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研究所の主

 時は丸一日ほど遡る。


 ミラセスカ近郊の丘に仕掛けられていた落とし穴の遥か真下。


「疾っ!」


 短い呼気と共に、リオンが愛刀『輝夜』を一閃。


 回転するように振るわれた刃が、飛びかかってきていたストームウルフ五体全てを真っ二つに斬り裂いた。


「まったく……穴の底に落ちてからもこいつらの相手をすることになるとはな」


 水魔法で刀の汚れを落とし――剣閃が速すぎて、血糊は全く付着していなかったが――布で水滴と敵の脂を拭ったリオンが刀を鞘に戻して、小さく肩を竦める。


「しかもこの場所臭いニャ! 鼻が曲がりそうニャ!」


 他のストームウルフ達を相手していたファリンが、文句を言いながらこちらにやってきた。鉤爪手甲付きの手でやり辛そうながらも、どうにか鼻を抑えている。


 ストームウルフ出現と行方不明の冒険者パーティーの調査に来て、謎の落とし穴に落ちたリオンとファリン。脱出口を封じられたため、仕方なく下まで落ちてきたのだが、そこには一緒に落ちたストームウルフ達が待ち構えていた。


 どうやら下には落下の衝撃を和らげる仕掛けがいくつか備わっていたらしく、結構な高さだったのにもかかわらず、奴らは全員無事だった。もちろん落下中にリオン達に斬られた連中を除いてだが。


 そうして今は、なんかブヨブヨする床を不快に思いつつも、難なくストームウルフを斬り伏せたところだ。


「おそらくこいつら以外にもここに落とされた魔物がいたんだろう。割と新しい乾いた血の跡がある。その血の臭いや魔物の排泄物や体臭の臭いなんかが充満しているようだ」


 周囲を見回しながら、リオンがそう分析する。


 落とし穴の下は、半径二十メートルくらいの円形の部屋だった。壁はごつごつとした岩肌が露出しており、地下洞穴といった雰囲気。だが壁には金属製の扉が一つ付いているし、数は少ないが魔導灯もある。当然ただの洞穴ではないだろう。古代の遺跡という雰囲気でもない。


 リオン達の周りには狼達の死体が転がっている。少し離れた床には、乾いた血の跡。転がっている死体から流れたものではない。基本的に魔物は同種の魔物はあまり襲わないので、ストームウルフ以外にも罠にかかった連中がいたのだろう。


 リオンでも結構キツイと感じる臭いだ。猫の獣人で鼻の良いファリンには、より辛い臭いだろう。


「とりあえず、まずはここから出られるか調べてみよう。辛いだろうが少し我慢してくれ」


 なだめるようにファリンの頭に軽く手をのせたあと、リオンは部屋に一つだけ存在する扉に向かって歩き出した。


「さすがにカギはかかっているか……とはいえ少々分厚いだけのただの鉄製の扉。これなら斬り破れそうだ」

「さっすがリオンニャ! 頼りになるニャ! でも罠の心配はないのかニャ?」

「ここは魔物を閉じ込めておくための場所だ。この扉自体に、罠など仕掛けられてはいないだろう」

「ニャるほど。なら頑張るニャ、リオン!」


 扉を検分し、いつも通りの淡々とした口調で結論を口にしたリオンに、ファリンが元気にエールを送る。厚さ十センチ近くありそうだが、リオンに気負った様子も無い。ファリンの方もリオンが分厚い鉄扉を斬ることに、何の疑いも疑問も抱いていない。


 まぁジェイグの打った愛刀『輝夜』の切れ味と、リオンの腕をもってすれば、ただの鉄の塊など大した障害にもならないのだが。


「……疾っ!」


 居合の構えを取り、一呼吸ののちに抜刀。


 鈴鳴りのような音を響かせて、神速の刃が鉄製の扉を斬り裂く。


「む、さすがに頑丈だな。一撃じゃ無理か」


 残心を解いたリオンが、いまだ健在な扉を前に肩を竦める。


 一見すると傷一つないように見えるが、それはリオンの一刀が鋭すぎて切り口が見えにくいだけだ。触ってみれば、細い線のような切れ込みが入っているのがわかるだろう。


 だがただ斬り裂いただけでは、鉄製の扉が崩れることは無かった。やはり対魔物用扉ということもあり、頑丈に作られているようだ。あともう何度か斬り込みを入れる必要があるだろう。


