378話 様子のおかしいシシーと、テオドールの戸惑い 2
「ご、ごめん――やっぱり、ダメ」
「え?」
目にいっぱい涙をためたシシーは、首を振って、テオドールの手を振りほどいた。
「ごめんなさい。あたしダメ。お金払ってないのに、食べられない」
「シシー!」
騒がしい食卓が、いっせいに静まった。
応接室のほうへ駆けて行くシシー、追うテオドール。だが、シシーはふたたび、止めるテオドールの手と声を振り切って、シャイン・システムに駆けこんでしまった。
テオドールは呆然と、閉まったシャインの扉を見た。カルパナが、うしろにいた。
「やっぱり、シシーちゃん、ダメだったのね」
「……」
テオドールは、すぐには答えられなかった。なにがダメだったのか、シシーを苦しめているものは何なのか。それを明確に、理論立てて説明できるほど、テオドールの中で資料がそろっていなかったからだ。
夕食の席は、急きょ、「シシーを心配する会」と化した。
テオドールはそれ以上シシーを追うこともできず、すごすごとキッチンにもどってきたわけだが、この席には、性格がレベル母親クラスの人材がかなりいて、その母親たちが黙ってはおかなかった。
なにしろ、この屋敷のお節介連中ときたら、老婆心も並ではないが、解決能力もずば抜けていた。
「シシーさん、いったい、どうなさったのですか?」
カザマの声を皮切りに、クラウドにメンズ・ミシェル、キラにリサ、ニックにアルベリッヒと立て続けに同じ質問をされて、テオドールは「分かりません」としか、答えられなかった。
そして、ぽつぽつと、最近のシシーの様子を話した。
去年のクリスマス以降、どこか彼女の様子がおかしいこと。屋敷や食事に誘っても、「金がない」ことが理由で、断られること。
おそらく知り合い全般に、シシーは同じ断り文句を口にしている。金がないのはおそらく本当で、普段の食事でさえ、とっているのかどうか、怪しいこと。
テオドールが「おごる」と言っても、「おごられるのが嫌だ」という理由で、食事をともにしないこと。――だが、テオドールを避けているのではなさそうだということ。
シシーは、金がない理由を、テオドールにもカルパナにも打ち明けてはいない。
そして、先ほどATMの前での、シシーの不穏な様子のこと。
「なるほどね……」
クラウドが、思考の様子を見せた。
「昼間は、いつもみたいに明るかったろ」
メンズ・ミシェルはそう言い――「ええ。そこが分からないところなんです」とテオドールはつなげた。
「シシーは昼間までは、この屋敷に来るつもりでいた。金はあったんです。でも、俺が夕方、ATMでシシーと鉢合わせたときの通帳の残高は、きっと、ゼロだった。食事代すら、残ってなかったんです――おそらく」
「どうして?」
キラが叫び、
「それが分かったら、こんなに悩んでません」
テオドールは深々とため息を落とした。彼は、めのまえの美味しそうな食事にも、ワインにも、まったく手を付けなかった。
「理由は――テオ君が分からないなら、わたしも分からないわ」
カルパナも、同様の返答をして、さらに言った。
「たぶん、シシーちゃんが一番親しいのはテオ君なのよ。あなたで分からなかったら、きっとだれも分かりっこないわ」
「シシーには友人がいるでしょう?」
カルパナは首を振った。
「あの子は、広く浅くの付き合いしかしてないのよ。ほんとうに親しい友人は、あなた以外にいないと思うわ」
「……!」
テオドールは目が覚めたような顔をし、いきなり立ち上がった。
「シシーの家へ――行ってみます」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
テオドールを止めたのは、意外なことに、アニタだった。
「座って。とりあえず、あたしの話を聞いて」
アニタが、真面目な顔で促すので、テオドールは座り直した。
「あのね、テオさん。たぶん、今シシーさんのところへ行って、問い詰めたところでぜったいシシーさんはしゃべらないと思う。いままで言えなかったんだから。おまけにお腹もすいてる。メンタルも最悪よ? あなたも焦ってる。きっと、ロクなことにならない」
「――もっとも、ですね」
テオドールは驚くほど素直にうなずいた。
「でも、またシシーは食事を抜くのかと思うと、俺は……」
