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平和な町  作者: 木戸葉
1/2

餞(はなむけ)

登場人物 真居間町シンイママチ

尾月(オヅキ)

扇新海(オオギノシンカイ)

大間明良(オオマアキラ)

見稲見月日(ミイナミツキヒ)



世界でも珍しい孤児を無条件で引き取るという町がある。その町は山で囲まれ外部との接触がなく、閉ざされた空間だ。

しかしそれでもそこに向かう子供は多く、大人になって世界的に名の上がっている者は多い。偏見があるかもしれないが、それは何も特別な教育を受けているわけではない。ただ普通に過ごしているだけ。どの人々に聞いてもそれは同じことである。

しかしその町出身の者はいずれも大層謙虚で品があり、優しい人たちであった。悪いうわさなどたつこともない。その町の教育を肖りたいという教育機関は世界規模だ。しかし、それは決まりであり規則であるため外部に情報は洩れる事は無い。その上、潜入することさえ難しいらしい。アメリカのCISでさえ無理だったといわれるほどだ。ウソかホントかはわからないが。

つまりその町は、場所は謎に包まれているということだけがはっきりしているのだ。

そんな話が世界中に広まっていた。








小さな少年はとぼとぼと薄暗い道を歩いていた。しかしその道というのが野道といっても不思議ではない趣だ。木々で両面は覆われ視界が狭い。

しかし少年は迷いなくそれをたどる。多少怯えとも採れる表情を浮かべてはいるが。

そしてやっとのこと視界が開けるとその先には都会並みの家々が立ち並んだ光景であった。しかしビルのような高い建造物は無い。

少年は身を乗り出し森を抜けた。視界が開けているということはあちらの光景が見えやすいということでありそれと同時にこちらの姿も丸見えということである。

「・・・・・・・うーん?見かけない顔だな?子供、お前は外部の人間か?」

少年は声のするほうを振り向いた。彼は町から歩いてきたような足取りで少年の近くまで歩を進め立ち止まる。

彼は腰まである長い黒髪を一つにまとめており白い無地のTシャツにジーンズといったラフないでたちである。左耳に赤い宝石のついたピアスを三か所、首にも同じく赤いネックレスをかけていた。

少年は言い淀む。

彼は黙り込む少年に困ったように頭に手を置きそして何かに気づいたように頷いてみせた。

「ああ。もしかしてあの噂を頼ってここに来たのか?それなら話が早い。受付まで案内してやるよ」

彼は少年に背を向け歩き出す。

少年は呆然としばらく立ち尽くしたが遠ざかる背中をあわてて追いかけて行った。








彼の名前は扇新海(オオギノシンカイ)といった。何でもそのあたりをぶらぶら歩きわたるのが趣味らしく、さっきもその道中で偶然少年を見かけたらしかった。

「で?お前、名は?」

言葉少なな少年に気を遣ったのか、はたまた元からそういう性格なのかはわからないが気さくに尋ねた。

少年は彼に促され、口を開く。

「・・・・・・ぼくの名は尾月(オヅキ)

少年は問われたことだけ答えた。本当にそれだけしか答えず、無駄な話は一切自分からしない。背格好から八歳くらいと予想し新海は問うたがわからないと尾月は答えた。

この町では何も珍しい事ではない。自分の年齢も、両親の名も、時には自分の名前さえもわからない子もいる。名前が分かるだけ幸いといったところだ。

尾月から話を聞いたところだと。物心ついたときには本当の両親はおらず、知らない人の家々を転々としていたそうだ。両親はそろって天涯孤独な人だったらしく親戚もおらず引き取り手は見も知らない赤の他人。そして引き取られる先々で交通事故、火事、殺人、自殺などと続きここに来る前の家では家族そろって薬中毒、つまりドラックにはまっていたらしい。そして気の振れた《両親》に殺されかけたそうだ。

