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合成魔物《モンスターズキメラ》

 ウェアウルフとリザードマンを組み合わせたような合成モンスターの檻が開いた。


 その時には既に、ティアは人質となっていた女性の元へ辿り着き、アルはそのまま女性を通り越して合成魔獣へと駆けだしていた。


「落ち着いてください! 私は冒険者です! 助けに来ました!」


 床に転がっていた女性を助け起こし、真っ直ぐにその目を見てそう声を掛ける。全身を縛られているとはいえ、暴れられると面倒だ。リオンやミリルなら、さっさと気絶させて運びそうだが、ティアにはそこまで合理的な判断を即座に下すことはできない。


 それにアルが敵の相手をしてくれているため、多少は人質を気遣う余裕があるのも事実だった。


 人質の女性はウサギの獣人のようだ。豊かな乳白色の髪の間から立派なウサ耳が覗いている。


 最初は女性も酷く怯えていた様子だったが、ティアが力強く肩を掴み、真剣に訴えかければ、ひとまずは話を聞ける程度には落ち着いてもらえた。


「私はティア。こう見えてもランクは二級です。絶対にあなたを守りますから、今は私の指示に従ってください」


 安心させるように微笑みかけながら、自分の冒険者カードを彼女に見えるように掲げる。


 ティアのような若い冒険者が二級という高ランクであることに驚いたようだが、その効果は絶大だった。目に見えてホッとした様子の女性は、未だに涙の滲んだ瞳でティアを見上げると、コクコクと頷いて見せた。


「ここは危険です。隅へ運びますから、ちょっと我慢してくださいね」


 部屋の入口は、既に封じられている。万が一、入口からも敵が現れるとマズいので、一言断りを入れてから女性の身体を持ち上げ、部屋の隅へと跳ぶ。


 そうして壁に背を預けるようにウサギ獣人の女性を座らせると、「少しだけ待っててください」とだけ告げて、彼女に背を向けた。今は落ち着いたが、万が一恐怖で錯乱して下手に動かれると厄介なので、拘束はそのままだ。申し訳ないが、解放するのは状況が落ち着いてからにさせてもらう。


 魔弓を手にアルの方を見ると、先程ティア達がいた部屋の中央付近で、合成魔獣と剣を交えている姿が見えた。


 今のところ、アルの方が優勢だ。合成モンスターは、高速で繰り出されるアルの双剣を剣と盾の両方を駆使して防いでいる。だがその勢いに圧され、完全に防戦一方なうえ、武具の性能差がはっきりと出ている。ジェイグ特製の黒翼刃に対し、敵の武器はおそらく魔鉄製。ギリギリで攻撃を受け流しているのでどうにか無事だが、刃や盾の表面がみるみる削られている。勝負が決まるのは時間の問題だろう。


 というより、アルとの実力差を見れば、もっと早く決着が付いていてもおかしくなかった。だがアルに勝てないと判断した敵が、人質救助をしているこちらへ狙いを定める可能性があったため、アルは足を止めて戦っている。


 アルはスピードファイターだ。その身軽さを活かし、縦横無尽に動き回って敵を翻弄する攻めのスタイル。ガルドラッドでの一件以降、守りに重点を置いた戦い方も修行しているらしいが、まだ形になったとは言い難いようだ。


「アル! こっちはもう大丈夫よ!」


 ゆえに、アルが本来の戦い方ができるようにそう声を掛ければ、アルの顔に好戦的な笑みが浮かぶ。


 なんとなく、その笑みにリオンの影を感じていると、アルの動きが目に見えて変化した。


「せやっ!」


 両手の剣を揃えて、下から掬い上げるように同時に斬り上げる。


 魔獣は盾でそれを受けるが、二重の衝撃に大きく腕を弾かれ、バランスを崩した。


 そこへアルが片方の剣を斬り返す。


 だが敵は崩れたバランスを、その大きなトカゲのしっぽですぐさま立て直すと、アルの剣を受け止めるべく自身も剣を構えて――


「グルゥッ!?」


 ――狼の顔が驚愕に染まった。


 おそらく敵の目からは、アルの姿が消えたように見えたのだろう。


 だが離れた場所から見ていたティアには、アルの動きが見えていた。


 アルは斬り返しの攻撃はただのフェイントだ。最初の一撃で敵を上向かせ、そこへ上段からの一撃を放つことで注意を完全に上に逸らす。その隙に身を屈め、一瞬で敵の背後に回り込んだのだ。


