第五十九話:素直な呪術師
そんなわけでクロエの件の対策を市川さんや壬生さんに相談だ。
俺の脇が甘かったことは重々承知しているが、そうそういつも脇を締めっぱなしにしているわけにもいかない。それに今回のようなことは今後も起こりうることでもある。
「こういう時に相談できるのはやっぱりあの人だな……」
俺は市川さんに相談するため、日本に帰る便をロスアンゼルス経由にした。
直接話しに行く理由はシンプルで、自動盗聴システムがあると噂の米国では秘密の話は電話ではしない方がいいと考えたからだ。だが会って話せば絶対安心かと言うとそうでもない。この街は日本語を理解する人も多いので、空港のカフェなんかで話すのも止めたほうがいいだろう。
いろいろ考えた結果、俺は空港に迎えに来てくれた市川さんの車に乗り込み、周辺の道をドライブしながら相談を聞いてもらうことにした。
空港を出て改めて気がついたが、春先のロスアンゼルスの青い空はカーソンで見上げる空と全然違う。気温も全然違うので、正直着るもののチョイスを間違ったと思ったぐらいだ。
昼間の空いた高速道路。車のスピードもそこそこ乗ったところで、俺は今回のクロエの一連の件について話し始めた。
「自覚してるみたいだけど、影山さんは脇が甘いわね。影山さんを一定期間ウォッチしてる人なら何かしらおかしいと気づくわよ。そこを起点に過去の行動まで全部洗われたら、洗った本人は絶対つついてみたくなるわ。私みたいにね。そういうのってなかなか頭から離れないの」
真顔で市川さんの論評と経験談が忌憚なく語られた。なるほどつまりクロエは一定期間俺を観察していたというわけだな。きっかけはやはりアメリアさんの悪性腫瘍の快癒というところか。
「でもさ、あの時アメリアさんを何とかしてあげてって言ったの市川さんだろ? 俺の脇だけが甘いわけじゃないと思うけど」
「そうね。私も悪かったと思ってる。でも、影山さんをウォッチしてる可能性のある人を定期的にリストアップして棚卸していかないと今後はいろいろ難しくなるわ」
なるほど、システマチックに対応することで属人的なミスを無くすということか。さすがはプロマネだ。リスクマネジメント手法もきちんと学んでいらっしゃる。
「そこでもう一つ相談があるんだけど……」
「何?」
「俺のこの能力を知る人間を増やすことのリスクは、どうやれば減らせるんだろうか?」
「増やさなきゃいいんじゃない?」
「うん。めったやたらに増やすつもりはないよ。だけど今回のようなケースで、もうしらばっくれることが出来ない絶体絶命状態だとか、逆にこちらからスカウトしてでも知って欲しいということもあるだろう。そこでリスクを最小化させるための条件というものが何かを考えてみたんだがどうにも答えが出ないんだ」
「え? それは当然分かってるもんだと思ってたけど……」
市川さんが意外そうな声をあげた。
「え? そんなに簡単なこと?」
「影山さんから離れると、大きなリスクがある。そういうリスクを抱えた人だけが影山さんの能力について知ることが出来る様にすればいいのよ。私が年に一度若返りの施術をしてもらってる様に、影山さんを裏切ったり離れたりしたら命がなくなるとか命より大事なものを失うとか、そういう担保条件のある人を引き入れる分にはリスクは低いと思うけど?」
「なるほどな。あー……だけど、クロエにも聞いてみたけど、あいつそういうのがなさそうなんだよなぁ」
クロエにとって一番大事なものはアメリアさんの命だ。俺達が条件提示をする前にアメリアさん側のリスクを全部取り去ってしまったのだから、これぞまさに本末転倒。打つ手がない。
「まあ今回は複雑よね。影山さんがアメリアを治さなかったらクロエは影山さんに注目しなかったわけだし……」
市川さん、あなたも魔法使い疑惑かかってんですよ……。それに、命と引き換えとか、命より大事なものとか、そんなものを抱えている人はそうそういないと思うけれど……。
「で、実際問題、今現在影山さんの能力を知る人はどれくらいいるの?」
「俺が自分から観念して白状したのは市川さんと壬生さんくらいだよ」
1月に嵐鳳楼で俺が壬生さんとどういう会話をしたのか、だいたいのところは市川さんと共有してある。
「ということは、壬生さんが自分の能力を告白した方達には影山さんのことも伝わっていると考えるべきね。壬生さんが自分の能力の後継者として連絡を回していると考えたほうが良いわ」