「・・・・・・なるほどねえ。そういった事情か」

新海はそれだけ言い、懐から煙草を取り出す。

尾月は軽く目を見開く。

新海はそれに気づき、どうかしたのか?と問うた。

尾月は躊躇する。

しかし新海は急かすこともせずただ煙草に火をつけ煙を吹く。

尾月は新海の態度に余計驚き呆然と呟いた。

「・・・・・新海さんって変わった人だね。ぼくの境遇を聞いた人はたいてい憐れんだ目をして可哀そうにっていうのに」

新海ははははと笑う。

「まあ、そうだよな。一般的な反応はそうかもしれねえ。だがここはお前のようなガキがうようよいる場所だぜ?そんなのいちいち構ってられるかよ」

少年はそれもそうかと納得したようだ。何も反論することもなくただ隣を歩く。

新海は唐突に立ち止まった。

物置小屋を想定する小さな建物が敷地内に建っていた。

新海は指をさす。

「あそがこの町の管理、および移民する子供の手続きやらを統括している部署だ。明良(アキラ)っていう人の好さそうなガキがいるからそいつに俺と話した内容をそのまま言え。それか聞かれたことに正直に答えればいい。そしたらあっちが勝手にやってくれる。面倒なことをよくやるよ、あいつらはさ」

「新海さんは行かないの?」

尾月は言う。

新海は煙草をくわえたまま、うん?と言う。

「俺はお前をここまで案内するのが役目。それ以上のことはしねえよ。ここの奴らは気のいい連中だから怯える必要はねえよ。安心しな。じゃあな」

新海は背を向けて去っていく。

尾月は後姿を眺める。

その時扉が開く音と女性の声が聞こえた。

そちらのほうを向くと学生服を着た女の人が立っていた。

「あらあ?どうしたの、坊や。見かけない顔だけど」

そして彼女は尾月の目の前まで歩み寄ってきて屈む。二つに三つ編みした髪が揺れる。

「どうしたのかな、坊や」

「あの人にここに来たら面倒を見てくれるって教えてもらったんだ」

少年は男の去って行った方向を見ないで指差す。

彼女はそちらを見て首を傾げる。

「・・・・・あの人って、誰もいないけど?」

尾月はえっと言ってその方向を見る。確かに人っ子一人、誰もいなかった。

彼女は口を開く。

「君、移転しにきた子ね?噂を頼って来たんだよね。なら事務所に入っておいで。手続きとかさっそくやっちゃうから。明良―移転希望の子がやって来たわよー?」

彼女はそう言って少年の手を掴み建物内に入って行った。

空はどこまでも澄み切った青。雲一つ、浮かんでいなかった。













「・・・・・・ああ。新海さんが連れてきてくださったんだ。なるほど」

青年はそういって腕を組む。

手続きを終え、ここに来た経路を彼らにも言った。するとここの人たちもあの人の言う世間一般な反応を見せた。そして流れで新海さんの名が出てきたのだ。別に隠すことでもない。

「あの人は神出鬼没だからねえ。いい人なんだけどいきなり現れるから心臓に悪いのよねえ」

彼女の名は見稲見月日(ミイナミツキヒ)。制服を着た最初に出逢ったお姉さんだ。

「そうだけどさ、ほんと、あの人にはいろいろとお世話になってるんだからあんまり口に出すなよ?それにあの人、どこで聞いてるかわからないしな?」

彼の名は大間明良(オオマアキラ)。ここの所長だそうだ。たしかに人のよさそうな顔をしている。黒のTシャツに小麦色のズボン。黒い髪は耳にかかるかかからないかのあたりまである短髪だ。

「それにしても君の両親は外国の方だったみたいだね。金髪に青い目なんてここ、日本ではあまりみないから」

少年は何も言わない。確かに今まであった人は全員黒い目をしていた。髪は茶髪やら、金髪やらといたがそれは染めるというったところで地毛でそういう人はいなかったと思う。

「・・・・まあそんなわけで、この真居間町(しんいままち)にようこそ。歓迎するよ」

明良はにっこりと笑う。

月日も笑った。

尾月は何も言わずぺこりと頭を下げた。









尾月は物静かな少年だ。妙に大人びているというか、冷静というか。この頃の子供というとおもちゃの取り合いこそないものの似たような縄張り意識的なものがあるものだ。しかしこの子においてそういった関係、その他でも他の子と争っているところなんて見たことがない。

彼が住んでいるのは小等部の寮である。六人部屋、三人部屋、二人部屋、個室とあるが彼は六人部屋に所属していた。彼はほとんど本を読んでおり、他の子とは戯れていない。各部屋には年長者がいるのだが彼にとって物静かな、問題を起こさない年下の子よりも悪がきを管理しなくてはいけないため放っているのが現状だ。

