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キヴォトス  作者: ととこなつ
第九部 ~恋の回転木馬篇~
943/1034

384話 恋の回転木馬 Ⅱ


 それからさらに、一週間後。


 ひとり逃げた、シシーのいとこであるステファンは、森の中、遺体となって発見された――それも、「首」だけになって。


 テオドールはそれをニュースで知ったとき、自分が彼に宣告した言葉を思い出して、気分が悪くなった。


 事件の概要はこうだ。


 ステファンは、友人たちに金を借りまくっていた。そして一度も返すことはしなかった。そのために、彼は売られたのだった。


 恐ろしい組織から狙われていると分かったステファンは、ふたたび手当たり次第に金を集めはじめた――シシーをも脅したが、実の母親にもすがった。だが、ずっと金をせびられてきた母親は、息子を救おうとしなかった。ちょうどそのころ、ステファニーも会社の金がごっそり消えていたことに慌てふためいていたのである。


 愛人のしわざか、それとも、兄か弟のしわざか。


 正体は、経理課長――自分の甥だったのだけれども、とにかくステファニーも金策に走り回っていたときだった。息子の話を聞く余裕はなかった。母からも父からも金がもらえないとわかった彼は、母親にナイフを突きつけた。


 母親を刺し、それを止めに入った父親も殺害し――ビルの駐車場にガソリンをまいて火を放ち、逃げた彼は、警察ではなく組織に捕まったという顛末(てんまつ)だった。


 重役会議のため、ビルにいた親族の従業員たちは逃げ遅れ、灰になった。


 だが、彼らもまた、あちらこちらから恨みを買っていたのは事実だった。だれもが、だれかから金を奪い、だれかを(おとしい)れ、だれかを(おど)していた。


 事件後にはどんどん暗闇が暴き立てられ、結局のところ、ステファンが放火しなくても、この事件は早晩、起こりえたという結論に達した。


 ソルテから連絡をもらうたびに、テオドールは戦慄した。ステファニーは、すでに手を汚していた経歴があったことはほんとうで、シシーの不安は、大げさなものではなかったのだ。


 シシーにも高額の死亡保険金がかけられていた。シシーはほんとうに危なかったのだ。

 高給取りである今はよくても、地球行き宇宙船の役員をやめたり、送金をやめていれば、命の危機があったかもしれない。


(……しかし、こんなことが、あるものなのか)


 シシーを脅していた連中が全員、そっくりそのまま消えてしまった。

 ソルテは、「仕事にならねえ」と嘆いた。なにせ、彼が調べたことは、ことごとくニュースで放映された範囲のことだったからだ。

 しかしテオドールは、前金と旅費を返してもらうことはしなかった。ニュースより早く情報をくれたし、依頼金は、依頼金だ。彼とは、これからも長い付き合いになるだろう。


 テオドールは、どこかでほっとしていた。ソルテに「殺し」は依頼しなかったが、調査次第では、その道も選択してしまうこともあったかもしれない。そのときに自分がどうするか――手を汚すことを選ぶのか、どこまでも法的な機関に頼るのか、分からなかった。


 基本的に、傭兵グループにそこまで依頼するのは、法外な金額がいる。とても、テオドールが個人で払える金額ではない。それを理由に、テオドールはその道を選択しなかったが、自分の中に沸き起こった怒りは、容易に、そして安易に、その選択をしかねない怖さがあった。


(俺は、あいつらと同類じゃない)


 それから、これはテオドールが調べたことだったが、かつてシシーが船客だったときの担当役員のサラという女性は、高齢と病もあって、L55勤務になったというだけだった。ステファニーによって、宇宙船を追われたわけではない。


