第三十話:春のうららの神保町
2月、確定申告の時期だ。
ナイジェリアと日本の間に租税条約がないせいで俺と市川さんはとんでもない額の税金の二重取りをされた。ナイジェリアに残っていれば税金はずっと安くて済んだのだが、あのまま残っていれば今頃命はなかっただろう。カネを惜しんで命を失うか、その逆か、どっちを採るかで俺は後者を採ったわけだ。
まあ10人いれば10人が後者を採ると思うが……価値観は人それぞれだからな。
俺達は泣く泣く巨額の税金を払ったが、市川さんの賢い節税方法のおかげでスッテンテンというわけではない。まだまだ自由になる金はある。
1兆円あれば年1%の運用でも100億円の利益が見込めるのだ。運用益だけで3年に一つ、東証に上場している業績の良い小所帯の企業がまるごと買える計算になる。
もちろん、買ったりしないが。だって面倒くさいし。
そもそも俺には経営の知識などないのだ。変に俺が株主ヅラして経営に入って行ったら折角の優良企業も業績を悪化させてしまうかもしれない。それはいかんだろう、どう考えても。
山程の領収書、うんざりするような税理士とのやりとり、そして細かい数字の作業を終えて、俺はようやく納税以外の理由で外出できた。
さて、納税が終わると俺は本格的にやることがない……というか、人口削減以外にやることがない。ああいやいや、人口削減はしなくてはならないというのはちゃんと理解している。
使命は大事だ。うん。暇だからやるとかじゃなくて。
俺は暫く読んでいなかった相田のラノベ、アイーダ月ヶ瀬・作「★転生したチキン魔王は人類絶滅の詔を下す。ただし猶予は300年★」を見て人口削減のネタを漁ることにした。本当なら作者に直接解説をしてもらいたかったのだが、あいつはあいつで忙しいらしい。
―――第30話「白き粉の恐怖」より―――――――――――――
「人がこの白き粉に一度手を付ければ中毒となり、この粉欲しさに親兄弟さえも殺すようになる。せいぜいばらまいてやるが良い。ただし、入手困難になる程度に量は少なめにな……」
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麻薬を蔓延らせて人間社会の荒廃と衰退を画策するのね。これは解りやすいな。でも俺がこれやったらたぶん後ろからヘッドショット飛んでくるからね。怖いから別の方向で考えますね。
―――第32話「風呂と用水路」より――――――――――――
「風呂は良い……魔族の生んだ文化の極みだ。しかし、人間どもにはこの風呂さえもまともに入るは難しかろう……まことにもって度し難い。嵐が来れば海に行き、鉄砲水が出る川で魚釣り……アホウどもは間引いてやるのも余の勤めよ」
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これはあれだな。日本で年間100人が用水路に落ちて亡くなってるとか、年間1万9000人が風呂で死んでるとか、そのへんのネタだ。使えそう。でも、ちょっとアイーダ先生スケールがみみっちくなってませんか? 大丈夫ですか?
―――第35話「塩と油」より――――――――――――――――
「突如心の臓が止まる、そんな簡単なことに余の魔力など必要ない。
塩と油と……あとは馬鈴薯か牛豚の肉を浴びるほど人間に与えよ。
さすれば奴らは自滅する」
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高血圧による死亡は年間2500万人超えるらしいからな。今や世界中の死亡原因ナンバー1の高血圧をよりによってファンタジー世界に……。
まあ、でもいいのか……年間2500万人減ると思えば……。
だけどその豚肉と馬鈴薯で栄養状態良くなったら人間バンバン増えませんかアイーダ先生……?