 そして無防備なその背中へ剣を振り下ろし――


「っ!? ちぃっ!」


 ――直後、暴風と共に噴き上がった炎に、攻撃を中断して距離を取る。


 それは敵が放った魔法だった。炎と風の魔法を併用することで、威力を相乗的に高めたのだろう。魔法はアルがいた敵の背後だけでなく、敵の全身を覆うように使われている。アルの動きを見抜いていたのではなく、危険を感じて全方向へ魔法を放ったのだろう。


 あの規模の魔法に反して、魔法発動の予兆はほとんどなかった。無理やり魔力を解放することで、強引に魔法を発動させたのだろう。かなり魔力を消耗するやり方だが、命の危機が迫っている状況では正しい選択だ。


 問題は……


(合成魔獣が魔法を使った? それもあんな高度な使い方を……)


 一人一人適性属性が異なる人間と違って、種族ごとに使える属性は決まっているが、魔物が魔法を使うことはさほど珍しく無い。風を操るストームウルフなどが良い例だろう。


 動物との合成体であるビースト族は魔力を持たなかったが、魔物の合成体が魔法を使うことに不思議はない。


 ティアが問題視しているのは、敵が使った魔法の属性。そしてあの魔法の使い方だ。


(ウェアウルフは身体強化以外に魔法は使わない。リザードマンが使うのは水属性のはず。でもあの魔物は風と火の魔法を使った……他にも合成に使われた魔物がいる? それとも……)


 必要以上の魔力を放出して高威力の魔法を発動させるのは、かなりの魔法技術が必要だ。さらに一方だけの属性魔法では、構わず斬られる可能性があったので、二属性を併用している。アルを見失った一瞬に、あれだけの判断を瞬時に行うなど、知性の低い魔物には不可能だ。


 つまりあの合成モンスターは、人間も含まれている。それもあの戦闘技術からして、中級以上の冒険者が……


「気付いたようだね、お嬢さん」


 動揺するティアを嘲笑うようなワドルの声が、室内に響き渡った。


 ティアがこれまでにないほどの怒りを感じながらワドルを見上げれば、奴は戦っていたアルと魔獣ではなく、こちらへ実に嫌らしい視線を向けていた。


「彼は、元は人間の冒険者だ。名前は、確かミックとか言ったかな。実験の影響で自我は失われてしまったが、培ってきた戦闘技術は残っているようなので、実際に戦わせて戦闘データを取っていた。だが下位の魔物相手では得られるデータも偏ってしまう。困っていたところへ君達がやってきたので、これ幸いとこうして実験に協力してもらったという訳だ」

「あなたは、人を……人の命を何だと思っているの!?」


 実に上機嫌に状況を説明するワドル。その人を人とも思わぬ所業や態度に、ティアは言葉にできぬ怖気と怒りを覚えていた。


 だが珍しく声を震わせ感情を露わにするティアの叫びも、狂気の魔科学者の心には届かない。むしろその反応すら楽しむように、歪な笑みを深めていく。


「何を怒る必要があるのかね。これは新しい生命を作り出す、いわば人間が神の領域に近づくための偉大な実験だ。その礎となれたことを感謝されることこそあっても、責められる謂れはないだろうに」