 そもそもステファニーの会社は、そんなに大きな企業でもなく、宇宙船の主要株主にさえなれない業績だ。宇宙船役員を更迭(こうてつ)できる権限などあるわけがなかった。


 そのことを告げると、シシーはほっとした顔をした。

 彼女はすぐに全快し、仕事にもどった。

 もどったその日から、再び、屋敷に通いだした――もちろん、テオドールも誘って。


 シシーはまだ、おごってもらうのには抵抗がある。トラウマは、癒えたとは言い難い。だが、すこし、進歩があった。

 シシーがテオドールにおごったあとは、テオドールがおごってくれるのを、受けられるようになった。


 ソルテがサービスしてくれた五万を、テオドールは封筒に入れて取ってある。

 いつか、このお金で、シシーに美味しいものを食べさせてあげようと思っている。

 それが一番、彼女は喜ぶのだ。


 そのテオドールだったが、彼も仕事に復帰してまもなく、いきなり呼び出された。


 上層部ではない――ルシアンという名の、クラブにだ。


 早朝、開店前のクラブには、オーナーのカブラギがいるだけだった。テオドールはもちろん、クラブという場所にも縁はないし、カブラギとも初対面だった。


「いらっしゃい」


 グラスを拭きながらのオーナーの挨拶に、テオドールは「どうも」と軽くあいさつした。


「テオドール・A・サントスです。お呼びになりましたか」

「うん」


 カブラギは、カウンターから出てきて、テオドールの頭から足の先まで見まわした。


「身長百七十四センチ。体格も申し分ない。頭もいい。ちょうどいい」

「――あの」

「君、“アルビレオの衛星”だって話だが」


 テオドールは詰まった。地球行き宇宙船には秘密にしてあったはずだ。

 困惑はしたが、不思議さのほうが勝った。テオドールの耳に響く「アルビレオの衛星」の名は、いままでとはちがう響きをまとっていた――つまり、嫌ではない。


「……秘密にしていたことを、とがめられるんでしょうか」

 船客の過去を、重要視はしない。そういう宇宙船だったはずだ。


「いいや」

 カブラギはちらりとカウンターを見、

「コーヒーでもどうだと言いたいところだが、もうすぐ出勤だろ? それに、俺の用事はすぐ済む。また、カクテルでも飲みに来てくれ」

 テオドールの肩を叩いた。


「調査員の仕事を生真面目にやってくれたようで、まァ、五件も摘発(てきはつ)された。アニタなんぞは、いいあぶり出しの船客だったが、そのうちの四件は、やっぱりアニタで」

「ええ。アニタさんに宇宙船を降りることを勧めた役員でしたね」

「ああいうのって、けっこういるもんなんだよなァ。おとなしくしてくれてればいいものを、目に入っちまうから、摘発しなきゃならなくなる」

「……俺が呼ばれたのは、調査員の件で?」


「あ、いいやァ……」


 カブラギは間延びした声で否定し、さらに聞いた。


「カオス屋敷、楽しいか」


「……やっぱりあそこは、カオス屋敷なんですね」

 テオドールの口に、思わず笑みが浮かんだ。


「グレンや――そうそう、あいつの相方がまだ宇宙船に乗ってたときも、バーベキューに誘われたことがあったんだが、行けずじまいだった」

 カブラギは苦笑し、

「“アルビレオの衛星”だったことに――そうだな――誇りを?」


 テオドールはふたたび、返答につまづいた。


 誇りを? 


 そう聞かれて、数日前までの自分なら、「いいえ」と答えていたはずだ。いや、これはなんらかの試験なのだろうか。だとすれば、たとえ心中が「いいえ」でも、「はい」と答えるべきかもしれない。


 だが、テオドールは、「いいえ」と答えていた。

 心中は、()いでいた。

「はい」でも「いいえ」でも、どちらでも、あてはまりそうな気がした。


「そう――いいえ、ね」


 カブラギは、苦笑した。テオドールの目をじっと見据えた。切れ長の目は、テオドールの内臓まで覗き見るような鋭さを増したが、すぐに消えた。


「俺なら、自慢しちゃうかもな――理想的だ。イノセンスに入らないか?」

「イノセンスへ?」


 ついに提示された、呼び出しの理由は、特務機関への誘いだった。「誘い」であったことが驚きだった。


「俺はてっきり、そういうのは、もっと守秘義務の徹底した形で――」


 ほかに人はいないが、まさかこんなクラブの店先で、正体が分かっている人間に勧誘されるとは思わなかったテオドールだった。


「でもおまえは、誘いを断ったって、自分がイノセンスに勧誘されたことは言わないだろ?」


 テオドールは首を傾げ――うなずいた。


「言う理由がない」


「だろ? どうかな。派遣役員は続けられる。イノセンスとしての仕事は、まあ、たくさんはない。イノセンスにも、そりゃ、いろいろあってね。片足突っ込んでるヤツと、喉までドップリのやつと。まあ、君は要領もよさそうだし。すごく親しい友人ってのもいないが、のけ者になるってこともないだろ?」