 今度は別角度から一撃を加えるべく、刀を上段に構える。だが……


 プシャアアア――


「ん?」

「ニャ?」


 突如、上の方から聞こえた音に二人が同時に顔を上げる。


 上の方の壁から、紫色の怪しげなガスが噴き出し始めたのが見えた。


 まるで扉を斬り破ろうとする不届き者へ制裁を加えるかのようなタイミングで……


「…………」


 固まった笑顔のまま、ファリンが無言で周囲を見回す。


 ガスは扉の周りだけでなく壁の至る所から噴き出し始めている。その勢いはかなりのもので、ものの数分でこの部屋全体を紫色に染めてしまうだろう。ガスの正体が何かはわからないが、あの怪しい色からして間違いなくろくなものではない。


 状況を把握したファリンが、視線をリオンの方に戻す。


「……ふむ、ここの連中はせっかちだな。もう少し時間に余裕があるかと思ったんだが……」


 明らかに危ない状況だというのに、顎に手を当ててまるで他人ごとのように呟くリオン。


 そんなリオンの態度を目にしたファリンは、まるで大地震の前触れかのように、その小さな肩を大きく震わせ――そして爆発した。


「ニャー! 何をのん気なこと言ってるニャ!」

「落ち着け、ファリン。この状況も想定内だ」

「想定内って何ニャ!? 罠の心配はないって言ったニャ! リオンは嘘吐きニャ! ティアに言いつけてやるニャ~!」

「子どもか! ……って、お前はまだ未成年だったな」

「ニャアアアッ! こっち来るニャアッ!」

「むぐっ」


 近づいてきた紫色のガスから逃げるように、リオンの上半身に飛びつくファリン。顔が密着してくるファリンの身体に塞がれて、リオンがくぐもった声を上げる。


(思ったよりも大きいな、ファリン……ミリルが悔しがるのもわかる。まぁティア程ではないが……)


 頭部を包む柔らかな感触に、妹の成長を実感するリオン。どこがとはあえては言わないが。


 とはいえ、このままでは色々とマズいことになるので、リオンはとりあえず事態の対処に動くことにする。


 リオンとファリンの周囲を風が渦巻く。それはすぐ傍まで来ていたガスを吹き飛ばすと、そのままドーム状の風の結界を作り出した。穏やかに吹く風が、リオンの周囲一メートルの範囲にガスを近づけない。


 そして優しい風に包まれたことで、取り乱していたファリンが冷静さを取り戻した。一瞬キョトンとした顔をした後、周囲をキョロキョロと見回してガスが近づいてこないことを理解した。


 そうしてそろそろ息苦しくなってきたリオンが、背中をタップしたことで我に返ったファリンは、恥ずかしそうに「ニャハハ……」と笑いながらリオンを解放した。


「ふぅ……まったく、この程度のことで取り乱すなんて、まだまだ未熟な証拠だな」

「ニャァ……ごめんなさいニャ……」


 しょんぼりと肩を落とすファリンに、リオンは肩を竦めて苦笑する。落とし穴の罠にハマった時もそうだが、ファリンは突発的かつ想定外のアクシデントに少し弱いところがある。


 まぁ成人前で精神的にもまだ幼い部分があるし、冒険者として正式に活動し始めてから二年半ほどしか経っていない。実力もあり、ずっと高ランクのリオン達と行動していたため、ランクの上では上級だが、経験不足な面は否めないだろう。


 だからこそ基本は二人一組ツーマンセル。アルやファリンは、年長組の四人の誰かと組ませるようにしている。こちらが厳しく言わなくても、アルもファリンもしっかり反省し、同じ失敗を繰り返さないよう努力する子だ。すぐにどうにかできるとは思わないが、経験を積んでいけば自ずと克服できるだろう。


