圧倒的な蹂躙と、滑稽な絶賛
国内最大級のWeb小説投稿サイト『ノベルフロンティア』において、ひとつの異変が起きていた。
突如として現れた新人作家『GHOST』による、異常な更新ラッシュである。
「よし、ミューズ。今日の夕方更新分のプロットだ。通勤・通学時間帯を狙うから、一話あたりの文字数は二千文字ジャスト。最後は絶体絶命のクリフハンガー(引き)で終わらせて、読者の翌日への渇望を最大化しろ。文体は引き続き、ダークファンタジーの重厚感を維持すること」
神谷の叩き込む緻密なプロンプトに対し、AIアシスタントの『ミューズ』はわずか数秒で完璧なベーステキストを出力する。
神谷はそれを熟練の眼で瞬時にスキャンし、人間特有の「揺らぎ」や「エモーショナルな間」をエディットで付与していく。
朝の通勤時間帯に一万字。昼休みに一万字。そして夜のゴールデンタイムに一万字。
一日トータル三万字。一般的なプロ作家の約一ヶ月分の作業量を、神谷はたった一日で、しかも毎日連続で投稿し続けていた。
ただ文字数が多いだけではない。
神谷は元チーフ編集者として、サイト内の「読者トレンド」「検索キーワード」「離脱率の高い展開」といったデータを完全に把握していた。
読者がどのタイミングでカタルシスを求めているのか。どの言葉を使えばSNSで拡散されやすいのか。
そのすべてのマーケティングデータをプロンプトに落とし込み、AIの処理能力で具現化する。
言うなればGHOSTの作品は、何百万という読者の欲望を完璧に計算して作られた『最高級の麻薬』だった。
『なんだこの更新速度!? しかもめちゃくちゃ面白いんだけど!』
『毎回引きが神がかってて、読むのをやめられない……!』
『作者、寝てんのか? 人間業じゃないぞこれ!』
『最近、ダンアツ文庫の作品がマンネリ化してたから、こういう尖ったの待ってたわ!』
読者の熱狂はSNSを通じて瞬く間に伝播し、GHOSTのデビュー作『追放された無能参謀、機巧の軍団を率いて世界を蹂躙する』は、投稿開始からわずか一週間で、日間・週間・月間のすべてのランキングで不動の第一位を奪取した。
神谷の狙い通り、作品のジャンルは『ダンアツ文庫』が最も得意とし、看板作品を乱発している王道のダークファンタジーである。
読者の可処分時間は有限だ。圧倒的な質と量で読者の時間を独占するGHOSTの存在は、そのまま他レーベル――特にダンアツ文庫への直接的な大打撃となっていた。
* * *
「どういうことだ! 今月の電子書籍の売り上げが、先月の三割減だと!?」
ダンアツ文庫の役員会議室に、オタシャチ社長の怒号が響き渡っていた。
数名の若手編集者たちが、血の気のない顔で震えている。
「し、社長、申し訳ありません。現在、ノベルフロンティアで『GHOST』という新人作家が異常な人気を集めておりまして……。うちの読者層が、完全にそちらに吸い取られている状態で……」
「言い訳をするな! たかがWebの素人一人のせいで、うちの看板作家たちの売り上げが落ちるわけがないだろう!」
オタシャチは苛立たしげに机を叩いた。
神谷という「都合よく仕事を押し付けられる防波堤」を失ったダンアツ文庫の編集部は、今や機能不全に陥っていた。
作家の遅筆やスランプをフォローできる人間がおらず、原稿のクオリティは低下し、刊行スケジュールもボロボロだ。
現場の悲鳴などお構いなしに、オタシャチは「魂を込めて説得しろ」という精神論しか口にしない。
「GHOSTだと? なんだそのふざけた名前は。どこの馬の骨ともわからん奴の作品に、我がダンアツ文庫が負けているとでも言うのか! 貸せ!」
オタシャチは若手編集者のタブレットをひったくり、憎々しげに画面をスクロールしてGHOSTの作品を読み始めた。
最初は「どうせ流行りに乗っただけの浅薄な駄作だ」と粗探しをするつもりだった。
しかし、数ページ読み進めるうちに、オタシャチのしかめっ面が、徐々に驚愕の色へと変わっていった。
(……な、なんだこの圧倒的な文章の熱量は……っ!)