「はい」


「うまいな。美味しいね、理想的だ。――だが、君がイノセンスであることは、生涯隠し通してもらう。妻にも子にも、もちろん家族にもな――だれにも言えない。それでもよかったら、どうか、サインを」


 カブラギは、一枚のA4用紙を、テオドールの目の前にちらつかせた。


「考える時間はあるよ」

「……」


 秘密にすることは、おそらく苦ではない。


 そうだ――テレジオも、シシーにずっと話さなかった。自身が「アルビレオの衛星」であることを。それは、テオドールとはまったくちがった理由であったにせよ。

 

 テオドールは昨夜、ずっと避けていた実家に電話した。「アルビレオの衛星」であり、L31のとある大学の校長を務める誇り高き祖母は、だいぶまえに聞いたきりの孫の声をずいぶん歓迎してくれた。


 ――祖父にまつわる、むかし話も。


『そうなの――そうなの、テレジオさんのお孫さんが――!』

 祖母は十分に驚いたあと、

『運命の相手が見つかるって宇宙船……ほんとうなのねえ。まさか、あなたが、テレジオさんのお孫さんと出会うなんて』


 テオドールの想像通り、シシーの祖父テレジオと、テオドールの祖父は同期生だった。つまり、祖母もということになる。彼らは、同期の「アルビレオの衛星」なのだった。


「別にシシーと俺は、運命の相手じゃありません」

 テオドールはそっけなく言ったが、


『ぜったい運命の相手だわ!』


 祖母は断言した。以前テオドールがつきあっていた女性との仲は、猛反対した祖母である。


『ああ、あのひとは、ダメよ。ぜったい暇を持て余して浮気するタイプの女よ』

「……」


 祖母の「予言」は見事に当たったので、悔しくてテオドールはあえて言わなかったが、実はそのとおりになったのである。


 彼女は、船内のスーツ店の女性で、シシーのように朗らかであかるく、彼女から告白してテオドールとつきあったが、テオドールの身内に反対されて別れ――それからひとつきもしないうちに、ほかの男性と結婚したというのを、風の便りで聞いた。だが、それから半年もしないうちに、彼女の浮気で離婚し、ついに宇宙船を降りたという話までがオチだ。


 テオドールは特に、彼女に未練らしきものはなかったが、後味の悪い思いはしていたのだ。


『あなた、おじいさんが生きているうちに、テレジオさんの話をしなくてよかったわね』

 祖母は、そう言って笑った。

『あのひとにテレジオさんの話なんかしたら、むっつり、黙ってしまうわよ』


 仲は良くなかったんだろうか。


「やっぱり、テレジオさんとおじいさんは、学友だったんですか」


 テオドールの問いに、祖母は昔を思い出すように、声が遠くなった。


『学友ねえ……親しいわけではなかった』


 祖母は否定した。


『嫌いとか、好き、だけでは言えない複雑な感情よ。だってねえ、おじいさんはあなたも分かるとおり、すごく礼儀正しくて紳士で、真面目な人だった。テレジオさんは、その正反対。――テオドール。あなたもあの大学に入ったなら、かならずわかることがある。世界には、どうにも信じられない、神様みたいな天才がいるってこと』


 それは、テオドールも思い知ってきたことだった。どうあっても勝てない人間ばかりが、あの大学にはいた。


『うちはね、じいさんもわたくしも、娘も息子も、孫たちも、みーんな努力型! ぜいぜい言いながら、周囲の期待にこたえようとがんばって、めったらやたら勉強するけど、たったひとにぎりの天才のまえには、そんな努力は意味をなさないのよねえ』


 テレジオさんは、そんな天才の一人だった、と祖母はため息交じりに言った。


『L72から、ふらっと来て、ろくに試験勉強もせず合格して、猛勉強タイプではなかったわ――でも、人気者だったのよ。学術書なんかぜんぜん読まずに、恋のことばかり書いた詩集なんか読んでるの。それで、とっても気障(きざ)な台詞で女の子を口説くんだけど、あの性格のせいで、笑うしかないの』