「さて、まずこの状況だが、このガスは俺達の行動とは関係ない。ある意味では、落とし穴の罠の続きとも言える」

「どういうことニャ?」


 敵地でのんびりしているわけにもいかないので、状況の説明に入ると、ファリンも気持ちを切り替えてリオンの話に猫耳を傾ける。


「この一連の罠を作った目的は、魔物を生かしたまま捕獲することだ。魔物を誘き寄せる臭いも、落とし穴も、落下の衝撃を和らげる仕掛けも、全てがその目的のため。捕獲した魔物は当然何かに利用するわけだが、奴らが大人しくしているはずもない。このガスは安全に奴らを無力化するためのものだろう。マヒか睡眠か効果はわからないがな」


 ここにいたストームウルフは全員始末している。ガスの種類を確かめる理由も無い。


「じゃあ扉を壊してさっさと脱出するニャ」


 リオンの話を理解したファリンが、ここからの速やかな脱出を提案してくる。


 天井までかなりの高さがあるとはいえ、ここは密閉空間だ。風もなく、ガスは辺りに充満しており、どこかへ流れていく気配は無い。この場を動かなければ、大気中のマナもやがて使い切ってしまうだろう。そうなればリオンも風魔法を維持できなくなってしまう。そうなる前に脱出するというのは、選択として正しいだろう。


 だがリオンはその提案に首を振る。


「いや、ここで少し待ってみよう」

「待つって、何をニャ?」


 首を傾げるファリンに、リオンがイタズラでも仕掛けるような笑みを浮かべて答える。


「もしかしたら、ここの獲物を回収しに“別の獲物”が来てくれるかもしれないからな」






 三時間後。


 ガコンという音とともに、端っこのほうの床に小さな穴がいくつか開いた。人が通るには小さい、五センチ四方くらいの穴だ。全部で八つある。


 それらはどうやら排出用のダクトらしい。半分の穴から風が送られ、もう半分の穴が空気を吸引している。辺りに充満していた紫色のガスは、ものの数分でその穴に吸い込まれてしまった。


 さらにそれから数分後。


 何か固いものが外れる音がしたあと、この部屋に一つしかない金属の扉が重い音を立ててゆっくりと横へスライドしていく。


「だあぁもうっ! 相変わらず重たいなぁこの扉は!」


 やがて完全に開ききった扉の向こうから、そんな悪態を吐く大きな声が聞こえてきた。直後、疲れたように両手をプラプラさせながら、作業着を着た男が部屋の中へと入ってくる。顔にマスクをしているので少しわかりにくいが、おそらく年は三十代前半くらいだろう。


 続いて同じ作業着を着た男がもう一人。こちらは四十代半ばくらい。中肉中背で、決して太っているわけではないが、年のせいか少し腹が出ている。


「仕方ないだろう。魔物にこの扉を破られるわけにはいかないのだから。俺達も研究者の連中も、魔物相手に戦うことなんてできないぞ?」

「まぁそれはそうなんですけどね。毎回この扉に悪戦苦闘している自分としては、愚痴の一つも言いたくなるってもんですよ」


 先輩か上司と思われる年上の方の男が苦笑い気味に忠告をすれば、若い方の男は適当に聞き流しながら腕のストレッチを始めた。年は十くらい離れている感じだが、今の会話を聞く限り、かなり気安い仲のようだ。


 今の会話から察するに、二人は研究者ではないらしい。おそらくこの施設の管理をしている職員だろう。この施設の規模がどの程度かはわからないが、魔物を使った研究をする以上、設備や広さはかなりの量と規模になるはず。捕らえた魔物や研究に必要な物資の管理など、研究者だけでは手が回らないことも多いのだろう。


