初めての依頼
「グギェッ!」
耳障りな悲鳴を最後に、ティアに眉間を撃ち抜かれたゴブリンが絶命した。ゴブリンの血液は特有の悪臭を放つので、リオンは素早く風で臭いを撒き散らす。
「慣れてるつっても、やっぱこの臭いはキツイな」
ジェイグがゴブリンの耳を切り落としながら顔を顰めている。討伐証明のためにゴブリンの耳を持ち帰る必要があるので仕方ないとはいえ、やはり進んでやりたいものではない。だが他の魔物ならともかく、悪臭のするゴブリンの処理を女の子にやらせるのは気が引けるので、この役目はリオンかジェイグが引き受けていた。
なお、ゴブリンの耳は害虫駆除の薬剤に混ぜるため、需要は結構高い。ゴブリン自体の数が多いので、すぐに手に入るうえ値段も安いが。
「これで八匹目ね。単体のゴブリンに遭遇するってことは、このゴブリンは斥候役かしら」
ティアが少し離れた場所で、思案顔で辺りを見回している。ゴブリンは基本的に五から十体くらいの群れで行動することが多いため、単体で遭遇した場合はティアの言った通り群れの斥候役であるのがほとんどだ。その前に倒した七体は集団で襲ってきた。
「どうすんの? 依頼内容はゴブリン十体の討伐でしょ? わざわざ巣を探さなくても、目標数には届きそうだけど」
両手を頭の後ろで組んだ体勢で、ミリルがめんどくさそうに尋ねてくる。ランクの問題で仕方ないとはいえ、やはりゴブリンの討伐はつまらないようだ。
ゴブリンは、前世のゲームやファンタジー系の物語で有名な人型の魔物だ。一メートル程の小柄な体躯に醜い顔と声を持ち、力も頭も弱いが繁殖力だけは無駄に高い。数が多いと下級冒険者には辛い相手だが、群れてさえいなければある程度武器を扱える者なら簡単に討伐できる。ゴブリンの群れを討伐できるかどうかで、冒険者としてやっていけるかがわかるという、いわば新人冒険者の登竜門となっている。
もっともそんな雑魚がリオン達の相手になるはずもなく、先ほどから出会い頭に瞬殺されるという悲しい末路を辿っていた。
「まぁこの近くの巣なら無理に倒さなくても大丈夫だろ。遅くなると面倒だし、さっさと先に進もう」
「いいの?」
「街道や村の近くならともかく、ここら辺は素材の採取や討伐依頼で下級冒険者が来るくらいだから問題ない。ゴブリンの繁殖力を考えれば、小さな巣を一つ潰した程度じゃ大した意味もないだろうしな。むしろ、あんまり狩ると新人の相手がいなくなる」
巣の探索を放棄するリオンに首を傾げたティアだったが、リオンの説明に納得したらしく、黙ってリオンの後ろを付いてくる。リオン達も一応新人なのだが、この中でそこにツッコむ者はいない。全員がゴブリンなど相手にならないだけの実力があるのだから当然だ。
ちなみに依頼は十体の討伐だが、それよりも多く討伐すれば当然素材報酬は増える。しかし、現時点のリオン達の目的は報酬ではなくランクポイントなので、数を稼ぐ必要はない。ゴブリン相手に金を稼ぐよりは、さっさとランクを上げた方が結果として稼ぎは多くなるのだ。
「そういえばよ」
「ん?」
カームミルが生えている湖への道を歩いている途中で、ジェイグが何かを思い出したように口を開く。
「リオンとミリルは今日どこに泊まるんだ?」
「ああ、そのことか」
ジェイグの突然の問いに、リオンが「そういえば話してなかったな」と納得した顔で呟く。
リオンとミリルは今日で孤児院を出た。孤児院のルールでは十三歳になるまでは孤児院にいても構わないのだが、冒険者になった以上、いつまでも先生の世話になったままというのもカッコ悪い。それにエメネアを出るのはもう少しあとだが、冒険者らしく宿の生活にも慣れておこうと思ったのだ。
「俺はギルドの近くに宿を取るつもりだ」
「あたしもそうね」
一緒に旅をすることが決まったのは昨日なので、ミリルとも特にそのことは話していなかったが、どうやら同じ考えだったようだ。
「……ティアの家に泊まんないのか?」
「……何故そうなる」
女性陣に聞こえないように顔を近づけてきたジェイグが、小声で訳の分からないことをほざいてきた。確かにティアは王都に部屋を借りているが、何故そこにリオンが泊まるなどという話が出てくるのか。
「だって、今日ティアに気持ちを伝えんだろ?」
「だとしてもだ。その当日に泊まるとか、それじゃただの下心丸出しのオッサンだろ」
「ティアは気にしねえだろ。むしろ喜ぶと思うぞ?」