「何が神よ。悪魔の間違いでしょう」

「神も悪魔も変わらんよ。人間にとってはどちらも超常の存在であり、等しく遠く、そして等しく無慈悲な存在だ」


 鋭くワドルを睨みつけるが、柳に風。まるで別の世界を生きているような錯覚を起こしそうだ。話しているだけで、こちらの頭がおかしくなりそうになってくる。


「もういいわ。ここを脱出したら、あなたには絶対に報いを受けてもらう。捕まった人達も助け出してみせる」

「そうかい。だがそこを出るには、彼を倒さないといけないがね」


 アルと斬り結ぶ合成モンスターこと冒険者ミックへ視線を向ける。


「おい、オレの言葉はわかるか!? あんた人間なんだろ!? あんなヤローの言いなりになんてなるなよ!」


 ワドルの言う通り、すでに彼に人間としての理性は無いようだ。染みついた剣や魔法の腕は失っていないようだが――人間の時のミックを知らないので、明言はできないが――、アルが必死に呼び掛けても一切反応が無い。


「クソッ!」


 魔物の本能のままに攻撃してくるミックに、アルが悔しそうに歯を噛みしめる。やはり相手が人間と知ったからか、アルの剣にも明らかな迷いが生じていた。攻撃の手が鈍り、防戦一方になってしまっている。合成された体に慣れてきたのか、敵の攻撃も鋭さを増しており、魔法も合わせた攻撃は、アルにわずかではあるが小さな手傷を与えていた。


(このままじゃアルが……でもあの人は)


 現状で採れる手段は二つ。ミックを殺すか、生かして捕らえるかだ。


 前者は簡単だ。アルが覚悟を決めれば、一人でも問題は無い。それが難しければ、ティアが代わりに彼を討てばいい。アルを守るためなら、ティアにはその覚悟がある。


 一方、後者になるとその難易度は跳ね上がる。魔物としての闘争本能のみで動くミックを止めるのは至難の業だ。気絶させても、ティア達には彼を拘束する手段は無い。施設内に囚われた人々がいるかもしれない状況で、今の状態のミックを野放しにするのは却って危険だ。


 そして何より気掛かりなのは、彼を元の人間に戻す手段があるかどうか。


(あの男ならその答えを知ってる。でも、あの男が素直に答えを言うとは思えないわね)


 もし彼が元に戻れるなら、あるいは魔物の姿でも人間としての理性を取り戻せるなら、多少の危険を冒してでも助ける意味はあるかもしれない。だがそうでないなら、今ここで殺した方が彼のためにもなるのではないだろうか……


(考えても答えは出ない。助けるべき人もいる。リオンとファリン、ミリルとジェイグも探さないと。なによりアルの身を危険に晒すわけにもいかない。なら私も覚悟を決めないと!)


 わずかの逡巡のあと、決意を秘めた視線で戦闘中の二人を見据え、ティアが魔弓を構える。


「アル! 私が止めを刺すわ! あなたは敵の動きを封じて!」


 仕方のないこととはいえ、心優しい弟に辛い役目を押し付けるわけにはいかない。


 魔弓に魔力を通し、形作った魔法矢で哀れな合成魔獣に狙いを定める。


 だが――


「ティア姉は手を出すな! こいつの相手はオレだ!」


 その指示を大声で拒んだアルが、敵の斬り下ろしの攻撃を、小さく身を反らしてやり過ごす。そして生まれたわずかの隙に閃いた黒翼刃が、盾を持つ敵の左手を斬り飛ばした。腕から真っ赤な血が噴き出し、魔狼が痛みに悲鳴を上げる。


 その隙にすかさず追撃を試みるアルだが、敵ががむしゃらに剣を振り回し、魔法を乱発するのを見て、深追いは危険だと判断したのだろう。一度敵から距離を取る。


 攻防が落ち着いたからか、アルが気持ちを静めるように一呼吸。そして肘から先のなくなった左腕を抑えて悶える合成魔獣と、それを為した己の剣を見比べて、もう一度小さく息を吐いた。