オタシャチは息を呑んだ。
計算し尽くされたプロット。無駄のない情景描写。そして何より、主人公の「理不尽な世界への怒り」が、まるで作者自身の血をインクにして書き殴ったかのような生々しさで迫ってくる。
それでいて、読者を楽しませるエンタメとしての計算も完璧だ。
オタシャチは、自分がいつの間にか会議中であることも忘れ、画面に食い入るように文字を追い続けていた。
十話、二十話と読み進めても、一切クオリティが落ちない。それどころか、面白さは加速度的に増していく。
「……信じられん」
数十分後。最新話まで読み終えたオタシャチは、震える手でタブレットを机に置いた。
その目には、興奮による涙すら浮かんでいた。
「社長……?」
「天才だ……いや、鬼才と呼ぶべきか。なんだこの魂の籠もった文章は! まるで命を削って言葉を紡いでいるような、凄まじい執念を感じる!」
オタシャチは立ち上がり、興奮気味に両手を広げた。
「お前たち、見たか! これぞまさに『人間の魂の極地』だ! 毎日三万文字? 一体どれほどの睡眠時間を削り、どれほどの血の涙を流せばこれだけの作品が書けるというのだ! 最近流行りの『AI』などという無機質なゴミには、絶対に、何万年経っても書けない奇跡のテキストだぞ!!」
オタシャチの劇的な演説に、若手編集者たちは呆然と顔を見合わせた。
彼らは知る由もなかった。オタシャチが「AIには絶対に書けない人間の魂」と絶賛したその文章のベースが、彼が最も憎む最新の生成AI『ミューズ』によって毎秒数千文字のスピードで吐き出されたものであることを。
そして、その「凄まじい執念と怒り」が、他ならぬオタシャチ自身によって人生を壊された神谷健人のものであることを。
「おい、すぐさまこのGHOSTという作家にコンタクトを取れ! なんとしても我がダンアツ文庫で書籍化するんだ!」
オタシャチの目は、欲望と野心でギラギラと濁っていた。
これほどの才能を自社で囲い込めば、落ち込んだ売り上げなど一瞬で回復する。
それどころか、「完全ヒューマンメイド」を掲げるダンアツ文庫の象徴として、これ以上ない逸材だ。
「し、しかし社長。すでに他社からも相当な数の打診が行っているはずです。新参の我々が今から声をかけても……」
「馬鹿野郎! 金ならいくらでも積んでやる! 契約金一千万……いや、三千万円だ! 印税率も特別待遇で提示しろ!」
オタシャチの口から飛び出した破格の数字に、会議室がどよめいた。
新人作家に対する条件としては、前代未聞の金額だった。
「いいか、絶対に他社に渡すな! AIなんぞにうつつを抜かしている愚かな業界どもに、本当の人間の『魂』の力を見せつけてやるのだ! GHOSTの獲得は、我がダンアツ文庫の絶対命令だ!!」
* * *
「……くっ、ふふっ。あはははははっ!」
同じ日の夜。
四畳半のアパートでパソコンに向かっていた神谷は、モニターに映し出されたダイレクトメッセージを見て、腹を抱えて笑い転げていた。
【送信者:ダンアツ文庫 編集部(代表取締役社長 小田原鯱彦)】
【件名:書籍化および専属契約の打診について(特別条件)】
『GHOST先生。初めまして、ダンアツ文庫社長の小田原と申します。先生の作品を拝読し、そのAIなど足元にも及ばない熱烈な「魂」の筆致に、私は雷に打たれたような感銘を受けました――』
「雷に打たれたような感銘、だってさ。聞いたか、ミューズ? お前が十秒で書いたテキストが、人間の魂の極地だってよ」
画面の隅で点滅するコマンドプロンプトのカーソルは、当然ながら何も答えない。
しかし、神谷の胸の中にあるどす黒い怒りは、この上なく甘美な喜びへと変わりつつあった。
自分の保身のために神谷を「AIを使った」と冤罪で追放した男が、今度は本物の「AI生成物」を最高の人間の魂だと褒め称え、三千万円もの大金を積んで平伏してきているのだ。
これ以上ない、完璧な滑稽劇である。
「いいだろう。その誘い、乗ってやるよ。オタシャチ社長」
神谷はコーヒーの残りを飲み干し、口角を歪めた。
ネット上だけで正体を明かすのでは、ダメージが足りない。あのアナログ至上主義の老害に、二度と立ち直れないほどの社会的屈辱を与えるためには、ふさわしい「舞台」が必要だ。
「GHOSTという天才覆面作家の正体が明かされる、最高の舞台をな……」
神谷は、キーボードを叩き、返信のメッセージを打ち込んだ。
『小田原社長。破格の条件、誠にありがとうございます。前向きに検討させていただきます。つきましては、一度直接お会いして、契約の調印を行いたいのですが――』
送信ボタンを押す。
蜘蛛の糸は、放たれた。あとは、欲に目が眩んだ愚かな獲物が、自らその糸に絡め取られるのを待つだけだ。
神谷健人と最先端AIによる、理不尽なブラック企業への完璧な復讐劇が、いよいよ最終局面を迎えようとしていた。