 祖母はそう言って、思い出し笑いをした。


『学外のともだちと、飲み会に合コン――それでも試験では上位に入って、楽々卒業しちゃうのよ。もう、頭の出来がちがうのね』


「……」


『もしかしたら、おじいさんは、テレジオさんと親しくしたかった。でも、テレジオさんに劣等感と、怒りも感じていた。嫉妬もあったかもしれない。――でも、その奥には、憧れもあった』


 テオドールにも、覚えのある感情だった。


『だから、同じクラスだったけど、きっと、ほとんど口を聞いたことはなかったの。テレジオさんは、卒業間近に、自分の卒業校が学級崩壊してるって聞いて、そっちに行ったの。あっさりしたものだったわ。あちこちの大企業から声がかかったのに。一生遊んで暮らせる道もあったのよ。わたくしたちは、彼がそういう道を選ぶと思っていた――なにせ在学中は、ホントに遊んでばっかりだったんだから』


「……」


『それが、まさか、母校の学級崩壊を見てもどるなんて――ご苦労なさったと思うわ。いいえ――きっとあのひとのことだから、まるで大工さんが家を建てるように、やってのけてしまっているかもしれないわね。だって、あのひとにとっては、“アルビレオの衛星”なんて称号は、ただのあだ名みたいなものなのよ』


 わたくしたちの努力も、彼にとっては靴紐を結ぶ程度のこと。あの称号も、彼にとっては靴紐のアクセサリーみたいなものだったんだわ。


 テオドールは渡された用紙を見つめ、カブラギにボールペンを借りて、その場でサインした。


「考える時間はあるよ? いいのか、そんなにすぐ決めて」

「ええ」


 テオドールはうなずいた。


 カブラギはテオドールのサインを確認し、用紙を折りたたんで、ポケットに入れた。テオドールはまだ考えていた。 


 真面目に考えた。


「アルビレオの衛星であったことに、誇りを?」


 答えきれなかった。テオドールはまだ若い。その問いに、すくなくとも答えが出せるのは、この生が終わる間際ではないだろうか。


 カブラギは手を差し出した。


「イノセンスへようこそ」


 特別とは、どこにも当てはまらないから、特別なのだ。特別と孤独はイコールであり、居場所はあってなきがごとしだろう。(まつ)り上げられるか、役に立つものとして、重宝されるだけだ。


 テオドールはそう思ったが、ふとあの屋敷を思い出した。

 あの場所は、不思議と、テオドールも落ち着く場所だった。あの屋敷で、居場所がないと感じたことは、一度もなかった。


(あそこは、カオス屋敷だからな)


 アルビレオの衛星なんか、そっくり飲み込んでしまう銀河だ。

 テオドールは、そう思い返して、自然な笑みを浮かべた。そして、カブラギの手を握り返した。


『ねえテオ、今度こそ、地球の衛星の写真を送ってちょうだいな。ほんものの月の写真を。あなた、いつも分かったと言って、送ってくれないんだもの』

「今度こそ送りますよ」


 テオドールは、それができると思った。そうするつもりだった。これからは、祖母たちに連絡することを、(いと)うことはないだろう。


『地球に着いたら、月を眺めながらシシーさんにプロポーズしたらどう。どうせなら、月をバックに、ふたり並んで写真を撮りなさいな――』


 テオドールは苦笑した。


「おばあさまは、ほんとに、いつまでたってもお若いですね」


 祖父も祖母も、父も母も、自分と同じ人間だった。周囲からの期待に押しつぶされそうになりながら、「アルビレオの衛星」の資格を守りつづけてきた、衛星。


 本物の天才は「アルビレオ」で、衛星は、けっしてアルビレオには近づけない。周囲をぐるぐると周回するだけだ。


 だが、彼らは善良な人間で、テオドールは、彼らに守られてきたことをようやく知った。それが分かった。


 どこにも居場所がなく、探しつづけるテオドールの孤独な背中を、彼らはとても案じていた。だから、道を示唆(しさ)しようとしたのだろう。それがテオドールに鬱陶(うっとう)しく感じられても。


