第三十一話:金のしゃもじ
梅雨の足音が東京にも聞こえてきた6月のある日、俺と市川さんは、影山物産が立ち上げる投資ファンドについて話し合っていた。今日は影山物産の定時取締役会なのだ。
影山物産には社屋がないので、株主総会も取締役会も基本は東京・白金台にある俺の新居のダイニングキッチンで開催される。たった二人しかいない株主総会や取締役会だが、気楽でいい。
「影山さん、ちょっと言っておかないといけないと思ってる事があるの」
一通りの議題が片付いた後、市川さんがいつもの業務報告とは違う切羽詰まった声色で切り出した。
「どうしたの? 何かあった、市川さん?」
「年末年始にお邪魔した時に見つけてびっくりしたんだけど、炊飯器の近くにあったシャモジが金になってたの。影山さん、金のシャモジ買った?」
なんのことだ。俺は知らない。家のシャモジは今朝も見たがプラスチックだった筈だ。
「いや、うちのシャモジはプラスチックだったと思うが……」
「やっぱり、ちょっと悪ふざけをしたとかじゃなかったのね……。アレを見つけた時にびっくりしたんで影山さんが寝てる間に私が近所の百均で買ってきたのよ。あの時はシャーロットもいたから説明できない状況は避けたかったの。
あなたの能力のこと、まだ彼女には教えてないんでしょう?」
なるほど。相変わらず恐ろしいほど気が利くんだな、市川さんは。
「他にも、個包装の切り餅が袋の中で金になっていたわ。冗談だったらまだいいんだけど、もし、影山さんの能力が暴発してるんだとしたらちゃんと言わなきゃいけないなと思って。
今日まで言い出せなかったのはちょっとタイミングを逸していただけなの。他意はないわ。でも、ごめんなさい」
正月から半年は経っている事を考えると、その暴発とやらは見つかった2件だけとは思えない。他にもいろいろやらかしている筈だ。
市川さんが帰ったら家中ひっくり返して暴発の痕跡を探してみよう。少なくとも頻度と規模は把握はしておきたい。
「寝ている間にやっちゃってるのかしら? なんにしても何か対策が必要だと思うわ」
市川さんの言う事はもっともだ。しかしそんな事言われても、寝ている間だと俺にはどうしようもない。寝ている間の脳波でも計測しておいて、暴発が起こった時と起こらなかった時のデータを比較すれば何回かの暴発の後はなんとかなるかもしれないが、それは運良く暴発の跡を翌日のうちに観測できたらのことだ。
「あいつ」に頼むという方法もあるが、「あいつ」自身に対応できるかどうかがそもそも疑問だ。以前にもレグエディットの使い勝手について改善要望を出したが一向に対応される様子はないしな。
まあ、無駄かもしれないが今度会ったら頼むだけ頼んでみるとしよう。
問題はその今度とやらがいつになるかがわからない事だ。明日から明後日か、それとも10年後なのか。
「あ」
「何か、思い当たることがあるの?」
原因に、一つだけ心当たりがある。
「アヘ顔防止の訓練が原因かも……」
かねてからの市川さんの強い要望。それはレグエディット中のアヘ顔をなんとかして欲しいというものだった。
市川さんはシャーロットと一緒に行動する事が多いこともあって、若返りの施術の現場をシャーロットに見られたくないのだそうだ。
その最大の理由が俺のアヘ顔だという。まあそりゃそうだ。自分が全裸になっている横で俺がアホみたいな顔を2時間も晒している光景がシャーロットにどう映っていたかは想像に難くない。
で、俺もこのままで良いとは思ってなかったので、暇を見つけては努力をしていたのだ。
人間、できると信じさえすれば何でも出来るようになるわけではない。しかし理想に向けて努力するのとしないのとでは最終的に大きな違いが出る。
俺は訓練に訓練を重ね、まずアヘ顔を別の表情にすることができた。具体的には押し寄せる便意を我慢しているような表情に。