 そして読み通りならミラセスカで誘拐された人達も、この施設のどこかにいるはずだ。


「まぁ愚痴ならあとで聞いてやるから、さっさとストームウルフを回収するぞ」

「急がなくても大丈夫ですよ。どうせ薬が効いて、ぐっすり眠って…………って、あれ?」


 ポンと背中を叩いてくる男に、首をコキコキと鳴らしながら室内に視線を向けた年下の男が、首を横に傾けたまま疑問の声を上げた。


 その声に年配の方の男も前方を注視するように目を細める。


「……アレ、全部死んでません?」

「……みたいだな」


 回収に来たはずのストームウルフの姿――身体を真っ二つにされたり、魔物の爪で切り裂かれたような状態を見て、呆然としたまま言葉を交わす二人。


「いったい何が――」

「動くな」


 若い方の男の戸惑いの声は、そんな鋭い一言とともに封じられた。


 二人の男の背後に突如現れたリオンとファリンが、相手の口を塞ぎ、首元に魔物解体用のナイフを当てる。


「あいつらの仲間入りしたくなければ、大人しくすることだな」

「言うこと聞いてくれるニャら、痛い目に合わずに済むニャ」


 口調は違えど氷のように冷え切ったそれぞれの言葉に、男達は恐怖に顔を引き攣らせながらも従うより他に無かった。











「ど、どうやってここに!?」

「研究所の入り口は全て監視されている! あの四人以外にここに入った奴はいなかったはずだ!」


 時は戻って、現在。


 研究所の職員が一堂に会した研究所の最奥で、突如現れたリオンとファリンに職員達が疑問を投げかける。


 慌てふためく職員達に、しかしリオンとファリンは憮然とした表情になった。


「狼と一緒にお前達が作った落とし穴に落ちたんだよ。まったく、あんなところに妙な罠を仕掛けやがって」

「正直、すごく焦ったニャ。リオンにも情けニャい姿見られたしニャ」


 全部お前達が悪いとでも言うように、不機嫌そうな声を出す二人。何事も無かったうえ、こうして敵の懐に潜り込めたことは僥倖だったが、やはりあの瞬間はかなり焦った。不覚を取ったのは自分達だが、恨み言の一つも言いたくなる。


「し、しかし、監視装置は出入口だけではない! こんなところまで、誰にも気づかれずに侵入できるはずは――」

「何を言っている。お前達も俺の仲間に使った手口だろう? 自分達がやり返されるとは夢にも思わなかったか?」

「わざわざ目の前で変身を解いてあげたのに、鈍い連中ニャ」


 なおも食い下がる職員連中に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべるリオン。呆れた調子でファリンも追撃の言葉を放つ。


 昨日、ガスの届かない高さの壁に氷の足場を作ったリオンは、ストームウルフの回収にやってきた男二人を待ち伏せて拘束した。そして研究所内の情報を訊き出すため、尋問を開始。その後、ファリンの変身魔術で職員二人に成りすまし、得た情報を基に研究所内を探っていたのだ。


 ファリンと違い、リオンには声や仕草まで誰かを真似ることはできなかったが、幸い一日程度であれば何とかボロを出さずに凌ぎ切ることができた。


 そして内部の情報を粗方収集し終えた二人は、一度撤退して仲間に情報を持ち帰ろうと考えた。研究所の規模から考えて、たった二人では研究データ全てを消し去り、関係者全てを捕縛するには手が足りないと考えたからだ。


 人と魔物の合成など、人間が決して触れてはいけない禁忌の領域だ。ゆえにこの施設のデータは絶対に外に出すわけにはいかないし、研究の内容を知る者は一人たりとも逃がすわけにはいかない。囚われた人達の安否は気掛かりだったが、この研究が広まれば、被害はこの都市だけに留まらないだろう。これ以上の犠牲を出す前に、ギルドと協力し、この研究所の情報は完全に闇に葬る必要がある。


 だがリオン達が撤退に踏み切る前に、事態は思わぬ展開を迎える。


 ミラセスカに残してきたティア達四人が、どういうわけか二人一組別々のルートで、この施設に侵入してきたのだ。


 慌てつつも事態の収拾に乗り出す職員に混じりつつ、リオンはこれを逆に好機と判断した。


 あの四人ならば、この研究所の魔物など蹴散らすのは容易い。すでに魔物と合成された人達もいたが、戦闘能力の高い実験体はせいぜいランク五級以下の冒険者数名程度。大した障害にはならないだろう。


 一部の頭のおかしな研究者連中はともかく、この研究所は所長とやらの指示の下、ある程度統率された動きを見せていた。


 そんな連中は、所内に侵入したティア達を相手にどう動くか?


