385話 アーズガルドの屋敷にて 2
テリーは、家族を、二階に案内した。曲線を描いた階段を上がり、二階の廊下を歩き、三つ目のドアをノックする。
「アズラエルさんたちが、いらっしゃいましたよ」
「通してくれ」
ドアの向こうから、ずいぶんはっきりした太い声が届いた。テリーはドアを開けた。
カーテンがすべて開けられ、日の光差し込む寝室に、三人の人物がいた。
アズラエルの父、アダムの面影を宿す大柄な老人がベッドで身を起こしていて、寄り添う老婦人は、小柄でやせていて、ずいぶん背が曲がっていた。
その隣で、椅子に座っている三十代後半ほどの髪の長い女性は、ドアのほうではなく、別のほうを向いて微笑んでいた。
ルナは、先ほどテリーが言った意味が分かった。
彼女が人前に姿を出すことを、躊躇すると言った意味を。
彼女がカナリアであろう――髪の長い女性の顔には、はっきりと分かる傷跡がいくつもついていたのだ。そして、閉じられたまぶたの内側は、両目とも義眼だということを示していた。
彼女はおそらく、ほとんどものが見えていない。
けれども、老夫妻は、目に涙を浮かべて孫たちを見ていた。
アズラエルを、ルナを、ピエトを――アズラエルが腕に抱いた、ピエロを。
「アダム・G・ベッカーだよ」
「メレーヌ・C・ベッカーです。会えてうれしいわ」
アズラエルに押され、テリーに促されるまま、ベッドまで歩み寄ったルナとピエトは、かわるがわる、老夫妻と握手をした。アダムの父は、息子と同じアダムという名なのだった。
ベッドにいるということは、おそらく病であろうアダムと、まるで折れ曲がった枯れ枝のようなメレーヌは、見かけ以上に声も力も強く、その手は温かかった。
「は、はじめまして。あたし、ルナ・D・バーントシェントです!」
「ピエト・A・ベッカーです!」
ピエトも緊張気味に、そう名乗った。
「おや、話がちがうじゃないかアズラエル。ルナさんは、ベッカーの姓じゃないのかね」
アダムは、あのクマさんアダムそっくりの豪放な笑顔を見せて言った。
「もう、似たようなもんさ」
アズラエルは眉を上げた。
「まさか――まさか、孫の妻の顔が見られるとは思っていなかったのよ。おまけにまあ――ひ孫の顔まで」
メレーヌは涙を拭きつつ、ピエトの顔を両手で覆い、ずいぶんと長いあいだ撫でて、抱きしめた。そして、ピエロを抱きかかえた。
「ホントに大きな子!」
メレーヌはその重さに仰天し、「アダムもこれだけ大きかったわ」と呆れ声で言った。
「ごめんなさい。わたし、義眼との相性がどうもよくなくて。嫌だったら、ごめんなさい」
そう断りながら、カナリアは、鼻の先が触れ合うほど、ルナに顔を近づけた。手で、顔の形をたしかめた。ピエトのほうもそうした。それからピエロを抱いて、微笑みを浮かべて頬ずりした。
「赤ちゃんだわ――赤ちゃんの匂い。柔らかい。すてき。ねえ、ルナさんに、ピエトさん――メフラー商社に行ったことはある? カナコを知ってる?」
ルナとピエトは、顔を見合わせた。
カナコの名は、アズラエルの口から数回聞いたことがあるだけだ。メフラー商社の一員として、アストロスの任務には来ていなかったし、会ったことはなかった。
「ルナとカナコは、会ったことはねえんだ」
アズラエルがそういうと、カナリアは、「そう……」と身を引いた。それから、立ち上がって、ふらふらと部屋を出ていった。小さく会釈をして、テリーが追っていく。
「カナリアは、正気よ」
メレーヌが、ルナたちの椅子の用意をした。
「目が見えにくいからね、すこし不思議な行動を取るときがあるけれど、正気です。みなさんに、お茶を出したいのよ。自分がやりたいの。彼女なりに、あなたがたを歓迎しているのよ――彼女、むかし、それはつらい目に遭ったの」
「……」
「わたしたちも。だから、こんなにもごあいさつが遅れてしまったのだけれども。ほんとうは、すぐにでも会いたかったの。――ほんとうよ」
アダムも鼻をかみ、皆に椅子を勧めた。