尾月は同学年の間で一目置かれた存在だ。特に目立つ行動をしているわけではないがそれでも彼の名前を知らない者はいない。

子供は皆、学業にいそしんでいる。小学生は遊ぶのが仕事だというがある程度は学がなければ問題視される。

尾月は平均点以上どころか満点を取っているので論外だ。彼に頼る生徒も少なくない。

教師の間でも彼に統率を頼っている節がある。それは職務怠慢ではないのかと思うかもしれないが教師とて人だ。楽できるのならそれに越したことはない。それに本人が苦に思っていないのだ。問題はない。

「・・・・・・・・おいおい。そんなんガキにやらせんのは間違ってるだろ。お前も何か反論しろよ、そういうことはよ」

新海は呆れたという目つきをする。

今日の彼の服装は和服姿である。いまいち服のセンスが掴めない。

彼は時折寮の庭に立ち寄る。これもお決まりの散歩というやつだ。

「ぼくは気にしてないよ?」

「気にするしないの問題じゃねえんだよ、こういうのは」

新海は酒瓶を傾ける。

尾月はオレンジジュースを飲む。これは彼のおごりだ。

「ガキは遊んで、食べて寝て、ちょっとばかし悪戯して大人を困らせてりゃあそれでいいんだよ。勉強もちょいちょいとやってな」

新海ははははと笑う。

尾月はもう一口ジュースを飲む。

「別にやりたいとは思わないよ。ぼくは」

新海は少年の横顔をちらりと見る。月明かりに照らされた彼の顔は無表情だ。

面白くねえなあ、いい子ちゃんは。新海は本当に面白くなさそうにそう呟く。

尾月は彼の顔を見る。

彼の顔は無駄にきれいに整っているため時々ドキッとする。月明かりに照らされている分、余計だ。

女の人にするならまだしも男の人にするっていうのだから内心複雑だ。

「おっ、そうだ。お前、頭いいんなら、また要領もいいみたいだしちょっとばかし頼まれてくれねえかい?」

新海は酒瓶から口を離し何でもない事のように言う。

その気軽さ故にいいよと答え、内容を尾月は聞き返す。

新海は意地の悪い笑みを浮かべた。心なしか月明かりが無駄に強まった気がした。

「死期の迫ったばあさんの道楽に付き合ってほしいんだよ」












古いお館。大正のころから続く古い旅館。さすが古くから改装されていないだけあってかなりの年期の入りように圧倒される。

尾月は紙に書かれた地図を見る。場所は確かにここをさしていた。少年はため息を吐いた。あの夜の回想はこうだ。

この館の主は重い病を患いもって二週間と医者に宣告された。彼女はいつもの通りというか想像を裏切らないというかの散歩で知り合った茶飲み友達だそうだ。

で彼女がずっと言っていたのが幼いころに出逢った金髪の少年と一緒に暮らしてみたいということだ。

『最期に夢を見せてやりたいんだ。友人のために』

あまりの事の重さに断ろうとしたがその言葉で断れなくなってしまった。

「・・・・・これも仕込まれたように思うけど」

そのあと最初から決まっていたかのようにこの館までの地図にその時の少年のしぐさ、言葉が分かっていないながらも常に笑っていたということ。好きなものがお花だということ。納豆が嫌いなことなどなどその成り済ますための特徴が書かれた手帳が渡された。さすがに現実的に考えればばれるのではないかといったところちょっと痴呆が入っているということで大丈夫だと胸を張って宣言された。えらく堂々と言ってのけたものだと感心したものだ。そしてどういった手回しをしたのか学校は詳細を聞くこともなく外出の許可が下りた。これも新海の仕業だろう。本当にどういった人なのかわからない。

