第百六話:大事は小事より起きる
「どうだ、調子は?」
瞳を病院に放り込んで以来、俺は毎日瞳の見舞いに病室を訪れていた。病室は警備会社に見てもらっているが、幸いにして怪しい動きをしたり病室に近付こうとした者は今のところいないらしい。
「昨日の夜、影山さんが帰ってからすごく調子が良かったので朝、退院したいと高市さんにお願いしたんですが、今日の昼にはまたぶり返してしまいました……すいません」
「ゆっくりしていろと言っただろう。ヨレヨレのまま家に帰って待ち伏せていた刺客に襲われたら今度こそお陀仏なんだぞ。分かってんのか?」
瞳に盛られた毒、アマトキシン系の毒には偽回復期があるという。一瞬持ち直したかな? と喜んでいても、裏では内臓が静かに破壊されて行くというから恐ろしい。
偽回復期が来たということは、やはりレグエディットでも体内に取り込まれてしまった毒は完全には取り去れなかったということだ。
今後は毒に対してはあまり悠長に構えていられなくなるのだと思うと少し怖い。
「それよりここ、食事があまり美味しくないんですよ……こんな典型的な病人食じゃ逆に弱ってしまいます。早く退院したいです……」
「贅沢言うな。それよりお前、退院したら引っ越ししろよ。刺客に家が知られているなんて洒落にならんからな。カネは出してやるから防犯設備の充実した所に住むんだぞ」
瞳は面倒くさいの何のと文句を言っているが、おそらくそういう細かい対策をいくつも重ねておかないと今後の瞳の命は短いものに終わってしまうだろう。
同じ毒も何度も喰らえばそのうちアナフィラキシーショックか何かで拮抗状態を作る前に死んでしまうかも知れない。アナフィラキシーショックに関して言えば瞳には既にいくつかの種類の毒でリーチが掛かっている筈だ。そして、毒の専門家の瞳がそれを知らない筈がない。
「まったく、お前らは『サソリ対毒蜘蛛』みたいな闘いしかできんのか……」
「同じサイズならほぼサソリが勝つらしいですよ?」
皮肉も通じないのか、通じていて躱されているのか……多少は俺の心配も理解してもらえると有り難いんだがそのへんは期待するだけ無駄なのかね?
とりあえず現状、追撃が来ていないのは好材料だ。瞳は不満だろうがあと一週間ほどは穏やかに入院してもらわなければならない。
……そうなると一番の敵は退屈の筈だな。
俺は近くの携帯ショップでタブレット端末を買ってきて、通販サイトのギフトカードと一緒に瞳に渡してやった。こんな時は普段読めない漫画でもまとめて買って読めば良いのだ。
「おう、影山。院長に約束した件、忘れてないよな」
病室を出ると高市が最新のCT機器カタログを持ってニヤニヤしながら待ってやがった。しょうがない。高市には今回それなりの借りを作ってしまったからな。
「参考までに」と渡されたカタログの束を持って病院を出た後、俺は壬生翁の事務所を訪れ、敵勢力が存在すると仮定しての分析が進んでいること、今回の瞳の件と海賊の件、そして影山物産のネットワークに侵入しようとした痕跡が増えた件について壬生翁に伝えた。
「なんと、あの面白い嬢ちゃんがそんなことになっていたのか…… 大変だったなそりゃ。もし入院が長引くようなら壬生の記念病院があるからそっちに移しなさい。政治家どもが使うところだからごく普通に警備も手配できるぞ」
壬生翁、密かに瞳のファンらしい。何か別の話を振ってもすぐに瞳の話に戻ってしまうのでバレバレだ。
とりあえずセキュリティの充実した部屋を瞳のために用意したいと俺が頼んだら、壬生翁はすぐに壬生不動産に電話をしてくれた。さすが……なんでもあるな、壬生グループ。
それはさておき、だ。偶然かどうかは知らないが、壬生グループの傘下企業も最近国内外で悪質な業務の妨害を受けているらしい。コンテナが忽然と港から消えたり、酷いところでは出張所が焼き討ちにあったり、身に覚えのない罪状で社員が逮捕されたりと言った具合だそうだ。
あれだけの大企業なんだから不心得者も中にはいるだろうし、ライバル企業による妨害も少なからずあるだろう。俺などはそんなふうに考えてしまうのだが、壬生グループにとってもこの1~2ヶ月の状況ははじめてと言ってもいいくらいの異常事態らしい。はっきり組織だった業務の妨害が感じ取れるような状況なのだそうだ。
「これはつまり、壬生と影山物産の人減らしを伴う経済活動がうまく行き過ぎていて、敵勢力が我々に対して直接的な行動を取らざるを得なくなってきたということなんでしょうかね……」
「分からんが、そうだとするとちゃんとした対策が必要だな。今度、戦略研究所の安全保障関係の連中と昼飯を食うから君も同席すると良い。有用な意見を聞けるかもしれん」
そうそう。葉山の別荘には壬生翁も行くのかと聞いてみたが、そもそも貴子さんから聞いていなかったようで、翁はちょっとショックを受けていたようだった。