考えたこともなかったが、まったくもってその通りだ。壬生さんにだって、俺にとっての市川さんのような協力者はいただろう。壬生さんが壬生グループを使って俺をバックアップしてくれるにあたって業務命令以上の何かをする場合、おそらく壬生さんは自分の協力者だった人に指示を出す筈だ。確認はしておかないとな。
「あとね、シャーロットだけど……多分気が付いてるわよ」
「え? なんで?」
「なんでって言うか、考えてみたら当たり前よね。私、若返り前の姿と若返った後の姿シャーロットにきっちり見られてるし、どうして若返ったのかについても現場を押さえられてるからね」
俺はラゴスの自宅で、全裸でベッドに寝転がる市川さんの前で2時間以上アヘ顔を晒していたことを思い出した。それも一度きりではなく、シャーロットのいる前で5回もやったのだから何かしら察しても当然だろう。
「そっか、そうだよなあ……」
「ナイジェリアってね、未だに呪術信仰があるんですって。ちょっとラゴスの裏通りなんか行くと、人間の手足なんかを呪術の道具だって言って売ってたりもするのよ。呪術道具にされるからって理由で都市部で何人も行方不明になったりしてるの。あの辺りの人は超自然的な現象に対して寛容なんじゃないかしら」
リアルに怖い。そういえばジャゴダさんが俺のことを呪術師とか言ってたな。あれはそういうことなのか。
「じゃあ俺はシャーロットに呪術師だと思われてるってことか……。それはそれで面白いから放っておこう。その設定がいつか生きるかもしれない」
「設定って何よ……」
「いや市川さん、参考になったよ。相談してよかった。ところで、最近面白いこと見つけたみたいだね? 全然シリコンバレーの方に来ないし」
「ええ、シャーロットの露払いをしているうちになんだか面白いことになってきちゃって、今はそっちで忙しいの。影山さんはカーソンはもう引き上げるの?」
「そうだな。カーソンの研究所は売却するらしいからね。一応あそこの別宅だけは残しておくよ。恒温槽とか大きめの機材も買っちゃったし、正直、処分は面倒くさい」
「相田さんと服部君の方はどうなの? 順調?」
「株式の自動売買システムの方は順調に稼働中。今期で何十億かの黒が出そうだよ。最初百億ほど赤を掘った時はびっくりしたけどね。あと、服部の方はまだこれといった結果は出てないよ。だけど、投資先はまだどこも倒産してないし、経営状態が悪化したとも聞いてないな。日本に帰ったら詳しく聞いておくよ」
「数字と基本的な報告はこっちも貰ってるんだけれど、あの子達、私が怖いらしくて最小限の言葉と情報しか上げてこないのよ。私ってそんなに怖いかしら?」
「え、怖くないと思ってたの?」
「どういう意味よ」
「ははは、そういうとこだよ。おおらかに聞き流せばいいのに、絶対にそうはしないだろ? 特に男は美女から怒られるのが怖い奴とご褒美に感じる奴の2種類しかいないからな」
「もう……お世辞を言っても何も出ないわよ。あ、もうこんな時間。戻らなきゃ。3時からミーティングがあるの」
市川さんは車を空港に向け、俺を国際線出発ゲートのあるところまで送ってくれた。
「ありがとう。助かったよ。今度一段落着くのはいつ?」
「6月頃には結果を見せられるわよ。暇だったら手伝ってね!」
市川さんと軽い挨拶を交わした4時間後、俺は機上の人となった。
行き先はもちろん、東京だ。
◆◆◆◆◆
東京に戻った俺は溜池山王のオフィスに出向き、相田達の相談を受けたり業務指示を出したりといった当たり前の日々を過ごしながら壬生さんと会う機会を作ろうとしていた。と言っても名刺交換をした間柄なのだし、貰った名刺に電話をかければ済む話だ。問題は俺が壬生さんの名刺をカーソンの自宅に置いてきてしまったことぐらいだ。
「おや?」
袖机の中に貴子さんの電話番号が書かれたメモがある。前に入れてそのまま放置していたらしい。いや、なんというラッキー。これでカーソンに跳ばなくて済む。
そんなこんなで俺は書かれていた番号に電話をした。もちろん、壬生さんのアポを取るためだ。
「あら、私ではなくお父様への御用ですか? でしたら直接秘書室にお電話していただいてよかったのに」
なんだかつっけんどんな対応だ。俺、何か悪いことしただろうか?
