第五章 千の魔女と二体の幽霊
『カツン、カツン』
暗闇の中、石造りの階段を、硬い足音が昇ってくる。時刻は深夜の二時頃、起きている者は少ない時間だ。
『カツン、カツン』
階段を登りきった足音は、石畳の上を更に歩いていく。だが、それは階段正面に位置する厳かな建物には向かわず、横にそれていく。
『カツン、ザッ、ザッ』
石畳を外れた足音は、硬い音をやめ、柔らかいものへ刺さるような音へと変わった。その音は建物を迂回し、裏手の方へと向かっていく。
『ザッ』
足音が止まった。足音の主は、一際大きな一本の木の元に立っている。
白いコートを着た女だ。髪は長く整えられ、憎しみに満ちた表情で木の幹を睨みつけている。右手には包丁が、左手には歪な人の形をした、布切れが握られている。その足には、赤いハイヒールが履かれている。
「……」
女は無言で、布切れを木の幹に押し当てる。そして、右手を振り上げ、包丁の切っ先を布切れへと向けた。
今にも包丁を、振り下ろそうとしている。
「ずいぶん歪な、『ウシノコクマイリ』ってやつをやるんだな」
私の声に驚いた女が、私の方へ振り返った。目をまんまるに見開き、驚愕と怯えの色を浮かべて、こちらを見つめている。
「え、誰? 子供? しかも外国人?」
「おっと、人は見かけによらないよ。こう見えて、お前の何十倍も生きているんだからな」
驚きの色を隠せない女に向かい、私は次いで言葉を発していく。
「『イクタ レイミ』、二十八歳。ニパ……日本出身の女で、飲食店の運営側として働いている」
「え……なんで私のことを……」
「しかし、ちゃんとした仕事をしているにもかかわらず、随分と雑なことするんだな。でかい釘や白い日本の服を手に入れるのが面倒だと、包丁やコートで代用してるんだしな」
「!!」
女、レイミは、先程以上に驚愕の表情を浮かべた。
レイミのやっていることは、ニパングに伝わる呪いの手法、『ウシノコクマイリ』というものだ。深夜二時くらい、この時間帯を『ウシノコク』と言うらしいが、藁で作った人形に呪いたい相手の体組織の一部を組み込み、白いニパング独自の装束を着て、大きい釘で木に打ち付ける、といったものだ。異世界のこの国、日本にも、全くと言っていいほど同じ手順の呪いがあることは、驚いた。
しかし、レイミはそれらの道具を手に入れることを面倒くさがり、藁人形は布切れで、白い装束は国外由来のコートで、釘は包丁で代用しているのだ。その上、本来ならば裸足や日本独自の履物で行うところも面倒くさがり、気に入っている赤いハイヒールを履いているのだ。
まあ、それでもちゃんと発動しているあたり、案外手法そのものは厳守する必要はないのかもしれないが。
「そうやってズボラだから、コウジにも見捨てられるんだぞ」
「な!? なんであんた、そんなことまで!?」
私は『パストヴィズ』で、殺人鬼の霊の記録を読み取った。あれは死んだ者の霊ではなく、強い恨みによって発生する『生霊』と言えるものだ。だからなのかはわからないが、生命探知計が狂ったような反応を示したのはそれが原因だろう。
殺人鬼の霊の正体は、今目の前に居る『イクタ レイミ』の生霊だ。
「お前は付き合っていた男、コウジに別れを切り出された。別れた後、コウジは別の女、それもお前の職場の後輩と付き合い始めた。嫉妬に狂ったお前は、雑な『ウシノコクマイリ』を実行し、生霊でその後輩、ハルカを呪い殺した。そうだろう?」
「……」
レイミの顔が恐怖に歪み始めた。そりゃそうだ、真夜中に、呪いの現場に現れたガキに、自らの行い全てを見透かされているのだ。心臓が止まるような気持ちだろう。
レイミの生霊は、すすり泣く女、いや、ハルカという女を殺害した。その直後、これは何が原因かは掴めなかったが、ハルカの霊は私達の世界へと飛ばされた。そのハルカの霊に取り憑いたまま、レイミの生霊もひっついてきたのだ。
そう、ここは異世界なのだ。私の世界にも、呪いの概念自体はある。しかし、その殆どがただのまじないで効果がないか、魔法を用いる実害のあるものかである。霊的なものではない。
「お前を探ってここに来てみたら、ちょうどこの場面に遭遇してな。次は誰を呪い殺そうとしているかは知らんが、これ以上はやめたほうがいいぞ?」
「……だから何よ」
レイミが、ニタァっと笑った。その顔は、まさに殺人鬼の霊と同じものであった。
「そうよ! 私があの雌豚を呪い殺したのよ! だから何!? 私は直接殺してない! 私に罪はない!!」
