第五十八話:魔法使いの正体
俺が1ヶ月と少しぶりに南米からカーソンに帰って来ると、研究所の雰囲気や作業内容は大きく変わっていた。
クロエの最大かつ唯一の懸案だったアメリアさんの病気の緊急性が薄れたため、彼女は研究開発の軌道をもとに戻し、安心して持ち前の能力をフルに発揮して研究を進めたようだ。
聞けば、新しい試薬やツールのおかげで新薬の動物実験の結果も良好で、もう1年もしたら臨床試験の申請もできそうな勢いとのこと。
俺もようやく研究活動が再開できるかと思いきや、俺の周りの環境は俺の意図しないところで劇的に変化しつつあった。
「再来月には新たに確保したサンフランシスコの研究所に引越します。大型の新規機材はできるだけこちらではなく向こうへ納品させてください。また、使用頻度の低い実験機材に関しては早めに向こうに送ります。可能な方は早めに荷物の梱包を始めてください」
そう。ネオイリアの新しい研究所がサンフランシスコにできるのだ。物件はすでに確保してあり、引っ越し計画は着々と進行中。俺が南米に行っていた間にトントン拍子に話が進んでいたらしい。
当初は移転を認めていなかったクロエもこの計画には乗り気だった。クロエがカーソンにこだわっていた理由も聞いてみれば何のことはない。施設確保と引っ越しのために使われる資金と時間と労力を考えれば、カーソンで研究を続けた方が、死が目前に迫っていたアメリアの治療をいくらかでも進めることができるのではないかと考えていたからだ。
しかしアメリアの悪性腫瘍が綺麗サッパリ無くなってしまった今、その心配もなくなった。であれば、サンフランシスコで新しい情報と人材を得、周囲から刺激を大いに受けながら研究活動をして、この事業を成功させた方がいいに決まっている。
投資家として考えるなら彼等の施策は理にかなっているし、賛成すべきものだ。
俺が困る事を除けば、だが――
俺がネオイリアに目をつけたのはカーソンという片田舎に研究所を持っていたからだ。大都市の真ん中で生活していた場合、寝ている間にレグエディットが暴走してアブソリュートが発動したら都市ごと消滅してしまう。そういう不意の事故を防ぐために、カーソンのような田舎町で過ごし、万が一の暴発時に少しでも無意味な犠牲を減らす必要があると俺は考えていた。田舎町なら被害が出ても、大都市ほどの死傷者は出ない筈だ。
それに俺はネオイリアでの毎日にそこそこ満足してもいた。多少不便ながらそこそこ快適な生活が送れるようになり、分子生物学を学ぶというアカデミックな刺激もあるし、何より研究を通してお役目を推進している手応えを感じることも出来ていたからだ。
しかし研究所がサンフランシスコに移転するとなると、少なくともレグエディットが暴発した時のリスクは増大する。ゆえに俺は彼等と一緒に引っ越すわけにはいかない。
「あなたは研究ノルマがあるわけじゃないし、そんなにカーソンが良ければ用がある時だけサンフランシスコに来ればいいじゃない」
クロエにはそう言われたが、そうじゃない。しかし、本当の理由など言える筈もない。
俺は俯いて困った顔をするしかなかった。
「暗い顔ね……」
「ん、まあな。いろいろ、うまく行かないもんだ」
「……飲みにでも行く?」
クロエらしからぬ誘い方だ。気を使わせてしまったらしい。
俺は彼女の誘いを受けることにした。クロエに慣れぬ酒の誘いをさせるほど、ひどい顔をしていたのだとしたらちゃんとストレスは解消しておかないといろいろマズい。
スキーシーズンが終わり、人も減ったリゾートホテルに併設されているカジノのバーカウンターで俺とクロエは初めてサシで酒を飲むことになった。カジノにも客はまばらで、いつもはほとんど聞こえないスロットマシンが出す拍子ハズレのBGMがはっきり聞こえる。
仕事を終えたクロエの今日のお召し物はTPOにバッチリあったショート丈のドレス風ワンピースだ。上質そうな生地。それに比べて俺はいつもの通り、何の工夫もない上下黒のジャケット&パンツだ。この構図はどう見てもできの悪いヒモとセレブの女そのもので、傍から見ると俺は全力で彼女のご機嫌を取る役といったところだろう。
バーテンの兄ちゃんが俺にノンアルコールカクテルを出してくれる時、軽くウィンクをしてくれた。頑張れってことか。
「サンフランシスコ行き、嫌なの?」