扉を開けると若い男性が出迎えてくれた。

「ようこそおこしてくれはりましたなあ。うちは現支配人の世継いいます。話は扇はんから聞いてます。ささ、荷物はうちが持つさかい中に入ってください」

そういってある一室まで通された。そこは中庭に面した上等な趣の部屋だった。静かに時を過ごすのにはもってこいといった感じだ。

「祖母は毎時間車いすで丁度あの辺にいます。今は見えへんけどどうか見かけたら会ってやってください。この部屋は好きに使うてよろしいさかい、頼んます」

世継はそういうと部屋を出て行った。

尾月は畳の上に座る。絶景の眺めはいいものである。机の上には準備もよく茶須が置かれていた。

茶ををお碗に注ぎ香りを楽しむ。湯気が立っていることから温かいのだろう。口に含む。

「・・・・・・おいしい」

渋みがありしかし後味はすっきりと言い品だ。これを毎回飲んでいたという男は少々羨しい。

「・・・・・・もって二週間、か」

彼女は齢七十。息子も成人し、この館の跡取りと定めて十年も経っていないらしい。宣告を受けて尾月のもとに依頼されるまで三日が経っている。そしてそれから準備と手続きとで一日。四日は過ぎている計算だ。今日訪れて五日目。

最期の夢。それはいったいどんなものなのだろう?

少年は庭に人影と捉えた。彼は立ち上がり部屋を出た。















その人は優しそうな顔立ちだった。目じりが下がり微笑んでいるかのような表情。口元も笑窪ができて人柄がよさそうな印象だ。

「・・・・・・・HELLO?」

たしか外国語は英語だと聞いた。

彼女は振り返り驚いた顔をする。

「・・・・・・まあまあ。本当なの?夢を見ているかのようよ」

彼女は車いすを漕いで傍まで近寄る。

彼女は手を伸ばせば触れられる距離まで来ると泣きそうな笑みを浮かべる。

「・・・・・私のために来てくれたの?こんなおばあちゃんになったっていうのにねえ」

そういって彼女は少年の手を握り締める。

尾月は完ぺきにきれいな笑みを浮かべる。たとえ偽物であってとしても救いになるのならそれでいいと思ったのだ。・・・・・胸に渦めく罪悪感に身を置きながら。











それから何日も何でもない他愛無い話を彼女は紡いだ。言葉が通じないということで彼女が話し、尾月が聞き手に徹するといった具合に。食事と午前、午後とできる限り過ごした。

彼女は懐かしむように息子の成長、結婚、孫娘の誕生、夫の死去など嬉しいことから悲しいことまで話した。それをただ聞いているだけというのはつらいものがあったが尾月は耐えた。あるときフォークとナイフを逆に持ってしまったことがあったが彼女は違うでしょと言って持ち替えさせてくれたりもした。

そして宣告された二週間が近づいてきたとき、彼女は本当にうれしそうに笑ってお別れを口にした。

「・・・・・私はあなたにまた会えてうれしかったわ。もう思い残すことがないくらい。あなたの家はクリスチャンだったからキリストのもとに召されるといういいかたになるのでしょうね。ここでは御仏になるとか成仏するとかいうのよ。私は十分に生きて精一杯生き続けて人生を謳歌した。もう満足よ。ありがとう」