レイミが大声で喚き始めた。まあ確かに、その通りではある。この世界この国の法律はどうなのかは知らないが、死を強く願うだけで殺人の罪に問われては、たまったものではない。少なくとも、私の行きている世界では、呪いで罪に問われる場所は少ない。魔法は別だが。
「通報したければ、すればいいじゃない! 私は人殺しでは捕まらない! 私は無実よ!」
軽くだけ、この日本という場所の事を調べてみたが、日常的な武器の所持は禁じられているように見えた。おそらく、包丁を持ち歩いていることには何かしらの罰則があるかも知れないが、今この状況ではそこまで頭は働いていないのだろう。
「いや、別にこの国の法的機関を頼ろうとは思っていないさ。ただ、知っているか? 『ウシノコクマイリ』のルールを」
「え……!!」
『……カツン……カツン……』
遠くから、硬い足音が響いてくる。おそらく、石造りの階段の辺りであろう。
「な……また誰か来る……?」
「誰かではないさ、お前だよ」
『カツン、カツン』
硬い足音は、階段を登りきり、厳かな建物前の石畳を歩いている。
『カツン、カツン、カツン』
足音は石畳を外れたが、硬い足音はや止まず、こちらにまっすぐ向かってくる。
立ちすくむレイミと、冷静な私の前に、それは姿を見せた。
「え……私……?」
レイミと全く同じ姿の霊が、そこにいる。
『ド コ ダ ? ド コ ニ イ ル』
レイミの生霊は辺りを見回しながら、地の底から響くようなおぞましい声で呼びかけてくる。
レイミの生霊に『パストヴィズ』を流すと同時に、もう一つ、魔法を流し込んでいた。攻撃的な魔法は効かないが、そうでないものは効果がある、そんな都合の良い霊という存在に、ぴったりの魔法があったのだ。
幻覚魔法『ホロアリス』。魔力を流し込んだ者の五感を操作し、幻視や幻聴を引き起こす魔法だ。レイミの生霊は、視覚や聴覚で私を探していた。だから、人間の姿や声を認識できないようにしたのだ。それでも、この場所まで特定してきたのは、私自身に取り憑いているためであろう。
「そうだ、お前だ。そして、『ウシノコクマイリ』は他人に見られると……」
唖然としているレイミを尻目に、レイミの生霊の方へ歩み寄る。やはり、こちらには気づいていない。生霊の側まで近づくと、右手に魔力を込め、その胸へと突き刺した。手が身体に入り込み、手先に懐かしくもおぞましい感覚が襲ってくるが、我慢しつつ、魔力を生霊へと流し込んだ。
流し込んだ魔法は『ホロアリス』。幻覚の内容は。
「呪いをかけている者に返って来る」
幻覚の内容は、レイミ本人が私に見え、レイミの声が私の声に聞こえるようにしたものだ。
『ミ ツ ケ タ ァ』
ニタァと、おぞましい笑みを浮かべ、生霊はレイミの方へを向き直る。そして、歩き始めた。
「ひっ! いや、助けて……!」
レイミは腰を抜かしたのか、その場に後ろへ倒れ込んだ。後ずさりをしようとするも、布切れを打ち付けようとした木に阻まれた。
「すまんが、無理だ。私は単なる正義の味方ではない。自分のためなら、悪の魔女にだってなるさ」
『カツン、カツン、カツン』
生霊が、自分の場所へと帰っていく。
「や、やめて! 私じゃない! 私じゃない!!」
『カツン、カツン、カツン』
しかし生霊には、自分の姿は見えていない。自分の声は聞こえていない。
「いや! いやぁ!」
『カツン、カツン、カツン』
生霊に見えているのは、殺すべき対象の姿のみ。生霊に聞こえているのは、殺すべき対象の声のみ。
『カツン』
生霊が、レイミの目の前で足を止めた。そして。
『ニ ガ サ ナ イ』
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
右手に持った包丁を、振り上げた。
***
すすり泣く声が、聞こえなくなっている。
噴水に座っている女の霊は、顔を上げて、不思議そうに辺りを見回している。その顔には、複数の刺し傷がある。
「もう大丈夫だ。お前を縛っていた生霊は、滅んだよ」
少しだけ離れた位置から、女の霊に語りかける。女の霊はこちらを見ると、ポロポロと大きな涙を流し始めた。
『ア リ ガ ト ウ』
きれいな笑顔を浮かべると、ハルカの霊は、白く輝く粒子となり、天へと昇っていった。
***
「やはり、ミレニア先生は素晴らしい方だ! すすり泣く女どころか、謎の殺人事件も解決してしまうとは!!」
「なに、偶然だよ。仮にあいつらが無関係だったら、少なくとも片方の解決はできていなかったさ」