「いや、そちらの秘書室の番号が書かれた名刺をアメリカのオフィスに置いてきてしまってですね……それで『お気軽に』と書かれたこちらの番号を思い出しまして……面目ないです」
貴子さんは壬生さんの秘書なので、この連絡には何も問題はない筈だ。ただ一点、この電話番号をもらった経緯が若干恋愛ドラマ的な要素を含んでいること以外は。
そんな俺の判断は間違っていたのだろうか。ちょっと拗ねた演技を続ける貴子さんをなだめすかしてどうにか壬生さんの時間を取ってもらうのは大変だった。
「壬生のお時間ですが、なかなかとれそうにありません。2日後の夜ならどうにかねじ込めないこともないですが、ご都合は?」
秘書の貴子さんにそう言われると、事実上俺には選択肢がない。俺は平身低頭貴子さんに感謝の言葉を述べ、その時間でのアポイントをお願いした。
貴子さんは「貸しですよ」と言っていたが、そんなに無理をさせたのだろうか。だったら今度お茶菓子くらい持っていかないとな。
そして2日後、俺は芝の壬生さんの部屋へと赴いた。
「やはり凄いものだな。ちゃんと科学的知識を背景に考えられた手段というのは。儂みたいな社会科学系では思いもつかないやり方だ」
南米で蝶の幼虫を使ってコカイン畑を全滅させようとしている俺の作戦を壬生さんに話したところ、壬生さんは大いに感心してくれた。
「そういうのはどこから発想を得るんだ? 君は生物学が専門ではなかっただろう?」
「確かに生物は専門外ですが、昨今の先端科学は何かと隣接領域との壁が曖昧で、数式さえ理解できればなんてことはないんですよ。ま、実際はあまり数式なんか使いませんけどね」
「ふーむ……そういうものか。ところでな、君の言っていた付加機能、プラグインといったか。あれには違和感を覚えるな」
「どうしてですか? 便利ですよ?」
「何かこう、おかしいのだ。儂の知っているあの能力はそんな便利な物体の属性や能力に関する検索機能があっただろうか。今では記憶もおぼろげだが、たしか物体が観察される層のそれぞれに変数やら機能名やらが項目として並んでいるだけで、なかなか目当ての項目にはたどり着けなかったように思うぞ」
「ああ、それは確かにそうでしたね。私も最初はそうでしたよ。壬生さんもあの能力を小脳に身体知としてインストールされたんですよね? でしたらその理由は分かりますよ」
「うん? どういうことだ?」
「何年自転車に乗っていても、普通に自転車を漕ぐことしかしない人と、ウィリーだのジャックナイフだのと、自転車を買って数ヶ月で曲芸のような乗り方を始めてしまう人もいるでしょう? ツールというのは使う人によって使い方は一見同じ様に見えて、習熟度や発想次第で大きく異なるものなんですよ。
あの能力の検索機能は『検索機能を使おう』と思わない限り使えないんです。ところがこの検索機能というやつはインターネットが普及した現代でこそ、多くの情報の中から目当ての情報を引き出すのに必須の機能と認識されていますが、壬生さんの時代はそうではなかった。だから検索機能そのものが壬生さんの頭の中になく、発動条件が整っていなかったのだと思います。
私も、最初は『なんて不便な能力だ』と思っていましたが、訓練をして、出来るできないの境界線を探ることでいろいろと幅を広げることが出来たんですよ」
「だとしても、そのプラグインは便利すぎる。そう思わんか? 何か意図があるやに見える」
この遺伝子プラグインがレグエディットをプラットフォームにしているものであることに間違いはない。DNAそのものを独立したオブジェクトと見立てているだけで、出来ることと言えば検索、閲覧、編集、カット&ペーストくらいだ。
DNA自体は1化合物なので、観測用レイヤー構造が薄く、目当ての情報にはたやすくたどり着けるなどプラグイン化のメリットはある。しかし、確かに生物の特徴や行動、例えば卵を産む数などを検索出来て、その部分を操作出来るという機能はいささかサービスとして過剰な気がする。
デバッガでアセンブラコードを追うつもりでいたら、いきなり高級言語のソースコードデバッガが起動した様な感じだ。
「なるほど。確かに変ですね。私の、この能力に対する習熟度が向上したというだけでは説明がつかないようにも思えます。特に、生物の特徴や行動といった、データではなく能力のあたりへのアクセスが飛躍的に便利になっているのが違和感の根源でしょうか」
思い返すと今まで俺は、物体の組成や構造といった物体の属性部、すなわちデータ部ばかりを触っていて、メソッドと言えば移動メソッドくらいしか触っていなかった。そして実際に、俺のメソッドに関する知識は多くはない。観測レベルに応じたメソッドの存在をうまく扱えていなかったのに、プラグインを使う事で急にホイホイとメソッドを扱えるようになったから違和感を覚えているのだろうか?