「そこなんだけど」
アニタは言った。
「シシーさんのお金がない理由は、あたしもさっぱりわからないけど、今の説明でいっこだけ、分かったことがあるの」
「な、なにが分かったの?」
リサがアニタを見た。アニタは、いつになく真面目な顔で言った。
「シシーさん、たぶん、摂食障害の一種だと思う」
「摂食障害……」
テオドールがつぶやいた。
「それは、どのようなものですか」
サルビアが首を傾げたので、セルゲイが説明した。
「そうだな……たとえば、ショックなことがあって、精神的にダメージを受けてしまい、その結果、食行動に異常が現れること。食べ過ぎてしまったり、逆にまったく何も食べられなくなってしまったり……。大変なことが起きて、食欲をなくしたりなんかすることはだれにでもあるけど、それが生活に支障をきたすまでになると、そう診断される」
クラウドもうなずいた。
「そうだな――シシーがウチに来て、異常なくらい食べ過ぎてしまうのも、過食の一種かもしれないね」
「――でも、シシーの部屋は、散らかってはいたが、菓子や食べ物が溢れかえっているというわけではなかったです」
テオドールは呆然と言った。カルパナもうなずいた。
「ええ。服は散らばってましたけど、キッチンもそれなり片付いてましたし、ゴミの匂いがする、なんてことはなかったわ」
ゴミもちゃんとまとめられて、食べ物で部屋があふれていることはなかった。
ただ、大雑把な性格なのだろうなということが分かるくらい、服は乱雑に積み上げられ、食器は洗いっぱなし、ホコリが床に溜まっているくらいのものだった。足の踏み場がないというほどではない。
「なにもシシーさんが過食症とか、拒食症って言ってるんじゃないのよ」
アニタは首を振った。
「シシーさんの状態が摂食障害に当たるかは、あたしは医者じゃないから分からないわ。極端なことを言ったかも。ごめん。でも、ひとからおごってもらうことができない、つまり、自分のお金でしか、食事を買えない、取れない。遠慮がちっていうわけじゃなくって、ホントにダメなのよ。食べられないの。食べても吐いちゃうの。――あたし記者だったとき、そういうタイプのひとに会ったことがある」
「え?」
「彼女は、病院で摂食障害の治療を受けていた。強迫なんたらとかそっちの治療も――ともかく、なんつうか、ようするに、いま大切なのは、シシーさんがそういう病気かどうかってことじゃなくて、もしかしたらほとんど食事を取っていないシシーさんに、ご飯を食べさせなきゃいけないってことだわ、そうでしょ?」
「そうですけど――なにか、いい方法が?」
カルパナの言葉を待たずに、立ったのは、アニタだった。
「ニックさん、あれ、もらっていい?」
「うん、いいよ」
あれ、の正体を皆は分からなかったが、アニタとニックの間では、会話が成立していた。アニタはニックからシャイン・カードを借り、小走りで応接室に向かった。
「ちょっと待っててね」
そう、言い置いて。
「アイツ、なにを取りに行ったんだ?」
アズラエルが聞くと、ニックはほがらかに答えた。
「たぶんコンビニのお弁当さ」
カルパナが、手を打った。
「あっ! そうか」
「なにがそうかなの」
ついていけないキラが聞くと、ニックは説明した。
「コンビニは、数時間ごとに品物の入れ替えがあるだろ。そのとき下げられた弁当やサンドイッチとか、ぜんぶ区役所の社員食堂に置かれてるんだけど」
「えっ」
テオドールが、驚いた顔をした。
「社員食堂の弁当って、仕入れてるわけじゃなかったんですね」
「そうそう!」
カルパナも言った。
「ええっと、船客さんにもわかりやすいように説明すると、中央区役所は、カフェと社員食堂があるのね」
中央区役所には、二階に社員食堂、一階にカフェがある。
一階のカフェは役員だけでなく、船客でもだれでも入れる場所で、有料だ。つまり、お金を払ってコーヒーやケーキ、軽食をいただくところ。
二階の社員食堂は役員しか使用できない。そしてすべてが無料である。日替わりランチが主なメニューだが、カウンターや冷蔵ケースには、デパートやコンビニの弁当や軽食、飲料も並べられていて、どれも無料で持っていけるのである。
「日替わりランチも、お弁当も無料なの!?」