ルナたちは、今日に至るまでの、長い話を聞いた。
アズラエルが、この屋敷に、アダムの両親とカナリアが住んでいることを知ったのは、E353で家族と再会したときだった。
アズラエルは、それを父親のアダムから聞かされたのだ。アダムも、最初から知っていたわけではなかった。彼も、両親は死んだものと、ずっと思っていたのである。
アダムはE353に向かう途中のエリアE348で、ピーターからの手紙を受け取った。最初は、バラディアたちと同じく、アダムを将校に斡旋する内容の手紙だと思っていたのだが、違った。
中身は、アダムたちが無料で宇宙船に入れるよう、株主であるピーターのサインが記された法令用紙だった――つまり、数日の滞在を許可した乗船チケットである。その法令用紙には、アダムたちに訪問してほしい屋敷の住所と、住人の名が記されていた。
そのときアダムは、ピーターの父サイラス、そしてブライアンによって、両親が地球行き宇宙船で生かされていることを知ったのである。
まず初めに、アダムに、今までふたりの居場所を告げなかったことを詫び、アダムが、地球行き宇宙船が立ち寄るE353まで行くということをバラディアから聞き、急ぎ手紙をしたためた――E353は遠い。そこまで行くならば、ぜひ会ってほしいという内容だった。
アダムは両親の生存に涙した。しかし、同居しているカナリアという人物がだれなのか、そのときは分からなかった。結婚して、カナコの姓とは違っていたし、すぐにはカナコの姉だということに結びつかなかった。
地球行き宇宙船でルナたちと別れたあと、こっそりとアダムとドローレス、オリーヴ、エマルは宇宙船に乗り、リンファンとツキヨ、アズラエルとともに、この屋敷を訪れたのだった。
そこでは、E353での再会と同様――奇跡的な邂逅が待っていた。
スタークも、アストロスで、カナリア以外の三人に会っている。
正確には、カナリアを含む三人を地球行き宇宙船に招いたのは、ブライアンだった――サイラスは、あの事件が起こった年には、すでに亡くなっていた。八歳そこそこだった当主ピーターを、陰ひなたに支えていたのは、ユキトのいとこであったブライアン老人である。
ブライアンは、サイラスの遺言に従って、手配した。バラディアやバクスターのように、大勢のバブロスカ革命の縁者を助けることはできなかったが、彼らと協力して、できるかぎりのことをした。
株主であるアーズガルド家当主の権限を使って、地球行き宇宙船に、彼らの住処を用意したのだ。
アダムの両親とカナリアが他星への移住ではなく、この宇宙船に乗ることになったのは、医療処置のためだった。
カナリアは、体と心に尋常でないキズを負い――当時、アダムの母メレーヌは、難病に侵されていた。
ほかの星に移住しても、ふつうの生活ができない状態だったのだ。だから、最先端の医療が整う、地球行き宇宙船への移住を決めた。
「わたしは、この宇宙船の医療設備のおかげで、完治したとはいいがたいけど、この通り元気に暮らしているわ」
メレーヌは、枯れ枝のような腕をさすりながら言った。
「でも、カナリアは、けっして傷跡を消そうとしない。この宇宙船の医療では、傷跡をすっかり消すこともできるのよ。義眼でなく、ほんとうの目を入れる手術もできる。でも、彼女はそれを拒絶している」
「どうしてですか」
ピエトが聞いた。
「自分への罰なのだと――言っているわ。カナコを見捨てて、逃げた自分への罰だと」
「カナコは元気に生きてる。バリバリやってるよ――カナリアさんより、よほど元気にな」
アズラエルは言ったが、メレーヌは首を振った。
「彼女は、当時の混乱の中で、両親をめのまえで将校たちに殺され――恐ろしさに、カナコちゃんを見捨てて逃げた。けれども捕まって、それはひどい目に遭わされた――心と体に、二度と消えない傷をつけられた」
「……」
ルナは、両目をなくし、顔に傷をつけられたカナリアの姿を思い出して、ワンピースをぎゅっと握った。
「カナコは、カナリアさんが逃げたせいで、助かったんだ」
