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第二位、人間  作者: 青野 乃蒼
国家転覆

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従業員・菊池千尋

一台の車がヘッドライトを煌々と照らして、暗闇を切り裂くように走っている。

時間帯のせいもあるが、街の中心から離れた道であるため、他に走っている車は見当たらない。

片側一車線なのに、である。



しばらくの間道なりに走り続けた車は、久方ぶりに現れた信号を左折した。

ここを直進してもまたしばらく信号はないため、この施設のために作られたと言って相違ない。


直後、抗議にも聞こえる唸り声がエンジンから鳴り始める。



ここから目的地まではずっと坂道だ。

急勾配というほどではないが、軽自動車には重労働のようだ。



坂道を登り切った車は、広大な駐車場の隅に停車した。



この施設には従業員専用駐車場というものは存在しない。

客の邪魔にならないように、従業員は施設から最も遠い隅に駐車するのが不文律となっている。


「さむっ!」


降車しようとドアを開けた菊池千尋(きくちちひろ)は、外気の冷たさに肩を竦めた。


分かっていても寒いものは寒い。

手を温めようと吐いた息は微かに白く、初春とはいえ朝晩はまだまだ冬が鎮座しているのだと痛感する。



腕を摩りながら電子キーで施錠した後、愛車――スズキのジムニーを一周してあらゆる方向、角度から矯めつ眇めつ眺める。


今日も美しい。



千尋はこれまで三台乗り継いでいるが、三台ともジムニーという大のジムニー好きである。


サファリパークの車といえば、皆がジムニーのようなこのフォルムを想像するだろう。

かくいう千尋もその一人であり、このイメージが自分にピッタリだと思っている。





今の車を手に入れてから一年ほど経った今でも、ほぼ毎日この行為を続けてしまうのには特別な事情がある。それは――


初めての新車、だからである。


千尋は高校卒業後今の職場に就職したのだが、給料がとにかく少なかった。

各種保険料が差し引かれるので一概には言えないが、コンビニで深夜バイトしていた方が手取りは高かったかもしれない。高卒で学のない自分は給料を貰えるだけでありがたいのだ、と言い聞かせて耐え忍んでいたのが懐かしい。



地方において、車は生活必需品である。

こんな懐事情では新車など到底買えるはずもなく、一台目は親に泣きついて、二台目は節約に節約をして頭金を捻出し、なんとかローンを組んで中古車を乗り継いできた。



そんなこんなで倹約生活を十年以上も続けた甲斐あって、三十代に入ったあたりから少し金銭的に余裕が出てきた。



これまで千尋は生きるのに必死で、彼女どころか趣味すらまともに持っていない。

アラサーにもなって惨めさに拍車がかかっている自分を少しでも慰めようと、何かお金を使って自分にご褒美をと考えていたところ、スズキから定期点検のお知らせが届いたのだ。


これを見た瞬間、ふっと一つの欲望が湧き上がった。



新車が欲しい。



ただ、倹約家である千尋は思い留まり、一度吟味することにした。


自動車の購入は大きな買い物である。

それだけのお金があれば、他にもっと色々なことができる。


他にやりたいことはないか、欲しいものはないか。

新車の必要性が本当にあるのか……。



熟考に熟考を重ねたが、やはり趣味がないので欲しいものは他に浮かばないし、友達と呼べる知り合いもいないので、旅行に行ったりパーティで豪遊、みたいなことも考えたりはしたが興味は湧かなかった。

 

こうして新車を買うことにしたわけだが、ここでもう一つ思い入れを深める小話がある。



決意を胸に意気揚々とディーラーに行き購入の意思を伝えると、納車まで半年程度かかると言われたのだ。


ジムニーは人気車のため他の車種より納期が長めに設定されているうえ、当時は世界的に半導体が不足しており自動車業界もその煽りを受けている、と説明された。


中古車しか買ったことのなかった千尋には衝撃であった。

ただ、幸いにも当時乗っていたジムニーの車検が翌年だったこともあり、渋々了承し待つことにした。



しかしこれが本当に長く苦しかった。

しかも蓋を開ければ、半導体不足が深刻化し当初の倍となる一年も待たされたのだ。


半年経って待ちに待ったディーラーからの電話が、納車日ではなく納車再延期の知らせだった時の落胆は、まるで天国から地獄へ突き落とされたような気持ちだった。生涯忘れないと思う。



会えない時間が愛を育てるとは言い得て妙である。

一年待ってようやく対面した時にはディーラーで快哉を叫びそうになったほどだ(帰りの車内では抑えきれず叫んだ)。




ここまでの事情を知れば、今もなお愛車を眺めることを仕方ないと理解してくれる人もいるはずだ。


「いってきます」


千尋は惜しみながら愛車に一時の別れを告げ、職場へと続く坂道を歩き出した。

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