後は高速化だ。瞬く間にレグエディットの操作を済ませてしまえれば俺のアヘ顔なんか気にもされないで済む。そう考えた俺はひたすらレグエディットを高速に行う訓練をした。
特に物質の素材変更と物体の移動、そしてテロメア操作についてはひたすら同じことを繰り返し、その結果俺は今までとは桁違いの速さで操作を完了できるようになったのだ。
だが、この訓練は俺の中にある「レグエディットはヤバイ能力で、大した理由もなくパカパカ使うものではない」と漠然と考えていた心理的ブレーキを完全に消し去った。
自動車の免許を取って暫くの間は大抵の人間は自動車で路上に出るのが怖い。が、慣れるとなんとも感じなくなる。あの「慣れによる苦手意識や恐怖の払拭」と同じ事だろう。
そのブレーキがなくなったせいで、夢の中で気軽にレグエディットを使っているのだとしたら……
「ううん、それは私、悪いことをお願いしちゃったわね……ごめんなさい……どう謝って良いのかわかんないわ……」
俯く市川さん。大丈夫、市川さんは悪くない。悪いのはこんな不完全な能力を俺に授けた「あいつ」だ。
市川さんは俺の能力を「若返り」「確率操作」「物質変換」「物体移動のうちの『ムーブ』」の4つで、それぞれが別の能力だと思っている。俺はあえてそれを正していない。だから市川さんの懸念は俺が寝ている間に何かを金に変えてしまうとか、誰かを若返らせてしまう、ということになるだろう。
俺はレグエディットの能力をそれよりは多く把握しているので市川さん以上の懸念を感じている。
人のたくさんいる東京にいるとヤバイ。
今のところ、シャモジや餅が金になるくらいで済んでいるが、もし寝ぼけて物体移動を「アブソリュート」でやってしまったら東京のど真ん中で核融合爆発を起こす可能性だってある。
ダメだ。そんなことになったら「あいつ」はガッツポーズでその結果を喜ぶだろう。ということは「あいつ」がこの状況を改善するとは思えない。
なんてこった。首都圏3500万の命は俺のせいで風前の灯だ。
考えろ。慣れだけだろうか。俺は久しく使っていない頭をフル回転してみた。
ナイジェリアで起こらず、東京で起きる……。その差はなんだ……?
――ストレス?
ちょっと意味合いが違うかな。プレッシャーとか罪悪感みたいなものだろうか。
俺は日々人口削減の事を気にかけているが、実行に移すことは殆どない。宿題をやらなくてはいけないのに手を付けていないのと同じだ。
そういう類のプレッシャーは俺の中で殊の外大きい。
スケジュールが破綻する寸前まで手を付けず、膨れ上がったプレッシャーを高い集中力の苗床にして積み上がった課題を片付ける。俺はそうやって学生時代や社会人生活を乗り切っていたのだ。
だがその成功体験の積み重ねのせいか、今の俺は人口削減に限らず、スケジュールギリギリまで何もしなくなっていた。
「明日できることは今日やらない」をポリシーとして、プレッシャーを肴に時間的な猶予を盛大に浪費した後で作業に手を付けるという俺の習性は、俺自身を激しく追い詰めていたのかもしれない。
先だっての海外ボランティアNGOへの寄付はほぼ他人任せだったから、自分の中ではやったうちに入っていないしな。
なるほど。ストレスとプレッシャーか。しかし、ヘタな夢を見たら東京消滅、というプレッシャーもこれまた大きい。なんとかしなくては。
うーん……。温泉にでもゆったり浸かって、楽しいことを考えて、ストレスを解消するというのはどうだろうか。
その後は人口削減に向けて、自分にプレッシャーを与えない程度に頑張る。頑張る場所は、万が一俺が馬鹿な夢を見ても他人様に迷惑がかからないところがいいな。
うん、そうだな。このセンで行こう。
俺がこの行動指針を市川さんに説明して協力を求めたところ、快く了承してもらえた。
「なるほどねえ。ストレスとプレッシャーね……え? プレッシャーって……?」
まずい。市川さんにはまだ俺の使命は説明していない。
