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キヴォトス  作者: ととこなつ
第十部 ~ヘスティアーマ篇~
945/1034

385話 アーズガルドの屋敷にて 1


 その日の朝、レディ・ミシェルは、大広間のソファに座っているルナウサギのまん丸い背中と、ぴこぴこ揺れるウサ耳を発見した。


 リサとキラはすでにでかけていた――もともと、あのふたりは家でおとなしくしているタイプではない。


 最近は屋敷にいることが多かったが、それはつまり、アニタとニックの一件から、ZOOカードに多大なる興味を示したからであって、しばらくはどこにも出かけず、いつお呼びがかかってもいいように屋敷に待機していたのだが、先日アンジェリカに、「ルナの勉強だから、あまりかまっちゃダメ」と言われてからは、あっさりもとの生活にもどった。


 つまり、朝から晩まで帰ってこない、もとの生活に。


 あのふたりは、もともと、役員になるための講習を、地球到達までには終わらせるとがんばっていたし、キラはエステティシャン、リサはメイクの講習に通っている。


「あたしは、あたしのことをがんばらなきゃ」

「ルナもZOOカード、がんばってるからね~」

 と言って、いなくなってしまった。


 このところ、毎日のように、いっしょにマタドール・カフェやリズンに行っていたふたりがいなくなり、ミシェルは手持無沙汰(てもちぶさた)になってしまった。

 ヒマなら絵を描きに行くか、散歩にでもでかければいいのだが、今日はなんとなくそんな気分になれなかった。


(天気もあまりよくないし? 雪が降ってきそうだし、寒いし)

 

「ルナ」


 ミシェルが話しかけたのとほぼ同時に、サルーンがいきなりソファの影から現れて、ルナの頭に飛び乗った。どうやら、ルナの隣に座っていたらしい。


「ぷ?」


 ルナは、サルーンを頭に乗っけたまま振り返った。


「なに見てんの」


 ルナの膝上とテーブルには、たくさんの不動産パンフレットが置いてあった。


「どうしたの。まさか、引っ越すわけじゃないでしょ」

「ううん」


 ルナが手にしているのは、K19区のアパートのパンフレットだった。


「そうじゃないの――あたし、仕事場を探そうと思って」

「仕事場?」

「うん」

 ルナはうなずいた。


 先日、アズラエルが言ったのだ。どこか、ZOOカードをひとりでゆっくり見られる、広い部屋を借りたらどうか、と。


「わざわざ借りるの?」

「うん――あのね、部屋でZOOカードつかってると、リサたちが入ってきちゃうことがあるでしょ」

「……」

「もちろん、リサたちだけじゃなくて、ピエトもネイシャちゃんも、アズもやっぱりよくないのよね。そうなると、あたしがZOOカードしてるときは、アズが部屋に入れなくなっちゃうこともあるし、だから、それならいっそ、部屋を借りたらどうだって、アズが」

「そう」

「今のとこ、屋敷に空き部屋はないでしょ? 書斎はクラウドたちがよくつかうし。ララさんに、部屋を増設してもらう案も出たんだけど、そこまでしてもらうってゆうのも――」

「うん」

「だから、どこかに部屋を借りて、ZOOカードはそこでつかうことにしようかと」

「……うん」

「でもね、けっこう高いところばっかりで。どうしようかなって考えてたとこ」


 ミシェルが、あたしもアトリエが欲しいな、と言おうとしたときだった。


「ルナ! ――あ、ミシェルもいる。ちょうどいいや」

 アンジェリカが、大広間に顔を出した。


「どうしたの?」

「ルナの仕事部屋に、いいところを見つけたんだ。見に行かない?」


 ルナとミシェルは顔を見合わせ、ミシェルは即座に「行く!」と返事をしていた。だがルナは、口をもふもふさせた。


「ルナは?」

「う~ん、アズが帰ってきたら、ちょっとおでかけするよってゆってたんだけども」

「すぐ済むよ。アズラエルだって、あと一時間は帰ってこないだろ?」

「うん」


 ルナはうなずき、不動産のパンフレットを(すみ)に寄せて、サルーンをエプロンのぽっけに入れて、立った。


 応接室のシャイン・システムから飛んだのは、K05区。大路まえの大通り、土産物屋のとなりにあったシャイン・システムだった。


 アンジェリカは大路には入らず、大通りから小路に入っていった。この小路を左に入った、さらに奥まった場所に、ルナがアズラエルと泊まりに来たときに行ったお蕎麦屋さんと、よく行くステーキ店がある。