ディオゲネス帝国の城の大広間にて、私とチヨはアルフレッドと共に、盛大な料理に囲まれていた。二つの幽霊事件を解決した礼の一つで、これとは別途、謝礼金も出るとのことだ。アルフレッドの背後左右には、相変わらず側近のレドと、もう一人の女が立っている。
「その偶然を引き起こす力こそが、ミレニア先生の強みなのです! やはり先生は、天運に恵まれている!」
「だから、単に生きている期間が長いだけだからと、何度言えばいいんだ」
呆れつつ、料理を頬張る。だが、すすり泣く女であるハルカの霊と、殺人鬼の霊であるレイミの生霊が関係していたことといい、どこぞの記者から不老不死の言葉が出たおかげで解決へと向かうことができたことといい、少しばかりはそうだと言ってもいいのかも知れない。
「しかし、生霊は何故、我が国の女性を襲ったのでしょうか。野次馬など、他にも沢山いたというのに」
レドが疑問を呈した。それは確かに、誰もが不思議に思うことだろう。
「実はな、生霊の本体が別れた『コウジ』という男の顔が、殺された女の恋人にそっくりでな。生霊の記録から読み取れたよ」
レイミの生霊はハルカの霊に取り憑き、ハルカの霊を縛り付けると同時に、内から隠れて辺りの様子を伺っていた。元の世界に戻れなかったためであろう。そして、自分が別れた恋人そっくりの男と一緒に居る女を見かけた。嫉妬に狂った生霊は、その女へと取り憑き、深夜二時、動ける時間帯に女が一人になるタイミングを狙い、殺害したのだ。
「なんとまぁ……しかし、直接手を下したのは生霊ですが、真に恐ろしいのは幽霊なんかではなく、人間なのかもしれませんな……」
「全くだよ。なあ、チヨ?」
「……」
チヨはふてくされた顔をしたまま、料理を口に運んでいる。私が危険な方法を取ったことが、よほど気に食わないようだ。ちなみに、不死の術は既に解除してある。
「全く、なにふてくされてるんだか。ああでもしなきゃ、むしろ普通に死んでたぞ」
「それでもです! あんなことしなくても、もっと安全な方法があったでしょうに!」
チヨがこちらに向き返り、大声を上げてきた。確かに、もっと長く冷静に考えれば、別の方法もあっただろう。しかし、連日夜中に襲われ、日中は睡眠もそこそこに対策を考えていた。頭がまともに働かないあの状況では、別の方法を探す前に過労死していたであろう。
「しかしなぁ、忌み嫌ってるとはいえ、死なない方法があるならそれを利用しない手は……」
「もし、もしですよ? あの霊に」
プリプリと怒っているチヨだが、そんな顔も我が娘ながら可愛らしい。
しかし、チヨは突如真顔になった。
「私と同じ方法で殺されたら、どうしたんですか?」
「……え?」
突然のことに、呆気にとられた。チヨはそう言い終わると、料理に向き直り、黙々と食べ始めた。
数秒固まり、ふとアルフレッドの方へと目をやった。アルフレッドも、私と同じような反応をしている。レドともう一人の女は、何が何やらわかっていないようであったが。
レイミの生霊は、包丁で刺すという物理的な方法で危害を加えてきた。これならば、傷を負ったり血を失ったりはするものの、死なないのならどうってことはない。
だが、十八年前、ティレニアで遭遇した怨霊のチヨはどうだったか。怨霊のチヨの犠牲者は、外傷は全く見られず、皆揃って恐怖に歪んだ顔のまま絶命していた。死因調査に関わったが、結局死因は不明であった。
もし、不死の人間が、怨霊のチヨの方法で殺されたら、どうなっていたのか。無事後遺症もなく、死なずに済んだのか。それとも。
それよりも、私はチヨに、ティレニアで怨霊のチヨに遭遇したことを話したことがない。その上、怨霊のチヨと今この場に居るチヨは、別の人間と言っても過言ではない。これらのことはアルフレッドも知っている。
では何故、『私と同じ』という言葉が出てきたのか。
「……このラザニアうまいな、アルフレッド」
「……ええ、アポロニアから取り寄せた食材を、我が国自慢の自律機械調理師が作ったものですよ、ミレニア先生」
私とアルフレッドは、そのまま料理へと向き直った。
私はチヨに、言葉の真意を聞くことはできなかった。
刺激のない、芯から染み込むような冷たさが、背中を支配していた。
読んでくださった方、ありがとうございました。
前作『異世界転死ー千の魔女と十五の怨霊ー』(https://ncode.syosetu.com/n6394gx/)の続きとして書きましたが、いかがだったでしょうか。
それでは、また別の作品で。




