第二話
クレイン様のあの一言が、私の平和な男装執事生活を一変させた。あれからお嬢様は目に見えて不機嫌になり、私と顔を合わせればリスのように頬を膨らませていた。それはそれで可愛いのだが、このままでは護衛など務まらない。なんとかお嬢様のご機嫌を取らねば。しかしどうやって……。
本日もお嬢様は庭でお茶をリリーと共に。私は少し離れた所から、二人を見守っている。花壇の周りを可愛い真っ白なちょうちょが、ひらひらと舞うように飛んでいた。
あぁ、可愛いなぁ……とか現実逃避している場合ではない。こんな離れた位置から見守っていても、護衛とは言えない。しかし近づけばお嬢様はドングリを詰め込んだリスになるし……一体どうしたものか。
「お嬢様と何かあったのですか?」
そんな悩める私の隣へと、クレイン様がやってきた。
まさか、お前がアホみたいな事言うから……とか言えない。もしここで私が男装した女性……つまり、温泉でクレイン様が美しいと評価したのが私だと知られれば、お嬢様のご機嫌は更に悪くなるだろう。
しかしクレイン様に相談するのも悪くない。お嬢様に仕えている時間で言えば、クレイン様の方が長いのだから。お嬢様のご機嫌を取る方法くらい、熟知しているだろう。
「実は少し……ご機嫌を損ねてしまいまして。内容は口止めされているので言えないのですが、どうしたものかと……」
「そうですか、安心しました」
おい、どこに安心できる要素があったよ。関節極めてやろうか。
「安心……とは?」
「お嬢様は年頃のお友達が居ないのですよ。私達の主人、貴方にとっては上官ですが、レイバール総督は……大雑把な性格をしていますがお嬢様を溺愛してまして。昔から箱入り娘に育ててきたのもあって、外界との交流が少なかったので。そんなお嬢様には、まともに喧嘩出来る相手すら居ないのですよ」
「……もしかして、お嬢様を温泉に行かせてるのも……」
「ええ、交流を持たせようとしているのかもしれません。私も最初は反対したんですよ。お嬢様専用の囲いでも作ればいいのでは、と。しかしつっぱねられました。いずれ、お嬢様はこの街の顔になるのだからと」
大佐はお嬢様をこの街の長として育てるつもりだったのか。確かにお嬢様は箱入りとは言え、かなり優秀だ。数十人の家庭教師を雇い、数々の習い事を完璧に熟している。神学の授業で教師を論破する所を見た時、思わず私は拍手してしまった。教師は苦い顔をしていたが。
「ですからアリア、貴方に護衛という任務があるのは承知していますが、一度真正面からお嬢様とやりあってみては如何でしょうか」
「口ではまともに喧嘩できそうにないですね、やりあう前に一瞬で論破されますよ。だからと言ってまさか格闘を繰り広げるわけにも……」
「ふむ。ならここは男の武器を使いましょう。お嬢様を少しだけドキっとさせるのです」
ぶん殴るぞおまえぇぇ!
今こうなってるのは、お前の不用意な発言のせいなんだよ! ドキっとしたのは私の方だ! いつお嬢様に背中から刺されるかとドキドキしてたわ!
「……クレイン様、その……お嬢様を篭絡しろと?」
「まさか。少しだけですよ、例えば……」
クレイン様は、私に顔を寄せつつ……指先で髪の毛をそっと撫でてくる。
「お嬢様……髪に、花びらが……」
その瞬間、私の背筋に寒気が。おい、見られてる、見られてるぞ、お嬢様に!
視線を向けなくとも分かる。この強烈な殺気は間違いない。
というか顔が、顔が近い!
「と、こんな感じにですね……」
私は思わずクレイン様から距離を取る。クレイン様は私の事を男だと思っているから何とも思わないだろうが、お嬢様からしてみれば……。
チラっとお嬢様の様子を遠目から伺ってみる。あぁ、もう、滅茶苦茶こっちを凝視してるじゃないか!
◇
《ゴドウィック家の一人娘(お嬢様) マリーダ・ゴドウィック》
「リリー、あいつら何してんの?」
「はい? まあ、男の子同士で……なんてエロ……いやらしい!」
リリーと一緒に庭でお茶とお菓子を楽しんでいる時、少し離れた花壇の向こう側で、クレインがアリアに顔を寄せ……なんだか怪しい雰囲気。
何故かリリーは嬉しそうにはしゃいでいた。私は私で、冷めた視線で二人を眺めている。
甘いクッキーを口へと放り込みながら、ミルクティーを一口。そのまま、男二人を眺めてはしゃいでいるリリーを落ち着かせるように、その可愛い口にもクッキーを押し込むように食べさせる。
「リリー、貴方……何歳?」
「え、ぁ、はい、私は今年で二十六ですね、お嬢様」
「そう、私より六つも上だったのね。これからは敬意を払って接するわ。いつも美味しいクッキーをありがとう、リリー」
「えぇ、や、やめてくださいよぉ、お菓子作りは趣味みたいなもので……その……」
顔を真っ赤にして、私が結ってあげた三つ編みを撫でるリリー。
新人のリリーは基本的にドジっ子。クレインから叱られているのも度々目にしている。でも私はそんな彼女が、今までの使用人の中で一番好きだ。手作りのお菓子は美味しいし、なんだか見ていて飽きないというか……。するとリリーは咄嗟に話題を変えるように
「あ、あの! お嬢様は……その、好きな殿方とかいらっしゃるのですか?」
「ん? 私? えー、まあ、いるっちゃいるけど……」
あそこで男装したアリアとキャッキャしてる執事がそう……とは言えないけれど。
私の裸よりアリアのほうへ視線が行くなんて。確かにアリアの方がよほど大人の体型をしている。それにクレインとは子供の頃から執事とお嬢様の関係。私の事など、良くて妹くらいにしか思ってないのかもしれない。
「お、お嬢様! その殿方……だ、だれですか?」
「ストレートに聞いて来るじゃない。リリーが言うなら答えるわよ、好きな人」
「わ、私……ですか!? え、えぇ……ど、どうしようかな……」
え、居るの?