 真砂名神社の拝殿が遠目に見えてくるあたりで舗装された道路は途切れ、砂利道が山に向かって伸びていた。


「おお! こっちじゃ、こっち」


 舗装(ほそう)された道路が終わるあたりにある大きな家屋のまえで、ナキジンが手を振っていた。


「ナキジーちゃん!」

「今日は、サルーンも一緒か」

 ルナのエプロンポケットからタカが顔を出しているのを、イシュマールが覗き込んだ。

「タカじゃったら、ふつうは腕に乗るもんじゃないかの」

「だって、あたまにしか乗らないんだもん!」

 ルナがぷんすかすると、サルーンは言いわけでもするように、ピイ! と鳴いた。


「ここな、大路町内会の集会場につかっとったんじゃ」


 ナキジンが、引き戸を開けて中に入れてくれた。集会場だったというのが分かる、ずいぶん大きな建物だった。


 引き戸を開けてすぐに広い土間と上がり(かまち)、靴棚。段差がある部屋のほうはフローリングで、右に小さなキッチンと、二階に上がる階段がある。階段の下には、シャイン・システムがあった。


 奥にはやはり引き戸があって、その向こうは、二十畳はある広いフローリングの部屋だった。折り畳み式の業務用テーブルと、座布団が数枚置いてあるだけで、ほかにはなにもない。


「机と座布団は、あっちに持ってくか」

 ナキジンのつぶやき。


 左側面はガラス戸で、外にはこぢんまりとした庭があり、背の低い木立に囲まれている。向こうに、拝殿と階段が見渡せた。


「あれ? ここって、紅葉庵(もみじあん)の裏?」

「そうじゃ」


 三人と一羽は、ナキジンとイシュマールの案内に従って、二階に上がった。

 二階は、五十畳近くもある畳敷きの部屋だった。


「うわーっ! すごい広いね!」


 サルーンが、悠々と飛び回って、ルナの頭にもどってきた。


「十年前から、カンタのうちのとなりが空いて、そっちを集会場にしとるんじゃ。ここは広すぎるからのう」

「空きっぱなしにしとるよりは、つこうてもらったほうがええもんな。自由にしてええよ」

「ほんと!?」


 ルナたち三人は嬉しげにそれぞれ耳を立たせ、イシュマールが言った。


「一階は、ミシェルがアトリエにして、二階は、ルナとアンジェがふたりでつこうたらええ。ここなら、ムンド開いても、じゅうぶん余裕があるじゃろ」

「そうだね……これだけ広さがあれば」


 アンジェリカは興奮気味に部屋を見渡し、窓を開けてみたりしながら言った。


「株主総合庁舎にも、仕事部屋として一室取ってもらってるんだけど、けっこう狭いんだ――まァ、あそこには行かなきゃいけないけど、あたしもここでZOOカードつかわせてもらおうかな」


 イシュマールは、思い出したように聞いた。


「ララには、このこと、言わんかったんか」

「ララに頼んだら、ZOOカードのためだけに、お城でも建てかねないよ」


 アンジェリカは肩をすくめたが、その意見にはルナもミシェルも同意した。


「ありがとうおじいちゃん! つかわせてもらいます!」


 ルナとミシェルとアンジェリカで一万デルずつという、破格の家賃だった。

 じいさんたち、家賃はいらんと言ったが、ミシェルは油彩のアトリエにするので、部屋を汚すこともあるかもしれないし、ZOOカードも、アンジェリカの話によれば「なにが起きるか」分からないこともある。保険の意味も込めて、三人は家賃を差し出した。