◆◆◆◆◆
貴子さんと相田が休暇を取ってまだたったの2日。俺はと言えばいろんなネガティブ情報が頭を駆け巡ってどうにも人工知能のアルゴリズムを考えるだけの心の余裕がない。
外の暑さや自販機から出てくる「つめた〜い」飲み物が若干ぬるかった等いろんなことが積み重なって俺の脳はもう午前中から開店休業状態だ。
こんな時は田辺さんとダベってリフレッシュ……と思ったが田辺さんは今、会社の管理職業務のかなりの部分を引き受けていてそんな余裕がない。
俺だってそれくらいは分かるので「下らない事で話しかけるのはやめよう」と我慢していたのだが、田辺さんは田辺さんでストレスが溜まっていたらしく、ここらで少し鬱積したものを解消したいようだった。
「いえね、集中力ってのは普通、そう何時間も続くもんじゃないんですよ。適度に気を抜かないと疲弊してしまいます。相田さんとか壬生さんとかは別みたいですが……」
うん。俺もそう思う。ドキュメントが整備されてなくて、サンプルコードを見ないと使い方がわからないライブラリとか使ってたら家に帰りたくなるくらい疲弊するからな……。あれは集中力をひたすら浪費するんだ……。
「そうだ。今日は相田さんが居ないんですよね。だったら、せっかくですから異世界転生について話をしましょうか。最近異世界転生もののアニメを娘と一緒に視ているんですが、相田さんがいると話題にしづらいんで……影山さんはどうですかそういうの? 好きでしょ?」
……アイーダ先生、いつの間にか田辺さんに正体ばれてますよー。
「うん、まあ……嫌いではないな」
うーん……本当ははちょっと嫌いかもしれない。俺自身が「デスマーチ中に白い空間で神にチート能力を貰ったけど重いノルマも一緒にもらった人間」でなければもう少しマシだったかも知れないが。
とりあえず俺が話題に乗ってこれそうだと判断した田辺さんはいつもの調子で俺に話し出した。
「ではまず……異世界にはどうやったら行けると思います?」
「そりゃ異世界トラックに轢かれて……」
「いやいや、そういうベタな話じゃなくてですね。多元宇宙仮説だとかあるじゃないですか。ハッブル体積がどうのとか泡がどうのとか。そういう……ホントに異世界転生したければこういう物理条件をクリアすれば良いんだ! みたいな話ですよ」
そりゃ簡単だ。この世界はシミュレーションプログラム上の存在なんだし、別のコンピュータで動いているシミュレーション世界で地球に似た星を探してこっちの人間をコピーするなり移動させるなりしてしまえばそれで「異世界へようこそ」になるじゃないか。
たぶんあるだろ……プレイヤー同士でシミュレータのキャラを交換するとかそういう遊び方が……。
「おや影山さん、こういう話には興味ないですか?」
いつも田辺さんの話を面白がって煽りながら聞く俺が今日に限って「何言ってんだお前」といった顔をしていたので、田辺さんは俺のノリの悪さを少し意外に感じたようだ。
だってノリが悪くもなるよそれ……田辺さんにとっては娘さんと一緒に視るアニメの話かもしれないけど、俺にとっては半分以上現実だからな。
「あ、いやね、もしシミュレーション仮説ってのが正しければ異世界転生は極めて簡単なロジックで成立するなって思ってさ。俺はその仮説を細々と信じてるから、スッキリと頭の中で筋が通っちゃうんだよ」
「シミュレーション仮説か……なるほどその手がありましたね。そうするとあのキャラもあの話も全部そういうこととして……あまり矛盾がないな。なるほど」
「ああ影山さん、ここにいたのね!」
田辺さんがふむふむと自分の思考に没入しかけた時、市川さんが現れた。いつもの市川さんと違い、今日の市川さんは妙に慌てている。何かろくでもないことがあったようだ。
「ちょっと役員室へお願い! 緊急事態なの」
「どうしたんだよ?」
市川さんに状況を問い質したところ、今日は朝からずっと貴子さんと連絡がつかなくて焦っているらしい。電話もメールもSNSで呼びかけても貴子さんから何の返事も帰って来ないのだそうだ。
リゾート地にいるんだからそういう煩わしい電子機器を持ち歩いていないのかもしれないよ、と市川さんに言ってはみたが、貴子さんに限ってはそれはないと全否定された。どうやら2人の間には休暇中でも定時連絡を入れる約束があったようだ。
いったい貴子さんに、そして俺達の周りに何が起こっているのか。最近影山物産の周囲で起きている一連の事件に連なる何かなのか、それともリゾート地で起こっているごくありふれた、あとで笑い話になるような事なのか。
単に貴子さんがスマートフォンを海に落として連絡が取れなかった、なんて話なら良いけれど、市川さん曰く相田にも同様に連絡がつかないらしいから楽観的に構えていて良い状況ではないのだろう。
