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第十四話

 蒸気の香りが漂う街の、物静かな一角の教会。今はもう訪れる者は居ないと寂しそうに佇んでいる。しかしザナリア様は時折ここを利用しているようだ。この街にはどうやら新しい教会があるらしく、皆そちらを利用しているそう。この小さな教会は、いずれ取り壊されるそうだ。


「なんだか寂しいですね、壊されると思うと……」


「興味本位で子供が入り込んで崩れると困る。その前に壊さないとな」


 私達は教会を出て、なんとなくもう一度仰ぎ見るように。かつてここも賑わっていたのだろう。だが時の浸食には何事も無力だ。時間は人間の感情すら風化させる。だから必要なのだろう、あの絵描きのような存在が。ザナリア様が戦場の絵に求めているのは、そのあたりなのかもしれない。


 そういえば、この街には……温泉は無いのだろうか、とか考えている私はだいぶ温泉好きになってしまったようだ。思えばマリスフォルスに来て三年、ずっとあの温泉にお世話になってきたのだから仕方ない。あぁ、なんだか妙に温泉に入りたくなってきた。


「ザナリア様、とりあえず……私はマリスフォルスに帰還します。お嬢様も心配ですので……」


「そうか。ところでさっきの……俺がメイド云々は……」


「本気ですよ。ザナリア様女装したら絶対可愛いと思うんですよね……」


「少尉とはじっくり話したい気分だが……それよりも俺は俺で気になる事がある。街の出口まで送っていこう」


 気になる事……? 


「ザナリア様、気になる事とは……?」


 私は歩き出したザナリア様の隣へと早歩きで追いつきつつ……って、なんでこんな歩くの早いんだ、少しは私に合わせて歩いてくれても……


「あ、あの、ザナリア様? 何をそんなに急いで……」


「少尉に思いもよらぬ事を言われたので一瞬忘れていたが……サリアさんの店付近をうろついていた不審人物、もしかしたら軍の関係者かもしれないと思ってな」


 不審人物……そういえば私も見たな、あれはリリーだったけど。

 そうか、サリアさんは軍から追われている身。いくらレイバール大佐が匿っているとはいえ、やはり情報は完全に遮断出来ない。恐らく何らかの形でサリアさんがこの街にいるとバレてしまったのだろう。


「どうするのですか? まさか……暗殺……」


「そんな事はせん。どこまで情報が漏れているか確かめるだけだ。それによっては、サリアさんにはこの街から離れて貰う事になるかもしれんが……」


 流石に軍の人間を殺してしまうわけにはいかんか。そりゃそうだ。そんな事をすれば大騒ぎになる。そしたら軍警察が動き出すかもしれない。いや、今実際動いているのは軍警察じゃないのか?


 もしそうだとしたら……もはやサリアさんに安住の地は無いという事になってしまう。彼らの追跡から逃れるのは至難の業……というか不可能だ。何せ軍警察に主に在籍しているのは……


「わん!」


「わぁ!」


 な、なんだ、いきなりワンコに吠えられた!

 道端に佇んていた一匹の真っ黒なモッフモフな小型犬に!


「……? なんだかどこかで見た事があるような……」


「……! 特殊軍警察犬(ケルベロス)! 何故こんな所に!」


 え、なにその見た目にそぐわなすぎる名前。こんな可愛い子犬ちゃんにケルベロスって。


「ザナリア様、この子をご存じなのですか?」


「ご存じも何も、鍛えられた軍用犬みたいな物だ。軍警察の切り札と言ってもいい。恐らくそいつは、俺たちに付けられた首輪だ」


 首輪……首輪を付けているのはこの子の方だが。

 もしかして私達を監視しろと言われたのか? なら……


「おい、少尉。何故抱っこしている」


「え? この子は私達を追いかけろと命じられているのですよね。だったら逃げても無駄です。なら、こうして一緒に居た方が効率的かと」


「効率的にしてどうする……。命令だ、少尉。今すぐそのワンコを元の位置に戻しなさい」


「い、いやです! ちゃんと面倒見ますから!」


「わん!」


 ほら、この子だって私達と一緒に居たいって言ってるし!