「アル?」

「ゴメン、ティア姉。でももうオレも選んだから。だからこいつの相手はオレにやらせて欲しい」


 自身の指示を拒むという珍しいアルの態度に目を丸くするティアに、アルが決意を秘めた表情でそう懇願する。


 そして答えを聞くこともなく、敵の方へ泣き笑いのような表情を向けると、ゆっくりと歩み寄りながら口を開く。


「やっぱオレの腕じゃ、一思いにってわけにはいかないな……それだけあんたが強いってことなんだけどさ」


 淡々と、しかし穏やかな声で魔物へと変えられた哀れな冒険者へ言葉をかける。


「初めて会ったし、あんたが人間だった時のことは知らないけどさ……剣を交わせばわかるよ。あんたがどれだけ強い剣士だったかってことはさ」


 悔し気な笑みを浮かべて、ミックの剣の腕を素直に称賛する。


「そんな姿に変えられて辛かったよな……あんな奴にオモチャみたいに体弄られて、魔物になる時って、やっぱり痛かったりしたのかな……自分が自分じゃなくなるって、スッゲェ怖いと思う……そんな恐怖や痛みを感じる余裕なんて無かったのかもしれないけどさ」


 まるで懺悔をするように、あるいはこれから奪う命の重みを噛みしめるように、アルは言葉を続ける。


「ゴメンな……オレにはあんたを救う手段は無い……あんたのために死んでやることもできない……だからせめてあんたを人間として、一人の剣士と思って戦う。あんな薄汚いヤローに、あんたの誇りは汚させないから……ここで、オレが全部終わらせてやる」


 真剣に、真っ直ぐに魔物と化したミックを見据えるアルの姿を前に、ティアは魔法矢の魔力を霧散させると、戦いの行く末を見守るように構えを解いた。


 アルも自分と同じく、魔物に姿を変えられたミックを殺す覚悟ができたのだろう。だがそこに至るまでの過程が、ティアとは全く違ったらしい。


 ティアは、ここにいるアルや、施設のどこかにいるであろう他の仲間のことを思ってミックを殺そうとした。仲間の安全の保障が無い中、魔物と化し、自我を失った見ず知らずの相手をそこまで思い遣れる余裕は、ティアには無い。その考えが間違っていたとも思わない。


 だが実際に剣を交えたアルには、ティアとは違うものが見えていたのだろう。


 ミックの剣の腕には弛まぬ鍛錬の跡があった。魔法の使い方には工夫が凝らされており、その戦闘技術には長年の研鑽と数々の戦場を経験した者特有の巧さがあった。五級というランクに関係なく、彼は紛れもない優れた戦士だったのだろう。


 そんな彼が、邪な実験に利用され、人間としての体も心も失い、望まぬ戦いに身を投じている。


 同じ剣士として、同じ強さを追い求める者として、アルにはそれが許せなかった。


 だからアルは、彼を殺す覚悟を決めたのだ。真剣勝負の中で、一人の誇りある戦士として。


 ティアが家族のことを考えている間、アルは目の前に立つ戦士のことだけを考えていたというわけだ。


 そんなアルの言葉が、想いが通じたのかはわからない。


 だが斬られた腕の痛みに苦しんでいたはずのミックは、自分を見据えるアルの眼をじっと見つめると、残った右手に握った剣を構えてアルと対峙した。


 その姿は覚悟を決めた一人の剣士のように堂々としていた。


 そんなミックを前に、アルは獰猛な戦士の笑みを浮かべると――


「オレの名はアルノート! 行くぞ、剣士ミック! いざ、尋常に、勝負!」

「グルアアアアアアアアアッ!」


 腰だめに双剣を構えた体勢のまま、大きく地を蹴った。


 アルの尋常の名乗りに応えるように、ミックも高らかに咆哮を上げて走り出す。


 斜め上段からサーベルを振り下ろすミックに、アルが両腕をクロスするように双剣を振るう。


 そして一瞬の交差。


 互いに剣を振り抜き、すれ違った体勢のまま立ち尽くす二人。


 静寂が部屋を包み込む。


 だがそれもほんの数秒のこと。


 やがて、ポタリポタリと血の滴り落ちる音が聞こえてくる。


 音の発生源はアルの足下だ。肩の下あたりを斬られたらしく、左腕から血が溢れている。


「……ミック。あんた立派な剣士だったよ」


 斬られた左腕を押えながら、アルが相手へ素直な称賛の言葉を送る。


「ぁ……が……とぅ……」


 アルの餞の言葉に応えるようにミックの口から音が漏れる。魔狼の顔が笑みを浮かべるように動いた後、ミックの巨体が前のめりに大きく倒れた。そしてそのまま二度と動くことは無かった。


