第十二話
見るからに怪しい人物。ロングコートに深々と帽子をかぶり、口元をスカーフで隠している人物。
よくよく見ると、なんだか見覚えのある立ち姿だった。この人は……
「リリー姉さま? 何してるんですか?」
「ふほぅ! あ、アリアちゃん!」
明かに挙動不審なリリー姉さま。私が声をかけると、吹けもしない口笛を吹くフリをしつつ「だ、誰のことですか、リリーって」などと言い出した。私の名前を呼んだ後でその誤魔化しは無理があるだろうに。
「……成程、大方分かりました。お嬢様が来てるのですね。休暇中の私に気を使って頂いてありがとうございます」
「お、おおぅ……そこまで一瞬で推察しちゃうなんて……名探偵アリアちゃん……」
まあ、リリー姉さまのその恰好は正直不審すぎて、未だに何故そのファッションを選んだのか、流石の名探偵も分かりかねるが。
「それで、お嬢様はどこに?」
「い、いや……その前にアリアちゃん、一つだけ確認させてください」
「はい?」
リリー姉さまは私の肩をガっと掴みつつ、暑苦しい恰好で顔を寄せてくる。なんだ、キスでもする気か?
「アリアちゃん……ザナリアさん、好きなんですよね」
「……ぇ」
一瞬、固まってしまった。顔が赤面するのが分かる。いや、でも……なんで……まさかリリー姉さまにバレて……
「絵が」
「……はい? 絵? あぁ、はい! 絵! ザナリア様は絵がお好きです!」
な、なんだ、絵の事か……。
「……アリアちゃん、ザナリア様の好きな絵は……一枚しか選べないと思うんです」
「……? え、えぇ、そうですね、とても高価ですから……」
「時には、絵からアピールする事もあると思うんですよ、私を気に入ってって」
まあ、なんとなく分かる気がする。私も先程、あの絵を選んだ時に引き込まれる物があった。私の感受性は死んでいるから、絵から私を選んだと言われたら納得出来てしまうくらいに。
「……後悔の無いように……。選ばれなかったとしても、その絵の魅力は変わりません」
「はぁ……あの、リリー姉さま……?」
「私はもう戻るので……アリアちゃんはザナリア様と休暇を楽しんでくださいね」
再びザナリア様を意識してしまう。私はコクコクと頷きながら、怪しい恰好で去っていくリリー姉さまを見送った。なんだろう、リリー姉さま、いつもと雰囲気が違うというか……。そう、まさに温泉で感じた、包容力の凄まじい方のリリー姉さまだ。ドジっ子メイドでは無く。
「アリア、もう絵はいいのか?」
すると店の中からザナリア様が出てきた。一緒にペトラちゃんも出てきて、私へと綺麗な封筒を手渡してくれる。
「その封筒の中に、本日購入して頂いた絵の諸々の書類が入ってます。商品は後日お届けさせて頂きますので」
「あ、はい。ありがとうございます……」
ペトラちゃんは深々とお辞儀をしながら「ありがとうございました」と私達を見送ってくれた。私とザナリア様は、そのままお昼ご飯を食べに行こうという事になり、共に歩調を合わせながら歩く。
なんだか先程のリリー姉さまの言葉が気になる。絵は一枚しか選べない……絵の方からアピールしてくる事もある……? なんでそんな事を……。そんな事を言いに来たのか?
「アリア、何かリクエストはあるか?」
「……ザナリア様、随分、女性に慣れたようですね」
「……なんだ、不満か?」
不満……では無いが、ザナリア様の変化の理由が分かるだけに……私の心は意味不明な叫び声をあげるのだ。いいじゃないか、お嬢様のためにザナリア様は変わろうとしている。そしてお嬢様も、ザナリア様の事を……
死にたい……もうどこでもいいから戦場に送られたい。そこで私は、ザナリア様を想いながら死にたい……。そしたら、少しくらいザナリア様は私の事を覚えていてくれるかもしれない。
……いや、なんでそんな事考えれるんだ。
そんな事、ザナリア様を傷つけて何が嬉しいんだ。ザナリア様の心の傷になってまで、私は覚えていてほしいのか?