本人が言っていた、とアズラエルは告げた。
「カナコは満身創痍で動けなかった。将校たちが、みんなカナリアを追った――おかげで、カナコは助かった。カナコは――カナコも、と言ったほうがいいのか? あいつは、姉と両親を助けられなかったことを、ずっと悔いている」
「カナコさんも、お気の毒だわ」
メレーヌはやはり、ハンカチを目に当てた。
カナコは、傷だらけの身体で這いずり回るようにして逃げた。そして、道端で意識を失い、善良な傭兵に拾われた。彼も逃げ回っている最中で、近くにあったメフラー商社へカナコを抱えて駆けこんだのだ。
カナリアも、半死半生のところを、駆けつけた軍人によって救われた。カナリアが受けた仕打ちは、ひととは思えない仕打ちであった。カナリアを弄び、彼女の両親を殺害した軍人たちはその場で逮捕された。
カナリアを助けたのがおそらくアーズガルドの隊で、カナリアはそのまま病院に運ばれ、地球行き宇宙船に移送された。
不幸中の幸いか――事件が起こった1394年という年は、ちょうど四年に一度航海する地球行き宇宙船が、L55から出発する年だった。だから、カナリアやアダムたちも、すぐに乗れたのだ。
あの時期は、そういったことが街の各地で起こった。日頃から傭兵を差別している軍人たちが、傭兵狩りと称して、おそろしいことを平気でした。
メレーヌもアダムも、自分たちがどうやって助かり、この地球行き宇宙船までたどり着いたかは、話さなかった。それを思いだすことでさえ、彼らの表情を暗くした。だからルナも聞けなかったし、ピエトも聞かなかった。
「カナコに、カナリアさんが生きていることを伝えても?」
アダム老人とメレーヌは、一度だけ見合い、アダムの膝にいるピエロを見つめた。
「それはね、アズ――アダムに任せてあるのよ」
メレーヌが、夫の代わりに言った。
「わたしたちと再会できたアダムの口から、カナコさんに伝えてほしいと思ったの。わたしたちがいきなり伝えたら、きっとびっくりしてしまうわ――お互いに、複雑な思いを抱えたままだし」
カナリアは、妹の生存を知っている。彼女がメフラー商社で優秀な傭兵として育ち、「青蜥蜴」という傭兵グループをつくって独立していることも。
だが、カナコは、カナリアの生存を知らない。先年までのアズラエルたち同様、姉もあのとき、死んだものと思っている。
それに、カナリアは、正気ではあるが、あまりにも深い傷を抱えたまま現在に至っている。
言葉がおぼつかないこともあるし、小さな異変や環境の変化に、ひどく大げさに反応する。カナリアの心の安定のためにも、カナコとの再会は、できるなら段階を踏みたいのだと言った。
「それがいいかも――しれねえな」
アズラエルが答えたところで、ドアが開いた。だいぶ時間が経っていたが、テリーに介添えされて、カナリアがお茶セットを運んできたのだった。カタカタとワゴンを揺らしながら。
見えないながらも、カナリアの手つきは、思ったほどたどたどしくはなかった。手を震えさせながらもカップに紅茶をつぎ、紅茶はソーサーにこぼれてはいない。角砂糖とミルク、スプーンを添えたソーサーを、一客ずつ、ていねいに、ルナたちに手渡していった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ルナは礼を言って受け取った。ルナたちが順番に受け取るたび、カナリアは笑みを浮かべた。
「それから、これをあげるわ」
カナリアは、ワゴンに乗せて運んできた、茶色のウサギのぬいぐるみをピエトに差し出した。
「え? お、俺に?」
「そう。――男の子だって知らなくて、わたし、こんなものを買ってしまったの」
「い、いいよ。俺、男だけど、ウサギは好きだよ」
顔に傷があるため、ほとんど外出をしたがらないカナリアが、はじめて会う子どものために、自ら買って来たものだった。ピエトは受け取り、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「いい子ね」
