第百八話:袖擦り合うは非情の縁
「いらっしゃるのでしょう? お客様。出来ましたらば夕食をご一緒に。主には私の方から言っておきますゆえ」
低く、滑舌の良い声が俺達のいる3階後部デッキに向けられた。俺達がここに潜んでいることはこの執事風の男にはお見通しらしい。
「いらっしゃるので……しょう?」
あれ、ちょっと不安になってる。面白いから少し黙っていよう。
「む……もしかして考えすぎか? マーチンとエリックは二人してトイレにでも行ったか?」
「あの、追加料理とオレンジジュースはどうしましょう……?」
「ちょっとここで待っていろ」
男は少し憤慨したような声を上げて俺達のいる3階デッキに向かって歩き出した。靴の音に紛れてシャコッという音がしたのでナイフか何かを用意したのかもしれない。まずい、近接格闘は俺も市川さんもまるっきりの素人だ。
俺は4階のブリッジに隣接したバルコニーへと市川さんを跳ばし、自分も後を追った。ここからだと3階後部デッキがよく見える。俺と市川さんはバルコニーを囲む手すりの影に身を潜めながら男が去るのを待った。
「ありがと。こんな状況ではあるけれど、日陰ってのが嬉しいわ。西日がきついったらなかったからね」
「最初からここに居れば良かったかな。でも下で待ってたからこそ貴子さん達の居場所が分かったんだ。勘弁してくれ」
男は狭く、隠れる場所の無い3階の後部デッキを一周りしたり、2階のデッキを覗き込んだりしていたが何も見つけることは出来なかった。貴子さん達のいる客室に戻る直前、あの男がブリッジをじっと見つめていたのはなんとも気になるが……。
そうこうしているうちに「お召し物」を取りに行った部下が帰ってきたらしく、男は捜索をあきらめ貴子さん達の接遇に戻って行った。
「こ……これ着んの? えーちょっとマジ?」
俺達が声を殺して作り上げた静寂の中に相田の大きい声が響き渡る。いったいどんな服を着せられているのやら。
「相田……何やってんだ」
俺は無意識に自分の緊張をほぐそうとしたのか、つい無駄口を叩いた。といっても小さな破擦音だけで話す内緒話トーンでだが。
「あっ」
ゴゴン!という鈍い音が響き渡った。気の緩みは恐ろしい。俺の膝に当たった市川さんのカバンが手すりにぶつかってしまったのだ。
「アルフォンソ、やはり追加は2名分だ。あと、お嬢様方にオレンジジュースをお持ちしろ。グラスは4つだ。間違えるなよ」
「え……?」
そんな会話が聞こえた直後、3階の廊下を凄いスピードで何かが走る音がした。オズワルドが動いたのだ。オズワルドは4Fブリッジに上がると、驚く船長や航海士達には目もくれず通り過ぎ、そのままブリッジ後部に張り出したバルコニーへと到達。仰天する俺達と対峙した。
あまりの展開に俺はその場に固まり動けない。市川さんも、まるでつまみ食いの現場を押さえられた猫のようだった。
「ここにいらっしゃいましたかお客様。アルティミシア・アブシンティウム号へようこそ。ああ、そちらのお嬢さん、カバンからゆっくり手をお出し下さい。悪いようにはしませんから」
あの一瞬で市川さんは銃を取り出そうとカバンに手を入れていた。一方でオズワルドは片手に特殊警棒を既に伸ばした状態で持っている。
コンマ何秒で状況がめまぐるしく変わっていた。俺の知覚し得ない世界がどんどん展開されていたみたいだが、これ、大丈夫なんだろうか?