市川さんが見たこともないくらい取り乱している一方で、俺は壬生翁に連絡を取り状況を説明した。別に冷静だったわけではない。こんな時どうすれば良いのかてんでわからなかったので自分よりは大人の判断ができそうな人に泣きついただけだ。
俺は敵の存在をはっきりと認識しており、既に味方に被害まで出ていたのに、未だ敵からの攻撃に対する備えや反撃の準備といったことを考えていなかった。なんという能天気、なんという迂闊さ。この危機意識の低さが瞳や貴子さんや相田を危機に陥れたのだとしたら、俺こそが最も責を受けるべき無能者ではないのか。
「相手の出方がわからない限りなんともしようがない。壬生戦略研究所の緊急対策チームを編成するから、情報が増えたら知らせるように」という壬生翁の言葉は「今は何も出来ない」と翻訳されて俺の脳に届いた。壬生さんのところにも即応性は無いらしい。
俺と市川さんが無力感に打ちひしがれて、役員室で打つ手もなくただうろたえながら2時間ほども経過したときだ。少しセクシーな水着を着た貴子さんが俺達の目の前に現れた。
「貴子!」
市川さんは貴子さんが自分自身をディゾルブ移動できることを聞いてはいたらしいが、いきなり目の前に現れた貴子さんにはかなり面食らっていたようだ。そうだよな。やっぱりびっくりするよな。まして水着だし。
「ああごめんイッチー。定時連絡できなくて。心配させたわよね」
「ホントよ。どうしたの? 攫われたの?」
「そうよ。海辺で遊んでたら男達に囲まれてあっという間に拉致されたわ。目隠しされてヘリに乗せられて、どこかの船の中よ。客船ぽかったわね。船室に監禁されたんだけど、窓から富士山が見えたから船は相模湾のどこかに居ると思うわ。
今、ようやく監視が居なくなったんで、とりあえず連絡だけしに来たの。私の能力じゃ相田さんをこっちに跳ばせないからね。私が逃げた事が発覚するとあっちに置いてきた相田さんの身が危ういから一旦向こうに戻るわ」
「大丈夫なの? 戻れるの?」
「船は今、何かの理由で停まっているみたいだから戻るのは戻れるわ。ゆっくりしてるわけにはいかないけどね」
貴子さんは机の上に置いてあった俺のスマートフォンをひっ掴み、GPS追跡機能を起動した。
「ごめんなさい。これ、しばらくお借りします。追跡ONにしておくので追いかけて来てください。相模湾なら携帯電話の電波は届きますから」
そう言うと貴子さんは虚空へと掻き消えた。能力の発動が俺の数段早い。見事なものだ。
貴子さんの無事を知って市川さんはへなへなと床に膝をつき、それでもなんとか立ち上がると、ぼすんと音を立てて今度は本格的に近くにあったソファに崩れ落ちた。
市川さんが天井を仰ぎながら少し涙ぐんだ目を押さえ、ほうっと一息ついている。相当心配だったようだ。
「よかったぁ……とりあえず生きてた……」
「そうだな。しかしさすが貴子さん。気丈だし行動が早かったな……。これでこちらも反撃に出られるよ」
拐われたからと言ってキーキー喚いたり泣きじゃくったりせず、すぐに自分の能力の中で出来ることを実行した貴子さんの腹の据わりようを見た俺は、改めて彼女の持つ資質を凄いと感じていた。機転と行動力があるのは知っていたがあそこまでとは……。
「ねえ影山さん、すぐあの子達を助けに行ってよ。なんなら私を一緒に連れて行ってくれてもいいのよ」
市川さんにそう言われては俺も奮い立たないわけにはいかない。まして貴子さんは俺が来ると信じて現場に戻ったのだ。ここで頑張らにゃ男が廃る。
とは言え相手がどのくらいの規模で、どんな連中なのかも分からない。まずは情報収集と準備をしなければ、助けられるものも助けられないだろう。
俺は貴子さんから聞いたことをまとめて壬生翁に連絡すると、自分も本腰を据えて情報収集に取り掛かった。
俺と市川さんは貴子さんが持っているスマートフォンのGPS情報を辿り、世界の船の運航状況を一目で見られる情報サービスと照合して貴子さんと相田が拉致されているであろう船の目星をつけた。
「あきれたわね……」
「これが個人所有なのかよ……。これ、たどり着いても全部の部屋チェックするの大変そうだぞ……」
スペイン船籍のギガヨット、アルティミシア・アブシンティウム号……全長なんと156m。この船が貴子さんと相田を乗せて相模湾を航行していると考えてほぼ間違いない。持ち主はとある軍産複合体の一角を占める企業のオーナー社長だが、今は誰かがそれを借り受けているらしい。
「さて、この豪華客船みたいな船のどこに貴子さんと相田がいるかだな……」
「乗り込む前にアメリカの私のオフィスに寄ってくれる? 気休めかも知れないけど何丁か銃があるわ」
「銃って……市川さん、撃てるのかよ……?」
市川さんはコクンと頷いた。
「買ったからには練習くらいしてるわよ」




