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キヴォトス  作者: ととこなつ
第十部 ~ヘスティアーマ篇~
946/1034

385話 アーズガルドの屋敷にて 2


 テリーは、家族を、二階に案内した。曲線を描いた階段を上がり、二階の廊下を歩き、三つ目のドアをノックする。


「アズラエルさんたちが、いらっしゃいましたよ」

「通してくれ」


 ドアの向こうから、ずいぶんはっきりした太い声が届いた。テリーはドアを開けた。

 カーテンがすべて開けられ、日の光差し込む寝室に、三人の人物がいた。


 アズラエルの父、アダムの面影を宿す大柄な老人がベッドで身を起こしていて、寄り添う老婦人は、小柄でやせていて、ずいぶん背が曲がっていた。


 その隣で、椅子に座っている三十代後半ほどの髪の長い女性は、ドアのほうではなく、別のほうを向いて微笑んでいた。


 ルナは、先ほどテリーが言った意味が分かった。

 彼女が人前に姿を出すことを、躊躇(ちゅうちょ)すると言った意味を。


 彼女がカナリアであろう――髪の長い女性の顔には、はっきりと分かる傷跡がいくつもついていたのだ。そして、閉じられたまぶたの内側は、両目とも義眼だということを示していた。

 彼女はおそらく、ほとんどものが見えていない。


 けれども、老夫妻は、目に涙を浮かべて孫たちを見ていた。

 アズラエルを、ルナを、ピエトを――アズラエルが腕に抱いた、ピエロを。


「アダム・G・ベッカーだよ」

「メレーヌ・C・ベッカーです。会えてうれしいわ」


 アズラエルに押され、テリーに(うなが)されるまま、ベッドまで歩み寄ったルナとピエトは、かわるがわる、老夫妻と握手をした。アダムの父は、息子と同じアダムという名なのだった。


 ベッドにいるということは、おそらく病であろうアダムと、まるで折れ曲がった枯れ枝のようなメレーヌは、見かけ以上に声も力も強く、その手は温かかった。


「は、はじめまして。あたし、ルナ・D・バーントシェントです!」

「ピエト・A・ベッカーです!」

 ピエトも緊張気味に、そう名乗った。


「おや、話がちがうじゃないかアズラエル。ルナさんは、ベッカーの姓じゃないのかね」


 アダムは、あのクマさんアダムそっくりの豪放な笑顔を見せて言った。


「もう、似たようなもんさ」

 アズラエルは眉を上げた。


「まさか――まさか、孫の妻の顔が見られるとは思っていなかったのよ。おまけにまあ――ひ孫の顔まで」


 メレーヌは涙を拭きつつ、ピエトの顔を両手で覆い、ずいぶんと長いあいだ撫でて、抱きしめた。そして、ピエロを抱きかかえた。


「ホントに大きな子!」

 メレーヌはその重さに仰天し、「アダムもこれだけ大きかったわ」と呆れ声で言った。


「ごめんなさい。わたし、義眼との相性がどうもよくなくて。嫌だったら、ごめんなさい」


 そう断りながら、カナリアは、鼻の先が触れ合うほど、ルナに顔を近づけた。手で、顔の形をたしかめた。ピエトのほうもそうした。それからピエロを抱いて、微笑みを浮かべて頬ずりした。


「赤ちゃんだわ――赤ちゃんの匂い。柔らかい。すてき。ねえ、ルナさんに、ピエトさん――メフラー商社に行ったことはある? カナコを知ってる?」


 ルナとピエトは、顔を見合わせた。

 カナコの名は、アズラエルの口から数回聞いたことがあるだけだ。メフラー商社の一員として、アストロスの任務には来ていなかったし、会ったことはなかった。


「ルナとカナコは、会ったことはねえんだ」


 アズラエルがそういうと、カナリアは、「そう……」と身を引いた。それから、立ち上がって、ふらふらと部屋を出ていった。小さく会釈をして、テリーが追っていく。


「カナリアは、正気よ」

 メレーヌが、ルナたちの椅子の用意をした。

「目が見えにくいからね、すこし不思議な行動を取るときがあるけれど、正気です。みなさんに、お茶を出したいのよ。自分がやりたいの。彼女なりに、あなたがたを歓迎しているのよ――彼女、むかし、それはつらい目に遭ったの」