 侵入者排除に動くのは当然のこと。敵が一筋縄ではいかない相手とわかれば、間違いなく逃亡を図るだろう。その際には所長指示の下、研究に必要なデータや魔導具なんかも持ち出そうとするはず。これだけの規模の研究所だ。職員がバラバラに動けば、重要なデータや彼らの身元に繋がる情報を取りこぼす可能性がある。そして回収したデータや魔導具は確認のため、一度逃亡前に集められるはず。


 ならばそこを狙えば、この研究所の関係者と消し去るべき研究データ等の全てを一網打尽にできるのではないかとリオンは考えたわけだ。


 そうして結果は見ての通り。全ての職員が今、この所長室の中に集まっている。研究所内の人間の顔は、昨日一日で全員覚えたので間違いない。データも重要なものは全て揃っているだろう。


 残念ながら研究者達の多くは、ティア達の迎撃に向かってしまったが、あの四人が敵を逃がす心配はないだろう。一応、逃亡ルートはリオンがこっそり氷魔法で塞いできたので、万が一単独で逃亡を図った者がいても追いつける。


「さて、お前達はこの場で眠っててもらう。起きた時には全員ギルドに拘束されているだろうから覚悟しておけ」


 各々様々な表情を見せる職員達にそう宣告すると、ファリンに視線で合図を送る。


 その無言の合図に、「了解ニャ!」と元気よく返事をすると、ファリンが再び雷魔法を発動させる。今度はただの演出やこけ脅しではない。威力は加減しているものの、逃げ場なく広がる雷光が職員達を容赦なく貫いていった。


 苦悶の声さえ上げることなく、次々と煙を上げながら倒れていく職員達。もちろん殺してはいないが、当分は起き上がることはできないだろう。


 その成果を確認したリオンは、労うようにファリンの頭に軽く叩いたあと、部屋の最奥に立ったままの人物――この研究所の主に視線を向ける。


「お前が何物かは知らないが、ずいぶんと慕われているようだな。身を挺して、所長のお前を守ろうとするとは」


 呆然と立ち尽くしたままの研究所の主。その前に倒れ伏す数人の職員達を見下ろすリオンの心には、何とも言えないモヤモヤとした感情が渦巻いていた。


 ファリンの雷撃を予測していたわけではないだろう。彼らにそんな戦いのセンスは無い。おそらく、敵であるリオン達から所長が逃げる時間を稼ぐべく、前に立ち塞がっただけ。だがその行為が結果として肉の壁となり、雷からあの男を守ったのだ。


 そんな彼らの姿に、リオンは先程まで姿を借りていた二人の男を思い出す。


 彼らは自分達のことや研究のことは話しても、決して仲間の職員の情報には口を割らなかった。研究者のことはそもそもあまり知らないのか、大した情報は持っていなかったとはいえすんなり話したのにだ。


 特にこの研究所の主のことに関しては、頑として口を噤んでいた。リオンが敵対者への尋問に手を抜くことは無い。戦いに身を置いているわけでもない彼らの固い意志と決意に、彼らの仲間や彼らの主への想いを確かに感じた。


 そんな仲間への思い遣りを持つ彼らが、そして彼らの敬意と献身を集めるこの男が、何故このような非道な実験に手を貸し、あるいは主導しているのか。


「ギルドに引き渡す前に答えろ。お前は何故、この実験に加担した?」

「そ、それは……」


 リオンの詰問に、視線を泳がせて言い淀む所長と呼ばれる人物。どこにでもいる、何の変哲もない初老の男だ。だが、さっきの職員との会話で、この男は別の呼称で呼ばれていた。