たぶんこのまま戦闘状態に入るのは俺達に分が悪い。この男を跳ばしてしまえば一応の安全は確保できるが、それでは背後関係が全く判らないままこれからも誘拐や暗殺に怯え、神経を削るような毎日を送らなくてはならないからだ。
しょうがない。ここは一旦、敵の懐に飛び込もう。
俺は腹をくくった。今日何度目だろうか。まあ、首をくくるよりはマシか……。
「市川さん、一旦ここは捕まろう。相田達と合流するんだ」
「……わかったわ。いざとなったらお願いね」
市川さんはカバンからゆっくり手を出し、俺と一緒に両手を挙げた。
「聞き分けの良いお客様で助かります。察するに、ミズ・ミブとミズ・アイダのお身内でいらっしゃいますか?」
「そうだ。俺は影山、こちらはミズ・イチカワだ。もてなしは丁重に頼む」
「結構。ああ、ミズ・イチカワ。申し訳ありませんがカバンは預からせていただきます。物騒なものが入っているようですからね」
オズワルドは概ね自分の思い通りに事が進んで上機嫌な様子だ。疲弊していた俺達とは対象的に。
「ではご案内します」
市川さんのカバンを預かり、俺達の前を歩くオズワルドの背中は大きく自信にと気力に満ち溢れていた。俺達ごときが背中から襲ったところで返り討ちに出来る自信があるのだろう。デルフィノさんと似たような雰囲気を感じる。。
「さて、あと半時ほどで夕食になりますが、お客様も是非、我が主とご一緒なさって下さい。何、私が執り成しますから。お部屋はミズ・ミブ達とご一緒がよろしいですか?」
「……私達、侵入者なのにえらく待遇が良いじゃないの。何が狙いなの?」
市川さんの質問にオズワルドはうん? という顔をして立ち止まり、少し言葉を選んだ後に笑顔に戻った。
「ミズ・イチカワ。家臣は時に、主君の誤りを正さねばなりません。如何に主君の命令とは言え無防備な外国人女性を二人、拉致して連れて来てしまった事については我々は申し開きが出来ない立場です。つきましては、お二人にも是非ご協力いただいて、この件については招待された皆様が船上で主君と会食をしたということにしていただければこれはもう、願ったり叶ったりという事で……。
どうしてお二人を拉致したかについては主に直接お聞き下さい。我々が主の真意を慮るのは良いとして、それをさも真実であるかのように口にするのはいささか分を弁えない行いですからな」
それを聞いた市川さんの顎が、今までに見たこともないくらい下に伸びていた。おそらく予想から最も遠い回答だったのだろう。しばらくの間、市川さんの顔はそのまま戻らなかった。
「ああ、それからマーチンとエリックですが……どうなさいました? 海の藻屑になさったと仰るなら、二人の遺族へそれなりの償いをしていただきませんと……」
「うーん、説明は難しいけどたぶん生きているよ。そのうち二人から連絡が入る筈だ。3日ほど待って欲しいところではあるんだが」
アマゾンのコカノキ畑にしても中国の鉄道資材置き場にしても、跳ばされた二人は現地では侵入者ってことになるからこってりと事情聴取されるだろう。外部に連絡を取るのを許されるのは3日後ってところだろうな。運が悪いとスパイ扱いされてしまうかもしれないが。
「3日ですか……無条件で信じるには微妙な時間ですな。おお、そうだ、お二人もそのお召し物では会食というわけにはいきませんね。何か着るものを持って来させましょう。おい、チータ!」
オズワルドは部下の女性を手招きしてさっきと同じ指示を出し、自分は俺と市川さんを貴子さん達のいる部屋へと連れて行った。オズワルドはまたノックを繰り返したが、貴子さん達は相変わらず応えない。オズワルドはしょうがないなという顔をして、マスターキーを取り出したが、俺はその腕を抑えて声を挙げた。
「貴子さん、相田、俺だよ。開けてくれ」
部屋の中から短い悲鳴のようなものが聞こえたかと思うと、15秒ほどしてドアが開いた。中にはシーツに包まった相田と貴子さんがいる。元気そうだが二人とも顔が真っ赤だ。
「どうしたのそれ……? 暑いでしょ……?」
「ふむ、お召し物がお気に召さなかったようですな……しかしこの船には他には、その……お嬢様方に合うものが御座いませんで……」
「ううう~~嫁入り前の娘になんちゅう服を着せるんや……」
相田と貴子さんは何かに諦めてシーツを手放した……のだが?
「チャ……チャイナドレスは久しぶりでして……お見苦しいものをお見せしてしまってなんだか……」
二人は脚部に深いスリットが入っているだけでなく、胸のあたりに孔の開いた、セクシー路線を強調したチャイナドレスを着ていた。
なるほど、価値観の歪んだ金持ちが美人と会食するならこの服は選択肢に入っていて当然だ。他の服が無いというのはおそらく嘘だろうが、それを指摘してもどうなるものでもあるまい。
よし、今は羞恥に悶える二人のの顔を見てニヤニヤしていよう。とにもかくにも、虐待とか拷問とかされていなくて良かったよ。
二人の顔を見てさっきの呆け面から復活した市川さんはニヤニヤしながら二人の脚線美をイジっていたが、ふと我に返ってオズワルドの方を見た。
「あの……もしかして私もあれを……?」
「先ほどお話致しましたとおり、この船にはこのような服しか用意がございません。お気に召さぬのは心苦しゅうございますがご容赦下さい。お嫌でしたらサンバダンサーやベリーダンサーの衣装もご用意できますが……」
「……チャイナでいいわ」
ちなみにチータが持ってきた俺の服は見張りが着る黒服だった。俺は敵地にいるにもかかわらず心の底からホッとした。