「……それはそれで困る」
国にもよるが、一般的にこの世界では十五歳で成人となり、結婚も可能となる。そのせいか精神的な成長も早く、早い者ならこの年でそういった関係になるものもいなくはない。とはいえ、告白した当日に、というのはさすがにどうかと思う。
「これから長い付き合いになるんだ。焦る必要もないだろ」
「……ヘタレめ」
「……ゴブリンの血の海に沈めてやろうか」
「えげつねぇ!」
鼻を押さえて逃げ出すジェイグ。少し離れて歩いていたティアが不思議そうな、ミリルが胡散臭そうな顔でジェイグとリオンのやり取りを眺めている。
「どうかしたの?」
「ああ、ジェイグが依頼が終わったら娼館に行こうとしつこくてな。呆れてたところだ。」
「うぉい!」
リオンが仕返しと話を誤魔化すために適当な事を言う。それに焦ったジェイグが素っ頓狂な声を上げて後ろを振り返った。
「言ってない! そんなこと言ってないからな、ティア!」
ジェイグがティアに対して弁明を始めた。本気で慌てているのか、顔が真っ青である。
(まぁ本当に俺を誘ったりしてたら、ティアは間違いなく本気で怒りそうだからな)
さっきのギルドでの一件がトラウマになっているのか、ジェイグはティアを怒らせそうなことに過剰に反応している。付き合いの長いティアがこんな冗談を真に受けるはずもないのだが。
「ふふ、そんなに必死にならなくても大丈夫よ。リオンの冗談くらいわかるから」
必死に否定の言葉を繰り返すジェイグにティアが優しく微笑む。実に大人な対応だ。
ジェイグもティアの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「けど、冒険者の男の人ってそういう店に行く人多いって聞くわよ。ジェイグならそのうち行くんじゃない?」
しかし、ここでミリルからさらなる攻撃。小さな口の端を吊り上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべている。オッドアイの瞳には嗜虐的な光が宿っていた。
「行かねえって! 何でテメエは話をこじらせようとすんだよ!?」
「だって、あんたモテなさそうだし。そういう店に行かないと、相手いないんじゃない?」
「俺だってその気になれば恋人の一人や二人――」
「あんたの恋人になるなんて、オークくらいじゃない?」
「オークはオスしかいねぇよ!」
「ツッコむところそこなのか……」
ジェイグとミリルのいつものやり取りを横目に見ていたリオンが小さくツッコミを入れる。もっとも、二人には聞こえておらず、相変わらずなじゃれ合いを続けていた。
「ねぇリオン……」
さっきまで後ろを歩いていたティアがリオンの隣に並んで声をかけてくる。ジェイグがミリルと口喧嘩を始めたので、こちらに来たのだろう。しかし、その目には少し不安の色が滲んでいた。
「どうした?」
「……リオンは、その……行ったりしないわよね? そういうところ……」
どうやらさっきのミリルが言った「冒険者の男はよく行く」的な発言で少し心配になったらしい。
実際、命がけで戦うことの多い冒険者は戦いの後の興奮を鎮めるために娼館などに行くことが多いらしい。生物としての本能によるところもあるし、向こうも商売なのだから、それに対してはリオンは特に何とも思っていない。女性として快くは思っていないが、男のそういう部分にはティアもある程度の理解はあるのかもしれない。
だからこそ、リオンが行くと言い出さないかが心配なのだろう。
(これもずっと俺が気持ちを伝えなかったせい……なんだろうな、きっと)
昨夜ジェイグも言っていたが、リオンの気持ちはわかりにくいらしい。同性で付き合いも長いジェイグや、赤ん坊の頃から一緒でリオンと一番付き合いの長いミリルは気付いていたようだが、その他の人物がリオンの気持ちに気付くことはないだろう。ましてや人は自分への好意には思いの外鈍感だ。もしかしたらティアはずっと前から、色んな不安を抱え続けていたのかもしれない。
けど……だからこそ、リオンはそんなティアのことを愛おしく思えた。不安にさせたのは申し訳ないと思うが、そんな不安を抱えて、それでも何年も前から一途にこんな自分のことを想い続けてくれていることがたまらなく嬉しかった。
だから、今は早くティアを安心させてあげたかった。さすがに今告白するのは場違いだと思うので、せめてもの想いを込めてティアの頭を優しく撫でる。