「少尉、分かっているのか? そいつは軍警察に鍛えられた……賢き犬。我々の動向などすぐにバレてしまうぞ。サリアさんの事も……」


「その通り……!」


 その時、我々の目の前に現れた……シロクマ! 軍服に身を纏っている……という事は軍人か。しかしその胸にある徽章は、軍警察の物。そう、軍警察とは主に獣人で構成されている。彼らは我々とは違い、五感に優れた者が多い。追跡や証拠発見能力が段違いなのだ。


「貴方は……もしや軍警察の……」


「うむ。リガルド・ブラウン捜査官だ。そして今、お前が抱っこしている犬は俺が育てた軍警察犬、マルコ!」


「わん!」


 そうか、マルコちゃんっていうのか。撫でとこう。


「話は全て聞かせて貰った。やはり匿っていたか、サリア・ガストルクを!」


 不味い、バレバレじゃないか。しかしザナリア様は冷静に、目の前のリガルド捜査官へと


「……リガルド捜査官。彼を逮捕する気か? 相手はかつて、アミストラを震撼させた程の魔道士だ。下手に手を出せば……この街が消し飛ぶぞ」


 勿論方便だろう。サリアさんにそんな力があろうが無かろうが、追い詰められたからと言って街を巻き添えにするような人物には到底思えない。しかし、そんな脅しが通じるのか? 相手は軍警察だ。噂に聞くところ、彼らに情という物はない。ひたすら自分達の信じる正義に忠実な……


「……フ、フフフフ、サリア・ガストルクについては我々は念入りに調査している。そ、そして! 現在も調査中だ! 今すぐ逮捕なんてしないわ!」


 ぁ……結構脅しは有効のようだ。


「ちなみにリガルド捜査官。その調査というのはいつまでの予定だ? 場合によっては……レイバール大佐へ報告せねばなるまい」


「レ、レイバール……?! 奴もグルだったのか!? っく……あのトンチキ野郎まで絡んでるなんて……」


 サリアさんの調査をしていた割りには、大佐もこちら側だという事を知らないのか。シロクマ……いや、リガルド捜査官の体が小刻みに震えている。大佐に何か嫌な思い出でもあるのだろうか。


「と、とにかく! サリア・ガストルクは俺の獲物だ! 絶対に逮捕して手柄を立ててやる!」


「と言う事は、まだ貴方の独断での調査と言う事か」


 ザナリア様の雰囲気が変わる。まさか殺る気か? さっき、そんな事はしないって言ってたのに。しかし確かに……ここでリガルド捜査官に行方不明になってもらえば、サリアさんは守られる。でも……マルコちゃんはどうするんだ!


「な、なんだ、やる気か? 言っとくが、俺は元々陸軍所属のバリバリの武闘派だ! ただの人間に負ける要素など無い!」


 いいながらファイティングポーズをとるリガルド捜査官。だがその構えは素人臭い。バリバリの武闘派にしては……毛並みも整っている。大佐の所にいるライオンの獣人は、もっと傷だらけで殺気を溢れさせているが……。


「ザナリア様……ここで口を封じるのですか?」


 私は小声でザナリア様へと話しかける……が、小声でもシロクマの聴力では丸聞こえのようで……


「ひぃ! 口を封じるとか! や、やる気か?! 俺は元々陸軍所属の……」


 それはさっき聞いた。というか分かりやすいハッタリだな。陸軍所属は本当かもしれないが、恐らくどちらかといえば事務方……。軍警察はデスクワークも大忙しとか聞いた事あるし……。