「ずいぶん広い物件だな、オイ」


 だれかが二階に上がってくる足音が聞こえたと思ったら、アズラエルだった。ピエロを片手に抱えて、階段を上がってきた。


「すっげー! ルナ、ここでZOOカードすんのか!?」


 ピエトも一緒だった。高い天井と広い畳敷きの部屋を眺め渡してそう言った。ピエトは、畳敷きの部屋を見るのははじめてだろう。


「よくここだって分かったね」


 屋敷に残っていたセシルに、紅葉庵に行ってくると告げてでかけたルナたちだった。


「紅葉庵に行ったら、こっちだって。店通り抜けて、裏まで来れるんだな」

 

「ほっほおう~♪ ピエロ~、ナキジーちゃんじゃぞ~♪」

「飴玉は、まだ食えんなァ」


 赤ん坊を見ると寄って行かずにいられないのは、年寄りの習性である。例に漏れず、ナキジンとイシュマールは、ピエロをあやしにかかった。


「ルゥ、行くぞ」


 ろくに挨拶もせずそう言い放ったアズラエルに、ナキジンとイシュマールは不満そうな顔をした。ちょうど、イシュマールがピエトに飴玉を分け与えたところだった。


「なんじゃ、どこか行くんか」

「いっしょに蕎麦でも食おうと思ったに」

「悪いな。今日は用がある」

「うん。ルナ、朝アズラエルと出かけるって言ってたもんね」

 ミシェルも言った。


「ほんならしょうがない。ちょっと待っとれ」


 ナキジンは紅葉庵のほうまで行って、駄菓子がたくさん詰まった袋を持ってきてピエトに渡してから、頭をワシワシと撫でた。


「また今度な。じいちゃんの店に、あんみつ食いに来い。サービスするぞ」

「うん!」


 いっしょに蕎麦屋に行くというミシェルとアンジェリカ、それから、ミシェルの腕に移動したサルーンを残して、ルナはアズラエルとピエト、ピエロとともに、建物の外に出た。


 二階の窓から、ナキジンたちが手を振っている。三人は手を振り返して、後ろ足で小路をもどった。紅葉庵を抜けていくのでなく、来た道を帰る。アズラエルはステーキ店のほうへ曲がった。


「アズ、どこ行くの」

「どこ行くんだ?」


 ルナとピエトは同時に聞いた。このパパは行き先を直前まで告げないことが、ままある。


「話せば、長いんだが」

 話す気がないわけではないのだ、いつも。


 ステーキ店の隣にあるシャイン・システムに入ったアズラエルは、やっと言った。


「俺のじいちゃんとばあちゃんに、会いに行く」

「――え?」





 シャイン・システムの扉が開いた瞬間、ルナは、めのまえの光景に見覚えがあると思った。


 広い屋敷の庭を真っ白な新雪が覆い、かつて来たときとは様変わりしていたが、ルナは見覚えがあった。


 シャインから出て、左手に優美な曲線を描いた鉄製の門。生垣に囲まれた庭は、冬囲いされた木々が、綿雪(わたゆき)をかぶっていた。白壁の三階建ての屋敷の表門に、近づかなければ分からないほどの、小さなハトの紋章がある。


「ここ……ピーターさんの……」

「そうだ。やっぱおまえ、ピーターとここへ来てたんだな」


 アズラエルは肩をすくめた。ルナは目を見張り――わたわたと奇妙な動きをした。

 そうなのだ。ここは、ルナがはじめてピーターと出会ったとき、最初に連れてこられた屋敷だったのだ。


「おまえがピーターとあちこちうろついていたとき、クラウドの探査機は途中で電源がぶっ飛んじまったんだ。だから、俺たちは知らなかったが、おまえの姿は、じいさんたちが見てた」

「……!?」

「おまえはこの屋敷で、だれにも会わなかったろ?」


 ルナは、にわかに返事ができなかった。意味が分からなかったのだ。


「ここは、アーズガルド家の五代前の当主が買った屋敷だ。五代前から、アーズガルドは地球行き宇宙船の主要株主。ピーターもそうだ。――俺も、つい最近、それを知ったんだが」