「リオン?」
突然頭を撫でられたティアが少し驚いた様子でリオンの顔を見つめる。そんなティアを安心させようと、リオンは笑みを返す。
「俺がそんなところに行くはずがないだろう?」
「そうだとは思うけど……でもリオンも男だし、戦いの後ってその……」
その先を言うのは恥ずかしいのだろう。大人っぽく見えても、やっぱり中身は年頃の女の子なのだ。
「というか、この前も言ったと思うんだけどな」
「え?」
「俺がティアを悲しませるようなことをするはずがないだろう?」
「あ……」
一昨日にも言った言葉。あの時は恥ずかしそうに俯くだけだったが、今は恥ずかしそうにしながらもいつもの穏やかな笑みを浮かべてくれている。
「またイチャついてる……」
「初めての依頼でこの余裕かよ……」
「いい加減付き合っちゃえばいいのに……」
「ああ、多分近いうちにそうなるぞ」
「え、マジ?」
目の前に広がる桃色空間に、さっきまで言い争いをしていた二人が呆れているので、名残惜しいがティアの頭から手を離す。ティアの少し残念そうな表情が後ろ髪を引くが、依頼の途中なのでそろそろ先に進むことにした。
それから歩き続けて半刻。
エメネアの街を出てから、およそ二時間が経った頃、ようやく目的の湖に到着した。
「さて、ここでカームミルを探すわけだが、同時にコボルト十体とゴブリン二体の討伐もする必要がある。帰り道で必ず遭遇するとも限らねえしな」
そう説明しながら、ジェイグはベルトに付けた袋から赤い液体の入った小瓶を取り出した。
「それは?」
「この前狩った動物の血だ。これを近くに撒いておけば、魔物が臭いに釣られて寄ってくるってわけだ」
ティアの問いにジェイグが得意げな顔で答える。人里や街道の近くでは使えない手段だが、こういった場所で狩りや魔物討伐を行うときには有効だ。冒険者の間でよく使われる方法である。
「危なくないの?」
「この辺りには強い魔物も出ないし、少量ならあまり遠くには届かないから大丈夫だ」
ジェイグが小瓶の蓋を開き、中身の半分ほどを地面に垂らす。手っ取り早く臭いが拡散するように、リオンが風を起こしたところで作業は終了。あとは魔物が寄ってくるまでに、カームミルを採取しておくだけだ。
「じゃあ四人でカームミルを探すか。魔物が来たらリオンと俺が片づけておくから、ティアとミリルは採取に集中してくれ」
ジェイグが決めた役割分担に全員が頷く。
そうして四人でカームミルの採取を始めて一時間。
リオンとジェイグは血の臭い引かれてやってきた魔物を出てきた端から瞬殺し、討伐証明部位を集めていた。
「これで十体目!」
ジェイグの大剣がコボルトの体を斜めに両断する。討伐証明部位である牙を傷つけないように肩口から斬り裂かれたコボルトの体がゆっくりと地面に倒れる。
ちなみにコボルトは依頼のランクが上なだけあってゴブリンよりも多少強いが、リオン達にとってはそんな差など無いも同然だった。
「これで討伐の方の依頼も完了だな」
リオンがコボルトの牙をナイフで切り落とし、それを腰に付けた革袋に入れて袋の口を閉じる。魔物によっては爪や皮や鱗なども素材として売れたりもするのだが、残念ながらコボルトやゴブリンは他に何も売れる部分が無いので、死体は全てジェイグが焼却した。
「カームミルの採取も終わったわ」
ティアがカームミルの詰まった袋を片手に、リオン達に合流する。
「なんか呆気ないもんね。冒険者の仕事ってこんなもんなわけ?」
両手を頭の後ろで組んだミリルが、つまらなそうに不満をこぼす。魔物討伐に参加させてやればよかったかとも思ったが、コボルトやゴブリン程度を相手にしたところで結果は変わらなかっただろう。
「まぁ最初はこんなもんだろ。ランク上げればもう少し手ごたえのある依頼もあるって」
苦笑いしながら、不満そうなミリルを宥めるジェイグ。それを眺めて穏やかに微笑むティア。魔物が出るとはいえ、静かな湖の畔というシチュエーションからか、どこかまったりとした空気が流れる。
だが……
「あ~、何かお約束って感じの流れだが……」
「……魔物以外も寄ってきちゃったみたいね」
「ミリルがつまんなそうにしてるからじゃねえか?」
「あたしのせいにしないでよね」
四人に近寄ってくる複数の気配。林の影からこちらを窺う視線。
ギルドで聞いた盗賊がリオン達の前に現れたのだった。