―――第36話「便利な罠」より―――――――――――――――
「足りぬ。塩と油だけでは足りぬ。人間どもを堕落させる魔道具を与えよ。畑仕事を行い、家事をするゴーレムを……さすれば奴らはオークのごとくぶくぶくと膨れ上がり、やがて死に至るだろう。奴らとて本望だろうて」
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高血圧を助長させるために楽をさせて肥満の人を増やすやり方ですか……。確かに、生活が急に楽になると穀物中心の食生活を変えられずに肉も食うからえらく太るって聞いた事がある。
おやおや……この第36話で魔王は風呂による衛生事情の改善、肉と馬鈴薯の大量供給による食糧事情の改善、作業の自動化による人々の労働からの解放ってことで王国から表彰されてるぞ……。いいのかこれ。
前に読んだ時は人の善意がそのまま良からぬ結果を生んだ事例を扱っていたのに対し、今回は「知られざる大きな死因」を扱っているのが目につく。
麻薬は米国で年間七万人以上の死者か……。コカインは思ったほど多くないんだな。一番多いのは芥子から作るヘロインとかオピオイド系鎮痛剤か。ふうん……。
俺は人口削減を任されているが、滅多矢鱈に殺し回る殺人鬼ではない。できれば善良な人間の生き血を吸うように生きている連中を消し去っていきたいと思っている。だがそれも、最低限「あいつ」のノルマをクリアできた上でという条件付きだ。
いざとなったら俺はやるのだ。
あ、そういえば「命のため池」はまだ検討すらしてなかったな……。
―――第27話「命のため池」より――――――――――――――
「いかに良い手本があったとしても、試行錯誤の結果だけをかすめ取るのではいつか破綻をきたす。にも拘わらず人はそれを止められぬ。そんな愚かしさを逆手に取るのも一興よ」
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これはやっておかねばなるまい。俺なりに咀嚼復唱して、アレンジを加えつつ。
前は一気読みしたせいか印象の強い話だけが頭に残っていたが、こういう地味なのも本来は俺好みだ。
ただこれは、所謂悪党を殺すんじゃないのがアレだ。これに「風呂と用水路」を合わせてみよう。
とりあえず俺はまず、海外支援がヘタクソな団体を探した。志の高さとは裏腹にやることなすこと全部裏目に出てしまう、言ってみれば志が高いだけで方法論も何もない連中が寄り集まった烏合の衆みたいなNGOはないかなと思ったら……あるわあるわ。そんなのばっかり!
中には幹部が寄付金をチョロまかし過ぎてほとんど活動資金が無い団体とか、活動そのものをほとんどせずに他団体の批判ばかりしている団体なんてのもある。
俺はそういうのを上手に避けて「熱意のある馬鹿」、すなわち味方にするには最も避けなければならない類のNGOを探したのだ。
このあたりの仕事、俺は1人でコソコソ動き回らずに専門家を頼った。事情通の人にきちんと挨拶をして事情を聞いて、代理人を立てての作業だ。ああ、他人にやってもらうって素晴らしい!
代理人の口上はこうだ。
「貴団体の理想に感銘を受けた資産家がおります。その方は途上国で苦労し、なんとか成功し日本に帰ってこられた方です。
その方は途上国の人々の暮らしの向上を考え、農業技術向上の支援や灌漑用水の設置を目的とするのであれば相応額の寄付をなさるとおっしゃっておりますが……」
各NGOの窓口に代理人を送り込み、こんな口上を述べながらそれなりの金額を提示すると大抵の団体は首を縦に振る。やりたいことが思い切りやれる、その喜びで涙する者達ばかりだ。
会計は明朗にすること、不正があった場合は翌年からの援助は即打ち切るうえに、寄付したカネは返却すること、という条件だったが大抵のNGOはその条件を飲んだ。
みんな、自分の同僚はカネの持ち逃げなんかしない気高い人間だと思っているんだろうな。俺はナイジェリアでいろいろ見てきたから解るが、たぶん半分くらいのNGOでカネの持ち逃げが起きるぞ。
「ああ、そうそう。その方は『日本の風呂の文化を是非、他国へも広めたい』ともおっしゃってました。『雪を見ながらでも、海や大平原に沈む巨大な夕日を見ながらでもいい……風呂に入ってキューッと熱燗をあおるなんてことを、途上国の方とやってみたい』といつも口癖のように」
スポンサーに少しでもいいところを見せたいのは人の常。各NGOは飲まなくても良い「その方の要望」までをもミッションに組み込んだ。多少へんてこな要望でもスポンサーのためならエンヤコラ、である。
かくして、残念なNGOの若人達は幅1mの灌漑用水を途上国の農業用水として国中に張り巡らせるべく奮闘する用意に勤しむのだった。
木を切る手伝いをするつもりで使ったこともないチェーンソーを動かしたらどうなるか。動機は善意でもその後の血の雨の降る大惨事に良い評価を与えることは難しいだろう。俺はその大惨事を起こせる若者を選んでわざわざチェーンソーを渡したのだ。
だが、農業用水の敷設だけはミスを起こされては困るので、俺は彼等が日本を出るまでの間、八方に手を尽くして専門家を雇い、研修カリキュラムを整えて土木工事の基礎や灌漑用水の敷設を彼等に叩き込んだ。研修が終わる頃には顔つきが変わっていたが、地雷要素無くなってないだろうな?
