第十四章 冬へ
競技がすべて終わる頃。
空は少し暗くなり始めていた。
隼たちは、結果が貼り出された掲示板の前に集まっていた。
「井上先輩、11秒38。」
大河が結果表を見る。
井上も自分の名前を確認する。
「まあ、こんなもんか。」
「向かい風やったし、悪くないやろ。」
顧問が言う。
井上が頷く。
その下。
大河。
11秒62。
大河が腕を組む。
「もうちょい行きたかったな。」
隼が横から見る。
「でも向かい風やろ。」
「お前に言われたら腹立つわ。」
「なんで。」
「11秒06のやつが言うな。」
井上が笑う。
「それはそう。」
「井上先輩まで。」
三人で結果表を見る。
11秒06。
11秒38。
11秒62。
同じ向かい風。
でも。
差はある。
顧問が三人の後ろから言う。
「来年は、この三人が中心になる。」
隼たちが振り返る。
「個人の百もそうやけど。」
顧問が続ける。
「リレーもな。」
大河が反応する。
「リレー?」
「今のうちから考えとけ。」
井上が隼を見る。
「こいつおったら楽やな。」
隼がすぐ返す。
「俺一人じゃ走れんやろ。」
「分かっとる。」
大河が言う。
「じゃあ俺も速くならんとな。」
「そらそうや。」
隼が答える。
「まずこけんなよ。」
「それ海斗やろ!」
井上が吹き出す。
その日の帰り。
隼たちが競技場を出ようとした時。
顧問がスマートフォンを見ながら足を止めた。
「陸神。」
「はい。」
「ちょっと来い。」
隼が戻る。
顧問が画面を見せる。
大会結果。
東京。
男子100メートル。
神谷 蓮。
一年。
10秒93。
隼の目が止まる。
「……10秒93。」
「ああ。」
顧問が言う。
「全中で11秒00出した一年や。」
隼は画面を見る。
神谷 蓮。
10秒93。
名前まで。
頭に入った。
自分が今日出した。
11秒06。
差。
0秒13。
「伸びとるな。」
顧問が言う。
隼は何も答えない。
自分も速くなった。
でも。
向こうも。
止まっていない。
隼は画面から目を離す。
「先生。」
「ん?」
「来年の全国、絶対に出ます。」
顧問はすぐに答えた。
「行ってもらわな困る!」
隼が顧問を見る。
「ですよね。」
一年生の大会は。
これで終わった。
隼。
11秒06。
神谷 蓮。
10秒93。
次に会う時。
どちらが速くなっているのか。
それは。
まだ誰にも分からなかった。
一週間後の放課後。
陸上部のグラウンド。
隼はいつものようにスパイクを履こうとしていた。
「今日はスパイクいらんぞ。」
顧問の声が飛ぶ。
隼が顔を上げる。
「え?」
「冬や。」
「まだ冬じゃないやろ。」
「気分の問題や。」
隼が眉をひそめる。
大河が横で言う。
「先生、雑やな。」
井上も笑う。
顧問がみんなを見る。
「大会も終わった。」
「ここからしばらくは、タイム追いかける練習ばっかりせん。」
隼が聞く。
「じゃあ何するんですか。」
「走る。」
「結局走るんやないですか。」
「当たり前やろ。陸上部やぞ。」
大河が吹き出す。
顧問はそのまま続ける。
「ただし。」
「短い距離ばっかりやなくなる。」
隼が顧問を見る。
「長いのも?」
「ああ。百五十、二百、たまに三百。」
隼の顔が少し曇る。
「三百……。」
井上が横を見る。
「嫌そうやな。」
「百でええやん。」
「来年二百も走るんやろ。」
「まだ決まってない。」
顧問がすぐ返す。
「決まりや!」
隼が顧問を見る。
大河が笑う。
「終わったな。」
「お前もやぞ。」
「え。」
「リレー走るなら、お前も走力上げてもらう。」