不毛だ、こんな気持ちは……
「……どうしたんだ、アリア。手が震えているぞ」
ザナリア様に手を取られた。そのまま立ち止まり、両手で私の両手を包み込んでくる。
「……ザナリア様……」
「一体どうした、何かあったのか?」
数日前のザナリア様なら、こんな事を出来る人間では無かった筈だ。恐らくこの人は無意識で……今、自然とこの行動を取っている。私の心の不安を汲み取ってくれた? ダメだ、頭が働かない……。
「ザナリア様……ザナリア様こそ、私の裸で鼻血だしてたくせに……よくこんな風に手なんて握れますね」
「それを言うな……頼むから他言無用で頼むぞ、アリア」
「……いいですよ、わかりました。私達だけの秘密です」
「そうしてくれると助かる」
なんだ、どうなってんだ私の心。
嬉しくて仕方ない。二人で秘密を共有し合う。そんな事がこんなに嬉しいのか? こんなにも世界が輝いて見えるのか? まるで一瞬で別の世界に来たかのような感覚。私とザナリア様だけ……。
「……で、どうしたのだ、アリア。そのクマといい、何か悩み事があるなら聞くぞ」
「……悩み事……ですか。じゃあ、聞いてくれますか?」
「ああ、言ってみろ」
私はゆっくりザナリア様の手をほどき、そのまま軍服の襟元へと顔を沈めた。一瞬、ザナリア様がビクっと警戒したのが分かった。また私に投げられると思ったのか、それとも女性にこんな風に密着される事に慣れて無くて……あぁ、それなら嬉しいな。
「……アリア?」
「……貴方の事が……好きです」
※
《マリーダ・ゴドウィック (お嬢様)》
少し離れた所から、アリアとザナリア様を観察していた。やっぱり……そういう事だったのか。
今、アリアはザナリア様の胸元に顔を埋めて……しばらくそのまま動かない。リリーは何やら興奮した様子で悶えている。そしてパンダ中尉は必至に私の意識を別の方向へと向けようと必死だ。
「あ、あの、お嬢様……あれはですね、軍の礼儀作法の一つでして……! お昼時、何か食べる? と聞かれて何でもいいと答える代わりに、あのような……」
「……パンダ中尉、ごめんなさい。少し黙ってて」
「ぁ、ハイ」
アリアとは三年……くらいの付き合いだ。彼女の性格は私が一番良く知ってる。礼儀正しくて、ちょっとお茶目で、義理堅くて、しっかりもので……何をするにも私を最優先させる。
そんなアリアが、あんな行動に出るなんて予想もしなかった。というか、ザナリア様の事を好きになってしまうなんて。
「リリー、私ね……クレインの事、結構本気で好きだったんだよ……でもクレインにとっては、私は家族で……」
「えっ、あ、はい……クレイン様らしいですよね……」
「でも、ザナリア様と初めて会った時……凄く楽しかったの。私の話をちゃんと聞いてくれて、目を見て話してくれて……社交辞令だったろうけど、私が描いた絵を楽しみにしてるって言ってくれたの……」
「…………はい」
頬を涙が伝うのが分かった。私はもう諦めている……ザナリア様を。
だって、アリアは……
「こんなにコロコロと好きな男切り替えて……神様にいい加減にしろって言われたのかな……私」
「……っ! ち、ちがいます! お嬢様、ですからそれは……」
「分かってる……今の感情を大事にしろでしょ? 分かってる……分かってるから……」
足に力が入らなくて、傍にあったベンチに座り込んでしまう私。ザナリア様の事は、確かに好きだ。でもアリアの事は……もっと大好きだ。そして彼女の辛い人生を知っているだけに、私は……
「アリア……孤児だったんだよ……。その上、軍に徴兵されて、たった七歳で訓練受けて、戦争に立たされようとして……そんな人生あんまりだよ……私なら絶対耐えれないよ……」
「お嬢様……」
同じようにベンチに座って、私の肩を抱きかかえてくれるリリー。
そのまま頭を撫でながら慰めてくれる。
「アリアに……幸せになってほしい……。でも、ザナリア様の事、私……好きなの……。でも、アリアにも……幸せになってほしいの……」
「分かります、分かります……」
「私最低だよ……アリアに幸せになって欲しいのに、ザナリア様には……私の方に振り向いて欲しいって思ってる……最悪だよ、この前までクレインクレインって……私、どうすればいいの?」
子供のようにわんわん泣きながら、リリーの胸に顔を埋める。その暖かさが、余計に私を泣かせてくる。私、もう……一体どうしたいの? この気持ち、一体何処に仕舞えば……
「お嬢様……」
リリーはひたすら私を抱きしめて慰めてくれた。
このまま涙を流しつくしてしまおう。そしたら、少しは楽に……なるかもしれない。
※
《アリア・レウルーラ》
……口走ってしまった事を後悔しても、もう遅い。
ザナリア様は何も言わず、ただ私が離れるまで待っている……。私は自分の気持ちに折り合いを付けつつ、そっとザナリア様の胸元から顔を離した。
「……申し訳ありません、口が滑りました。忘れて下さい……」
私は涙目の目元を乱暴に拭いながら、ザナリア様へとそう言い放った。本当は忘れてほしくないと心から願っている。でも……ザナリア様にはお嬢様を幸せにしてほしいのだ。それは私の、嘘偽りない……本当の気持ち。
「……少尉、少し付き合え」
「……はい?」
「すぐそこだ。来い」
そのまま私とザナリア様は、街の小さな教会へと……足を運んだ。