これでとりあえず少しはキルスコアを稼げる筈だ。あとは「あいつ」の白い空間が現れたら結果を聞けばいい。
さて、次だな。何にしよう……?
★★★★★
春もうららの3月半ば、シャーロットは岡山でUCLAからの合格通知を受け取った。と言っても最近はWebで確認するんだな。
“Congratulations!! You have been admitted to UC Los Angeles!"(おめでとう! あなたはUCLAに合格しました! )
この1年結構頑張ってきただけあって、さすがにこの一文を見た時、シャーロットは泣いていたそうだ。まあ、カリフォルニア工科大学通るならこっちも通るよな。それにしても十万人超の志願者から選ばれるって大したもんだよ。
シャーロットは兄と同じく生化学方面、そして一応医学部進学を目指してそれ用の単位を取得するらしい。是非今後も頑張って欲しいと切に願う次第。
兎にも角にも、俺は1人の優秀な若者の未来を救ったのだ。良しとしよう。偉いぞ俺。
あとは5月までに入学金やらなにやらを振り込めばシャーロットは晴れて大学生だ。もちろん、ルーカスとの約束通り俺がシャーロットの学費と生活費の面倒を見る。ルーカスやシャーロットに経済力があるとか無いとかではなく、言い出したからにはやっておきたいのだ。
経済力と言えば、シャーロットは自分がもらった宝くじの賞金のうちいくらかをボランティア団体に寄付し、残りは自分が持っておくことにしたらしい。
何か、その意思に芯の強さを感じたので理由は聞かずに黙っていたが、きっとやりたいことがあるんだろう。若者の未来に幸あれ、だ。
そういえばUCLAに行くのも、本当のところはどうしてなのか聞いていないな……いつか聞いてみたいもんだ。あれ、なんだろうこの気持ち。
「ああそうか。俺、まだシャーロットの保護者のつもりでいるのか……」
数日後、俺はシャーロットとルーカスに東京で合格祝いをしようと提案したのだが、『かしこまった席はいらない』と言うシャーロットと、『お祝いをするのに呼びつけるとは何事だ、お前が来い』と言うルーカスの短いメールを見てがっくり肩を落とした。しかしヤツの言うことももっともだ。
「うう。寂しいんだよう。ちょっとはかまってくれよう……」
俺は市川さんに、酒を飲んだ勢いを借りてキーキーと電話で一晩中まくしたてた。今思い返しても恥ずかしい。というか、メンタル強化どこいった。
そういえば何で俺は岡山に行かないんだろうか。どこかに照れくささでもあるんだろうか。なんだっけ……酒が邪魔して思い出せない。
そんな俺を見かねた市川さんがシャーロットを連れて上京してくれたので、俺は言われた通りかしこまった席は用意せず、昼飯を食いにシャーロットを神保町に連れて行った。しかしこれが失敗。街にかかる幾多の看板を目にするやシャーロットは狂喜乱舞して町の通りに姿を消えて行ったのだ。俺達2人をおいて。
神保町は別名「カレーの激戦区」。インターネット検索で「神保町」と入れると次のおすすめ検索キーワードに「カレー」と出てくるくらいの街だ。だから俺はシャーロットが喜ぶとは思っていたが、狂うとは思ってなかった。
次にシャーロットと再会できたのは外神田のインドカレー屋からシャーロットが電話してきた後、時刻は午後6時を過ぎたあたりだ。それまでずっとカレー屋をハシゴしてたのかこいつ……。
「ねえ、影山さん。ここ、インドカレー屋なのに看板料理がビーフカレーなんだよ! 凄いねえ!」
頼むからそういう事は小さい声で言え。お前の国が宗教対立でどういう状態か忘れたのか……?
シャーロットは3日ほどうちに泊まってから岡山に帰っていった。市川さんのご実家は結構居心地が良いらしい。
ただ時折、変な男に追いかけられるのが少し怖いと言っていたな……。
今度調査しておこう。