「……」

「わたしたちも。だから、こんなにもごあいさつが遅れてしまったのだけれども。ほんとうは、すぐにでも会いたかったの。――ほんとうよ」


 アダムも鼻をかみ、皆に椅子を勧めた。


 ルナたちは、今日に至るまでの、長い話を聞いた。


 アズラエルが、この屋敷に、アダムの両親とカナリアが住んでいることを知ったのは、E353で家族と再会したときだった。


 アズラエルは、それを父親のアダムから聞かされたのだ。アダムも、最初から知っていたわけではなかった。彼も、両親は死んだものと、ずっと思っていたのである。


 アダムはE353に向かう途中のエリアE348で、ピーターからの手紙を受け取った。最初は、バラディアたちと同じく、アダムを将校に斡旋(あっせん)する内容の手紙だと思っていたのだが、違った。


 中身は、アダムたちが無料で宇宙船に入れるよう、株主であるピーターのサインが記された法令用紙だった――つまり、数日の滞在を許可した乗船チケットである。その法令用紙には、アダムたちに訪問してほしい屋敷の住所と、住人の名が記されていた。


 そのときアダムは、ピーターの父サイラス、そしてブライアンによって、両親が地球行き宇宙船で生かされていることを知ったのである。


 まず初めに、アダムに、今までふたりの居場所を告げなかったことを詫び、アダムが、地球行き宇宙船が立ち寄るE353まで行くということをバラディアから聞き、急ぎ手紙をしたためた――E353は遠い。そこまで行くならば、ぜひ会ってほしいという内容だった。


 アダムは両親の生存に涙した。しかし、同居しているカナリアという人物がだれなのか、そのときは分からなかった。結婚して、カナコの姓とは違っていたし、すぐにはカナコの姉だということに結びつかなかった。


 地球行き宇宙船でルナたちと別れたあと、こっそりとアダムとドローレス、オリーヴ、エマルは宇宙船に乗り、リンファンとツキヨ、アズラエルとともに、この屋敷を訪れたのだった。


 そこでは、E353での再会と同様――奇跡的な邂逅(かいこう)が待っていた。

 スタークも、アストロスで、カナリア以外の三人に会っている。


 正確には、カナリアを含む三人を地球行き宇宙船に招いたのは、ブライアンだった――サイラスは、あの事件が起こった年には、すでに亡くなっていた。八歳そこそこだった当主ピーターを、陰ひなたに支えていたのは、ユキトのいとこであったブライアン老人である。


 ブライアンは、サイラスの遺言に従って、手配した。バラディアやバクスターのように、大勢のバブロスカ革命の縁者を助けることはできなかったが、彼らと協力して、できるかぎりのことをした。


 株主であるアーズガルド家当主の権限を使って、地球行き宇宙船に、彼らの住処を用意したのだ。


 アダムの両親とカナリアが他星への移住ではなく、この宇宙船に乗ることになったのは、医療処置のためだった。


 カナリアは、体と心に尋常でないキズを負い――当時、アダムの母メレーヌは、難病に侵されていた。


 ほかの星に移住しても、ふつうの生活ができない状態だったのだ。だから、最先端の医療が整う、地球行き宇宙船への移住を決めた。


「わたしは、この宇宙船の医療設備のおかげで、完治したとはいいがたいけど、この通り元気に暮らしているわ」

 メレーヌは、枯れ枝のような腕をさすりながら言った。

「でも、カナリアは、けっして傷跡を消そうとしない。この宇宙船の医療では、傷跡をすっかり消すこともできるのよ。義眼でなく、ほんとうの目を入れる手術もできる。でも、彼女はそれを拒絶している」


「どうしてですか」

 ピエトが聞いた。


「自分への罰なのだと――言っているわ。カナコを見捨てて、逃げた自分への罰だと」


「カナコは元気に生きてる。バリバリやってるよ――カナリアさんより、よほど元気にな」


 アズラエルは言ったが、メレーヌは首を振った。


「彼女は、当時の混乱の中で、両親をめのまえで将校たちに殺され――恐ろしさに、カナコちゃんを見捨てて逃げた。けれども捕まって、それはひどい目に遭わされた――心と体に、二度と消えない傷をつけられた」