キラが叫んだ。
「そう。ランチはもちろん美味しいけど、お弁当や軽食もけっこう人気なのよ。よく食べる人なんか、ランチの大盛り食べて、お弁当も持っていく人もいるしね。なんだかんだいって、いつもなくなってるわ」
カルパナは言った。テオドールもやっと納得してうなずいた。
「俺は、いつもカフェで食べてるんですけど……カフェのサンドイッチが量的にちょうどいいんで。たまに、仕事が立て込んでて外に出たくないときなんか、社員食堂のほうでもらってきたりしてました。けっこう種類が豊富なんで、驚きましたよ」
「シシーちゃんが、気づいてなかったとはね」
カルパナが嘆息すると、テオドールは言った。
「なんとなくわかる気がします。社員食堂って、どちらかというと、俺たちより年上のひとが利用してる感じがして。あと、けっこう食べるひとたち」
「そうかもしれないわね」
カザマも言った。
「若い子は、シャインでちょっと遠くのカフェに行ってみたり、外のキッチンカーでお弁当を買ったりするでしょう?」
「そうかぁ……そうね。じゃあ、シシーちゃんが忘れてたとしても無理ないか」
カルパナは腕を組んで嘆息した。
シシーも役員になったとき、社員食堂のことは聞いているはずなのだが。
社員食堂には、数時間ごとに入れ替える決まりのコンビニの品や、デパートの総菜、それらが無料で置かれている。
「地上」の中央区役所だけでなく、「地下」の、宇宙船を動かすシステムのほうで働く人たちの社員食堂にも。
それに、カフェは午前十時から午後六時までの営業だが、社員食堂は朝五時から午前零時までやっているので、必然的に社員食堂のほうが、ひとの出入りが多い。
知らない役員はいないと思っていたカルパナだった。
「実はわたくしも、夕食を作りたくないときなど、いただいて帰ったりします……」
カザマが遠慮がちに言った。
「わかるわかる! デパートの有名店のお惣菜なんか残ってたりすると、ヤッタ! って思いません!?」
「思います!!」
カルパナとカザマが意気投合しているところへ、
「つまり、廃棄されると言ってしまえば聞こえは悪いが、すでに捨てられたものだから、対価が発生しない。そういうものなら、シシーは食べられるっていうことか?」
クラウドの台詞が終わらないうちに、アニタがもどってきた。
三種類の弁当を、コンビニの袋につめこんで。ペットボトルのお茶や水、サンドイッチなども一緒に。
「よかった。まだ業者のpi=poが来てなかったから」
「このお弁当だって、出来立てなんだよ」
ニックは口をとがらせた。
「賞味期限も切れてないし。うちのコンビニは、ほとんど売れないからね。ほぼ社員食堂行き確定」
アニタは、テオドールに袋ごとお弁当を渡し、聞いた。
「社員食堂のことは?」
「今、カルパナさんから聞いたよ」
俺も忘れていた――とテオドールが苦笑いすると、
「そっか。一応、これも社員食堂行きの品物だから。それでも受け取ってもらえなかったら、シシーさんの目の前で、このお弁当をゴミ箱に投げ込んでみて」
「――!?」
ゴミ箱に投げ込んだ弁当を食わせろというのか。テオドールは絶句したが、
「あたしが会ったひとは、そこまでしないと受け取れなかった」
「……」
テオドールは、なんともいえない目で弁当を見つめ、それから、アニタとニックに「ありがとうございます」と頭を下げた。
「きっと食べてくれるよ」
ニックの明るい声に押されるように、テオドールは、シャイン・システムがある応接室へ引き返した。
ルナは、最初から最後まで、口を開けたまま、事の次第を眺めていたのだが、やがて、みんなの目が自分に向いていることに気づいた。膝の上のピエロまでがルナを見ていたし、ルナを挟んで座っていたアンジェリカとサルビアが、瞬きもせずルナを見つめていた。
「ぷ?」
ルナがアホ面をしているので、ついに、レディ・ミシェルが言った。
「ルナ、ZOOカード」
「そうよ! ついにZOOカードの出番でしょ!」
リサも叫び、ルナはあわててアンジェリカを見たが、彼女はニヤニヤ笑って首を振った。
「あたしの占いは高額です。お金のない人のために占いはできません」
彼女らしくない、薄情な言葉だったが、サルビアが代わりに微笑んだ。
「ルナ、ZOOカードのご用意を」




