迷子の対処法
もしも迷子になったら。
ゲーリングのマントがあればそれほど問題は難しくない。
あのど派手なピンク色のマントを身につけた少女を捜せばいいだけのことだ。だが、そうでないときはどうすればいいのだろう?
誰もいない執務室で、窓を少しだけ開いたヴェルナー・ベストは秋のひんやりとした風がしのびこんでくるのを感じながら、鼻の下に鉛筆を乗せたままで考え込んだ。
マリーの前では格好つけているからそんな仕草は絶対に見せたりはしない。
余分な癖でもあると知られるようなことでもあれば、国家保安本部の首脳部に位置する人間たちは、いかにしてライバルを蹴落とそうとかと虎視眈々と狙ってくるだろう。
そんなことは、ハイドリヒの副官を務めたベストにはよくわかっていた。
そうでなくてもあのラインハルト・ハイドリヒ自身が、部下という部下をことごとく使い潰すことで有名だ。
彼の下で潰れなかった才能はほとんどいない。
事実として、三局のオットー・オーレンドルフも、七局のフランツ・ジックスも潰されかけた。
オーレンドルフのほうは東部戦線から帰ってきて以来、かなり本来のオーレンドルフ自身の性質を取り戻しつつあるようだが、フランツ・ジックスのほうは未だに肩に入った力が抜けずにいる。
ハイドリヒ派の急先鋒と呼ばれたベストの次の人事局長を務めるブルーノ・シュトレッケンバッハによるところでは、ジックスも本来の才能を発揮できずにいると言うことだ。
それにしたところで、ハイドリヒの指揮下にあって、その寵児とも呼ばれたヴァルター・シェレンベルクなどとは比較すべきではない。
誰よりも抜群に才能の溢れた、素晴らしい青年だ。
もっともベストの見るところではシェレンベルクは決して人好きするだけの男ではない。
もっと強欲で、強い野心を潜めている。
そこまで思考を進めてから、ヴェルナー・ベストは鉛筆を握り直すと目の前の報告書をもう一度最初から読み返した。
――捜索は一任する。全力をもって対応すべし。
脇においていた万年筆のキャップを外すと短く走り書きをしてヴェルナー・ベストはサインを記した。
報告書を提出してきたのはマイジンガーだ。
あの田舎の政治警察上がりの捜査官の能力もそれなりに認めるが、いずれにしたところで所詮は力尽くの捜査しか能がない。
仮にマリーが知らない土地で迷子になったらどうするのだ。
マイジンガーの報告書ではもったいぶったように長々と書かれていたが、要するに内容はそれだけで、ベストは侮蔑するように鼻を鳴らした。
――……仮に迷子になったら迷子になったで、それを探し出すのはマイジンガーとナウヨックスの仕事だ。そしてそんな事態を引き起こさないのも彼らの仕事である。
不測の事態など「存在しない」。
全ての状況を想定して、行動しなければならない。
それでも尚、不測の事態が発生するのであれば、それは「国家保安本部」の油断に他ならないのだ。
「ゲーリングの派手好きではあるまいし、あんな芝居の役者のようなとんちきな格好をさせられないとういうことをわかっているのか」
ヒムラーやカルテンブルンナーでさえも、マリーが悪目立ちすることにかけては否定的なのだ。
警護の都合上、目立つ格好をさせなければ警護ができないというのであれば、無能な事この上ないとも言えるだろう。
これだから単細胞の田舎警察上がりは使えないのだ。
ヴェルナー・ベストは万年筆のキャップを戻すと、軽くコツコツと机を叩いてから椅子に深く体を預けると長く鼻から息を吐き出した。