「……」


 ルナは、両目をなくし、顔に傷をつけられたカナリアの姿を思い出して、ワンピースをぎゅっと握った。


「カナコは、カナリアさんが逃げたせいで、助かったんだ」

 本人が言っていた、とアズラエルは告げた。

「カナコは満身創痍(まんしんそうい)で動けなかった。将校たちが、みんなカナリアを追った――おかげで、カナコは助かった。カナコは――カナコも、と言ったほうがいいのか? あいつは、姉と両親を助けられなかったことを、ずっと悔いている」


「カナコさんも、お気の毒だわ」

 メレーヌはやはり、ハンカチを目に当てた。


 カナコは、傷だらけの身体で這いずり回るようにして逃げた。そして、道端で意識を失い、善良な傭兵に拾われた。彼も逃げ回っている最中で、近くにあったメフラー商社へカナコを抱えて駆けこんだのだ。


 カナリアも、半死半生のところを、駆けつけた軍人によって救われた。カナリアが受けた仕打ちは、ひととは思えない仕打ちであった。カナリアを弄び、彼女の両親を殺害した軍人たちはその場で逮捕された。


 カナリアを助けたのがおそらくアーズガルドの隊で、カナリアはそのまま病院に運ばれ、地球行き宇宙船に移送された。


 不幸中の幸いか――事件が起こった1394年という年は、ちょうど四年に一度航海する地球行き宇宙船が、L55から出発する年だった。だから、カナリアやアダムたちも、すぐに乗れたのだ。


 あの時期は、そういったことが街の各地で起こった。日頃から傭兵を差別している軍人たちが、傭兵狩りと称して、おそろしいことを平気でした。


 メレーヌもアダムも、自分たちがどうやって助かり、この地球行き宇宙船までたどり着いたかは、話さなかった。それを思いだすことでさえ、彼らの表情を暗くした。だからルナも聞けなかったし、ピエトも聞かなかった。


「カナコに、カナリアさんが生きていることを伝えても?」


 アダム老人とメレーヌは、一度だけ見合い、アダムの膝にいるピエロを見つめた。


「それはね、アズ――アダムに任せてあるのよ」

 メレーヌが、夫の代わりに言った。

「わたしたちと再会できたアダムの口から、カナコさんに伝えてほしいと思ったの。わたしたちがいきなり伝えたら、きっとびっくりしてしまうわ――お互いに、複雑な思いを抱えたままだし」


 カナリアは、妹の生存を知っている。彼女がメフラー商社で優秀な傭兵として育ち、「青蜥蜴(あおとかげ)」という傭兵グループをつくって独立していることも。


 だが、カナコは、カナリアの生存を知らない。先年までのアズラエルたち同様、姉もあのとき、死んだものと思っている。


 それに、カナリアは、正気ではあるが、あまりにも深い傷を抱えたまま現在に至っている。


 言葉がおぼつかないこともあるし、小さな異変や環境の変化に、ひどく大げさに反応する。カナリアの心の安定のためにも、カナコとの再会は、できるなら段階を踏みたいのだと言った。


「それがいいかも――しれねえな」


 アズラエルが答えたところで、ドアが開いた。だいぶ時間が経っていたが、テリーに介添えされて、カナリアがお茶セットを運んできたのだった。カタカタとワゴンを揺らしながら。


 見えないながらも、カナリアの手つきは、思ったほどたどたどしくはなかった。手を震えさせながらもカップに紅茶をつぎ、紅茶はソーサーにこぼれてはいない。角砂糖とミルク、スプーンを添えたソーサーを、一客ずつ、ていねいに、ルナたちに手渡していった。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 ルナは礼を言って受け取った。ルナたちが順番に受け取るたび、カナリアは笑みを浮かべた。


「それから、これをあげるわ」


 カナリアは、ワゴンに乗せて運んできた、茶色のウサギのぬいぐるみをピエトに差し出した。


「え? お、俺に?」

「そう。――男の子だって知らなくて、わたし、こんなものを買ってしまったの」

「い、いいよ。俺、男だけど、ウサギは好きだよ」


 顔に傷があるため、ほとんど外出をしたがらないカナリアが、はじめて会う子どものために、自ら買って来たものだった。ピエトは受け取り、「ありがとうございます」と頭を下げた。


