、脱がされた大佐が叫んだ。ザナリア様は深く溜息を吐きつつ、大佐へと目線を。
「大佐……」
「いいからやれ、ザナリア。俺の娘をフったんだ、ただで帰れると思うなよ」
すると軍人達がザナリア様を逃がさまいと取り囲みだした! おいおいおいおい、ここまでするか普通……! 確かに止めたのは私だが、これではまるでリンチ!
「……分かった。手加減出来んぞ。坊主」
「僕はもう成人しています……」
ホールの中央へと移動。ザナリア様は私と目を合わせると……それが合図だったのか、一瞬で間合いを詰めてきた。だが実戦から離れているからか、動きが鈍いように感じる。その私の腹に繰り出された拳は、まるでスローモーションだ。もしかしたら手加減してくれているのかもしれないが、こちらにそんな余裕は……無い!
ザナリア様の右の拳を避けつつ、側面に回ろうとする。だが罠だった。ザナリア様は既に次の攻撃に切り替えていた。拳を放ちながら、その回転する動きのまま、側面に回った私へと回し蹴りを放ってきていた!
器用だな……という誰かの呟きが聞こえた。だがこちらとて、血反吐吐くまで鍛えらえた軍人だ。戦場に立たされるのを前提に開発された。その時の私はまだ七歳。人を殺傷する為に鍛えられた幼少期。その経歴を舐めるなよ……!
「……っ!」
回し蹴りを姿勢を低くしてスレスレの所で躱す。そのまま下からタックル、突き上げるように、ザナリア様に抱き着くように抱え込み、体を逸らせて……
「……馬鹿っ! 殺す気か!」
ザナリア様を頭から床に叩きつけようとしていた私は、中佐のその言葉で我に返る。慌ててその頭を庇うように抱え込んだまま床に落ちた。
「……だ、大丈夫ですか?」
ザナリア様は観念したように両手を広げ床に倒れ込んだ。その場で見守っていた軍人達からは、何故か拍手が。大佐はその中で一段と大きく手を叩いている。
「……鈍ったな……俺も……」
「流石俺の部下だ! さあ、薄汚れたな、ザナリア。俺の自慢の温泉に入って来い! アリア、お前が持ちかけた決闘だ。最後まで面倒みてやれ」
「……は、はっ」
床に倒れたザナリア様は、どこか解放された顔になっていた。
何が彼を苦しめていたのかは知らない。でもどこか、ザナリア様の表情はすっきりとしていた。