 だって彼らは、テオドールを心から愛していたのだから。

 すくなくとも、彼らはテオドールに何の見返りも求めなかった。シシーが(しいた)げられてきたように、テオドールを虐げることはなかった。


 不思議だった。

「アルビレオの衛星」の呪縛が解かれたとたんに、うとましかった祖母の声すら、あたたかく聞こえる。


 まだろくに分別もなかった子どものころ、こっそり菓子をくれた祖母の顔を思い出した。それを母が目こぼししていたことも。

 父が、祖父が、禁じられていたアニメを、こっそり見せてくれたことも――妙なことばかり思いだした。

 

 テオドールは祖母との電話が終わると、慟哭(どうこく)した。声を殺して嗚咽(おえつ)した。

 

 なぜかわからなかった。だが、あれほどの目に遭いながら、たったひとりで苦悩を抱え、それでも明るさを失わなかったシシーの顔ばかり浮かぶ。テオドールは、いますぐ抱きしめたいと思った。


 L系惑星群一、衛星を従える、惑星アルビレオ――テレジオもそうだった。たくさんの衛星を引き付ける、強く――それは強く。


 シシーは彼の孫。同じだ。輝ける惑星アルビレオは、シシーだ。シシーはなにが起こっても、靴ひもを結び直して、気丈に歩いてきた。ときに逃げても、怯えても。


 シシーというアルビレオに()かれるテオドールは、やはり衛星なのだった。だが、衛星であることが、今は嬉しい。祖母も父も母も、きっとシシーを(まぶ)しく感じるだろう。そして、憧れ、慈しむだろう。


(好きだよ、シシー)


 テオドールが、それをはっきりと、自分の口から言えるようになるまで、まだ少しの時間が必要だった。





 ルナは、銀色に輝く「特別なハクニー」のカードを、月を眺める子ウサギとともに見つめていた。

 背景は真っ白のまま。凛々(りり)しいハクニーが前を見据えている。


「結局、ハクニーさんのカードは、どうしよう?」


 ルナの質問に、月を眺める子ウサギは、『これでいいのよ』と言った。


「え? いいの?」

『このハクニーは、だって特別なんだもの』


 恋をすれば情熱的もなれる、だれかを救済することもできる、英知にあふれ、勇敢なその心は、だれかの盾となることも(いと)わないでしょう。


 月を眺める子ウサギは、歌うように言った。


 彼女の歌とともに、ハクニーの周囲がキラリ、キラリと輝き、背景が浮かんだような気がしたが、一瞬のことで、ルナには見えなかった。


 ルナはふと、思い出した。メリーゴーランド――回転木馬の夢を。

『郷に入っては、郷に従え』と言っていた、ハクニーを。


 ハクニーが背に乗せていたシマリスに気づかなかったのは、もしかしたら、メリーゴーランドの軸である、惑星にも見える大きな球体に、目を奪われていたのかもとルナは思った。


 ずっとずっと、そればかり見つめていた。捕らわれていた。

 特別な、ハクニー。


 彼は、どんなふうにもなれるのだろうか。

 情熱的にも、勇敢にも――無邪気にも?


「ン?」

『ひとつ、仕事は増えるけどね』

「仕事?」

『知らなくていいのよ』


 ルナは口をもふもふさせ、声を潜めて聞いた。


『……うさこが守護すると、どうなるの?』


 月を眺める子ウサギがステッキをひと振りすると、「特別なハクニー」は、「礼儀正しいハクニー」に変わった。

 ルナは目と口を丸くし、カードを指さして、なにか言おうとした。


『礼儀正しいのも悪くはないのよ? 彼はとっても紳士だもの』


 そう言って、うさこは消えた。


「……」


 ルナは、呆気にとられたままZOOカードボックスを見つめ――やがて、にっこり笑って立ち上がった。

 今夜も、ふたりは来るだろう。テオの好きなパスタをゆでて、シシーの好きな、野菜炒めをつくるのだ。


「そのまえに」


 ルナは、うさこのおうちの横に飾るための花を買いに、おでかけすることにした。

 今日も、いい天気だ。



第九部 完

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