「影山さん、まだホッとするのは早いわ。私達、にこやかに会食していたって『証拠』を写真か何かで撮られた後はどうなるか判らないのよ。甲板で足を滑らせて海に落ちたことにされるかもしれないし、ここから帰る時に乗るボートが沈没するかもしれないわ」
「うん。そんなところだろうな。相手の正体と出方を見て、そうなりそうなら全員を跳ばすよ」
◆◆◆◆◆
晩餐に招かれた俺達は案内されるがままに2階の会食スペースに移動した。シンプルだが品のいい内装なのは、客や従業員が装飾品を盗んで行かないようにするための工夫だろう。この内装のシンプルさは有り難い。それでなくても3人のチャイナドレス姿にまだ目がチカチカしているのだ。
「こんばんは。ようこそアルティミシア号へ。皆さんとの食事を楽しみにしていました。いやあ百花繚乱とはまさにこのこと! 皆さんとても美しい! 日本に来てよかったというものです!」
「はぁ……お招きに預かりまして……」
「私はこの船の主、アントニオと申します。お二人には手荒な真似をして申し訳ありませんでした。また、お二人を心配して追いかけていらっしゃった勇気ある二人には敬意を表したいと思います」
アントニオと名乗る銀髪で色の薄い男が俺達を出迎え、歓迎の言葉を述べた。こういった席の段取りは知らないが、彼は席に着く前に一通りの自己紹介と挨拶を済ませるつもりのようだ。最初にアントニオが素直に貴子さんと相田に謝ったのを見て、オズワルドは胸を撫で下ろしている。
「はじめまして。お招きありがとうございます。影山と申します」
「はじめましてどうも、アントニオ=ペドロサと言います。私の船にようこそ。オズワルドから聞きましたが、あなた方がどうやってこの船にいらっしゃったか、まったく見当がつきませんね。今日は是非、そこのところをご教示願いたい。皆さん、ゆっくりして行って下さい。日本で仕入れた山海の珍味もたくさんありますよ」
この銀髪で色の薄いイケメンが当主とやらか。スパニッシュ系の名前なのにロシア人みたいな外見だ。さっきから「私の船」と言っているがこの船の持ち主は違う名前だったように思うがどうなんだろうな。
「まずはおかけ下さい。さあさあ」
俺達はホールスタッフに勧められるがままにテーブルについた。向こう側の真ん中にアントニオ、こちら側の真ん中には貴子さん、貴子さんの右隣が俺、アントニオの左右に市川さんと相田だ。
その席の配置を見た貴子さんが、それまでチャイナドレスの気恥ずかしさで照れ隠しの薄笑いばかりしていたのに急に表情を強張らせ、肩をわなわなと震せはじめた。
「……この席、どういうつもりですの?」
いつもより低いトーン、殺気が籠もっていそうな声で貴子さんがドスをきかせた。
む。貴子さんは寄宿舎学校で社交界のプロトコールを骨身に叩き込まれていると聞く。もしやアントニオは貴子さんに何か失礼なことでもしたのだろうか。
「ドン・アントニオ、私……あなたの伴侶になった覚えはなくってよ……」
貴子さんが不愉快そうに席を立って一つ隣の席に座った。え、その席ってそういう意味だったのか。
「うーん。いきなりはやっぱりまずかったかな。すまなかったねミズ・ミブ。しかし、これから話すことを聞けば何故僕が君をそこに座らせたのか分かると思うんだ。食事の前に説明したいが聞いてくれるかい?」
アントニオが申し訳無さそうな顔をしているが、どうも薄っぺらい。本心は別のところにありそうだ。
「私に、あなたのこの不愉快な冗談の言い訳を聞けと?」
「言い訳というより……そうだな、何故僕が部下達を使って君とミズ・アイダを拐ってきたのか、その理由とも言うべきことだ。君達が今日、ここにいるのは決して偶然ではないんだよ」
む。それは俺も是非聴きたい。貴子さんが意見を求めているのか俺の方を見ているので俺はコクンと頷いた。
「聞かせてもらおうじゃありませんの。その上で面白くなかったらタダじゃ済みませんわよ」
アントニオがぱちんと指を鳴らすとテーブルから少し離れたところにプロジェクター用のスクリーンが降りてきた。天井に吊るされたプロジェクターから、200インチはありそうなそのスクリーンに監視カメラの映像と思しきものが映し出されている。
「え……」
映し出されていたのは貴子さんと相田がこの船に連れて来られ、水着のまま部屋に入れられた時の映像だ。最初不安がっていた二人が気を取り直して、これからどうしようかと話をしている様子が上手く撮れている。
え、この流れだと……まさか
『相田さん、私、東京のオフィスに行って助けを呼んでくるわね』
『気ぃつけてなぁ』
貴子さんの身体が虚空に消える瞬間を、カメラは克明に捉えていた。
「この後しばらくしてタカコは突如部屋に戻ってくるわけだが、そこも見るかい?」
「フン……上手く出来た特撮ですこと。日本では秋葉原へでも行ってたんですの? 私が煙のように部屋から消えたですって? よくそんな子供じみたことを……」
これは貴子さん、大ポカだったな。しかし貴子さんはポーカーフェイスを崩さない。さて、これでどうしてアントニオは貴子さんを嫁にしようと言う気になったんだ?
「秋葉原には行ったがそれとこの映像が特撮かどうかは関係ないさ。この映像は本物。僕がこの目で見ていたからね」
「まっ……覗いてたんですの? ひ……卑怯なっ」
「貴ちゃん……あかんわ。それアウトや」
相田がアウトを宣告した。うん。覗かれてたら困るって言ったも同然だったからね。
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