 大きく息を吐き出して立ち上がったアルは、倒れたミックの傍に歩み寄ると、彼の身体を転がして仰向けに寝かせてやった。傍に落ちていた彼の剣と盾を拾うと、胸に抱かせるようにそっと乗せる。


「剣士としての弔いはした。人間としての弔いは、明るい空の下でするから、悪いけどもう少し待っててくれ」


 静かにそう告げるアル。


 その姿を遠くから見ていたティアの胸に、哀愁のようなものが込み上げてくる。


(あの子ったら、いつの間にあんな大人っぽくなったのかしら……ずっと一緒にいるのに、男の子の成長って意外と気付かないものなのね)


 結局、姉である自分の力を借りることなく全て一人で片付けてしまった弟に、寂しいような嬉しいような……リオンが前に似たようなことをぼやいていたが、今ならその気持ちがよくわかる。


 年齢は三つほどしか違わないとはいえ、ずっと弟として成長を見守ってきたアルの姿が凄く頼もしく見えた。


「…………何でそんな生暖かい目でこっちを見るんだよ、ティア姉」

「何でもないわ。お疲れ様、アル」


 戻ってきたアルが、ティアの視線に気付いて訝しそうな顔をする。どうやら思ってたよりもずっと顔に出ていたらしい。


 今の感情を直接本人に言うのは何となく気恥ずかしかったので、苦笑いと共に誤魔化したあとで労いの言葉をかける。と同時に、回復魔法でアルの傷も塞いでいった。心配ないとは思うが、一応解毒や浄化の魔法もかけておく。ワドルという男は卑劣極まりない男だ。ミックの剣に細工を施していてもおかしくはない。


 敵地ということであまりのんびり治療はできないが、最低限の傷の治療を終えたティア。アルからの礼の言葉に微笑みを返した後、表情を引き締めて、高みの見物をしていたワドルを見上げる。


「いやはや、実に見事な戦いだったよ。やはり戦闘用にするなら、被検体も厳選する必要があるようだ。良いデータが取れた」

「……望み通り、実験には協力したわ。約束通り、彼女は解放させてもらうわよ」

「ああ、好きにするといい。ちょうど君達をここに連れてきたフェイカー達も――まだ姿を戻してないみたいだからわかるだろうが、こちらに戻ってきたところだ。君達を襲うことはできないから安心したまえ」


 拍手をしてこちらを称えるワドルにイラ立ちが込み上げるが、それを飲み込んで話を続ける。


「中に入れてやれ」と近くの部下に指示を出したあの男の後方から、未だミリルとジェイグの顔をした者達が部屋に入ってくるのが見えた。声を掛けられた部下が何かを操作していたところを見ると、どうやらあの部屋は関係者以外が入れないようになっているらしい。あの場所まで行く道はわからないが、ミックと戦っていた時間を考えれば、彼らにこちらを襲わせるつもりはないのだろう。


 もっともそれであの男を信用することなどできるはずはないが。


 本当なら今すぐに薄ら笑いを浮かべるあの男の憎らしい横っ面を引っ叩いてやりたいところだが、人質の女性を放っておくわけにもいかない。ワドルの動向に細心の注意を払いながらも、ティアとアルは部屋の隅に座る女性の元へと向かう。