考えてみれば、最初に「あいつ」から聞いた「やりたい放題」という表現と、俺が見ている現実との間にはギャップを感じる。まだレグエディットの機能を俺が使い切れていないということか。それとも「あいつ」はもっと直接的な大量殺戮を前提にしていたということか。
「だろう? 何だろうな。この違和感は」
「ただ、コンピューターのソフトウェアの世界には、プラグインが無いとほとんど役に立たないソフトというのも結構あるのです。ユーザーが作ったプラグインがプラットフォームの寿命を長引かせるなんて珍しい話でもありません。この能力もポンコツプラットホームの上に優秀なプラグインが揃っていると考えればいいのかもしれませんね」
少なくとも俺は自分のemacsからlispライブラリを抜かれたらemacsを使い続けることはないとはっきり言える。
「わはは。ポンコツか。確かに儂が操作していた時はまさにそいつはポンコツだったぞ」
壬生さんは「あいつ」やレグエディットの悪口が大好きらしい。
「しかし、大抵の場合プラグインがたった一つというのはありえません。他にも色々あると考えておいた方が良いでしょうね。俺の脳にそれらのプラグインを各種インストール出来るぐらいの容量があるかどうかは疑問ですが」
「うむ…… その辺は考えつかんかったが言われてみればその通りだな」
「直近で困っているのは細菌やウイルスなどといった小さなものは肉眼で捉えられないために、この能力を施すことが出来ないということです。それさえ出来れば特定の条件の人間だけ殺す伝染病なんかも出来るかもしれないんですがね」
「そうか? 儂はメガネを使っていたことがあるがメガネの辞書が出てきたことなどなかったぞ?」
え……じゃあ、何が条件なんだろう?
「ところでな、影山君。頼みがあるんだ」
「壬生さん、今日は僕がお願いがあって来たんですよ?」
「ははは、まあそう言うな。頼みというのは貴子のことでな」
「いや、それ、前にも断りましたよね?」
「いやいや、話は最後まで聞け。貴子はもう三十路に片足を突っ込んでいるのに浮いた話の一つもないのだ。見合いを勧めても断るばかりで埒が明かん。今はいいが、そのうち誰からも声がかからんようになっては目も当てられんだろう?」
「はあ」
「そこでだな。見た目だけでも若く保ってやりたいのだ。影山君、貴子の体の年齢、少し巻き戻してやってくれんか?」
ああ、そこか……。子を持つ親の気持ちはまだ俺には察することが出来ないが、女性の外見に対する執念だけは少しは理解出来そうな今日この頃……。
「いいでしょう。貴子さんに腎臓疾患がある場合は無理ですが、なければ1回の施術で2年ぐらい巻き戻せますよ」
「恩に着る。貴子は特に腎臓に悪いところは無かった筈だから頃合いを見て頼む。……さて、そっちの相談は何だったかな……?」
ようやくこちらのターンだ。俺が壬生さんに聞きたいことはいくつかあるが、一番聞きたいのは壬生さんが担当者だった当時、どれくらいの人数に自分の能力の詳細を話したのか、そしてどうやってその情報が漏れるのを防いだのかだ。
「おうい、松下楼の出前取ってくれ。影山君の分もな。今日は話が長くなりそうだ」
壬生さんが別室で控えていた秘書の山崎さんに夕飯の出前を頼んだ。芝の夜は始まったばかりのようだ。