大河の顔が止まる。
今度は隼が笑う。
「終わったな。」
「うるさい。」
顧問が手を叩く。
「ほら、行くぞ。」
「今日はまず二百を何本か。」
隼が聞く。
「何本ですか。」
「六本。」
「多くないですか。」
「多くない。」
「いや多いやろ。」
「喋れるならまだ元気や。」
隼が何か言おうとする。
でも。
顧問はもう歩き出していた。
井上が隼の横を通る。
「諦めろ。」
大河も続く。
「冬、長そうやな。」
隼はトラックを見る。
百メートル。
それだけを追いかけてきた一年。
でも。
次の春まで。
まだ時間はある。
隼はスパイクをバッグに戻した。
そして。
ジャージのまま。
トラックへ向かった。
来年。
もう一度。
全国へ。
そのための時間が。
始まろうとしていた。
「一本目、行くぞ。」
顧問の声が飛ぶ。
隼たちはスタート地点に並んだ。
二百メートル。
百メートルの倍。
数字だけ見れば。
それだけだった。
「よーい。」
隼が前を見る。
――パンッ。
一斉に走り出す。
最初の百メートル。
いつもと変わらない。
むしろ。
少し抑えている分。
楽に感じた。
「これなら余裕やな。」
隼が前を走る井上を見る。
コーナーを抜ける。
残り百メートル。
そこからだった。
脚が重くなる。
少しずつ。
思ったように前へ出なくなる。
「……っ。」
残り五十メートル。
腕を振る。
脚を動かす。
それでも。
百メートルを走る時とは違う。
ゴール。
隼はそのまま数歩進み。
大きく息を吐いた。
「きつ……。」
大河が後ろから入ってくる。
「これ六本?」
「らしい。」
「先生、頭おかしいやろ。」
「聞こえとるぞ。」
顧問の声が飛ぶ。
大河が黙る。
井上が息を整えながら言う。
「まだ一本目やぞ。」
隼が時計を見る。
「休憩どれくらいですか。」
顧問が答える。
「三分。」
「短っ。」
「二分にするか?」
「三分でお願いします。」
周りから笑いが起きる。
二本目。
三本目。
本数を重ねるたび。
脚が重くなる。
四本目。
隼はゴールすると、その場にしゃがみ込んだ。
「百の方がええ……。」
大河も横で膝に手をついている。
「分かる。」
井上が二人を見る。
「まだ二本あるぞ。」
「言わんでください。」
隼が顔を上げる。
顧問は少し離れたところで、タイムを見ていた。
「陸神。」
「はい。」
「お前、後半落ちすぎや。」
「もう脚動かんです。」
「だからやるんや。」
隼が顧問を見る。
「百メートルは、百メートルだけ速ければええんやない。」
「……?」
「最後までスピードを落とさん力もいる。」
顧問が続ける。
「それに。」
「はい。」
「来年、二百走るなら尚更や。」
隼は立ち上がる。
「まだ決まりなんですね。」
「決まりや。」
即答だった。
大河が横で笑う。
「諦めろ。」
隼が大河を見る。
「お前も走るんやぞ。」
「今それ言うな。」
最後の二本。
脚は重かった。
息も苦しい。
それでも。
隼は走った。
六本目。
最後の直線。
前に井上。
隼は脚を動かす。
少しずつ。
差が縮まる。
ゴール直前。
並ぶ。
ほぼ同時。
二人がゴールする。
隼はそのまま仰向けになった。
空を見る。
息が止まらない。
「……二百、嫌いや。」
横に倒れ込んだ井上が言う。
「まだ初日やぞ。」
「だから嫌なんです。」
少し離れたところで。
顧問がタイムを見ていた。
そして。
隼を見る。
百メートルだけでは。
まだ分からない。
こいつが二百を走った時。
どこまで伸びるのか。
「二百も楽しみやな。」