そしてその日の夕方に亡くなった。

帰り道。バスの中。新海は白いYシャツに黒いズボンといった質素な出で立ちで静かに尾月の隣に座った。

「・・・・・・ありがとうな。幸せそうな顔してたよ、ほんと。人って満足したらあんないい顔で亡くなれるんだなあ」

彼はからからと笑う。夕日が窓から差し込む。

尾月は俯いている。目は伏しがちだ。

人の死に接している回数が多くても決して慣れることはない。慣れてしなえばそれはそれで何か大切なものをなくしてしまうのだろう。己の一部を失うような、欠落したような。

「・・・・・・最期に会話した時、すごく本当に心から笑ってるんだろうなって顔をしてた。心の底から幸せだって」

尾月は目を閉じる。

あの時の笑顔は絶対に消えないだろう。鮮明に脳裏に焼け付いたとびっきりの笑顔。

「・・・・・・・ぼくも最期はあれくらいの、笑みを浮かべて迎えたいなあ」

「・・・・・・・・・・・・阿呆。お前にはまだ早いわ。まだ始まってすらいない人生の最期を語るには、な。えらい滑稽にみえるぞ」

夕日が彼の顔を照らし表情は見えなかったが、皮肉気に新海は笑みを浮かべるだろうと予測しできた。

それほどまでに声に嘲笑が感じられたのだ。

尾月は目を閉じ眠りについた。








揺れるバスの中で肩に感じる小さな重みに配慮しながら窓の外を眺める。

尾月が最期の会話を終えた後のことを思いだす。

尾月が立ち去ってしばらくした後のことだ。

「・・・・・いい夢を見せてくれてありがとう。新海さん」

彼女はそういった。

すると庭の植木の影から男が現れた。言うまでもなく新海である。

「・・・・・・なんだ、ばれてたのか」

お調子者のように首をすくめ目を閉じる。

彼女はふふふと笑う。

「何年、一緒にいると思ってるの?あなたの考えそうなこと、しそうなことはお見通しよ」

新海は彼女の傍らに座る。

「なんだ。案外元気そうじゃねえか。病気ってのは嘘だな?」

お茶羅けた風にいう。

しかし彼女は笑うだけで答えない。

彼もそれが何を意味するかも理解したうえではははと声を出して笑う。

「この場所ともおさらばだなあ」

「何言ってるの。息子たちをみてやってよ。おいしいお茶を出すように頼んであるから」

「それは魅力的な申し出で」

お互いお互いが軽口をたたく。

そして夕日が傾き始めたころ、彼女はふうと吐息を吐いた。

「・・・・本当に最後までいい日だった。こうして貴方とも出会えたしね」

彼女は真剣な目をして唐突に問うた。

「・・・・・・・・大丈夫?」

これから。

新海は煙草を咥える。

「・・・・・私が唯一気にしているのはあなたの事よ。私ばかり歳をとっちゃって、貴方は何も変わらない。多くの人間を見送っていかないといけないあなたがとても心配だわ。それが心残りね」

彼女の言葉から本当に心配しているのが分かる。

彼は煙を吐いた。

「・・・・・・・・・心配せずとも大丈夫だ。一体俺を幾つだと思ってる。ガキじゃあるまいに。とっとと中に入んな。もう長袖でも肌寒いんだ。俺もお暇するからよ」

新海は背を向けひらひらと肩越しに右手を振る。

彼女は彼の背中が遠ざかるのを眺めて目を細めた。

「・・・・・・決して年数は関係ないのよ、新海さん。知り合いがいなくなれば悲しい。それは誰だって同じなのよ。貴方は決して弱音を吐かない方だから。それだけが心配なのよ」

彼女は屋敷内に入ろうと車いすを押した。そしてその後、布団に寝転んでそのまま息を引き取ったのだった。

バスがごとりと大きく揺れる。

しかし尾月は目覚めない。

あれは覚悟していたことで、突然いなくなるよりはましだった。しかし。

「・・・・・・・・慣れねえもんだよなあ」

新海は揺れるバスの中でぼそっと呟いた。

目を細め、短息をつく。

陽が落ち、外はもうすっかり真っ暗になっている。

バス内は静まり返り、車のエンジン音だけが響いていた。

・・・・・・そして、尾月は気付かれないように目をもう一度閉じたのだった。











寮の前。

建物は薄っすらと明かりがともっている。

「ほんとに今回は助かったよ。また礼に何か持ってくる」

新海はバスから降り尾月の背を軽く叩く。

「・・・・・・別にそれはいいけど。大丈夫?」

少年は彼を見上げる。

彼は二ヒヒと笑う。

「ああ。まあ確かにちょっとは寂しく思うが、あの最期の顔を見たらな。いいかって思えたし」

少年はそう、と呟く。

そしてぶるっと体を震わせた。

「おっと、悪いな。風邪ひかしたら大変だ。さっさと中に入んな。この一週間、ほんとにありがとよ」

新海は煙草を取り出す。

「・・・・・・煙草はやめといた方がいいよ。体に悪いし」

そういって尾月は荷物を引きずって玄関に向かう。

彼が扉の前にたどり着いたとき新海は声をかけた。

「・・・・あんまり気を遣うなよ。バスん中みたいになあ」

尾月は目を見開き振り返る。

彼は肩越しに手をひらひらと振り、遠ざかって行った。

尾月はふう、と息を吐く。

そして頭を振り屋内に入って行った。

小さな光は男の姿を弱弱しく照らしている。

彼の咥えた煙草の煙が空へと立ち昇っている。

それはまるで旅立った友人への餞の線香のようだった。

                           (終)


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