 彼女は未だ状況が呑み込めないのか、酷く不安そうな顔でこちらを見ていた。ティアは彼女を安心させるために微笑みを浮かべて彼女に声を掛ける。


「もう魔物はいません。安全な場所に着くまで、貴方のことは私達が全力で守りますから、どうか安心してください」


 ウサギ獣人の女性を刺激しないよう、努めて穏やかな声で話しかけながら彼女へ近づいていく。実際に凶悪そうな魔物を打ち倒したのは彼女も目にしている。ティアが二級冒険者であることも知っている以上、最低限の信頼は得られているはず。


 だがティアの考えとは裏腹に、ウサギ獣人の女性の顔色はどんどん曇っていく。


(無理もないかしら……突然攫われた挙句、魔物のエサにされかかったんだから……ここから出られるかもわからないだろうし)


 人質の信頼を得られない状況に、ティアは仕方ないと思いつつも心の中で小さくため息を吐く。


 この施設のことを知られた以上、敵がティア達を逃がすはずはない。彼女のことは好きにしろと言ったが、それはあくまでこの場だけの話だ。この部屋を出ても、すぐに追手が差し向けられるだろう。


 その追撃の手を振り切りながら彼女を安全な場所まで連れて行くには、彼女がこちらの指示に従ってくれるのが望ましい。恐怖のあまり、勝手な行動をされてしまえば、彼女だけでなくこちらの身も危うくなってしまう。最悪の場合、彼女を気絶させてどちらかが運ぶことになるだろうか。


 そんな懸念を抱いていたティアだったが、そこで彼女の様子がおかしいことに気付いた。


 壁に背を預けて座るウサギ獣人の女性の目が、ティアの方を向いていないのだ。その怯えた視線は、ティアの隣を歩くアルの方へと向けられている。


(血塗れのアルが怖いのかしら……)


 その視線を追ってアルを見れば、なるほど、確かに女性が見るには少々刺激が強い格好かもしれない。


 傷は塞いではいるが、一度流れた血までは元に戻せない。アルの顔は左腕に付けられた傷から飛び散った血で汚れているし、敵の血も含まれているが服もかなり血塗れだ。ティアからすれば見慣れたものだし、むしろ全然マシな方だが、一般人の女性が目にすれば気分が悪くなるのも無理はないだろう。


 とはいえ、彼女には慣れてもらうしかないのだが。水属性持ちのリオンかミリルがいれば汚れを落とすこともできるが、今はどうしようもない。


 さてどう安心させようか、と考えを巡らせ始めたところで――


「…………ぐ、ぁ……ぁあ……」

「っ!? 大丈夫ですか!?」


 女性の口から漏れ始めた苦悶の声に、ティアは慌てて傍へと駆け寄る。


 俯く女性の顔を覗き込めば、顔は真っ赤に上気し、額には脂汗が浮かんでいる。赤く血走った目に、繰り返される荒い呼吸。拘束されたままの身体を苦しげに悶えさせるウサギ獣人の女性の姿に、ティアの胸に焦燥が浮かぶ。


(まさか毒!? でもどうしてこのタイミングで……)


 脳裏に浮かんだ可能性に戸惑いながらも、ひとまず解毒の回復魔法を使おうとその手を伸ばし――


 ――ブチィッ


「危ない、ティア姉!」


 何かを引き千切る音が聞こえたのと同時に、切羽詰まったアルがティアの身体を引き寄せた。


 そして呆然とするティアの目の前を――





 ――風を切る鋭い音を立てて何かが通り過ぎた。





「……え?」


 自分の口から間の抜けた声が漏れた。


 何が起こったのかわからない。


 眼前を通り抜けたものは見えていた。


 目の前で、現在進行形で起こっている現象も目には入っている。


 だがそれを認識していても、頭がそれをなかなか受け入れようとはしてくれない。


 ティアを襲ったのはウサギ獣人の女性の手だった。鋭く尖った爪の伸びた手だった。ハラハラと舞い落ちる斬り落とされたティアの金色の髪が、その殺意の強さを物語っている。


 直前に聞こえた音は、女性が自身の拘束していた縄を引き千切った音だ。そうして拘束を破った勢いのまま、ティアに襲い掛かってきたのだろう。


(まさか……彼女は奴の仲間? でもあの怯えた姿は、とても演技には……っ!?)


