余計なお世話
――身近に年頃の女の子がいるというのは周りの大人たちにとってみれば心配の種以外のなにものでもない。
……というのが国家保安本部首脳部の高級官僚たちの共通認識だ。
ちなみに、大して好ましいと思わない相手を目の前にして昼食をとらなければならないナチス親衛隊全国指導者個人幕僚本部長官のカール・ヴォルフは内心で大きなため息をついた。
誰がこんな馬面のうどの大木を好ましいと思うだろう。
性格的には大変問題も多かったが、暗殺されたラインハルト・ハイドリヒは確かに有能な男で、誰よりも謀略に長け、素晴らしく頭の回転が速かった。そんな前任者と比較すると、二代目の国家保安本部長官として就任したこのオーストリア人の弁護士はあまりにも凡庸で面白みに欠ける。
とりあえず、彼に好感を抱いているのは「無知な」マリーくらいだろう。
彼女は、今やナチス親衛隊にとっての特例中の特例的な立場に置かれている。
国家保安本部と親衛隊全国指導者個人幕僚本部に同時に籍を置き、さらにハインリヒ・ヒムラーの私設警察部隊として特権的な権力を持つ。
その頭脳的な立ち位置を占めるのは、現在のところ四人の高級指導者たちだ。
親衛隊中将のヴェルナー・ベストと、カール・ゲープハルトを筆頭に、ハインツ・ヨストとヘルベルト・メールホルンが名前を連ねている。カール・ゲープハルトはヒムラーの側近だったからともかくとして、ベスト、ヨスト、メールホルンと言えば、かつては国家保安本部の屋台骨を支えてその創設と運営に関与し、ハイドリヒに尽力した。
そういった意味で、マリーは「特別」だった。
本来、ヒムラーの私設警察部隊であれば、名だたる親衛隊知識人が所属する以上、年端もいかない少女が部署長になる必要もない。
周囲の人間が冷静に分析すれば、彼女はただの「お飾り」なのだ。
状況判断と情報管理の全てを親衛隊知識人の四人が行って、さらにはその部署で率いる実働部隊はふたりの現場指揮官によって行われる。
偉くなりたいだけの男のナチス親衛隊の隊員たちにしてみれば、彼女の存在は納得いくものでは決してなかったが、親衛隊長官でもあるヒムラーが下した決定である以上、否やを唱えることなど許されない。
ナチス親衛隊という組織は、極論を言うなら私情で運営されている機関と言っても差し支えはしないだろう。
とにかくそうしたわけでマリーを巡る環境というのは非常に特殊で、彼女を見守る大人たちからしてみればいろいろな意味で危なっかしくて仕方がないとも言えた。
ナチス親衛隊の本部長クラスによる会議が終わった後の昼食をカルテンブルンナーから持ちかけられたヴォルフは「マリーのことで」というわけで、余り愉快でもない男との話し合いにつきあわされる羽目になった。
「……マリーも年頃じゃないか」
この男はベルリンのプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセに召還された時はほぼ、アルコール中毒のニコチン中毒という状況だったが、どういうわけか、マリーとつきあっていく内にだいぶ、好ましい男になった。とはいえ、政治警察のトップが好ましいわけでもなく、ある意味では相変わらずだ。
要するに一年前と比べるとだいぶましな男になったカルテンブルンナーが、深刻そうに重い口を開いたと思えばごく当たり前の内容だった。
自分も恋愛して結婚もしているというのに、何をアホなことを言っているのだと、カール・ヴォルフは訝しむ。
「もうすぐ十七歳だからな」
十代半ばから後半というのは得てして多感な年頃だ。
肉体的な成長も相まって、少女は一気に「女」へと開花する。
「仮にだな、マリーに恋人ができたとして、あんなことやこんなことをされると思ったら、俺は平然としていられる自信がない……」
自信なさそうに代用コーヒーを飲みながら肩を落としたカルテンブルンナーは、何度目かの大きなため息をついた。
「総統閣下くらいの小男なら、それほど心配の必要もあるまい」
マリーは小柄だ。
一般的なドイツ人女性と比べても、さらに小さくて、一見しただけではまるで十代初めの少女のようにも見えなくもない。
カルテンブルンナーが心配をしているのはそれ故だろう。
彼女の体は、男たちと肉体関係を交わせるほどに発達しているとも思えない。
「それにしたって、マリーにしてみれば大男だ!」
一五〇センチ程度のマリーの手足は細くて、まるで力を込めてつかんだら折れてしまいそうに思えた。
ドイツ人男性の平均身長を軽く上回るカルテンブルンナーだったから、その心配はさらに大きいものだったのだろうと察することもできたが、だからといって、マリーに恋愛禁止を通達するのもおかしな話だ。
もっとも、本人にその気があるかどうかははなはだ怪しいが。
「それは確かに、貴官やカイテル元帥みたいな大男だったらいろいろ余分な心配の種にもなろうが、マリーの恋人が大男になるとも限るまい」
まるで小さな少女のようなマリー。
そんな彼女に性愛を抱くような男がいるならば、よほどの幼児趣味に違いない、とカール・ヴォルフは思った。
「もしかしたら、宣伝大臣みたいな小男ですむかもしれないじゃないか」
「……それもそれで問題だぞ」
ヴォルフの言葉に数秒考え込んだカルテンブルンナーが、面白くもなさそうに異を唱える。
ドイツ人として……――。
小さすぎるということは、なにか障害でも持っているのではないかと疑ってかかるし、逆に平均的な屈強なドイツ人青年であればそれはそれでマリーの体に負担が大きいのではないかとも心配する。
――だったら、おまえはどっちならいいんだ、と内心で突っ込みを入れたカール・ヴォルフだったが、カルテンブルンナーが余りにも深刻そうに何度もため息をついているのを目の前にして、鼻から息を抜くとやれやれと首をすくめただけだった。
いずれにしろ、マリーの恋人になるような男がカルテンブルンナーのめがねにかなうかどうかが問題なのだろう。
「余り若い連中を縛り付けるものじゃないと思うが……」
そういえば、少し前にフランスにいるはずの武装親衛隊の上級大将のヨーゼフ・ディートリッヒがマリーと仲良く並んで歩いているのはかわいいものだったと思い出したカール・ヴォルフだった。
「武装親衛隊の首脳部も彼女の身辺には充分に神経をとがらせてくれている様子だし、それほど大きな問題も起こるまい」
親衛隊で開かれるパーティーともなれば、暇をもてあました国防軍総長のヴィルヘルム・カイテルがエスコートもしているようだし、若い男たちがマリーの気を引くのも容易なことではない。
なにせ彼女はただでさえ普段から国家保安本部ではエリート集団に取り囲まれて生活しているのだから。
「余り邪推すると、品がないと軽蔑されますぞ。カルテンブルンナー大将」
「だから貴官に相談しているんじゃないか……」
ヴォルフに言われてカルテンブルンナーは憮然としてそう言った。
――うっかりマリーが若い屈強なドイツ人青年にベッドで組み敷かれているのを想像してしまったじゃないか。
相談されたほうのカール・ヴォルフは鼻白んで目の前のエルンスト・カルテンブルンナーを呪うのだった。
単に娘に恋人ができたらどうしようと、悩むお父さんというものを書きたかっただけです