「会長」


 そうリオンが呼ぶと、目の前の男は肩を大きく震わせた。


「それがお前の表の顔か。おそらくどこかの商会か何かの長なんだろうな。そんな地位にいるお前が、どうして自分や部下の身を滅ぼすかもしれない研究に手を染めた?」


 リオンが揺さぶりをかけ、再度問いかけても男は答えようとはしない。全てを諦めたような顔で、下を向いているだけだ。


 一向に答えの返ってこない状況に、リオンが少し強引な手段に出ようとしたところで……


「リオン! ファリン!」

「オマエら、無事だったんだな!」


 部屋の入り口から二人の名を呼ぶ声が聞こえた。


 その声に振り返れば、そこには安堵の笑みを浮かべてこちらを見るティアとアルの姿があった。


「二人が無事で本当によかったわ」

「まったく、心配させやがって」


 リオン達との再会を喜ぶ二人。


 そうしてティアはリオンの方へ駆け寄ってきて――





 ――直後閃いたリオンの刀が、その首を斬り飛ばした。


「なっ、何し――」


 リオンの突然の凶行に、驚愕の声を上げるアル。


 だがその言葉が全て言い切られる前に、ファリンの黒影爪がアルの顔をズタズタに斬り裂いた。


 そうして倒れ込むティアとアルの身体。


 それがドロリと溶けて形を無くしていく。


「不愉快極まりないな。家族に……それもよりにもよって最愛の恋人(ティア)に成りすまされるというのは……」

「全くニャ。無駄に五回も引っ掻いちゃったニャ」


 輝夜の刃にも負けぬ鋭い視線でティアの形をしていたスライムを見下ろすリオンがそう言えば、威嚇する猫のように牙を剥き出しにして怒るファリンが同意する。


 そんな二人の前で、ティアとアルの偽物スライムの身体に、再び人間の顔が浮かび上がる。


「まさか職員の中にも被験者がいたとはな」

「ニャるほど、だから電撃浴びても無事だったのニャ」


 スライムの身体に浮かび上がったのは、先程までそこに転がっていた職員のものだった。身体がフェイクスライムと化していたため、電撃を受けても気を失わずに済んだらしい。


「な、何故、偽物だとわかった? こ、こんな一瞬で」


 スライムの身体に人間の顔だけが浮かんでいるという気持ち悪い状況に眉を顰めながらも、リオンは怜悧な口調のまま断言する。


「俺がティアを間違えるか」

「理由になってニャいニャ。まぁ本物のティアニャら、猫よりもまっしぐらにリオンに抱き着いてるニャ」


 ほとんど惚気に近いリオンの言葉に呆れるファリンが、さらに言葉を続ける。


「そもそもこの変身魔術の天才ファリンちゃんに、あんニャお粗末な変身が見抜けニャいわけニャいニャ~。歩き方も声のトーンも表情も、何もかもが落第点ニャ。百回鏡見て出直して来いニャ」


 観察眼に優れ、誰かそっくりに化けるのは困難な変身魔術をほぼ完璧に使いこなし、身近な人物にさえ気付かれない程、声や仕草などを真似ることができるファリンには、どんなに顔や姿を似せたところで通用しないのだろう。


 二人の答えに悔しげな表情を浮かべつつ、なおも打開策を模索しようと周囲を探るスライム職員。


「無駄だ、バカが」


 だがそんな時間をリオンが与えるはずも無く、空気の膜で覆った腕をスライムの身体に容赦なく突っこんだ。スライムの粘液がわずかに飛び散る中、リオンが腕を引き抜く。その手の中には、暗い赤紫色をした丸い物体が握られていた。


「核さえ抜いてしまえば、スライムの身体では何もできないだろう」


 そう、リオンが引っこ抜いたのは、フェイクスライムの核だ。スライムのような不定形モンスターは、体内に魔力の結晶である核を持っている。それを破壊しない限り、外側をいくら攻撃しても再生するが、逆に言えば核さえ壊してしまえば外側がどんなに残っていても生きてはいられない。


 もちろん核を抜き取っただけでは殺したことにはならないし、再び粘液を集めれば活動を再開する。だがリオンは核を抜き取ると同時に、内側から冷気を放ち、粘液を凍らせていた。これでリオンが魔法を解除しない限り、スライムは再生することができない。


 ちなみに不定形モンスターの核は、ギルドに持ち込めばそれなりの値段で買い取ってくれる。魔物の一部とはいえ、魔石と同じ魔力の結晶体だ。リオンは詳しく知らないが、魔術の媒介として有用らしい。また核以外の部分――スライムで言えば粘液――を除去しないと再生してしまうため、採取が難しいというのもある。手段としては火魔法で燃やすか、リオンがやったように凍らせた後で処理するなど、一工夫が必要となる。