「そんなことはないよ。研究が進んで事業が成功すれば投資家としては万々歳だ。サンフランシスコ行きはそのための正しい施策だと思っているよ」
「じゃ、どうしてそんなに不機嫌なの? ずっとじゃない……?」
「うーん……カーソンが気に入っているというよりは、今は都会から少し離れたいんだ」
「何故? 昔付き合った女がしつこく追いかけてくるとか? それとも誰かに命でも狙われてるの……?」
クロエがなぜか饒舌だ。酒を飲むとこうなるのか、それともこの手の話が好きなのか。妙に食い気味だ。
「そんな話じゃないよ。どちらかと言うとストレスマネジメントの話だ。あまりゴミゴミしていないところで、何かしら仕事っぽいことをしていたいんだよ」
「おかしな人ね……羽を伸ばしたいならわかるけど、仕事はしていたいなんて……」
サボってると自覚すると俺が俺自身へプレッシャーをかけて、結果、レグエディットが暴発するかもしれないからな。
「承認欲求みたいなものが強いんだろうな。遊んでるとかサボってるとかそういう自分が嫌いらしい」
「そうなんだ……ところで、南米で何をしてたの? まさか、蝶を追いかけてた……?」
はあっと軽く息を吐いたあと、クロエは一杯目のグラスをグイッと飲み干した。あれ、こっちが本題なのかな? 俺が機嫌悪いのをなんとかしてくれるんじゃないの?
「南米の農地の買収や農園への投資を企画してたんだよ。そのための現地視察だ。このまま人類が増え続けると遠からず食料危機が訪れると言われているからね。北半球の大富豪はみんな南米の農地を買い漁ってるぜ。俺も彼等に倣っただけのことだよ」
「……どうとでも取れる回答ね。鵜呑みにできない……」
「うん? 俺の言うことが嘘だって言うのか?」
「そうね、嘘かもね。最近気になってる。カゲヤマの周りにはおかしなことが起きる。普通ならありえないことが急に起こって、それが爆発的なスピードで物事を進めたり、状況が変化したりする。この3年のあなたの周り……ずっとそうよね?」
「……調べたのか?」
「興味は尽きないわね……」
クロエがワイルドターキーの入った二杯目のグラスを振り回し、グラスの中の大きな氷がカランカランと音をたてた。クロエは酒がいい具合に回ってきたのか、先程の威勢はどこへやら、だんだん緊張感のないふにゃふにゃした顔になってきた。
「アメリアの悪性腫瘍が消えたのは絶対にあなたとのミーティングの直後……。だてに毎週アメリアの血液サンプルを取ってない…… 解るわよ。だから、あなたのヒストリーを追えるだけ追ってみた……うん……ナイジェリアの金山発見についての話は興味深かったわ」
……北米版の市川さんか、こいつは。ここから先は綱渡りだな。
一言一句に気をつけないと。
「だから多分……このあと何ヶ月かであなたが行った南米にとても大変なことが起こる。おそらくは生物を中心にした何かが。カゲヤマがカーソンに来たのはその準備……? アビゲイルに聞いた。南米に出発する前に綺麗な蝶の標本を持っていたって。だったら事件は蝶を起点にした何か……」
南米ではベアタミイロタテハの幼虫御一行がオオスズメバチの庇護のもと、絶賛コカイン畑を食い荒らし中の筈だ。
「君の話を全部肯定するとすると、俺は魔法使いみたいだな。南米云々は別にしても、少なくとも一回、アメリアさんのガンを治す魔法を使っていることになるが……君のような天才科学者にできなかったことを、俺のようなせいぜい大学院生レベルの知識しか持たない人間が一回のミーティング時間でどうにかできるとでも?」
「そこが疑問……。それが可能なんだったら、カゲヤマはウチで分子生物学を学ぶ必要がない。考えられる可能性は……魔法使いカゲヤマが分子生物学を学んだことによってガンの治し方を会得したとかそういう……あー自分でも何を言ってるんだかわかんなくなってきた」
……いつぞや、ラゴスで市川さんに問い詰められたのと同じような展開だな。
「アニメなんかでは魔法学校ってのはいろんな作品に出てくるけど、残念ながら俺はそういうところに通った覚えはないな」
クロエはヤケクソ気味に二杯目を飲み干した。
「おい、結構強い酒なのにそんなクイクイ行って大丈夫か?」
「悔しい……状況証拠的には完全に黒なのに、決定的な自白は得られそうにない……」
完全に黒なのか……もうこいつにはちゃんと話しちゃった方がいいんじゃないか……?