 たしかにルナは、ピーターに連れられて、この屋敷に来た。貴族の区画であるK09区の、この屋敷に。


 だが、ピーターはルナを階下の大広間に置き去りにして二階へ姿を消し、すぐにもどってきて、そのままルナを、K08区の端にある自分のマンションに連れて行った。


 ルナは、屋敷内ではだれにも会わなかった。だが、この屋敷は、不思議とひとが生活している匂いがあった。管理は行き届いているけれども、長い間空き家、というのではなく、ひとが暮らしている感じは、たしかにあったのだ。


「……ここに、アズのおじいちゃんとおばあちゃんが、暮らしてるの?」


 アズラエルの祖父母と言えば、母方の祖父は、ユキト。そして祖母はツキヨだ。彼らではない――ユキトは、第三次バブロスカ革命で亡くなった。

 だとすれば。


「アダムさんの、お父さんとお母さん?」


 だが、ふたりは、アズラエルの家族が逃亡する生活を始めねばならなくなったとき――そう、ルナの両親もL18を離れた――ルナの兄、セルゲイが死んだ、空挺師団の事件が起こった年だ。混乱に巻き込まれて、生死も分からなくなった。

 騒乱が落ち着いたころ、アダムが両親を捜したが、すでに死亡したことになっていた――。


 アズラエルは、首を振った。


「生きてたんだ、ここで」

「――!!」

「ここに住んでるのは、俺のじいさんとばあさん、それから、メフラー商社に、カナコって傭兵がいるんだが、アイツの姉カナリアと、カナリアがこの船で知り合って結婚した、テリーだ」


 ルナとピエトは顔を見合わせ、ごくりと息をのんだ。


「じいさんたちは、おまえの姿を見てた。でも、声をかけられなかったんだ。ピーターは、あのとき、おまえとじいさんたちを会わせようとしたんだが、じいさんたちが断った」


「な、なんで?」

 今度は、ピエトが聞いた。


「……ずっと隠れるように暮らしてきたんだ。ルナが俺の恋人だからって言われても、すぐには顔を出せなかった。気持ちはわかる」

「……」


 寒さを感じたのか、ピエロが目を覚まし、ぐずりはじめた。赤ん坊の声を聞きつけて、来客を悟ったのか、屋敷のドアが内側から開いた。

 

「アズラエルさん、どうも――いらっしゃい」


 大きな扉を開けてくれたのは、優しそうな笑みを浮かべた、四十半ばくらいの紳士だった。スーツを着て、白い手袋をつけた姿は、貴族の執事のようだった。


「よう、テリー」

 彼が、カナリアの夫、テリーか。

「じいさんの具合はどうだ」

「今日は良好ですよ。今朝はちょっと冷えましたが、お加減はよろしいようです」

 テリーは白い息を吐き、アズラエル一行を招いた。

「どうぞお入りください」

 

 屋敷内は、暖かかった。ルナはピーターに連れてこられたとき、この広間で彼を待った。なにも変わっていない。

 テリーは胸に手を当てて小さくお辞儀をし、ルナたちに向かって自己紹介をした。


「テリー・K・ウィッコネンと言います。もとアーズガルド家の執事で、今はこの屋敷の執事のようなことをしておりますが、一応、立場としては、船内役員です」


「役員さん!」

 ルナは叫んだ。テリーは微笑んだ。


「あなたには、はじめましてのお言葉は失礼ですね。わたしどもは、あなたをすでに見知っておりました。ピーター様が、あなたを連れてこられたとき、ご挨拶もせずに失礼をいたしました」

 テリーは、すこし眉尻を下げた。

「あのときお会いできなかったのは、アダムさまご夫妻がお会いにならなかった、というより、わたしの妻カナリアが迷っていたせいなんです」

「――え?」

「彼女は、初対面の方の前に姿を現すことを、多少躊躇(ちゅうちょ)いたします」


 躊躇?

 ルナは口を開きかけたが、聞くべきことは山ほどあるような気がして、だまった。テリーもこの場で、なにもかもを話すつもりではないようだ。


「くわしいことは、寝室のほうで」

「ああ」



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