「リガルド捜査官、手柄を立てたいのであれば……もっといい話がある。わざわざ危険極まりない魔道士に手を出す事も無いだろう。彼の事は私もレイバール大佐も監視対象としているのだ。軍に報告すれば、それこそ血の気の多い奴が挑みにくるかもしれない。それを懸念して報告は避けていた。未だ我が国の軍も不安要素を多く抱えているからな。それはリガルド捜査官の方が詳しいと思うが」


 手柄をチラつかせつつ、サリアさんへ下手に手を出せない理由まで用意している。ビビリのシロクマには十分すぎる程の説得材料。さあ、リガルド捜査官はどうする……。


「……フ、フフフ、もっといい手柄とは……俺のワンコ、マルコを拉致した事か?! アリア・レウルーラ少尉!」


 拉致って……抱っこしてるだけですが……。

 

「マルコちゃん……短い出会いだったね……ほら、飼い主の元に帰りな」


 マルコちゃんと地面に降ろすと、クーンと鳴きながら首を傾げ、なんと私の足にくっついてくる。なんて可愛いケルベロス。


「マルコ……! 貴様、この女好きめ! 俺の元に帰って来い!」


 しかしマルコちゃんは私の足へとしがみつくように前足を回してくる。ほわぁぁぁ! つかまってしまった!


 それを見たザナリア様は小さく溜息を吐きつつ


「リガルド捜査官。サリア・ガストルクの店の周りをうろついていたというのは……貴方ですか?」


「あ? あいつの店? 絵の具臭いから近づいてすらいないが……」


「……最近、サリア・ガストルクを嗅ぎまわる輩が居るらしいですが。もしや、貴方の手柄を横取りしようと……」


「な、なんだとう! ゆるせん! そんな事はさせんぞ!」


 ってー! リガルド捜査官がものすごいスピードで四足走行を! 滅茶苦茶早いな! シロクマ!


「追うぞ! 少尉! もしかしたら一気に解決出来るかもしれん!」


「え、えぇ?!」




 ※




 急ぎリガルド捜査官を追って、サリアさんの店の前まで戻ってきた。リガルド捜査官は鼻を押さえつつ、物陰に隠れていた。図体デカいから全然隠れる事が出来ていないが。


「あれで軍警察なんですか、あの人……」


「だから犬を使っていたんだろうな。あの図体では目立ちすぎる。それに、彼はどちらかと言えばデスクワーク専門だろう。軍警察で主に現場に出ているのは、もっと小回りの利く獣人の筈……」


 ぁ、店の中からペトラちゃんが出てきた。どうやら店の周りを掃除するらしく、箒と塵取りを持っている。だがそこに……黒いコートを身にまとった男が。私達はリガルド捜査官の背中へとくっつくように、その巨大な影に隠れながら


「見るからに怪しいのが着ましたが……リガルド捜査官」


「うむぅ、様子を見よう」


 このクマ……ビビってるのか? その図体で。


 キョロキョロ周りを見渡す黒コートの男。そして明かに様子を伺っているシロクマを見つけると、足早に去ってしまった。


「……臭う、臭うぞ。絵の具の匂い……では無く、事件の匂いだ」


 リガルド捜査官を見て逃げて行った? こんな目立つ図体してる上に軍服着てるから……。というか、事件の匂いっていいながら鼻押さえてるじゃないですか、貴方。


「マルコ、追え、あの男だ」


「わん!」


 リガルド捜査官より数段頼りになりそうなマルコちゃんが、男の後を追跡する。

 その後を追おうとするリガルド捜査官。だが、私とザナリア様は顔を見合わせ


「リガルド捜査官、ここで待機して貰えますか。あの男は我々が追います。手柄は横取りしたりしませんので」


「……えっ、そう? じゃ、じゃあお願いしようかな……」


 本当に軍警察か、このクマ。

 だが今はここに居て貰った方がペトラちゃんは安全だろう。軍服を着たシロクマがバレバレの監視をしているのだから。








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