 ようやく冷静になった思考で襲い掛かってきた女性を観察していたティアは、そこで信じられない物を目にした。


 振り乱した髪の間から、“耳”が見えたのだ。


 長く伸びたウサギの耳ではない。


 顔の両サイドに付いた、ティアと同じ人間の耳が。


 人間に近い姿形をした獣人だが、その身体能力や優れた感覚器官以外にも人間と大きく異なる部分がある。目に見えてはっきりとわかる違いが。


 一つは尻尾。


 そしてもう一つが耳だ。


 尻尾は人間にはない部位だが、耳は違う。猿やゴリラの獣人などの一部例外を除き、獣人の多くは頭頂部に耳がある。


 そして人間と獣人、それぞれの耳を同時に持つ生物は存在しない。


 ならば目の前にいる、女性は――


「まさか彼女も――」

「正解だよ、お嬢さん」


 戦慄するティアの耳に、勝ち誇るようなワドルの声が届いた。


「彼女も私の実験体の一人だ。クレイジーラビットと掛け合わせてみたんだが、耳以外に特にこれといった特徴も出なくてね。失敗かとも思ったのだが、クレイジーラビットの特性を思い出して、今回の実験に加えてみたんだよ。いやぁ、思った以上の成果が出て、私としても嬉しい限りだ」

「っ、あなたという人は、どこまでっ!」


 ワドルの企みを知ったティアがギリギリと魔弓を握る手に力を込めて叫ぶ。そうしないと、胸の内を暴れ回る怒りに頭がどうにかなってしまいそうだった。


 クレイジーラビット。その物騒な名前に似合わず、可愛らしい見た目のそのモンスターは、普段は大人しく、自ら他の生物を襲うことは無い無害な草食の魔物だ。森の奥から出てくることはなく、滅多に人前に姿を見せることは無い。例え目の前に現れたところで、こちらから手出ししなければ、何の危険も無い。


 ギルドが付けた危険度は最低の十級。討伐ランクも同様だ。


 だがそれはクレイジーラビットを単体で相手取った場合の話だ。


 これが五体以上の群れを相手にした場合、討伐ランクは一気に四級へと跳ね上がる。


 その理由は、クレイジーラビットが持つ特性『狂化』にある。


 この魔物は、自分を含む同種族が他者からの攻撃により傷付けられた場合、それまでの無害さが嘘のように狂暴化する。筋肉は肥大化し、身体能力は数倍に跳ね上がり、性格は攻撃性を増す。そして伸びた爪や牙を武器に襲い掛かってくるのだ。これまでにも知識不足の冒険者が誤って手を出してしまい、多くの被害を出したことがある。


 狂化のキーとなっているのは、同種族の血液だと言われている。そして一度狂暴化したクレイジーラビットは、魔力が尽きるまで暴れ回ることを止めないらしい。


 目の前の女性の身体は、明らかに肥大していた。両手足は倍以上の太さに膨れ上がり、長さも伸びている。特に太腿の太さは異常だ。胴体は少し大きくなっただけなので、四肢と胴のバランスが悪い。まるで本物のウサギになったようだ。華奢だった女性のあまりの変化に言葉を失う。


 その変化、その姿は、まさに狂化したクレイジーラビットそのものだった。


 引き金になったのは、間違いなく血塗れの姿のアルだろう。狂化を引き起こした血がアルのものか、魔物と化したミックのものかはわからないが。


「さぁ約束だ。彼女は君達の好きにするがいい。生かすも殺すも自由だ。私としては、狂化した彼女が魔力切れになった場合、人間としての理性を取り戻すのか興味があるが……さて心優しい君達は、どうするのだろうねぇ」