 同じくもう一体の方のスライムからも核を取り出したリオンは、片手でそれらを弄びながら、再び所長へと向き直る。


「質問の途中だったな……だが、その前に別の質問に答えろ」


 そう命じるリオンの身体から、滲みだすような冷気が漏れ出した。


 それはリオンの怒りの現れ。抑えきれない程の怒りが、リオンの膨大な魔力をさらに引き上げ、身体から溢れ出しているのだ。


 リオンの放つ冷たい怒気に気圧されたように、所長が小さく息を呑み、リオンから距離を取るように後ずさっていく。


 まるで猛獣を前にした小動物のように逃げ出す男に、しかしリオンは魔力を薄れさせることのないままゆっくりと近づいていく。


「部下を魔物に変えたのは、お前の意思か?」

「ち、ちがっ、違う! 私じゃ、私が言ったんじゃない!」


 黙秘も虚偽も許さないと言外に告げるリオンの迫力に、彼らの主である男は言葉に詰まりながらも初めて答えを返してきた。


 その答えに、溢れ出す魔力を少し抑えながらも、リオンは続きを促す。


 威圧が弱まったせいか、男にもわずかに余裕ができたらしい。やや落ち着いた呼吸で、彼らが魔物になった経緯を話していく。


「私は……私は、止めたんだ。なのに彼らが私の力になりたいからと、自ら志願して……私の……私の、いない間に、実験に……」


 口にしたことでその時のことを思い出したのか、次第に陰っていく表情。声も徐々に力を失い、最後には膝を突いて崩れ落ちてしまった。


「私は……私は……彼らを……」


 床に両手を突き、肩を震わせる男の姿には、深い後悔と罪の意識が浮かんでいた。


 そんな哀れな主を慰めるように、手の中の二つの核が淡い光を放った。


 そしてリオンは小さく息を吐くと、怒りと共に溢れ出した魔力を霧散させる。さらにもう一度小さく呼吸をすると、先程と同じ問いかけをもう一度男に投げかける。


「もう一度訊こう。どうしてそこまで部下を思い遣れるお前が、無関係な人の命を弄ぶような実験に手を染めなければならなかったんだ?」

「そ、それは……」


 先とは異なりこちらの問いに迷いを見せ始めた男に、リオンはもう一度揺さぶりをかけるべきか、それとももう少し黙って答えを待つべきか思考を巡らせる。


 だが、その答えを出す前に、感じ慣れた四つの気配がこちらに近づいてきているのを感じた。敵地だというのに向こうに気配を隠す気が無いのは、先程放ったリオンの尋常じゃない量の魔力の波動を感じ取ったからだろう。リオンの存在と、その魔力量からただならぬ事態を察したため、慌ててこちらへ向かってきているらしい。