「いい子ね」


 カナリアは、ピエトの頭を撫で、また、ふらふらと部屋を出ていった。


 ルナたちが退室するまでに、カナリアは、二、三度、部屋を出入りした。落ち着かなげに、立ったり座ったりしながら――。


 アダムは元気そうだが、車椅子がないと動けない状態で、カナリアも、なかなか玄関扉のところまで行けない――外に出るのが怖いということで、玄関扉でアズラエルたちを見送ったのは、テリーとメレーヌだった。


「今日は来てくれてありがとう。地球に着いたら、また会いましょう」

「どうか、お元気で」


 二階の窓から、アダムとカナリアが手を振っていた。ルナたちも手を振り返し、今度はシャイン・システムからではなく、屋敷の門を開けて出た。


「すこし歩くぞ」


 アズラエルは言った。貴族たちの住む豪奢(ごうしゃ)な館や城ばかり立ち並ぶ、広い道路の歩道を、三人でゆっくり歩いた。


「地球に着いたらって、ゆわれたよ」

 ルナは言った。

「また、すぐは、会いに来ないほうがいい?」

「……」

 アズラエルは一度黙し、それから言った。


「もともと、おまえたちには、地球に着いてから会わせるつもりだった。それが、じいちゃんたちの望みだったんだ」

「ひいじいちゃん、病気だって言ってたな」

 ピエトも言った。

「ああ――会うのを急いだのは、もしかしたら、じいちゃんが、地球に着くまで持たないかもしれないからだ」


「えっ」

 ピエトが立ち止まった。


「メレーヌばあちゃんも、もともと、治らねえって言われた難病なんだ。おまけに、じいちゃんも、車椅子なしじゃ立てねえほど病気が進行してる。だから、今日会わせた」


 ピーターが、親父に手紙を送ったのも、E353まで行くならってこともあるだろうが、病気のことを知ったからだろうな――アズラエルは言った。


「俺、もうひいじいちゃんたちに会えねえの?」

「会えねえってわけじゃねえ。――まァ、おまえの訪問くらいなら喜んでくれるだろうが、カナリアも、しょっちゅう客が出入りするのはよくない状況だ。分かるだろ?」


 ピエトは顔をしかめ、困り顔でうつむき、「マジかよ」とつぶやいた。

「なんでもっと早く、言ってくれなかったんだよ~!」

 ピエトは髪をかきむしりながら、やけくそのように「あーっ!」と叫びながら、道路を走って行った。

 

 その後ろ姿を見ながら、アズラエルは、ルナにだけ聞こえるようにぼそりと言った。


「……嫌味のつもりで言ってるんじゃねえから、そう取るなよ?」

「え?」

「俺たちがグレンと暮らしてるのは、じいちゃんたちも知ってる」

「……!」


 ルナは目を見張った。


「グレンだけじゃねえ。一時期、カレンも一緒だったろ? じいちゃんたちやカナリアにとっては、軍事惑星の名家は今でも恐怖の対象なんだ。――どんなに、グレンやカレン自身が、いいヤツでもな」


 ルナは、唇を噛んでうつむいた。どうしようもない悲しみが突き上げてきた。


「エーリヒやクラウドも、もしかすれば、怖かったのかもしれない」


 どこから自分たちの居場所が悟られるか分からない。だから、アダムやメレーヌたちは、アズラエルが宇宙船に乗ったことを知っていながら、この四年間、会えなかったのだ。


「今さら俺は、グレンがドーソンだとかなんだとか、そんなこたァ言わねえよ」

 嘆息した。

「だが、じいさんたちには――グレンの存在は刺激が強い」


 そこで話を切り上げた。叫びながら、ピエトがもどってきたからだ。


「な、アズラエル。ケーキ食いたい」

「あ?」

「ケーキ食いたい!」


 ピエトがなにかをねだるのは滅多にないことだ。アズラエルは苦笑して言った。


「そうだな――このへんのカフェで、ケーキでも食って帰るか。貴族区画だから、お上品なケーキばっかだろうけどな」

「やった! ケーキ! ケーキ!!」


 ピエトははしゃいで、駆けて行った。ルナは、アダムたちが暮らしている屋敷を一度振り返り、それから、アズラエルの後を追った。

 ルナもなんだか、無性に甘いものが食べたい気分だった。




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