 そう言って笑うワドルは、間違いなくこちらの心内を見透かしているのだろう。


 そうやって理性を取り戻す可能性をほのめかせば、ティア達が彼女を殺すことはできないということに。


「ああ、ちなみにあと十分ほどで、その部屋に麻痺薬が散布されることになっている。念のため魔物も数体放っておこう。魔物を相手にしつつ、彼女を無力化したうえで、そこを脱出することができるかどうか。私はのんびりとお茶でも飲みながら待たせてもらうとしよう」

「このっ!」


 さらに無情な条件を突き付けてくるワドルに向けて、ティアが我慢の限界とばかりに魔法矢を放った。ティアの怒りの強さを示すように強い輝きを放つ魔力の矢が、一直線に憎き男の顔目掛けて奔る。


 だが放たれた魔法矢は、ワドルのいる部屋とこちらを隔てるガラスにぶつかり、激しい音を立てて消滅した。あとにはわずかにひびの入ったガラスが残るだけだ。


「素晴らしいな。これは魔空船の窓にも使われる特殊な強化ガラスで、耐魔法、耐衝撃用の魔術が施されているのだがね」


 まるで慌てた様子も無く目の前のガラスに入ったひびに目を向けるワドルに、ティアが憎々し気に顔を歪める。


 この部屋は魔物を戦わせるために作られたもののはず。その場所に、戦う術の無さそうなワドルがこうして姿を見せた以上、あのガラスに対策が施されているのはわかっていた。


 もう数十発ほど撃ち込めば、破壊することは可能かもしれない。だがすでに完全に狂化を終えた彼女が、その時間を与えてくれるとは思えなかった。


「あなただけはっ! あなただけは絶対に許さない! 絶対に捕まえて、その罪を償わせてみせる!」

「首を洗って待ってやがれよっ! このクソ野郎っ!」


 絶望的な状況に置かれながらも、憎き敵に向けてそう宣言するティアとアル。


「ふふ、できればしっかり生き残ってくれたまえよ? 君達ほど強力な個体、きっと良い実験体になるだろうからね」


 そんな二人を嘲笑いながら、ワドルが背を向けてその場を立ち去ろうとして――





「――あたしの家族に舐めたマネしてんじゃないわよ」





「……なに?」


 振り向いたその先にいた人物の声に、その足を止めた。


「何を言っている、フェイカー03」

「魔科学者のくせに、察しが悪いわね~。ま、自分達の策を逆に利用されるような間抜けじゃそんなもんか」


 小馬鹿にするような口調でそう言い捨てたフェイカー03と呼ばれた人物は、無造作に左手に持っていた何かを放り投げた。


 それは訝しげな顔で固まるワドルの横を通り過ぎ、まるで吸盤でも付いているように分厚いガラス窓に張り付く。


「バァン」


 そんな気の抜けた声と共に放たれた銃弾が、ガラスに張り付いた何かを撃ち砕いた。


 直後。


 凄まじい威力の爆発が、魔術で強化されているはずの分厚いガラスを木っ端微塵に粉砕した。爆音が轟き、爆風がティア達のいる場所まで激しく吹き荒ぶ。ここまで飛んできた破片を、アルが風の魔法で逸らさなければいけないほどだ。


 やがてそれらが収まった頃、未だに粉塵が立ち込める中から、小さな影がこちらの部屋の中へと降り立った。


「ヤッホー、お二人さん。こんなところで偶然ね。元気してたわけ~?」


 あれだけの大爆発を起こしておきながら、そんな軽い調子でヒラヒラと小さな手を振り、青と緑のオッドアイでウインクをしながら歩いてくる人物を前に、ティアは特大のため息とともにその名を呼んだ。


「そっちこそ偶然ね、ミリル。元気そうで何よりだわ」


 呆れと安堵を含んだ笑みを向けられた家族――ミリルは、その小さな肩を竦めて「まぁね」と応えるのだった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ~特に太腿の太さは以上だ。 以上→異常 でしょうか。 ~強化を引き起こした血がアルのものか、魔物と化したミックのものかはわからないが。 強化→狂化 でしょうか。
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