 そして数秒後――


「リオン!」


 偽物とは違う、惜しみない愛情のこもった声が聞こえて、リオンは表情を緩めて振り返る。


「一日ぶりだな、ティア。そっちは――おっと」


 片が付いたのか? という問いかけは、リオンを見つけるや否や脇目も降らずに抱き着いて来たティアによって言い切ることはできなかった。


「無事で良かった……本当に……」


 たった一日行方知れずになっただけで大袈裟な、とも思ったが、心の底から安堵した様子で自分を抱きしめるティアの姿を見れば、それを口にする気も失せた。


 「ほら、言った通りになったニャ」とでも言うようにドヤ顔をしているファリンを横目に、リオンは恋人の艶やかな金色の髪を優しく撫でる。


「心配かけて悪かったな。でもこの通り無事だから」


 胸の中でこちらを見上げる潤んだ空色の瞳を見つめて労わるようにそう囁けば、ティアの顔に穏やかな微笑みが浮かんだ。


 その笑顔に吸い寄せられるように、二人の距離が縮まっていき――


「で? 敵の本拠地の奥の奥で、いつまでイチャイチャしてるわけ、そこのバカップルは」


 呆れをたっぷり含んだ冷めた声が聞こえて、リオンは我に返った。


「すまない、ティアが可愛すぎて、俺の中のシリアスな空気がブレイクした」

「はいはい、惚気は帰ってからにしなさい。ま、とりあえず二人とも無事で何よりだわ」


 ティアの肩越しに部屋の入り口を見れば、ミリルが銃床でオレンジの髪をガシガシしながらため息を吐いた。その後ろには、苦笑いを浮かべたジェイグとアルの姿もある。


 視界の端ではファリンが無事を示すように、どこかのアイドルのようなポーズを決めた。


 が、その直後にリオンから離れたティアから、そのポーズのまま再会の抱擁を食らう羽目になった。


「三人もお疲れ。そっちは片が付いたのか?」

「こっちの状況は大体お見通しってわけね……もちろん、全部片付けたわよ。研究者は拘束済み。魔物に変えられた人達は、一先ず安全な場所に隔離してあるわ」


 ティア達がどうやってこの研究所に辿り着いたかは知らないが、所内に侵入してからの動きはおおよそ把握している。ここの研究者が魔物をけしかけに行ったことも。


 もちろん彼らの実力を信頼しているので、何事も無く片をつけるとは思っていたが……


「何かあったか?」


 ミリル達の顔にどことなく陰が差しているように見えて、違和感を覚えたリオンがそう訊ねる。


「…………別に何も」


 そっぽを向き明らかに嘘とわかる態度で、ミリルが短くそう答える。答えるまでに間があったことからも、それは明らかだ。


 だがあのミリルが、伝えるべき情報を誤魔化すはずはない。ならば本当のことを言えない理由は、ミリルの心情的なものだろう。そしてそれについて他の三人も口を噤んでいる以上、ここで無理に問い質すのは避けた方が良いだろう。


「そうか……まぁ何かあればすぐに報告してくれ」


 嘘を見抜かれていることには、ミリルも気付いているだろう。何も追及しなかったリオンに、「……ん、ありがと」と小さな声でそう答えると、一度気持ちを切り替えるように瞑目した。そして再び顔を上げた時には、いつもの強気なミリルの顔でこちらの状況を訊ねてくる。


「それで? この状況を見る限り、職員の無力化は問題なく終わってるみたいだけど……何があったわけ?」


 周囲に転がる職員達をざっと見回した後、青と緑のオッドアイを鋭く細めてリオンを見据えるミリル。先程リオンが放った怒気と魔力から、ただならぬ事態を感じ取って来てみれば、リオン達は平然としているし、職員達は全員無力化済み。まさか戦闘能力のないただの職員相手に、リオンが魔力を暴走させる事態になるとは思えない。一体何があったのかと、四人が疑問に思うのも無理はないだろう。


「ああ、この研究所の主への尋問中にちょっとな。まぁ特に問題は無い。詳しくは後で話すから、今は気にするな」


 そう説明しながら、リオンは所長に目線を送りながら横に一歩体をずらす。リオンの位置は、入口のちょうど正面。ミリル達のいる場所からは、床に這い蹲る所長の姿はリオンが死角になっていて見えなかった。


 そうしてこの研究所の主、非道な実験の首謀者の姿を目にした三人は――


「……は?」

「何、で……」

「嘘だろ、おい……」


 ミリルもアルもジェイグも、同様に信じられないといった表情で呆然とそう呟いた。


「どうして、あなたが……」


 ファリンをもみくちゃにしていたティアも、三人の様子に気付いて所長へ視線を向け、やはり同様の反応を見せた。


「知り合いか?」

「え、ええ、でも……本当に、彼がここの……」

「ああ、間違いない。この男がこの研究所の所長、人と魔物の合成なんて悪魔の研究を推し進めた首謀者だ」


 リオンの問いに頷きつつも、未だ信じられないといった様子のティアに、改めて事実を告げる。


 それでようやく現実を飲み込んだのか、ティアはファリンから離れると、力なく床に這い蹲ったままの男へと歩み寄り、その名を呼んだ。


「ウェスターさん……どうして、あなたがそんなことを……」


 震える声でティアに名を呼ばれた所長、ウェスターは全てを諦めたような表情でティアの顔を見上げていた。

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