「俺は魔法使いじゃないけれど、もし魔法使いだったら何かお願いでもあったのか? それとも俺をどこかに売り飛ばすとか?」
「いや、特にない」
うーん……市川さんみたいに、何か望みがあるのなら交渉の余地もあったのにな……。
「そうか……仮にも天才科学者が、魔法とかなんとか、そういう話を人前ではしない方がいいと思うぞ。俺が魔法使いならお前は今頃カエルになっているところだ」
「ふぁい……気をつけます。カエルは勘弁してくらさい」
あ、もうクロエベロベロだ。チェイサー無しで飲んだりするからだ。あー頼むから足閉じてくれ。目のやり場に困るから。
「よろしい」
「でも覚えといてね。このあと何ヶ月かで南米に大きなニュースがあったらあなたは魔法使い。なかったらイチカワが魔法使いよ」
酔ってギロ目でケケケと笑うクロエがなにかの妖怪のようにも見える。しかし言ってることは筋が通っているからたちが悪い。
俺はクロエと話をしている間、ずっと市川さんと話をしているような崖っぷち感覚を感じていて、さっきから背中に変な汗をかきっぱなしだ。
「変なところで対照実験をするんだな。いかにも科学的でお前らしいよ。でも市川さんが魔法使いだったら、秘密を知ったクロエは問答無用でカエルにされるだろうなぁ……黙っとけよ?」
「カエルは勘弁……ん……お酒でも飲まないとこんな非科学的なこと言ってらんないわよぉ……どうやってアメリア治したのか教えなさいよぉコラァ……」
あ、非科学的ってことはわかってるんだな。
俺はホッとしつつ、酔っ払って今にもカウンターで眠りこけそうなクロエにUberを呼ばせ、やってきた車に押し込んだ。
この街の治安はいい。酔いつぶれた女性でもきちんと家に送り届けてくれる良心的なドライバーばかりだし、まあ大丈夫だろう。
結局、今日の飲みでは俺はカーソンに住み続けるための理由をこじつけることは出来なかった一方でクロエの推察という新たな課題が発生したことになる。
しょうがない。これからは人類削減のアイデアが枯渇したり、自分がサボってると自覚している時だけカーソンに引っ込むことにしよう。あまり周囲にヒントを与えないためにも臨機応変とルーチンの繰り返しの相反する二つを上手に両立させなければ。
そのためにも何かこう、プレッシャー管理とモチベーション維持のための指標のようなものが欲しい。「何人殺しましたカウンター」とか、何かそういうやつが。
「あーちょっと今日は少なかったなー」とか言って毎日張り切ったり落ち込んだりして。日間、週間、月間、四半期集計が出るとか機能も豊富なのがいいな。日別ランキングとか出るともっと良い。
でも、そんな数字を毎日見て過ごしてたら病みそうな気もする。そもそも、そういう計測ってどうすればいいんだろうか。
クロエの件は、彼女としばらく距離を置けば、そのうち充実した新たな研究環境が今日の話を忘れさせてくれるだろうから、今後はあまり近寄らないようにすれば良いだけかな……。本人も非科学的なことを言ってるって解ってるようだし、科学者としてはできれば頭の隅っこに追いやりたい話でもあるだろう。
じゃあ、その話を再燃させないようにするためにもネオイリアのサンフランシスコ研究所への出入りは今後、投資家の顔でしたほうがいいんだろうか。
壬生元会長や市川さんにも相談してみよう。