カナリアは、ピエトの頭を撫で、また、ふらふらと部屋を出ていった。
ルナたちが退室するまでに、カナリアは、二、三度、部屋を出入りした。落ち着かなげに、立ったり座ったりしながら――。
アダムは元気そうだが、車椅子がないと動けない状態で、カナリアも、なかなか玄関扉のところまで行けない――外に出るのが怖いということで、玄関扉でアズラエルたちを見送ったのは、テリーとメレーヌだった。
「今日は来てくれてありがとう。地球に着いたら、また会いましょう」
「どうか、お元気で」
二階の窓から、アダムとカナリアが手を振っていた。ルナたちも手を振り返し、今度はシャイン・システムからではなく、屋敷の門を開けて出た。
「すこし歩くぞ」
アズラエルは言った。貴族たちの住む豪奢な館や城ばかり立ち並ぶ、広い道路の歩道を、三人でゆっくり歩いた。
「地球に着いたらって、ゆわれたよ」
ルナは言った。
「また、すぐは、会いに来ないほうがいい?」
「……」
アズラエルは一度黙し、それから言った。
「もともと、おまえたちには、地球に着いてから会わせるつもりだった。それが、じいちゃんたちの望みだったんだ」
「ひいじいちゃん、病気だって言ってたな」
ピエトも言った。
「ああ――会うのを急いだのは、もしかしたら、じいちゃんが、地球に着くまで持たないかもしれないからだ」
「えっ」
ピエトが立ち止まった。
「メレーヌばあちゃんも、もともと、治らねえって言われた難病なんだ。おまけに、じいちゃんも、車椅子なしじゃ立てねえほど病気が進行してる。だから、今日会わせた」
ピーターが、親父に手紙を送ったのも、E353まで行くならってこともあるだろうが、病気のことを知ったからだろうな――アズラエルは言った。
「俺、もうひいじいちゃんたちに会えねえの?」
「会えねえってわけじゃねえ。――まァ、おまえの訪問くらいなら喜んでくれるだろうが、カナリアも、しょっちゅう客が出入りするのはよくない状況だ。分かるだろ?」
ピエトは顔をしかめ、困り顔でうつむき、「マジかよ」とつぶやいた。
「なんでもっと早く、言ってくれなかったんだよ~!」
ピエトは髪をかきむしりながら、やけくそのように「あーっ!」と叫びながら、道路を走って行った。
その後ろ姿を見ながら、アズラエルは、ルナにだけ聞こえるようにぼそりと言った。
「……嫌味のつもりで言ってるんじゃねえから、そう取るなよ?」
「え?」
「俺たちがグレンと暮らしてるのは、じいちゃんたちも知ってる」
「……!」
ルナは目を見張った。
「グレンだけじゃねえ。一時期、カレンも一緒だったろ? じいちゃんたちやカナリアにとっては、軍事惑星の名家は今でも恐怖の対象なんだ。――どんなに、グレンやカレン自身が、いいヤツでもな」
ルナは、唇を噛んでうつむいた。どうしようもない悲しみが突き上げてきた。
「エーリヒやクラウドも、もしかすれば、怖かったのかもしれない」
どこから自分たちの居場所が悟られるか分からない。だから、アダムやメレーヌたちは、アズラエルが宇宙船に乗ったことを知っていながら、この四年間、会えなかったのだ。
「今さら俺は、グレンがドーソンだとかなんだとか、そんなこたァ言わねえよ」
嘆息した。
「だが、じいさんたちには――グレンの存在は刺激が強い」
そこで話を切り上げた。叫びながら、ピエトがもどってきたからだ。
「な、アズラエル。ケーキ食いたい」
「あ?」
「ケーキ食いたい!」
ピエトがなにかをねだるのは滅多にないことだ。アズラエルは苦笑して言った。
「そうだな――このへんのカフェで、ケーキでも食って帰るか。貴族区画だから、お上品なケーキばっかだろうけどな」
「やった! ケーキ! ケーキ!!」
ピエトははしゃいで、駆けて行った。ルナは、アダムたちが暮らしている屋敷を一度振り返り、それから、アズラエルの後を追った。
ルナもなんだか、無性に甘いものが食べたい気分だった。