「あ、ああ。未だにいろんなマスコミとか寄付目当ての連中とかが毎日俺のところに来るからさ。断れば良いだけなんだけど、それはそれで結構キツイんだよ」
「わかるわ。寄付を断られた時のあの、捨てられたペットのような顔……最近一番見たくないものの一つね」
よし、うまくはぐらかした。
「えっと、市川さん、質問があるんだけど良い?」
「何?」
「岡山っていい温泉ある?」
「は?」
「原因がストレスって言うならとりあえず、温泉にでも浸かって夢も見ないくらいぐっすり眠ればいいんじゃないかなと思ってさ。草津や熱海だと人がたくさん居すぎて逆にストレスになりそうだし」
「なるほど納得。じゃ、後でメールするわ。美作温泉がいいかな。いい部屋とっといてあげる」
さすが市川さん、話が早い。
「それとさ、やっぱり俺、働いてないとダメみたい。毎日寄付をするかどうかの判断だけで一日過ぎてるの嫌なんだ。だから、新しい会社作りたい」
「それはファンドや物産じゃできないこと?」
「そうだね。分けたほうが良いと思う。俺、今度はちょっと生物やりたいんだ。採掘や材料系はもうどこの国からも睨まれてるだろうしさ。趣味で生物と人工知能両方やる研究所、みたいなのがいいな」
こうして、珍しく影山物産の取締役会に緊急動議が提出され、取締役会は子会社「カゲヤマバイオエンジニアリング&ファーマシー」を米国に設立する基本方針を承認した。
「あら、雨ね……」
会議が終わった頃、外は激しい雨が降っていた。窓から見える庭の紫陽花もこの雨の強さには抗えないらしく、いつもほどの元気が無い。
日が暮れて1時間ほどで雨はさらに勢いを増し、東京、千葉、神奈川に大雨注意報が出された。
「あらやだ。この雨のせいでビジネスジェットは飛べないみたい」
「新幹線はまだ走れるみたいだ。送るよ」
俺は買ったばかりの車に市川さんを乗せて東京駅の八重洲口まで送っていった。
次に会うのは美作かな。
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「……あいつ、まだ何か私に隠してるわね……」
帰りの新幹線「のぞみ」のシートで市川は独り言ちた。いつも食べる「深川貝づくし弁当」が今日はそんなに美味しく思えない。
数年前まで帰省する時は必ず食べていた「冬の大漁御膳弁当」ならもう少しは……いや、そういう問題ではない。JR東海の駅弁ラインナップから消えた「冬の大漁御膳弁当」はもう帰ってこないし、そこは望んでもしょうがない(注)。
「ストレスと、プレッシャーか……」
影山が言ったセリフが頭の中で反芻される。
「それは、私もそうなんだけどなあ……」
県会議員の市川の父が次の選挙で市川の財布をアテにしているのは明らかだ。
巨額の供出を期待される一方で、「30を過ぎた娘がヨメにも行かんで恥ずかしい」と親戚一同に田舎特有の理屈や旧世代の価値観を押し付けられる日々を市川は送っていた。
かと思えば、隣の倉敷の大原美術館の例を持ってきて「大金持ちは自分の名前の入った施設の一つや二つ作るもんだ」と迫ってくる父の支援者達。目的はもちろん、市川のカネだ。
そして「お前のカネは家のカネ」とばかりに恥ずかしげもなくカネを無心してくる見たことも聞いたこともない親類縁者達。
市川もまた、限界に来ていた。結局のところ市川は、宝くじが当たった人に起こる不幸をほぼフルコースで味わっていたのだ。
「シャーロットは一緒にいると面白いけど、もうそろそろ大学に通うためにアメリカに行ってしまう。てことは何? 私一人で岡山に残るの……?
うんにゃ、それはないな……それなりの手切れ金を渡して家を出るほうがまだ、自分が自分として生きられそうだわ」
市川の中で、さまざまな思いが逡巡した。
「私もついていっちゃおうかなあ……そっちのほうが面白そう」
(注)しょうがないけど諦めきれない