リリーは顔を真っ赤にしながら、もじもじとティーカップを弄り回しながら
「その……最近あったばかりで……全然、その人の事、知らないんですけど……」
チラ、チラ、とリリーの視線が少し離れた執事の方へ。
まさか……
「……アリア?」
「はぅ! ち、ちちちちちがいますよぉぉぉ!」
なんてことだ。リリー……貴方、なんて事。
そしてこれは悲劇の幕開けになってしまう。リリーが深追いする前に、アリアが本当は女だという事を知ってもらわねば。
「リリー、一応確認しておくけど……クレインじゃないよね?」
「はい? 違いますよぉ、クレインさん……私の事、絶対嫌いですし。この前なんて私がお砂糖とお塩間違えただけで凄い叱ってきて……」
うん、それはクレインが正しい。甘い筈のケーキがしょっぱかったら、私はショック死してしまう。
「……リリー、今夜……一緒に温泉行かない?」
「はっ! い、いいんですか? 私ごときと、温泉にいって……いいんですか!?」
「私ごときって……リリーは素敵な女性よ。だから……リリーの事は守りたいの」
温泉に包み込んでもらいながら……リリーにはアリアの真実を知ってもらおう。
そのためには、アリアと仲直りしなければならない。私は最近、彼女に嫌な態度を取っていたし。
あー、もう……それもこれも……クレインのせいよ。
私の事なんて眼中にないのかしら……。結局私は、クレインのお嬢様でしか……ないのかしら。
◇
《ゴドウィック家の使用人 リリー・アルメシア》
密かにお嬢様との温泉はとても羨ましく思っていました!
いつも温泉の中では、遠目からお嬢様を見ているばかりで……いつも傍にいる女性は一体誰なのかとか、気になる事は沢山あって……今日はそんなお嬢様と、一緒に温泉!
ふふふのふ! お嬢様の好きなお菓子とか、好きなお花とか、好きな……人とか。
温泉に浸かりながらなら、色々と聞けるかもしれない! よぉし、頑張るぞぉ!
「お姉さん、俺と一緒にあったまろうや」
そんな……私は今、ものすごいピンチです……。
イカつい、体が大きい男性三人に脱衣所で取り囲まれ、非常にピンチです。
「ぁ、ぁ、ぁの、私、お約束が……」
「いいじゃねえか、そのお友達より、俺らと一緒の方が絶対楽しいぜ。色々おしえてやるよ、なあ、お姉ちゃん」
ひぃぃぃぃぃ! お嬢様と入れるのが嬉しくて、まだ女性が少ない早い時間帯に来てしまったのが運の尽き……。どうしよう、どうしよう……誰か、誰か助けて……。
でも周りの男性は見て見ぬふり。見た目からしてイカつい男に取り囲まれる私を、無視して通りすぎてしまします。まだ服を着ている事が幸い……こんな人達に、あられもない姿を晒すなんて、絶対に嫌だ……。
逃げるしか、それとも叫び声をあげれば、誰か助けてくれるかもしれない。
でも、声が、声が出ない。怖くて喉に力が……
「おい」
そんな時……まさかの助けが。
「いだだだだだだ!」
大男の手を捻って、あろうことか宙に舞わせて投げ飛ばしてしまう。そんな物凄い事をしてしまった人……それは執事服に身を包む、あのお方。
「な、なんだテメエは! やんのかコラァ!」
「悪役の台詞ありがとう。リリー、迎えにきました。よく耐えましたね」
「このやろう!」
執事服に身を包むアリアさんは、襲い掛かってくる男を一瞬で……あっさりと脱衣所の床に積み上げてしまいました。
そしてアリアさんは、積み上げた大男達に一言。
「次、同じ事をしていたら軍に通報する。今回は見逃してやる、二度と顔見せるな」
あぁ!
な、なんてカッコイイ! もう、もう、もう! 私はもう、貴方にメロメロです! アリアさん!
「リリー、大丈夫ですか?」
「は、はぃぃぃ……ありがとうございました……」
勢いで抱き着いてしまいそうになるのを我慢して、ひたすらもじもじするだけの私。
ダメだ、こんなんじゃダメだ、もっと、もっと、私は貴方に感謝しています、もう大好きですってアピールしないと!
「あ、あ、アリアさん!」
「ん?」
……あれ?
すでに執事服を脱ぎ始めているアリアさん。なにか胸のあたりから白い布……サラシ? なんでそんなもの……そしてそれをスルスルと取ると、そこには男性には無い筈の……
「え? え? あ、アリアさん? こ、これ、これなんですか!」
思わずその柔らかい物を鷲掴みにしてしまう私。
あぁあぁぁ、なんで、なんで男のアリアさんにこんなのが!
「リリー、お嬢様から聞きました。つまり……そう言う事です。騙していてごめんなさい。しかし、これには深い事情があるのです……聞いてくれますか?」
私の瞳をまっすぐに見つめてくる……アリアさん。
その瞳は私の中へと、驚くほど静かに深く……浸透していきました。